【1巻/第五話】第五話 ヤマタノオロチ、いただきます その1
1
その日、《
日が昇り、高窓から差し込む陽光が食堂を照らし出してもなお、物音一つない。
リコが目を覚ましたのは、その静寂のせいである。
本来ならば聞こえるはずの、同居人の投げやりな呼び声。二度寝を所望する自分を揺さぶり、ほんのりと朝ごはんの香りを
《シード》の祝宴と《フェザ》の容疑者扱いがあった長い夜から、既に三日が
リコは寝間着のまま部屋を出て、やはり廊下の静けさに
「……ウカ?」
彼女の部屋の扉をそっと開き、中を
「おーい、お寝坊さん!」
強く呼びかけても反応はない。ウカは寝台の上で眠ったまま。近づいて、肩を揺さぶる。反応はない。仰向けにし、頰に触れても、やはり反応はない。
「おい、ウカ……?」
ようやく、リコもこれが普通の事態ではないと理解した。どんなに頰をつねっても、
「……おいおいおい、なんだってんだよ、急に……」
リコはウカの机に置いてあった端末から、カクタスへのホットラインを
「なんだぁ……こんな朝っぱらから……」
「ウカが倒れた」
「………………はあ?」
「何しても目が覚めない。どうすればいい」
「……そんな、ウカに限って目を覚まさないなんて」
「──冗談じゃないんだよっ! 本当に意識がないんだ!」
「──」
リコの怒声に、カクタスが息をのむ。それは剣幕に圧倒されたというよりも、リコの声音が思った以上に切迫していたからだろう。
「……三十分で着く。外へ出る支度をしとけ。案山子のじじいのところへ連れて行ってやる」
「はあ!? なんであんな──」
「普通の医者に見せるわけにもいかねえだろう」
「……」
リコの沈黙を承諾と受け取ったのか、カクタスはそこで通信を切った。リコもこうなれば悩んでいる暇はないと、準備にとりかかる。外出用の戦闘服に着替えたら、今度はウカの番。クローゼットを開けば、大量のメイド服。そこから適当に一着を選び出し、ウカを着替えさせた。どんなに
なんとか一通り終えたところで、窓から聞こえる耳慣れたエンジン音。やがて、八本脚の機工体が擦れる甲高い響きが《
「……なあ、そんなに心配することはねぇよ」
静けさに耐え切れなくなったカクタスがそう口を開くと、リコは目も合わせず、
「無責任なこと言うな」
「あのなあ……これでも俺はお前を気遣ってんだぜ?」
「形だけのくせに」
「……他にどう言いようがあるんだよ」
「……」
「それに、俺はわざわざ車を出してやってんだ。朝早くに
目まぐるしい速度で、車が、
しばらくの沈黙の後、リコはぽつりと漏らす。
「……ごめん、八つ当たりした」
「……ったく、いつまで
カクタスは大きく鼻を鳴らすと、それ以上口を開くことはなかった。二人の
やがて、《
「な、なんじゃ、お前ら……もう店は閉店時間で」
「ちょっとウカを診てほしいんだよ。全然目を覚まさないんだ」
「……ウカ様が?」
今にもリコたちを追い出そうと開きかけていた口が、その名前を聞いてふと止まる。リブラリウスは肩に乗せていたインコを鳥かごにしまい込むと、「そこに寝かせるんじゃ」と椅子を指さした。リコがウカの
「……こりゃ、たまげたわい。本当に気絶しておるとは」
「なあ、これってやっぱり……故障なのか?」
「うぅむ、まあ、普通の状態ではないのは確かじゃが……それは中を見てみんと……」
「……頼む。ウカは嫌がるだろうけど、仕方ない」
「よし分かった」
リコの承諾で、リブラリウスはウカの
「……脳が停止していないということは、死んではおらんようじゃの。むしろ、これは普段よりも神経活動が活発なようにも見える」
「じゃあ……寝ているだけってことか?」
「それにしては、外部の刺激で目を覚まさないのはおかしい。感覚の伝達に
「それって……この前のカンナみたいなことか」
「そうじゃ。人間の意識を出力する余裕がないほど、頭脳に負担をかけているのかもしれん」
「でも、そもそもウカの身体は人間じゃないだろ? 人類の英知が詰まった、機械生命じゃなかったのかよ。無理やりネットと
「……ふうむ……それはそうなんじゃが……わしには分からん」
「はあ? じいさんは天才科学者だろ!」
「仕方あるまい! ウカ様の
リコは思わずリブラリウスの襟元を
「結論を急ぐ必要はねえだろう。とりあえず、死んだわけじゃねえってことを
「……あ、ああ……」
「──じいさん、これは単純な疑問なんだが、ウカでも処理しきれないような情報ってのは何なんだ。今は別にネットと
カクタスの言葉に、リブラリウスは
「それが分かったら苦労せんわい。この宝石みたいな脳みそは、人類よりも高機能だと言われておる。第一、《
「……じゃあ、古今東西の知識以上の情報を処理してるってことじゃねえか」
「そうじゃ。そんなもの、この世にあるわけが……」
ふと、リブラリウスの動きが止まる。リコとカクタスは目を見合わせるが、やがて「そうじゃ!」と老体が天井に手を突かんばかりに飛び上がった。
「情報プランクトンじゃ!」
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