【1巻/第五話】第五話 ヤマタノオロチ、いただきます その4


    4


 果たして、毒もみ漁法とは何だったのか。五十メートルほどの八つの首は激しくのたうち回り、港には荒々しい波が押し寄せた。それはというよりも、完全なる酔っ払い。動きを抑制されるどころか、嵐のごとくに暴れまわり、やがて鯨の死体にかぶりついた。渡り竜よりもはるかに大きな顎には、小さな歯が何重にも重なって並んでいる。そののこぎりじようの一みによって、鯨はこつにくもろとも削り取られた。ヤマタノオロチがしやくするおぞましい音と、潮と血の臭いが混じった悪臭がリコたちの元まで届いてくる。

 すると、今度は港の端から音もなく一本の棒が飛来する。三メートルほどの鉄製のもりが、見事、ヤマタノオロチの胴体に突き刺さった。その投げ手にいち早く気付いたのはリコである。

「見ろ! 《漁師ピスカトール》だ!」

 もりから伸びる太い綱を辿たどれば、その端は岩壁に打ち付けられた金輪に結び付けられていた。その隣には立つのは《漁師ピスカトール》。彼は防波堤を駆け、湾口を飛び越えて対岸の防波堤へと移動すると、用意していたもう一本のもりをすかさずヤマタノオロチに投げつけた。

 これで、もはや逃げる術はない──と思いきや、あっという間に一本目のもりが周りの肉ごとずるりと抜ける。そして、穿うがたれた身体からだはものの数秒で復元した。

「……PACか……」

 リコは渡り竜とたいした記憶がまざまざとよみがえる。いくら切っても手ごたえのない、無尽蔵な再生能力。何より厄介なのは、動物もそのことを理解して行動するということ。

「首が沢山あるのも、PACが過剰に再生した証拠かなー? 中々死ななそう」

 ウカはのんにそんなことを言うが、リコとしては気が重くなる一方である。

「というか、なんであれは顔を水面から出しても大丈夫なんだ? いくら見た目が怪物でもちゆうるいじゃなくて、魚類だよな?」

「ウナギは皮膚呼吸ができるから、乾かなければ陸でも生きられるよ。それに花椒ホアジャオ成分にできるだけ触れないように、無意識に海水から離れているのかもね」

「……《漁師ピスカトール》は本当にれるのかよ。作戦の第一弾は失敗したようなもんじゃないか」

「うーん、そうだね……確かに、ちょっと予定外の展開かもしれないけど……」

「……な、なんだよ、そのは」

「いや、何も? ただ、ヤマタノオロチがウナギだって分かった以上、ますます食べてみたいなあって」

「……それって、つまり……」

「リコちゃんが捕まえてくれても、いいんだよ?」

 相変わらず、文句のつけようがない笑顔である。ウカの満面の笑みを見てしまえば、リコに抵抗の意志など残されているはずもなかった。その上今日に限っては、それがちょっとうれしくさえ感じられる。なぜならリコは、ウカが自分と一緒に食べたいから、こうして自分を頼るのだと知ったから。一緒に暮らして、一緒に食べる。二人が望んでいたことは、やはりとうの昔から同じだったと、今は知っているからである。

「……わかったよ。手伝ってくる。ウカはもう少し上の方に避難したほうがいいぞ」

「ありがと!」

 ウカの軽い抱擁で送り出され、リコは木刀を片手にヤマタノオロチへと向かっていった。既に鯨の半分ほどが平らげられ、ウナギの酔いは最高潮に達している。《漁師ピスカトール》は少し離れたところから、もりを片手にじっと様子をうかがっていた。

「なんだよ、もう降参か?」

 リコが隣に立とうとも、視線は獲物にぴたりと張り付いたまま。気にめる様子もない。

「ちょっと次の手を考えあぐねていてね。ここまで大きいとは思っていなかったよ。花椒ホアジャオの効果もちゆうはんだし、PACの再生速度も想定以上だ」

「普通に網とか用意してないのかよ」

「もちろん網はあるけれど、問題はその後だろう。本当は、一本ずつ首を落として、PACを全部使い切らせるつもりだったんだけど、あれだけ暴れていたらどうしようもない。一本首を斬る間に、別の七本に食べられてしまうよ」

