【1巻/第五話】第五話 ヤマタノオロチ、いただきます その1


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 その日、《らんどう》の朝は遅かった。

 日が昇り、高窓から差し込む陽光が食堂を照らし出してもなお、物音一つない。ちゆうぼうよろいはぴたりと閉じられ、お茶を沸かす大鍋には水の一滴も入っていない。

 リコが目を覚ましたのは、その静寂のせいである。

 本来ならば聞こえるはずの、同居人の投げやりな呼び声。二度寝を所望する自分を揺さぶり、ほんのりと朝ごはんの香りをまとわせてやってくる、金髪のメイド少女。それが今日に限って、なぜか現れない。

《シード》の祝宴と《フェザ》の容疑者扱いがあった長い夜から、既に三日がとうとしている。食材の仕込みも終わり、臨時休業にしていた《らんどう》は今日から再び開店である。だというのに、寝坊? 一緒に暮らし始めてから、一度たりとも寝坊をしたことのないウカが?

 リコは寝間着のまま部屋を出て、やはり廊下の静けさにかんを覚える。かすかな自分の足音までが神経に触るようで、ウカがいないという朝が、ひどく自分を動揺させているのだとリコは気付く。

「……ウカ?」

 彼女の部屋の扉をそっと開き、中をのぞく。隅々まで掃除が行き届いたその空間は、まるで人形に用意されたミニチュアハウスのように、かえって異様なほど整然としている。部屋の端に置かれた机には大量のケーブルと、訳の分からない機械が山積みとなっているが、それも全てちようめんに並べられ、接続端子は大きさ順に列をつくっていた。

「おーい、お寝坊さん!」

 強く呼びかけても反応はない。ウカは寝台の上で眠ったまま。近づいて、肩を揺さぶる。反応はない。仰向けにし、頰に触れても、やはり反応はない。

「おい、ウカ……?」

 ようやく、リコもこれが普通の事態ではないと理解した。どんなに頰をつねっても、たたいても、ぴくりとも動かない。まぶたを無理やり開くと、瞳孔反射もない。

「……おいおいおい、なんだってんだよ、急に……」

 リコはウカの机に置いてあった端末から、カクタスへのホットラインをつなぐ。《シード》が占有する極超短波通信機。かつては軍の移動通信に使われていたものを流用したものである。受話器の向こう側からは、カクタスのいらち交じりの声がした。

「なんだぁ……こんな朝っぱらから……」

「ウカが倒れた」

「………………はあ?」

「何しても目が覚めない。どうすればいい」

「……そんな、ウカに限って目を覚まさないなんて」

「──冗談じゃないんだよっ! 本当に意識がないんだ!」

「──」

 リコの怒声に、カクタスが息をのむ。それは剣幕に圧倒されたというよりも、リコの声音が思った以上に切迫していたからだろう。かろうじて隠された声の震えをカクタスは聞き逃さなかった。だからこそ、彼は小さな舌打ちを一つ挟んで、言う。

「……三十分で着く。外へ出る支度をしとけ。のところへ連れて行ってやる」

「はあ!? なんであんな──」

に見せるわけにもいかねえだろう」

「……」

 リコの沈黙を承諾と受け取ったのか、カクタスはそこで通信を切った。リコもこうなれば悩んでいる暇はないと、準備にとりかかる。外出用の戦闘服に着替えたら、今度はウカの番。クローゼットを開けば、大量のメイド服。そこから適当に一着を選び出し、ウカを着替えさせた。どんなに身体からだを動かしてもウカが目を覚ますことはなく、リコはだらりと垂れ下がる腕や足をつかんで、服を着させた。

 なんとか一通り終えたところで、窓から聞こえる耳慣れたエンジン音。やがて、八本脚の機工体が擦れる甲高い響きが《らんどう》の中まで入ってきた。カクタスはウカを《たこつぼ》の中に運びいれると、リコと共に《わにづら》へ向かって走り出す。絶壁の港から《アラカワ》の朝市へと向かう車の流れに逆らって、装甲車は全速力で街を駆けた。椅子のない車内ではリコがウカを背負い、黙ったまま前を見つめている。

「……なあ、そんなに心配することはねぇよ」

 静けさに耐え切れなくなったカクタスがそう口を開くと、リコは目も合わせず、

「無責任なこと言うな」

「あのなあ……これでも俺はお前を気遣ってんだぜ?」

「形だけのくせに」

「……他にどう言いようがあるんだよ」

「……」

「それに、俺はわざわざ車を出してやってんだ。朝早くにたたこして、泣きついてきたお前に言われたかねえな」

 目まぐるしい速度で、車が、はいきよが、ジャングルが左右の視界を流れていく。ビル群を縫うようにして広がる空は厚い雲が広がっていて、青空の欠片かけらもない。

 しばらくの沈黙の後、リコはぽつりと漏らす。

「……ごめん、八つ当たりした」

「……ったく、いつまでってもガキだな、お前は」

 カクタスは大きく鼻を鳴らすと、それ以上口を開くことはなかった。二人の身体からだに響くエンジンの振動、風を切る車体の圧倒的な速さ、結局のところそういったものは全てカクタスのものである。何を言われようとも、リコとウカを運んでいるのはカクタスだった。結局、自分はカクタスに甘えているのだと、リコは痛感する。そうと分かっていながら、やはり頼るしかない自分が情けない。普段はでかい顔して用心棒を名乗りながら、肝心な時にウカを助けられないのだとすれば、自分がいる意味とは何なのか。

