【1巻/第五話】第五話 ヤマタノオロチ、いただきます その5


    5


 リコが《漁師ピスカトール》との共闘を始めてから、ウカが向かったのは《わにづら》の上層部、《フェザ》の縄張りだった。戦車を探しに行ったカクタスと別れ、階段を駆け上る。その目的は増援の要請である。

「ちょ、ちょっとお待ちください、ウカ様! 今回の件はあねには内密で──」

 ビヌが必死に引き止めようとするのだが、ウカは全く聞く耳を持たない。はるか下方で始まった映画まがいの活劇を見ようと道には多くの人間が集まっていたが、その人込みをかき分けながら、内実ウカの脳裏を占めていたのは冷静な状況分析だった。リコ、《漁師ピスカトール》、そしてカクタス。それぞれに普通の人間よりはよっぽど力を持っているとはいえ、今回の相手は規格外。渡り竜をしとめるのとはわけが違う。《わにづら》を守るために《びやく》が出てくるという期待もないわけではないが、基本的に個人的な利害に踏み込まないのが彼らのやり方である。もしもルアンがいれば多少力になってくれるかもしれないが、せつしようを好まぬ彼にヤマタノオロチを殺させるわけにもいかない。

 《シード》の人間を誰か呼ぶべきか、という考えが一瞬よぎったものの、カクタスが望めば彼らは動くであろうし、望まなければ動かない。それに野生動物を相手にするという点で、渡り竜の始末をリコに頼む集団が、ヤマタノオロチにかなうわけもない。おそらくカクタスは自らリコを助ける程度にしか関わらないだろうというのがウカの見立てだった。

 となると、残るは一つである。

「《フェザ》の人は剣技にひいでているんですよね? ビヌさんが手伝ってくださるなら、それでもいいんですよ?」

 足を止めずにそう言うウカに、ビヌは困り果てた様子で首を振る。

「我々はあねの命を受けない限り、剣を抜くことを禁じられておりますので」

「それじゃあ、やっぱり、ヤシギさんに直接お願いしないと」

「ですが、それは困るのです! あんまり皆さんに協力すると、私の首が……」

「もう手遅れでしょう」

「まあ……はい……」

 ビヌは力なくうなだれながらも、ウカを無理やり止めようとはしなかった。というのも、内心彼はウカの思い通りにはならないだろうという確信があったからである。まず、ヤシギは《わにづら》に常にいるわけではない。普段は《タイトウ》の事務所にいて、少なくとも今日は来ていない。だからこそビヌはこっそりとリコに接触を図ることができたのである。そして、確信の理由がもう一つ。《フェザ》の事務所に至る道は、《わにづら》に常駐する人員の数名しか把握しておらず、よその人間は決して入ることができない──……

「……って、待ってください。ウカ様? どうして、この道を?」

 岩壁の内部へと続く細道に入ったウカに、ビヌは慌てて問いかけた。すると、

「だって、この前通りましたし。さすがに覚えていますから」

「で、でも、あの時は薬で──」

「もうビヌさんはご存知でしょう? わたし、人間じゃありませんから」

「……あぁっ!」

 第一の理由、陥落である。《フェザ》の機密事項がこうも簡単に突破されるとは、完全に始末書ものである。とはいえ、まだ大丈夫。無理やりウカを止める必要はない。既に場所を知られている以上、無駄な暴力は振るいたくないというのが《らんどう》常連の本音である。大人しくヤシギがいないという事実を受け止めてもらい、帰っていただこう。そう思っていたのだが。

「……やあ、お疲れだね、ビヌ」

 《フェザ》の区域へと続くセキュリティードアの前で待ち構えていたのは、いつもながらばっちりとブラック・タイをまとった、ボスの姿。バキバキとキャンディーを砕く勢いから、怒り心頭だと一目でわかる。扉の脇に備え付けられた小さな画面がふと光ったかと思うと、表示されたのは「(;。_。)」の文字。そこからカンナの声が聞こえてきた。

「……ごめんねー、ビヌくん。ばれちゃった……」

 ビヌの額から汗が吹き出し、一挙に口から水分が失われていく。大量の砂をんだかのようにのどが締め付けられた。

「カンナから事情は聞いてるよ。……ったく、監視カメラを増設して正解だったよ。悪いけど、あんたたちは要注意対象だからね。あたしもさすがに、こんなにすぐ外部と接触するとは思っていなかったけどさ」

あね、我々はただ……この前のお礼をしただけと言いますか……」

「よその人間をここまで通すことが、かい」

「それは、事の成り行きで……」

「黙りな」

 ヤシギの一喝でビヌは完全に沈黙。血の気が引いて、唇が真っ青になっている。しかし、そんなことは関係なしに、ウカはこう切り出した。

「リコちゃんを助けていただけませんか」

「《フェザ》も化け物退治に参加しろと?」

「そうです。このままでは勝ち目がないんです。もしも《フェザ》の協力があれば──」

「言っただろう。あたしらは《シード》の人間にくみしない。カクタスがそこにいるってのも、もう分かってるんだよ。一緒に仲良く戦えってのかい」

「……そうです」

「その無神経さには感心するけどね、無理なもんは無理だ。《フェザ》は《シード》とつるむことは絶対にない」

 ヤシギの断固たる宣言が暗い通路に反響した。カンナもビヌも黙り込み、重い沈黙があたりを包み込む。しかし、ウカはそれでも視線をらすことなく、ヤシギに正面から食い下がった。

