【1巻/第五話】第五話 ヤマタノオロチ、いただきます その3
3
ウカに情報プランクトンを渡した漁師をどうやって探せばいいのか。《
しかし、リブラリウスの店を出てすぐ、案内人が一人現れた。
「……あんたは、うちの常連の……」
「ビヌです。先日は、ごちそうさまでした」
サスペンダーと茶色のジャケットを身につけ、細い金縁の眼鏡を輝かせる長身の男。一目見て《フェザ》の人間だと分かるその様相に、カクタスは自然と不愉快そうな舌打ちを漏らした。
「なんだ、てめえ……またヤシギのやつが因縁つけようってのか」
「いえ、今日は
「……カンナビスが?」
「あの漁師を、お探しなのでしょう?」
漁師という言葉にカクタスはぎょっとする。実際のところ、それは預言ではなく、《
リコが「じゃあ、よろしく」と言うと、カクタスはわざとらしく鼻を鳴らしたが、それでもさすがに抗議はしないらしい。ビヌは早速
「既にカンナの力で目星はついておりますので。リコさんにご面倒はおかけしませんよ」
「なんか随分と手回しがいいな。いいのかよ、ヤシギに黙ってこんなことして」
「リコさんを助けろという命令は受けていませんが、あの漁師の素性を探るというのは前々から我々の目的でもありましたから。カンナは最近《アラカワ・リバー》流域のネットアクセスについて調べておりまして、それが実はあの漁師の仕業ではないかと。どうやらやつは、ネット上の鍵通信を使って、ここ一帯の地震計測器にアクセスしていたようです」
「おい、ちょっと待て、そりゃあ、《シード》の縄張りを荒らしてたやつじゃねえか」
突然カクタスが話に割って入る。すると、ビヌは既にそれ見越していたのか、落ち着いた調子で話を続けた。
「ええ、あなた方はネットアクセスに違法PAC工場の人間がかかわっていると思っていたようですが、あれは全くの別件です。漁師の違法アクセスに気付いたあなた方が、近くを捜索して、偶然工場を見つけただけなのです」
「……おめえらは知ってんのか。あの漁師が人間じゃなくて……」
「機械
ビヌの話を聞いて、カクタスの目の色が変わる。分厚い頭皮の内側では、《
ビヌが二人を導いたのは、《
「……あれじゃ、売り物にならなくなるな」
リコが思わず顔をしかめると、ビヌは小さく首を振り、
「あるいは、売り物ではないのでしょう」
と
「これを仕留めた
カクタスが誰ともなく尋ねると、野次馬の一人が少し離れた桟橋でうずくまる人影を指さした。すると、ビヌもすかさず首を縦に振る。
「確かに彼ですね。服装と髪型に見覚えがあります」
その漁師は、擦り切れた麻地の服を身にまとい、長髪をだらりと垂らしていた。薄汚れた肌と
「なあ、あんた、《
そのリコの呼びかけで、男はようやく動きを止めた。それからむっくりと
「そこのお
怖いもの知らずなその物言いに、ビヌの額に汗が
「んなことはどうでもいいんだよ。おめえ、ウカに情報プランクトンを渡したか」
と尋ねる。すると、彼はあっさり頷いた。
「ウカというのは、《
無理やり聞き出すまでもない。《
「ウカが情報プランクトンを食べてから、目を覚まさないんだよ。それを治す方法を教えてほしいんだ」
だが、返ってきた答えは容赦がない。
「そんなもの、あるわけがない」
「……は?」
「情報プランクトンは高度な情報素材だよ。変化し、生成し、無数の情報素の関係性の中に、人類の知恵が詰まっている。大体、機工体の補助脳なら一滴で数日、一さじで半年、一瓶飲んだら数百年は味わうことができるんだ。大きな瓶に詰めて渡したから、《
「……う、うそだろ」
「
「じゃあ、ウカはずっと眠ったままだってのか? それを知った上で売ったのか」
ウカが思わず《
「もちろん、渡すときに説明はしたよ。彼女も覚悟の上だろう。《
「……」
「好奇心こそ、何よりも優先されるんだ。あなたは我々の人間らしい反応を勘違いしているんだよ。この感情機能はあくまで人間への情報出力を円滑に行うため。我々が、歴史と人類の
そう語る《
リコが力なく《
人間は知識で腹を満たせない。だが、彼は──彼女たちは、知識の獲得こそが飢えを
「……そんなはずない。そんなはずは……」
言い聞かせるように
どうしてリコとウカが一緒にいるのか。
どうして《
「……くそっ」
そして薄々気付いていたのだ。その問いに踏み込んでしまったら、もう後戻りはできなくなるのだと。もしかしたら彼女の本心に裏切られるかもしれないと。
けれど、今となっては尋ねることさえできなくなってしまった──……
「ねえ、リコちゃん、そんなところで何してるの?」
「……へ?」
振り返ると、そこにいたのは美しい金髪を潮風に揺らす、一人のメイド少女。
ウカである。
《
リコも、カクタスも、ビヌも、
「なんだか、眠りすぎちゃって心配かけたみたい。リコちゃんが人を探しに行ったってお
「……」
「え? ちょ、ちょっと、どうして泣いてるの? これ、どういう状況?」
