【1巻/第四話】四川風、預言者殺人未遂事件 その3
3
「……わしゃ、知らん」
「はああああ? しらばっくれんな! こっちは殺人未遂の容疑がかけられてんだよ! 逃げようなんてないんだから、さっさと吐けって!」
「知らんと言ったら知らん。毒なんぞ、盛っておらん。わしゃ、しがないドラッグディーラーじゃもん」
「ドラッグディーラーだから怪しいんだろうがっ!」
薄暗く、甘い煙の立ち込める店内にリコの絶叫が響く。対する細身の老人は、インコを手の上に乗せて知らん顔。《
「カンナがあんたの店をわざわざ指定して
「わしゃ、顧客を大事にする質じゃ。そんな危険なもの渡すわけがなかろう」
「動物実験もしてない痛覚ドラッグをオレに売りつけた
「別に死んでないじゃろ」
「そういう話じゃないんだよっ!」
「結局愛用しておいて、何を怒っとるんじゃろうね~? しーちゃん?」
リブラリウスはリコの話など馬耳東風。インコに話しかけるばかりで、目を合わせようともしない。店内にはヤシギも付いてきていたが、《
「そうじゃ、ウカ様はどこじゃ? どうせ一緒に来ておるんじゃろ?」
「……ウカは外で買い出し中だよ。《
「な、なにゆえ、この
「まあ、ウカもありがとうとは言ってたぞ」
「ふんっ、ウカ様の犬に言われても
「……お、お前なあ……」
木刀に手を伸ばそうとする衝動を必死で抑え、リコが拳を固めていると、店の見物を終えたヤシギが隣に立つ。彼女はぽんと札束をカウンターの上に放り出し、「この店の
「そんな紙っ切れ、要らんわい。お前さんらは《
「……これだけあれば、数年はPACに困らないだろうにね」
「そんなもんに頼る必要はないわい。わしゃ、しがない天才科学者じゃもん」
遠慮のないリブラリウスの物言いに、リコは内心冷汗が止まらない。別に
「……なあ、別に見返りはオレが用意するからさ、さっさと協力してくれよ。もしも、万が一、本当に
「……」
「証拠がないのは確かだ。カンナの部屋にあった
「まあ……そうじゃな。天才じゃからな」
「もう、むしろ意見を聞かせてほしいなあ。大天才だったら、この事件をどう見る?
「……ふうむ、そうじゃなあ、わしくらいの大天才じゃなきゃ、無理じゃろうなあ」
あからさまなリコの太鼓持ちに、リブラリウスはまんざらでもない様子。それから、ふと壁にびっしりと並んだ引き出しの一つに手をかけ、そこから小袋を取り出した。
「まあ、ほれ、役に立つかは分からんが、これが残っとる
温和な
「こんばんは、リブラリウスさん!」
扉が閉じるその前に、ようやく現れたのはスコピュルスの天使である。その背後には、カンナの部屋で剣を突きつけていたヤシギの部下が、完全な荷物持ちと化していた。
「……随分買ったな」
「《シード》のお祝いでなくなっちゃったから。それに、今日は送迎の車もあるもん」
「もう何でもありかよ」
「そういえば買い物をしている途中に、偶然ね、あの漁師さんに出会ったの。リコちゃんは覚えてる?
「……ああ、そういえば一か月前くらいに戦車を食べたな」
「彼と少し話していたら、最近、リブラリウスさんのお店から、
「へぇ……なるほど……」
ギィィ、と音を立てて閉まりかける扉に、すかさず木刀を差し込むリコ。力づくで押し開き、店の奥へリブラリウスを追い詰める。
「……どういうことか、説明してもらおうか。大天才の
「わ、わしゃ、何も」
「隠し事はいけないよな。客商売は信用だろ?
