【1巻/第四話】四川風、預言者殺人未遂事件 その3


    3


「……わしゃ、知らん」

「はああああ? しらばっくれんな! こっちは殺人未遂の容疑がかけられてんだよ! 逃げようなんてないんだから、さっさと吐けって!」

「知らんと言ったら知らん。毒なんぞ、盛っておらん。わしゃ、しがないドラッグディーラーじゃもん」

「ドラッグディーラーだから怪しいんだろうがっ!」

 薄暗く、甘い煙の立ち込める店内にリコの絶叫が響く。対する細身の老人は、インコを手の上に乗せて知らん顔。《わにづら》の中層、岩壁内をくりぬいて作られた裏路地の一角に、「《わにづら》の案山子かかし」は住んでいた。名を、リブラリウス。豊かなひげと温厚な顔立ちは、スコピュルスの荒くれと無縁のように見えるが、彼こそは知る人ぞ知る麻薬売買人であり、在野の科学者。かつては軍部の生物兵器開発に関わっていたといううわさがある。

「カンナがあんたの店をわざわざ指定して花椒ホアジャオを仕入れさせていたってことは分かってんだからさあ。どうせあれだろ? ちょっと新型の花椒ホアジャオを開発しちゃったから、試してみたんだろ?」

「わしゃ、顧客を大事にする質じゃ。そんな危険なもの渡すわけがなかろう」

「動物実験もしてない痛覚ドラッグをオレに売りつけたやつが言うセリフかっ!」

「別に死んでないじゃろ」

「そういう話じゃないんだよっ!」

「結局愛用しておいて、何を怒っとるんじゃろうね~? しーちゃん?」

 リブラリウスはリコの話など馬耳東風。インコに話しかけるばかりで、目を合わせようともしない。店内にはヤシギも付いてきていたが、《わにづら》の一大勢力を束ねる頭を前にしても、ご老体はいつもの調子である。リコも一方的に怒るのは疲れたのか、がっくりと肩を落としてリブラリウスをにらみつける。ふと顔を上げた彼とようやく視線が合ったかと思えば、

「そうじゃ、ウカ様はどこじゃ? どうせ一緒に来ておるんじゃろ?」

「……ウカは外で買い出し中だよ。《わにづら》に来るのが久しぶりだからって」

「な、なにゆえ、このじいを訪ねてはくれんのじゃ? 瞬間発酵味噌みそ酵母はウカ様のために作ったというのに! お礼の言葉を心待ちにしておったのじゃぞっ!」

「まあ、ウカもありがとうとは言ってたぞ」

「ふんっ、ウカ様の犬に言われてもうれしくないわ」

「……お、お前なあ……」

 木刀に手を伸ばそうとする衝動を必死で抑え、リコが拳を固めていると、店の見物を終えたヤシギが隣に立つ。彼女はぽんと札束をカウンターの上に放り出し、「この店の花椒ホアジャオを全部出しておくれ」と告げた。しかし、リブラリウスは金をちらりと見ただけで、すぐにインコの相手に戻ってしまう。

「そんな紙っ切れ、要らんわい。お前さんらは《人類進化機構HEO》のお抱えじゃろう? わしゃ、あそこが嫌いなんじゃ。《人類進化機構HEO》のもんしか買えない自家紙幣なんぞ、興味ないわい」

「……これだけあれば、数年はPACに困らないだろうにね」

「そんなもんに頼る必要はないわい。わしゃ、しがない天才科学者じゃもん」

 遠慮のないリブラリウスの物言いに、リコは内心冷汗が止まらない。別にじいさんが死ぬことには何一つ心動かされないが、もしもヤシギの怒りを買って死んだ場合、痛覚ドラッグの生産者を失うことになる。それは困る。

「……なあ、別に見返りはオレが用意するからさ、さっさと協力してくれよ。もしも、万が一、本当にじいさんが犯人じゃないなら、特に隠し立てする必要もないだろ?」

「……」

「証拠がないのは確かだ。カンナの部屋にあった花椒ホアジャオに毒物は見つからなかった。でも、もしかしたら、既にカンナがそれを食べて体内で効果を発揮した後、自然分解した可能性もある。天才科学者なら、それを調べるくらい簡単だろ?」

「まあ……そうじゃな。天才じゃからな」

「もう、むしろ意見を聞かせてほしいなあ。大天才だったら、この事件をどう見る? 身体からだに一切の異常も残さず、意識だけ失うなんて、中々できないと思うんだけどなあ」

「……ふうむ、そうじゃなあ、わしくらいの大天才じゃなきゃ、無理じゃろうなあ」

 あからさまなリコの太鼓持ちに、リブラリウスはまんざらでもない様子。それから、ふと壁にびっしりと並んだ引き出しの一つに手をかけ、そこから小袋を取り出した。

「まあ、ほれ、役に立つかは分からんが、これが残っとる花椒ホアジャオの在庫じゃ。うそではない。わしも話を聞いて、毒薬づくりのが湧いてきた。実験したくてたまらんわい! 今晩はこの辺で許してはくれんかの。花椒ホアジャオもタダでやるからの」