「──それは、こっちのセリフだよっ!」
思わず叫んだリコは怒っていいのやら、喜んでいいのやら、意味が分からない。ただ、たった一人の同居人がこうしていつものように目を開け、言葉を交わしているという事実に、なぜだか涙が
「ほんと、なんなんだよ……意味わかんないよ……」
「……え、まさか、わたしがドラッグでトリップしたまま、もう目を覚まさないとか思ってたの? リコちゃんが本気で泣いてるわけ……ないよね?」
「うっせー! 本気だよっ! オレは、本気で心配だったんだよーっ!」
リコは涙を
「このバーカっ! バーカっ! 余計なことすんなよなっ! せめて、オレに何か言ってからやれよ!」
「ば、馬鹿じゃないもん! ちょっと酔っぱらうって感覚を味わってみたかっただけで……」
「はあああああああ?」
「いつもいつも、リコちゃんばっかりお酒飲んで楽しそうにしているのが悪いの! わたしは味を分析できても、アルコールで酔える
「な……っ! それは、その……」
「情報プランクトンだって、ちょっとした研究のつもりで分けてもらったんだよ? でも、カンナさんがドラッグで酔っぱらっていたって気付いて、わたしも同じことができるんじゃないかって。リコちゃんと同じように酔っぱらえるかもって思っただけだもん!」
「オレは意識が吹っ飛ぶほど酔っぱらったりしないからなっ! と、時々だ!」
再会と同時に噴き出す
「初めて酔っぱらったんだから、加減が分からなくたってしょうがないでしょ!」
「初めてなら、もっと慎重に飲むだろ、普通! 酒を初めて飲む子供じゃあるまいし!」
「あー! 子供って言った! 違うのに! この体は元からなのに! わたし、全然子供じゃないのにっ!」
「知るかっ! 第一、もしも電子ドラッグにやられて、意識が戻らなかったらどうしたんだよ! 永遠に眠っていたかもしれないんだぞっ!」
「そんなわけ絶対にない!」
「どうして!」
「だって、どんなに
「──」
「確かにね、情報プランクトンが見せてくれた世界は、
「……っ」
その瞬間、リコの頰にさっと
「──ウカの頭は、どうかしてるぞっ!」
「それ、どういう意味ーっ!」
「《
「別におかしくなんかない! 知識を得たいっていう本能はわたしの
「も、もういいっ!」
リコは慌ててウカの口を手で押さえる。だが、やんぬるかな。一部始終を眺めていたカクタスは、さきほどからニタニタと笑みが止まらない。
「おいおい……! あのリコが照れてるぜっ! はーっ、黒い犬も
すると、ビヌもそれに応えるようにしておもむろに目頭を押さえ、
「はぁ……尊い……」
と感嘆の
リコは耳の先まで顔を赤らめ、しかしそれでも恥ずかしさを押し殺すように大きく息を吐き出すと、改めてウカに向き直った。
「と、ともあれ! これで一件落着だ! 今日は《
「あ、そのことなんだけれど、もう少し待ってほしいの」
「……待つって、何を」
「たぶん、《
「……」
「リコちゃんと一緒に、食べてみたいなって!」
「言い直しても同じだよ!」
ついさきほどまで電子ドラッグで昏睡していた者とは思えない好奇心。やはりウカの食に対する興味は底抜けであり、もはやここまで来るとリコも
「……でも、一体大物って何なんだよ。あそこで放置されてる鯨のことじゃないんだよな?」
「あれは餌だよ」
「……は?」
「《
「ヤマタノオロチって……確か、日本神話の怪物だろ? そんなのいるわけない」
「もちろん、あくまでもそう呼ばれているだけ。《
「地鳴り……? それって、カンナが調べてたっていう地震の……」
リコが振り向くと、カクタスは「そういうことかよ!」と
「つまりはなんだ、《アラカワ・リバー》流域の地震データへのアクセスは、そのヤマタノオロチの動向を調べるために《
「そういうこと。彼
そこまでして捕まえたいと思う《
「……待ち構えるのはいいとして、そんな大物をどうやって捕まえるんだ? いくら《
するとウカは《
「だから、あれを使うの。ちょっと海水を
「
言われた通り、指先を海水に浸して、ぺろり。すると、たちまち舌が
「これ、
「そう、リブラリウスさんの
「……伝説通り、ヤマタノオロチは酔わせて倒すってわけか。でも、ここら辺の生き物も巻き添えになるんじゃないか?」
「それは大丈夫みたい。ここ数日、《
「《
「一騎打ちにならないために、
しかし、二人が話していた、まさにその時である。
突如足元が小刻みに震え始め、内海がさざめき、波が桟橋に跳ねかかって水音を立てる。リコもウカもカクタスもビヌも、四人は一斉に沖へと目をやった。餌の鯨の血が流れ込むのは《
「……ヤマタノオロチ、なのか?」
そのリコの
「なっ、いや……これは……」
《アラカワ・リバー》のヤマタノオロチ。しかして、その実態は、
「──クソでかいウナギじゃねえか!」
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