「ふーん」

「……」

「なあ、ところで一つ聞きたいんだけどさ」

「なんだい」

「あんたは、いつも一人で漁をやってるわけ?」

 その問いに、《漁師ピスカトール》が初めて視線をリコに向ける。それから、「どういう意味だい」と首をかしげた。

「いや、漁って必ずしも一人でやるもんじゃないだろ。というか、大勢でやる漁なんていくらでもあるわけで、そういうものには関心がないのかって」

「それは……」

「一人だけで全て知ったような気になっているんだとしたら、それって傲慢だろ? 人間の知恵も、歴史も、たった一人じゃ生まれなかった。賢いあんたなら、それくらいのこと分かるだろうけどさ」

「……」

「だからさ、オレたちと一緒にあれを捕まえようぜ」

「……え?」

 《漁師ピスカトール》が答えを返すよりも早く、リコは遠くのたこの背中に向かって叫んだ。

「おーい! カクタス! 手伝ってくれよ! ヤマタノオロチの首三本! よろしくな!」

 すると《わにづら》に響き渡るカクタスの絶叫。

「はああああああああああああああああ? ふざけんな! 俺がどうして──」

 しかしリコは聞く耳を持たず、《漁師ピスカトール》に向き直り、

「ほら、あいつも手伝ってくれるって」

「……全然そうには見えないけどね」

「まあ、大丈夫だよ。カクタスは損得勘定で動くんだ。自分たちに被害があると思えば、動かざるを得ない」

……?」

「いや、ほら」

 リコの視線の先にいるのは、鯨を骨の髄まで食べつくしたヤマタノオロチ。ふらふらと八つの首を揺らす大ウナギは、海に戻るどころか岩壁に向かって陸地をいずりだした。

「《わにづら》の匂いに気付かないわけがないんだよ。うなぎのぼり、っていうくらいだから、《わにづら》の壁面を登るのも簡単だろ。そうしたら、カクタスだって黙っていられなくなる。まあ、それまではオレたちが足止めするしかないけどな」

 ゆっくりと迫りくる巨大なウナギ。リコは痛覚ドラッグを打ち、木刀を握り直した。その様を見て、《漁師ピスカトール》は思わず苦笑する。

「君、無茶苦茶だね」

「そうか? あんただって、好奇心でこんなやつをおびき寄せるんだから、無茶苦茶だろ」

「でも、それは自分のためだからね。君とは違う」

「はあ? オレだって自分のためだよ。ウカを喜ばせたいから、ウカを喜ばせることがオレにとっての一番だから、無茶をするんだよ」

「……なるほどね」

 《漁師ピスカトール》はもりを握り直すと、リコと同じくヤマタノオロチをまっすぐと見据えた。それから二人は何も言わず左右に分かれ、獲物を挟み込むようにして陣を取る。まずは勢力の分散である。一人で八本を相手にするよりも、二人で四本ずつの方がまだマシというもの。《漁師ピスカトール》はもりの長いリーチを生かし、巧みにウナギの攻撃をさばき始めた。基本は自分の動きを止められぬよう、防御に徹する。絶妙な連携をとる四本の首を少しずついなし、隙があればもりの先端で目を狙う。一度に四匹とはいかないながらも、巨大ウツボにウミヘビなど、《漁師ピスカトール》としての経験がいかようにも応用できる。

 一方、リコは苦戦を強いられた。痛覚ドラッグで拡張した反射神経でなんとか攻撃はかわせるものの、なにぶん得物の相性が悪い。たたることを主とする木刀では、ウナギの分厚い粘膜に歯が立たないのである。そして一番の問題は重量差。ヤマタノオロチの巨体に対し、リコの体重など虫けら同然。下手に攻撃を受け止めようなら、数十メートルは軽々と吹き飛ばされる。一撃の軽さは手数で補うしかないと、リコは全身を弾丸のように跳ね飛ばして果敢に攻め立てるが、次第に飛び散った粘液が身体からだにまとわりつき、動きを鈍らせ始めた。

「……ってか、これ、毒じゃねえか!」

 当然、粘液には海水に含まれた成分がたっぷりと含まれている。ヤマタノオロチを酔わせる酒も、リコにとっては猛毒そのもの。粘液が触れた部分から次第にしびれ始め、やがては木刀を握る感覚さえ失われていく。痛覚ドラッグを使いながら、痛みを感じないのである。

