【1巻/第五話】第五話 ヤマタノオロチ、いただきます その2


    2


「「……」」

 しかし、二人の反応は鈍かった。リブラリウスはふがふがとひげを揺らしながら、まくし立てるように言葉を付け足す。

「いわゆる、電子ドラッグの一種じゃよ。普通の麻薬が効かない機工体の人間が快楽を得るために使うんじゃが、要するに高密度の情報なのじゃ」

「でも、プランクトンって……あれだろ? オキアミとか、けいそうとか、水の中に浮いてる……」

「ああ、それで間違いない。人類が地球を離れようとした《箱舟時代》、少しでも文明の記録を残そうと、ありとあらゆるアプローチが試みられたのじゃ。その一つが《自律人形遺産ノア・シリーズ》であり、情報プランクトンじゃと言われておる。記録メディアという点では、コンセプトは変わらん」

「……つまり、ちっこいプランクトンの中に情報が入ってると?」

「うむ。正確には、やつらの遺伝子に入っておる。あらゆる生物の遺伝子には非コードRNAと言って、生存に大きく関わらぬがあるのじゃ。情報プランクトンは、そのスペースに過去の地球の様々なデータが記録されておる。ただし、一つ一つが持つ情報素は少ないがゆえ、情報プランクトンは群れ全体が情報となり、それぞれの情報を補完しておるのじゃ」

「でも、どうしてわざわざ微生物に記録する必要があるんだよ。もっと頑丈なものにした方がいいだろ」

「頑丈ということは限界を超えれば壊れるということじゃ。しかし情報プランクトンは絶えることがない。大洋を巡り、時に異なる群体同士が混ざり合い、繁殖し、新たな情報を作る。単なる記録ではなく、むしろ人間という破滅因子を取り除いた、理想的な地球のシミュレーションだと言われておる。生きた情報が、生きた過去を伝えるのじゃ!」

「で?」

「じゃ、じゃから! 常に変化するがゆえに、飽きが来ないのじゃ! それなのに、市場に出回ることはほとんどない! 質のいい情報プランクトンの漁場は、移動する宝島のようなもの。ゴールドラッシュならぬ、プランクトンラッシュでいつかくせんきんを狙うやからが──」

「そんな話はどうでもいいんだよ! それが目を覚まさない原因だってのは本当なのか!」

「かーっ! 古代のロマンが分からんやつじゃなあ! 確認は簡単じゃ! ウカ様の口に綿棒を突っ込めばよい! ほれ、わしが」

「──お前の手で、ウカの口に触れるな」

 ウカの顔を傾け、リブラリウスが口に手を伸ばした瞬間、彼の首元に木刀が突きつけられる。リコは舌打ちをするリブラリウスを押しのけ、そっとウカの唇に触れた。下唇を軽くめくり、リブラリウスから奪い取った綿棒で歯肉の溝を軽くなぞる。すると銀色の砂粒のようなものが、何個か先端に付着しているのが見えた。

「……これか」

「言った通りじゃろう」

「……それじゃあウカは電子ドラッグでトリップしたって?」

「状況から見るに、そうとしか言えんが」

「そんな! 大体、こんなものどこで手に入れるんだよ! じいさん、まさか──」

「ち、違う! 違うぞ! わしゃ、ウカ様には売っておらん!」

「ウカ? やっぱりここで売ってるんじゃねえか! そもそも、気絶の原因が情報プランクトンだって分かったのも、心当たりがあったからだろ!」

「ま、まあ、売っていることは否定せんが、ウカ様に売っていないことは本当じゃて! 第一《らんどう》の財布じゃ、到底買えるようなもんではない!」

「おい、それはオレたちを馬鹿にしてんのか!」

「そうじゃのうて!」

 リブラリウスがカクタスに救いのまなしを差し向けると、大きないきと共にたこあしが再びリコの腕を拘束する──かと思いきや、摘まみ上げたのはリブラリウスの首である。鋼鉄の爪が皮と骨だけの首に容赦なく食い込み始める。

「……さっさと説明しろ。ウカが電子ドラッグをやったのが事実なら、どこかから手に入れたに決まってんだ。《わにづら》の麻薬売買で、じいさんの知らない話があるわけもない。めどがついてるんだろう」

「わ、わかった! わかったから、放せ! たぶんじゃぞ、たぶんじゃが、ウカ様はあのから買ったんじゃろう」

「……漁師だと?」

「わしの店で、特別なヂィーマー花椒ホアジャオを買い占めた漁師じゃ。あやつ、代金の代わりに大量の情報プランクトンを置いていったのじゃが、あの様子じゃ、まだまだ持っておったはず。ウカ様はその漁師と面識があるようじゃったし、譲り受けたんじゃろう」

 カンナが買うはずだった花椒ホアジャオを買い占めた漁師。それはつまり、ウカが蜘蛛くもがたせんしやを買ったあの行商人である。ウカが買い出しの最中に、情報プランクトンを手に入れたという可能性は否定できない。

「……でもさ、そいつが売ったとして、だから何なんだ? ウカが自分から意識を失ったことは変わらないわけだろ。オレは別に、犯人探しがしたいわけじゃない」

「わしを犯人扱いしたやつがよく言うわい」

「……」

「分かっておる! 冗談じゃ! しかし、わしの情報は決して無駄じゃないと思うがの」

「なんで」

「その漁師ならば、意識を戻す方法を知っておるかもしれんからじゃ」

「……え? 天才科学者でも分からないことを、なんで漁師が知ってるんだよ」

「それは、ウカ様が調であるのと同じように、あいつはじゃからな。情報プランクトンについて、この世の誰よりも詳しい」

「それって、つまり──」

「あやつは《自律人形遺産ノア・シリーズ》の一体じゃ。名は《漁師ピスカトール》、ウカ様の親戚といったところじゃろう。ウカ様から聞いておらんかったのか」

「……そういう話は一度もしたことがない。ウカ自身のことだって、オレは何も……」

 そう言いながら、リコは頭蓋骨を開いたまま横たわるウカを見下ろす。一目見て人間ではないと分かる、その姿。しかしリコは出来る限り、そのことについては触れないようにしてきたのである。ウカ自身も自分が人間であるという体でふるまい、リコはそれでいいと思っていた。ウカが人間だろうが、そうじゃなかろうが、関係ないと思っていた。

「オレたちは……」

 互いの過去を、全て知っているわけではない。互いの素性を、全て知っているわけではない。二年前、スコピュルス郊外に墜落した宇宙船に乗っていた人形。それがウカだ。彼女がリコと共に暮らすことを望み、リコはそれに応えた。《らんどう》が開店し、狩りをしたりご飯を食べたり、毎日が目まぐるしく過ぎていった。、なんて話し合う暇もなかった。

 だが、ふとリコの思考を断ち切るように、カクタスのいきが聞こえる。

「じゃあ、本人を起こして、聞くしかねえじゃねえか」

「え……」

「その漁師がウカの治し方を知ってるんだろう? それなら、そいつをとっ捕まえればいい。相手を無理やりねじ伏せて、言うことを聞かせるなんざ、お前の十八番おはこじゃねえか」

 たこあしがリコの頭をぐいと小突いたかと思うと、カクタスは機械音をうならせながら、店の外へ出て行ってしまう。リコがぽかんとしていると、リブラリウスが背中をたたいた。

「ウカ様のことはわしが見ておく。さっさと行ってこい。……ほんと、お前さんの飼い主は甘いやつじゃの」


  

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