プロジェクトDX~チョコ戦士たち~ ★その2


    2


 二月十四日、当日。

 いよいよ決行される、バレンタインデー決戦、その名もプロジェクトDX。

 ウカの威信をかけた戦いが今始まる――と、思いきや、


「ま、待ってください……DXレーションが……ない?」

「ああ、ねえよ」

「一つも?」

「そうだよ」

「だ、だって、この前来たときはおまけに五個もついてきたくらいで……」

「売れちまったもんはどうしようもねえさ」

「そんな……」


 《アラカワ》の中央市場で、最初にして最大の問題が立ちはだかった。より美味しいものを作ろうと、試作で大量に使われたDXレーション。ちょうど昨日使い切ってしまったため買い出しに来て見れば、なんと在庫が一つもないという。なじみの商人に限らず、市場のどこに行っても、ことごとく売り切れ。いつもならば屋外市場のシートの重しになっている、あの「食べられるレンガ」が、である。

 ウカが市場に通うようになって既に二年が経とうとしているが、DXレーションのほかにカカオの混じった食材など見たこともなかった。そもそも、カカオは旧世紀の時代から、大量生産ができない貴重な嗜好品だったのである。加えて、カカオをチョコレートに加工するまでには、様々な労力と時間、そして技術を要する。この食文化の衰退した街で、DXレーションというまずいがゆえに残った旧世代の遺物を除いては、カカオ成分を手に入れる方法はなかった。


「まあまあ、そう落ち込むなよ、嬢ちゃん。《鰐面》に行きゃあ、見つかるだろ」


 《アラカワ》とそれに隣接する《タイトウ》、二つの土地の狭間に位置し、様々な物資の入り口となる港町鰐面。確かにそこまで足を延ばせばDXレーションは手に入るだろうが、移動するだけでも時間がかかる。


「……」


 大人しくチョコは諦めて、別のお菓子を作ろうか。そんな考えがウカの脳裏をよぎるものの、やはりどうしても未練が残る。リコちゃんが帰ってくるまでには時間もあるし、すぐに見つけて、帰ってくればなんとか……と、ウカも胸算用。


「行ってみます!」

「わりいな。また今度、安くするからよ」


 そうと決まれば、一刻も無駄にはできない。軍用スクーターVespa 150 N-TAPにまたがり、《鰐面》に向かって突っ走る。いつもならばリコに止められるようなアクセルべた踏みも、今日に限ってはお構いなし。ぐんぐんと風を切って東を目指す。太陽はいまだ低く、白々とした光が廃墟ビルの頭を鍵盤状に切り取っている。いまだ、焦るときではない……そう自分に言い聞かせ、ウカはスクーターにしがみついた。

 しかし、《鰐面》で一人目の商人から「すまんね」という答えが返ってきた瞬間、ウカはひやりと嫌な予感に襲われる。二人目、三人目にもすげなく首を振られ、四人目に聞いてみたときには、よほどウカの顔に悲しみが滲んでいたのか、相手は気の毒そうに事情を話してくれた。


「……いやあ、悪いね。売り切れてんだよ。《アラカワ》の中央市場の連中が、供給不足だっていって、割高でも買って行っちまったんだ。おそらく《鰐面》のDXレーションは全部買われちまってる。商人の間じゃ、『ばれんたいんでい』特需だってんで、お祭り騒ぎだよ」

「そんな……」


 いくらなんでも、これはおかしい。もはや誰かに嫌がらせをされているとでも思いたくなる。

 《アラカワ》の元締めであるアジア系暴力組織シードに助けを求めるという考えもちらりと浮かんだが、まさにリコは今日、《シード》のボスであるカクタスと仕事をしている。おそらく《シード》に助けを求めたら、自分がチョコレートを欲しているという情報が伝わってしまうだろう。

 昨日の時点でサプライズは失敗しているようなものだが、それでも今からプレゼントを渡そうと思っている相手に、プレゼント購入の知らせが入るのは望ましくない。


「……こうなったら、もう……」


 ウカが足を向けたのは、普段はあまり立ち入ることない《鰐面》の《フェザ》の縄張り。《タイトウ》を取り仕切るアフリカンマフィア《フェザ》の支配下にある界隈である。《シード》の縄張りと比べて店の並びは整然としており、はっきりとした支配方針の差を感じる。

 岸壁に穿たれた横穴に入り、迷路のような道を進んでいくと、やがて電子錠のかかった扉が現れる。ウカがインターホンを押す前にその扉が開き、奥から一人の少女が走り寄ってきた。