 やがて、《たこつぼ》は《わにづら》に到着した。日がすっかり昇ったこの頃合いは、《わにづら》の人間にとっては眠りの時間。常夜灯の輝く夜とは打って変わって、しんと静まり返っていた。リブラリウスの店も当然閉まっていたのだが、リコは躊躇ためらうことなく扉を蹴破り、中へと押し入る。売上の確認をしていた老人は、突然の来訪者にぜんとした。

「な、なんじゃ、お前ら……もう店は閉店時間で」

「ちょっとウカを診てほしいんだよ。全然目を覚まさないんだ」

「……ウカ様が?」

 今にもリコたちを追い出そうと開きかけていた口が、その名前を聞いてふと止まる。リブラリウスは肩に乗せていたインコを鳥かごにしまい込むと、「そこに寝かせるんじゃ」と椅子を指さした。リコがウカの身体からだを横たえると、リブラリウスはさっそくウカの目を開き、瞳孔反射を確認する。

「……こりゃ、たまげたわい。本当に気絶しておるとは」

「なあ、これってやっぱり……なのか?」

「うぅむ、まあ、普通の状態ではないのは確かじゃが……それはを見てみんと……」

「……頼む。ウカは嫌がるだろうけど、仕方ない」

「よし分かった」

 リコの承諾で、リブラリウスはウカの身体からだをうつ伏せにひっくり返した。そしてれいな金髪をたくしあげ、うなじにあるを押した途端、ウカの頭蓋がばくりと開く。そこからのぞくのは、蜘蛛くものように複雑な網目模様をなす頭蓋骨に守られた、機械けの脳髄。滑らかな水晶のような表面を無数の光が駆け巡り、その絶え間ない輝きの波は見とれるほどに美しい。

「……脳が停止していないということは、死んではおらんようじゃの。むしろ、これは普段よりも神経活動が活発なようにも見える」

「じゃあ……寝ているだけってことか?」

「それにしては、外部の刺激で目を覚まさないのはおかしい。感覚の伝達にをきたしているか、あるいは……何か負荷のかかる処理を行っているか」

「それって……この前のカンナみたいなことか」

「そうじゃ。人間の意識を出力する余裕がないほど、頭脳に負担をかけているのかもしれん」

「でも、? 人類の英知が詰まった、機械生命じゃなかったのかよ。無理やりネットとつないでいるカンナとは話が違う」

「……ふうむ……それはそうなんじゃが……わしには分からん」

「はあ? じいさんは天才科学者だろ!」

「仕方あるまい! ウカ様の身体からだは、人類文明が失われる前のさいの時代、ありとあらゆる技術を投じて作られた最高の自律人形じゃぞ! それを今の時代の技術で解析することなど、不可能なのじゃ!」

 リコは思わずリブラリウスの襟元をつかもうとするが、その腕をカクタスのたこあしが止める。彼はいさめるようにかぶりを振ると、言った。

「結論を急ぐ必要はねえだろう。とりあえず、死んだわけじゃねえってことをみしめろ。じじいをいじめたって、ウカが目を覚ますわけじゃねえんだ」

「……あ、ああ……」

「──じいさん、これは単純な疑問なんだが、ウカでも処理しきれないような情報ってのは何なんだ。今は別にネットとつながっているわけでもねえ。頭の中で羊を数えてたら処理しきれなくなるような馬鹿でもねえはずだ。となると、何だってこんなことになる。……まさか人生に悩んじまったわけでもねえんだろ」

 カクタスの言葉に、リブラリウスはうなる。

「それが分かったら苦労せんわい。この宝石みたいな脳みそは、人類よりも高機能だと言われておる。第一、《自律人形遺産ノア・シリーズ》は、人類文明を保存するために作られた記憶装置じゃぞ。そうでもなければ、ウカ様が古今東西の料理の知識を瞬時に引き出せるわけもなかろう」

「……じゃあ、古今東西の知識以上の情報を処理してるってことじゃねえか」

「そうじゃ。そんなもの、この世にあるわけが……」

 ふと、リブラリウスの動きが止まる。リコとカクタスは目を見合わせるが、やがて「そうじゃ!」と老体が天井に手を突かんばかりに飛び上がった。


じゃ!」

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