【1巻/第四話】四川風、預言者殺人未遂事件 その5


    5


 空が明るみ始めると、スコピュルスにも人間の時間が戻ってくる。自然が文明をほとんどんだ今、大気汚染ははるか過去の話となり、あけぼのの中でさえしぶとく輝きをとどめる星々がそこかしこに見える。宵の静まり返った街を駆け抜けるリムジンは窓が開かれ、ヤシギもリコもウカも、何一つ言葉を交わさぬまま東雲しののめ色に映えるはいきよを眺めていた。

 やがて《らんどう》が近くなると、運転手を務めていたビヌが「あね」と声をかけてくる。

「……《シード》のやつらが見えますが」

「じゃあ、ここらで止めな。今更《アラカワ》の縄張りを荒らす必要もないだろう」

「了解です」

 リコとウカが車を降りると、はるか前方にいかつい装甲車が一台止まっているのが見えた。カクタスの愛車、《たこつぼ》である。《わにづら》を出る前、カンナがネットから《たこつぼ》にアクセスし、リコたちの迎えをするように連絡していたのだった。

「こんな平和的なやりとりができるなら、普段からそうすればいいのに」

 とリコがつぶやくと、リムジンに乗ったままのヤシギは小さくかぶりを振った。

「分かっちゃいないね、小娘は。シマの取り合い、利権の争いなんてのはね、一人の意思でどうにかなるもんじゃない。とうに殺し、殺され、いがみ合っているんだ。近づかない方がまだしも争いは起きないもんだよ」

「……でも、あんただって一緒にサンドイッチを食べてくれたじゃないか。オレは《シード》の身内のようなもんだし、カンナだってもとはそうだろう」

「でも、所詮、、だ。本当の《シード》じゃない」

「……」

 ヤシギはいたって落ち着いたまなしでリコを射抜き、言った。

「いいかい、小娘。勘違いしているようだから、老婆心ながら言ってやろう。うまいものを食べて、うまいと思う、それは人間の本能だ。あたしたちが皆人間である以上、確かにその点はだろうさ。でもね、それでもあたしたちは裸のまま、飯を食って喜んでいられるような生き物じゃない。いろんなものを背負って、まとって、生きてんだ。同じ食卓についたとしても、それだけで争いがなくなるわけじゃない」

「……そんな面倒なもの、脱ぎ捨てればいいじゃんか」

「脱ぎ捨てれば、そこには何も残らなくてもかい」

「……」

「《フェザ》の人間がまとっているこのスーツやジャケットは、大戦前、れいな身なりをすることで平和と人の尊厳を守ろうとした社会運動だったんだ。でもね、PACの出現で肥大化した農産アグロマフィアに潰されそうになって、一部の人間が武器を手に取り、下克上を果たしたんだよ。これはあたしらの祖先が、《シード》みたいな連中から奪い返した尊厳と、そのために犠牲にしてしまった高潔な精神の戒めなんだ。あんたはそれを、脱ぎ捨てろっていうのかい? 《シード》と和解するってのはそういうことなんだよ」

「……」

「魂が一度着込んだものを、人間はそう簡単に脱げないんだ。それはきっと、あんたも同じさ。自分が気付いていないだけでね」

 それから窓がゆっくりと閉まると、リムジンは走り去った。リコはビルの谷間に消えるその車を、ただじっと見つめることしかできない。

「……リコちゃん、帰ろっか」

「ああ……」

 ウカがそっと手を摑むと、リコはその手を握り返し、二人は静かに歩き始めた。

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