「やっほー! ウカっち! 元気ー?」


 底抜けに明るい彼女の声が、洞穴に響き渡る。無数のケーブルを頭から生やし、HMDヘッドマウントディスプレイをはめた様子は、ややもするとぎょっとするが、彼女は構わずウカに抱き着き、それに応じて肩ほどまで伸びたケーブルがうねうねとウカの頭を抱きしめた。


「……こ、こんにちは。カンナさんは相変わらずお元気そうで」

「うん、ぜっこーちょーだよ! カンナ、耳がすっごくいいからね、もうお話は聞いてるよー? ウカっち、チョコ欲しいんでしょ! わかるよ~、『ばれんたいんでい』だもんね~」

「さすが……なんでも筒抜けですね」


 監視システムをはじめとして、《鰐面》のあらゆる情報を処理しているカンナ。今こそ《フェザ》で働いているが、かつてはリコの同僚だったため、ウカも何かと料理をご馳走してきた仲である。港でのウカの会話を盗み聞きしていたのだろう。プライバシーもなにもあったものではないが、こういう時は話が早い。もはや、頼れる伝手があるならば、なりふり構っていられなかった。


「……DXレーションが欲しいんです。《タイトウ》地区に余ってる在庫とか、手に入ったりしませんか?」

「もっちろん、できるよー! 声をかければ、すぐに届けてくれると思う!」

「ほんとですか! よかった……!」

 思わず心の底から安堵の溜め息が漏れるウカ。しかし、カンナのHMDの前面液晶には、「(;゚⁻゚)」という古代表象文字が現れる。

「……でもね~、一つだけ条件があって~」

「な、なんですか? お金なら……ちゃんと払いますよ?」

「そうじゃなくてね、ほら、カンナは雇われの身だから、自分のために《フェザ》のシステムを使っちゃうと、怒られちゃうっていうかー」

「……まあ……それはそうですよね……」

「ウカっちのために協力するのは、ぜーんぜん、嫌じゃないんだけど! 姐さんに怒られるのは、嬉しくないの! 今日、『ばれんたいんでい』なのに、いやーな気持ちになりたくないもん!」

「では、どうすれば……」

「だからね、カンナも一緒に、お菓子作りさせてほしいなーって!」

「……はい?」

「ウカっちと一緒に美味しいお菓子作って、姐さんに渡せば、たぶん許してくれると思うんだよね! 姐さん、なんだかんだ言って甘いもの大好きだし!」


 ……姐さん、とは《フェザ》幹部でカンナの上司であるヤシギのこと。果たして私用の罰がバレンタインデーで帳消しになるかどうかは分からないが、まあ、本人がそれでいいというのなら、いいのかもしれない。


「それは構いませんけど……」

「じゃあ、ちょっと待っててね! 今、連絡入れたから! たぶん、あと十分くらいで届くと思う!」

「十分!? 随分早いんですね」

「空輸だからね! ビューンって来ると思うよ!」

「く、空輸……」


 頭上には飛竜が飛び交うこのご時世、空輸をするということはそれ相当の戦闘機を使用するということである。運んだものがまずいチョコレートだったと分かったら、ヤシギから落ちる雷はお菓子程度でかわせるものなのか。もはや取り消しようもないが、本当にカンナに頼んで大丈夫だったのか、ウカは今更不安になってくる。

 洞窟を出て《鰐面》の港の開けたところでしばらく待っていると、不意にウカとカンナの頭上に影が差した。空を仰げば、そこにいたのは四つの翼をゆったりとはばたかせる瑞鳥型輸送機――KARURA。


「……カンナさん、まさかDXレーションを持ってこさせたのって……」

「ラトっち、だよ!」

「――」


 その名を聞いて、さすがのウカもくらりとする。ラトっち、とはすなわち《語り手オラトール》。《フェザ》のパトロンである《人類進化機構HEO》の幹部である。

 四翼を畳み、地上に降り立ったKARURAから降りてきたのは、もう見るからに怒り心頭の少女。華奢な肩をそびやかせ、カツカツカツ!と足音を響かせ近づいてくる。


「あなたねぇ! アタシをなんだと思ってんの!? 『DXチョコ、買ってきてチョコfrom《鰐面》』って、馬鹿にしてるわけ!?」

 開口一番の怒声である。大きなツインテールがまさしく怒髪天を衝く勢いで逆立っている。しかし、カンナの方はどこ吹く風と、口をとがらせて言い返す。


「だってだって、ラトっちがちょうど《タイトウ》の市場の視察をしているみたいだったからー」

「アタシはあなたのパシリじゃないのよ! そもそも|あなたたち)は|うちにお金を出してもらって――」

「でもー、ラトっち個人はカンナたちに色々と貸しがあると思うし、それにこれくらいのことで怒ることないと思うなー! 夏のこと、まだまだまだまだ、カンナはおこだからね! 姐さん大変だったんだからね!」