「おやおや、しーちゃん、お
「都合悪くなるとインコに逃げんな!」
しかし、怒り心頭だったのはリコだけではない。ヤシギは無言で「しーちゃん」を
「……言いな」
交渉も駆け引きもあったものではない。リブラリウスはぐっと顔をしかめると、大きくわざとらしい
「……本当に
ヤシギは黙って、手に込める力を増す。ギュエ、とインコの悲鳴が響く。
「すまんかった! 金は返す! しかし、それ以外は本当に何も知らん! ずっと強力な
「じゃあ、一体誰が毒を盛ったっていうんだい……」
ヤシギがインコを解放すると、リブラリウスはそっとそれを受け取り、慣れた手つきで注射を打ち込んだ。おそらく鎮静剤だろう。興奮状態でピーピーと鳴きわめいていたインコは、すぐさまおとなしくなる。
しかし、その光景を見ていたウカが、突然、「あ」と声を上げた。
「そっか、逆なんだ!」
その場にいた者全員の注意が彼女に向けられ、その意思を代弁するかのようにリコが問う。
「何が逆なんだ?」
「カンナさんの意識のことだよ。わたしたちはずっと、彼女が何か毒を盛られて意識を失ったんじゃないかと思ってたでしょ? でも、そうじゃなくて、毒が弱すぎたから意識を失ったんじゃないかなーって!」
「……は?」
「カンナさんはネットにアクセスして、常人にはありえないほどの情報処理をこなしているんだよね? 本来、そうすると脳がエネルギーを消費して発熱して、やりすぎれば組織が壊れちゃうけど、PACを使っているから限界がない。でも、入力の限界は突破できたとしても、出力の限界は? 結局、人間が分かるように情報を変換する必要があるとしたら……」
「わ、わけが分からない」
「要するに、どんなにすごい計算結果を得たとしても、人間の意識程度では、結果を表現できないってことだよ!」
「……」
「だからね、カンナさんは計算で得た結果──未来予測を、人間の意識でも表現できるくらいの規模に縮小する必要があったんだと思う。アウトプットをするために、一時的に脳の処理能力を引き下げる必要があったんじゃないかな。たとえば、超高速で映像を再生できる装置があるとしても、その内容を人間が理解するためには一時停止する必要があるでしょ?」
「その一時停止のボタンが、麻酔ってことか……?」
「そういうこと!
ウカの仮説を聞いたリコは改めて、ケーブルに
「な、なんじゃ、放せ!」
悲鳴に釣られて目を向けると、店の奥に逃げようとしていたリブラリウスがヤシギに襟首を
「わしは無実とわかったじゃろう? もう用はないはずじゃ!」
「《フェザ》から金をだまし取った落とし前はつけてもらうよ」
「金なら返す! わしゃ、か弱いドラッグディーラーじゃぞ! 乱暴に扱うでない!」
か弱さの
「
「そんな、無茶を言うでない。
「じゃあ、鳥と一緒に《
「……」
「まだ腕の一本も切り落とされていないだけ、ありがたく思ってほしいもんだ」
ヤシギはナイフを滑らせ、リブラリウスの首元をゆっくりとなぞる。骨ばったのどぼとけをくすぐるように、鋭利な刃先が皮膚を
「わしは苦節六十年、この身一つでやってきたんじゃ! 暴力には決して屈し──」
広げられた手にヤシギのナイフが突き刺さる。
「──ますっ! すまぬ、すまぬ~! 痛いのは嫌なんじゃ~!」
刹那の白旗である。ヤシギがナイフを抜くと、リブラリウスは穴の開いた手を押さえながら壁の引き出しを次から次へと開き始めた。
「ここでもない……ここでもない……」
植物の根やら、種やら、動物の乾いた臓器やら、中には引き出しを開いた瞬間に粉が舞って、それを吸い込むとくらりと頭が揺らぐ。小さな店内に薬物が
「これは特別製のソムニフェルムでございますじゃ。枯れても