 そしてある時、とうとうリコはあらがう術もなく、木刀を落としてしまった。

「あ……」

 その瞬間、ヤマタノオロチの一本の首が襲い掛かる。は手に限らず、足にも及んでいた。つまり、逃げることさえ不可能。幾重もの鋭い歯が迫りくる様を、ドラッグによって緩慢にされた時間感覚がまざまざと網膜に焼き付ける。だが、その時だった。


 ──ドンッ。

 重たい破裂音と共に、目前のウナギの首が横に吹き飛ぶ。すかさず別の首が代わりに襲い掛かるが、今度はリコの身体からだがふわりと浮き上がり、はるか後方に飛ばされた。何が起きたのか理解できないまま、地面にたたきつけられる衝撃に身構えるも、次の瞬間訪れたのは痛みではなく、身体からだを包むしっかりとしたしなやかさ。恐る恐る目を開けると、そこにあったのは人形のように整った顔立ちと燃えるような深紅の髪。

「ルアン!」

「……近くで大声出さないでもらえますか、耳が壊れます」

 吹き飛んだリコをルアンが受け止めたのである。慌てて彼の腕から降りようとするも、で力が入らない。ルアンはリコを抱き留めたまま、見下すように微笑ほほえんだ。

「なんとも無様ですね。ウナギ一匹に苦戦するなんて」

「うっせーな! もう放せよ!」

「分かりました」

 ルアンがぱっと腕を開き、リコはそのまま地面に腰を打ち付ける。涙目になりながら立ち上がろうとすると、かたわらにボルトアクションライフルW e a t h e r b y M a r k Xが置いてあることに気付いた。

「……さっきの銃声は、お前のか」

「ええ。いつものように《わにづら》の見回りをしていたら、下が騒がしかったので。するとよく知る顔がウナギとたわむれていたんですよ」

「オレは足止めしてたんだよ! あ、そうだ! 《漁師ピスカトール》は……」

 慌ててヤマタノオロチの方へと視線を投げると、リコが相手をしていた四本の首は今やと戦っていた。

「カクタス、間に合ったのか。……というか、カクタスがお前にオレを投げてよこしたのか?」

「そうですよ。……しかし、久しぶりに見ましたね。彼のは」

 いつもは機工体の八本脚を扱うカクタスだが、それはそもそも、に他ならない。戦場に立つ彼が乗り込むのは、蜘蛛くもがたの多脚有人戦車AWをたこように改造した特別製。中心の騎乗部分につながる八本の脚は、上下左右、可動域に制限はない。時に脚となり、時に腕となる触腕を、絶え間なく同時並行で動かすのはもはや人間業を超えていた。今や、ヤマタノオロチの四本の首は「《アラカワ》の暴食蛸クラーケン」によって圧倒されていたのである。

 しかし、リコがそれに見とれている余裕などなかった。ルアンはリコの手をつかみ、立ち上がらせるといつもの容赦ない微笑を見せる。

「あなたもいい加減、ボケっとしている場合じゃないでしょう。いくらカクタスさんといえど、今の彼は十分な装備だとは言えません。あの戦車も、《わにづら》の倉庫でほこりをかぶっていたものを無理やり引きずりだしたのでは? ウカさんも救援を呼びに行ったようですよ」

「でも、オレとウナギは相性が」

「口を動かす暇があったら、頭と手を動かすべきです。言っておきますが、私はあなた方のようにを食材ではなく、ただの治安そうじようの脅威と認識しています。もしも《わにづら》に被害が及ぶようであれば、しゆりゆうだんなりロケット砲なり撃ち込んで、じんにしますよ」

「それは待ってくれ! あれはちゃんと捕まえるから! ……ああ、くそっ!」

 リコは思い切り自分の頰を両手でたたき、気合を入れ直す。痛みが足りない。ヤマタノオロチを相手にするには、痛みへの覚悟が足りないのだ。リコは《わにづら》の中層部につながる階段へと走りながら、不意に後ろを振り向いて叫ぶ。

「──ルアン! 助けてくれて、ありがとなっ!」

 その無邪気な笑みに虚を突かれたのか、一瞬の間を置いてルアンは小さな苦笑を漏らす。

「あなたにはかないませんね。ほんと……」

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