「うっ……それは……その……」

「それでラトっち、ちゃんと持ってきてくれたの! どうなんですかー!」

「……」


 ヤシギの傍にいるといつも妹分のカンナだが、《語り手オラトール》相手には強気で行けるらしい。まあ、ここまで文句を言いつつも、《語り手オラトール》がむすっとした顔で突き出した袋には、沢山のDXレーションが入っていた。彼女もなんだかんだ逆らえないらしい。

 それから《語り手オラトール》はキッと横目で睨みつけ、今度はウカに怒りの矛先を向けてくる。


「あなたがここにいるってことは、どうせこのレーションもあなたの差し金なんでしょ!」

「まあ……お願いしたのは本当ですけど……」

「こんなもの、そこらへんでいくらでも買えるのに……! わざわざ空を飛んで運んで来いだなんて!」


 ……それは《語り手オラトール》のパシリ根性が自発的にそうさせたのでは、と思いつつもウカは言葉をのど元で留める。


「なぜか、このあたりだと品切れ状態になってしまって。ありがとうございます。お手数おかけしました」


 ウカが袋を受け取り、礼を述べると《語り手オラトール》は鼻を鳴らしてそっぽを向く。しかし、さっさと帰っていくのかと思いきや、なぜかDXレーションの方をちらちらと見つめていた。


「……何か、他に言い足りない文句があるとか?」

「そうじゃないっ! そうじゃなくて、その、ちょっと気になったというか……」

「DXレーションですか? これだけあれば十分なので、一つくらい持って帰ってもらっても――」

「違うわよ! 誰がそんな可食粘土に興味があるもんですか! そうじゃなくて、ほら……今日はその……」

「『ばれんたいんでい』?」

「そう、だからその、あなたも何かそれで作るのかなって」

「まあ……はい……そうですけど」

「……」


 なぜか《語り手オラトール》は口をぱくぱくさせて、何かを言いあぐねている。すると、カンナは小首を傾げ、


「ラトっちも一緒に作りたいの?」

「……!」


 びくん、と《語り手オラトール》のツインテールが跳ねた。完全に図星だったらしい。


「ま、まあ、アタシもお世話になってる人に渡してもいいかなと思って? 一回くらい経験しておいても、いいかな、とか?」


 すると、すかさずカンナのHMDに「(*`д′)」の文字が点滅した。


「違うよ、ラトっち! 『ばれんたいんでい』は、お世話になってる人じゃなくて、好きな人にあげるものでしょ!」

「すっ……!」

「ねえ、ウカっち! ウカっちだって、大好きなリコっちに渡すために作るんだもんね!」

「は、え、えぇ!?!?!?」


 突然の流れ弾に被弾し、《語り手オラトール》と同じく顔を真っ赤にするウカ。しかし、それでも料理の正しい知識に対する思いに支えられ、かろうじて口を動かした。


「い、いや、その別にお友達とかに渡してもいいんですよ? 渡す理由も、渡す相手も自由ですから」

「あ、そうなんだー」

「はい……」


 思わず深い溜め息が漏れるウカ。それからふと、《語り手オラトール》に尋ねた。


「……一緒に作るのは構いませんが、その代わり一つだけお願いしてもいいですか?」

「材料を買ってこさせただけじゃ、飽き足らないって言うわけ……」

「もう一つだけ、材料が欲しいんです。あなたにしか頼めないことなんです」

「……もう一つ?」

「はい、ミルクです」

「……」

「クジラのミルクを分けていただきたいんです」


 《語り手オラトール》の親友にして、おそらく彼女がお世話になっている人とは、《鰐面》の沖合に住む白鯨のこと。一度食べさせてもらったことがあるが、クジラの乳は乳脂肪分が豊富で、味も良い。牛乳が手に入らない24世紀にあって、お菓子作りの強い味方になる。


「……分かったわよ。まずはあの子を探さないといけないから、あなたたちも付いてきて」


 そう言って、《語り手オラトール》はKARURAの方に歩いていく。その背中を追いながら、ウカはもはやレシピはシンプルなものでいくしかないな、と考える。普段は厨房に立つことのない二人が作るのだから、やたらと手の込んだものは避けた方がいい。二人のおかげで材料が手に入るのだから、やっぱり二人が満足できるものにしたいのだ。

 ……それで、リコちゃんを喜ばせることはできるのかな?

 そんな微かな不安は、胸の奥にそっとしまって。

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