ヤシギは「そうかい」と素っ気ない返事を返し、黒い球を手に取った。彼女が目を細めて眺める間、リブラリウスの額には水を跳ねかけたように大粒の汗が噴き出ている。果たしてそれが緊張によるものなのか、目当てを探す間に妙な薬物を吸い込んだからなのかは分からない。
一方リコは耳慣れない言葉の羅列を耳にして、ウカにひそひそ声で尋ねた。
「……なあ、ウカ、なんなんだ、あの黒いやつ」
すると、ウカは少し
「リコちゃん、知らないのー? ケシの実だよ。ケシの実。ソムニフェルム種は、アルカロイド含有量が多い品種で、大昔からアヘンを作るために利用されていたの」
「ア、アヘン? 完全に麻薬じゃん! じゃあ、成分ってのは……モルヒネ?」
「そうだね。テバインもコデインも似たようなものだけれど、副作用が圧倒的に強いから、本来は精製過程で分離するの。モルヒネの割合が高いってことは、とても扱いやすい品種だってこと。麻薬業者にとっては
PACに支えられた24世紀。半永久の命は、当然麻薬の副作用を大いに解消することにも貢献した。そもそも《シード》も大戦後に膨れ上がった麻薬産業を資本に成り上がった組織である。おそらく、ヤシギが良質なケシの実を手に入れたと知ったら、カクタスは
ヤシギは一通り観察を終えた後、
「これをどうすればいい」
と尋ねたが、リブラリウスは「はあ」と一瞬
「それは……まあ、粉にして直接食べても大丈夫じゃろうし……薬にしても……そこらへんは、ご自由にしていただいて……」
「じゃあ、まずはあんたが毒見をしな」
ヤシギはケシの実をリブラリウスに返し、腕を組んでしまう。一瞬、リブラリウスはリコとウカの方に目で助けを求めてくるが、今更間に入れるわけもない。リコたちが肩をすくめると、リブラリウスは観念した様子で肩を落とし、紙やすりでケシの実の外皮を削りとった。しかし、なぜかその粉末を手に乗せると、運んだのは自らの口ではなく、
「ちょ、ちょっと、
リコが声をかけても、もう遅い。
ぽてっ、と倒れるインコ。
「何してんだよ! あんたのペットだろ!」
思わずリコが叫ぶと、リブラリウスは静かに首を
「……ペット? こいつは、試験体のしーちゃんじゃ。客の中には自分で
「い、いや……まじか……」
「しーちゃんは既に五十三代目。品種改良も進んで、ほとんど人間と同じくらいの耐性を持っておる。この摂取量だと、じきに──」
リブラリウスが言い終える前に、インコの肢がもぞもぞと動く。しーちゃんはひょっこりと
「よーし、お疲れさまじゃ、しーちゃん。お前さんの好きなミルク割りじゃぞ~」
しーちゃんは思い切りコップに頭を突っ込み、あっという間に液体を飲み干すと、「Fouuuuuuuu!」といきなり奇声を放つ。そして、突然
「かーっ! マジかよ、サイコーだよ! ベロセット、シンセメスク、ドレンクロム! 三点盛りのミルク・プラス! これを飲まなきゃ始まんねぇ! 決めていこうぜ、ドラッグ&ジュース! おぃおぃおぃ、みんなテンション低いんじゃないのぉぉぉ! ハッ!」
さすがのヤシギも
「……なんか、微妙にリズム刻んでるよな」
「言葉を話すためにダウン系の薬を使う人間もいるんだし、アッパー系の薬で話せるようになるインコがいてもおかしくないかもね」
「そういう問題なのか……?」
ともあれ、これ以上の茶番はご免だと、ヤシギはケシの実を手に取り店を出る。ここまで来るとわざわざ疑うのも面倒になったのだろう。リコとウカも大人しくその後を付いて出るが、背後では点火してしまったインコのヒップホップ魂がなおも激しくビートを刻んでいた。
「《
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