「《フェザ》としては無理だとしても、ヤシギさん、あなた個人としてならいいはずです」

「馬鹿言うんじゃないよ。それは切り離せないもんだって、あの時教えてやったじゃないか。そんなことも忘れるような頭なのかい?」

「初めから、あなたの考えが正しいと納得したわけじゃありません」

「……ほお、言うじゃないか」

「あなたは《フェザ》の信念が、太古の社会運動だとお話していましたよね。平和を望む人間が、革命のため暴力に手を染めた。だからこそ、その罪と覚悟を守らなければならないんだって。……そうと分かっているのなら、なぜ本当の意味で信念を貫こうとはしないんですか。平和的に手を結ぶことができなかった過去の悔いを、どうして今、晴らそうとしないんですか」

「……」

「確かにわたしたちは沢山の過去をまとっているけれど……新しい生き方を選んだっていいはずです。一緒の食卓に座るだけでわたしたちがになるわけじゃありません。あるいは一生、別物に過ぎないのかもしれません。……でも、わたしたちが分かり合うことはそこからしか始まらない。武器を置いて、一緒にご飯を食べることからしか、始まらないんです。それがどんなに子供じみていたとしても、わたしたちは……《らんどう》はそれを願い続けているんです」

 なんとな願いであるか。理想と善意にいろどられた、少女の願い。文明が滅び、暴力と打算と生存競争に染まるこの時代に、なんと場違いな願いであることか。ヤシギはそれを愚かだと思う一方で、やはり彼女の背負うものを──カンナやビヌの静かなまなしを──無視することができなかった。

 ヤシギは長い沈黙の後、つぶやいた。

「……あたしだけだからね」

「え! それじゃあ……!」

「……いいかい、今回手伝うのは、あたしだけだ。これはカンナがあんたたちに迷惑をかけた、そのびということにしてもらう。いいね」

「はい!」

「──カンナ、戦いは観測してるんだろう。?」

 ヤシギが尋ねると、モニターに現れる「(*゚⁻゚) !!」の文字。

「んー、たぶん、十人くらいかな!」

「……結構な相手じゃないか。さっさとしておくれ。あたしは先に行ってるよ」

 そう言うと、ヤシギはもはやウカに目もくれず、外へ向かって歩き出していた。暗がりに銀髪のつややかな輝きが溶け込み、すぐに姿が見えなくなる。ウカは慌ててその後を追いながら、ビヌに尋ねた。

「……さっきの、どういうことですか? ヤシギさんが十人?」

「おや、ご存じありませんでしたか。あねは『《タイトウ》の』ですよ。それがどういうことかは、見ればすぐにお分かりになるかと」

 ウカたちが外へ出てくると、たちまち周囲の熱狂にまれた。《わにづら》の岩壁に身を乗り出す見物人たちは、突如始まったヤマタノオロチ退治にくぎけとなり、ヤジや声援を飛ばしている。カクタスが豪快な触腕でウナギの首を殴りつけ、《漁師ピスカトール》は無駄なく巧みに身をかわす。それを補助するルアンは決定打にこそならないが、遠距離からウナギの頭を打ち抜いて、その動きを邪魔していた。

 そして次に現れたのは、黒服をまとった十人の騎士。言葉通り、十人のヤシギが長剣を抜き放ち、ヤマタノオロチに飛び掛かる。

「……彼女は……クローンなんですか」

「ええ。元々、《旧世代のための防衛戦線Defensive Front for Obsoleters》で最も優れた兵士のサンプルから作られたそうです」

「DFO? それじゃあ、オリジナルの身体からだはもう……」

「存在しないでしょう。我々が会っているあねが何体目のクローンなのかも分からない。……ですから、ウカ様、あまり責めないであげてください。あねは自分だけの人生をそもそも持っていないのです。《フェザ》という組織のために生まれて、死んでいく。その枠組みを守ることだけが彼女のアイデンティティなんですよ」

「……わたし、何も知らないで……」

「いえいえ! 謝ることではないんです! むしろあなた方は、本当にあねを変えることができるかもしれないのですから……」

 ウカはビヌに微笑ほほえみ返し、ヤマタノオロチに視線を戻す。すると視界の端で、《わにづら》の中層部、リブラリウスの店のあたりから黒髪の娘が現れるのが見えた。ウカはここまで付き合ってくれた礼をビヌに告げると、一目散にリコの元へ走る。向こうもすぐにウカの姿に気付いたらしく、二人はちょうど化け物退治を見渡すことのできる高台で合流した。リコは手に赤色の見慣れたシリンジを握りしめており、ウカは思わず眉をひそめてしまう。

「……それ、痛覚ドラッグだよね? また打つの?」

して動けなくなるよりはずっといいだろ。リブラリウスも別に大丈夫だって言ってた。発狂する可能性は別として、身体からだに直接の害はないって。それよりさ、どうやったら倒せると思う? 人手は足りてるけど、ちょっとあれじゃきりがないよな」

 ヤマタノオロチと向かい合うは、カクタス、ヤシギ、《漁師ピスカトール》。ヤシギの参戦によって、多少相手を攻撃する割合が増えているものの、彼女の剣技をもってしても、ウナギの分厚い皮膚と粘液はごわいようである。傷をつけても厚ぼったい筋肉が刃の勢いを殺し、断ち切るに至らない。それどころか、攻撃の度にウナギの暴走は激しさを増し、あたりかまわず身体からだをぶつけてくるのである。それは丁度、普通のウナギをさばこうとすると、暴れて手が付けられない様と全く同じ──……

 そこでふと、ウカにとあるが思い浮かぶ。自らに刻まれた、長きに渡る人類の歴史。食材を美味おいしくいただくために編み出された技に、今こそ頼るべきなのかもしれない。

「ねえ、リコちゃん、一つ作戦があるんだけど──」

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