 温和なろうの微笑を顔にたたえつつ、店じまいを始めようとするリブラリウス。リコもヤシギも流されるまま、とりあえず花椒ホアジャオを手に取り立ち去ろうとしたのだが、

「こんばんは、リブラリウスさん!」

 扉が閉じるその前に、ようやく現れたのはスコピュルスの天使である。その背後には、カンナの部屋で剣を突きつけていたヤシギの部下が、完全な荷物持ちと化していた。

「……随分買ったな」

「《シード》のお祝いでなくなっちゃったから。それに、今日は送迎の車もあるもん」

「もう何でもありかよ」

「そういえば買い物をしている途中に、偶然ね、あの漁師さんに出会ったの。リコちゃんは覚えてる? 蜘蛛くもがたせんしやを売っていた人」

「……ああ、そういえば一か月前くらいに戦車を食べたな」

「彼と少し話していたら、最近、リブラリウスさんのお店から、花椒ホアジャオを全部買い占めたんだって。ここのお店の花椒ホアジャオは特別で、大物の魚をしびれさせるためにすごく役立つって」

「へぇ……なるほど……」

 ギィィ、と音を立てて閉まりかける扉に、すかさず木刀を差し込むリコ。力づくで押し開き、店の奥へリブラリウスを追い詰める。

「……どういうことか、説明してもらおうか。大天才のじいさんよぉ!」

「わ、わしゃ、何も」

「隠し事はいけないよな。客商売は信用だろ? じいさんの作った薬を身体からだに流してる身としては、こういう話はきっちりしてもらわないと。そもそも、あんた、適当に花椒ホアジャオを渡してオレたちを追い出そうとしたわけか」

「おやおや、しーちゃん、おなかが減ったのかい?」

「都合悪くなるとインコに逃げんな!」

 しかし、怒り心頭だったのはリコだけではない。ヤシギは無言で「しーちゃん」をわしづかみにすると、どこからともなく一方の手に鋭利なナイフを取り出した。そしてインコの目にその切っ先を突きつける。

「……言いな」

 交渉も駆け引きもあったものではない。リブラリウスはぐっと顔をしかめると、大きくわざとらしいいきを漏らす。

「……本当にうそはついておらんのじゃ。わしゃ、毒なんぞ混ぜておらん。むしろ、ウカ様の言葉を聞いておったじゃろ? 普段の花椒ホアジャオは確かに特別じゃが、それは売り切れておったのじゃ。まあ……その、わしがちょっとばかしズルをしたのは、普通の花椒ホアジャオをいつもと同じ値段で売ったというだけで……こんなもの、おじい可愛かわい悪戯いたずらじゃろう?」

 ヤシギは黙って、手に込める力を増す。ギュエ、とインコの悲鳴が響く。

「すまんかった! 金は返す! しかし、それ以外は本当に何も知らん! ずっと強力な花椒ホアジャオを売ってきたが、何も問題はなかったのじゃ! 花椒ホアジャオにはサンショオールという麻酔成分が含まれとるが、それは蓄積するものではない。ましてや今回売ったものは普段の三百分の一の成分じゃぞ。ますます意識を失うなんてありえん!」

「じゃあ、一体誰が毒を盛ったっていうんだい……」

 ヤシギがインコを解放すると、リブラリウスはそっとそれを受け取り、慣れた手つきで注射を打ち込んだ。おそらく鎮静剤だろう。興奮状態でピーピーと鳴きわめいていたインコは、すぐさまおとなしくなる。

 しかし、その光景を見ていたウカが、突然、「あ」と声を上げた。

「そっか、逆なんだ!」

 その場にいた者全員の注意が彼女に向けられ、その意思を代弁するかのようにリコが問う。

「何が逆なんだ?」

「カンナさんの意識のことだよ。わたしたちはずっと、彼女が何か毒を盛られて意識を失ったんじゃないかと思ってたでしょ? でも、そうじゃなくて、意識を失ったんじゃないかなーって!」

「……は?」

「カンナさんはネットにアクセスして、常人にはありえないほどの情報処理をこなしているんだよね? 本来、そうすると脳がエネルギーを消費して発熱して、やりすぎれば組織が壊れちゃうけど、PACを使っているから限界がない。でも、入力の限界は突破できたとしても、出力の限界は? 結局、人間が分かるように情報を変換する必要があるとしたら……」

「わ、わけが分からない」

「要するに、どんなにすごい計算結果を得たとしても、では、結果を表現できないってことだよ!」

「……」

「だからね、カンナさんは計算で得た結果──未来予測を、人間の意識でも表現できるくらいの規模に縮小する必要があったんだと思う。アウトプットをするために、一時的に脳の処理能力を引き下げる必要があったんじゃないかな。たとえば、超高速で映像を再生できる装置があるとしても、その内容を人間が理解するためには一時停止する必要があるでしょ?」

「その一時停止のボタンが、麻酔ってことか……?」

「そういうこと! 花椒ホアジャオを食べることで一時的に脳をさせて、人間の意識を取り戻していたんじゃないかなって。だから、たぶん、今カンナさんに必要なのはどくざいじゃなくて、もっと強い毒なんだよ。意識を取り戻すためには、ちゃんと強い毒を使って、脳の処理を遅らせればいいんだと思う」

 ウカの仮説を聞いたリコは改めて、ケーブルにつながり、ほとんど機械と一体化したカンナのことを思った。24世紀となり、野生動植物がはるかに人間の力をしのぐ時代にあってもなお、リコはどこか知性に関しては、人間が頂点に立っているような気がしていた。しかし、結局人間は、数百年前からほとんど形を変えていない。機工体やPACという技術はあっても、それまでの人間の形を捨てることができていない。それは古い道具を誤魔化し誤魔化し使い続けているに過ぎないのではないか。そんな旧態にこだわらない──例えばケーブルを頭につないでしまうような人間は、既に別種の生き物として、異なる世界に踏み込んでいるのではないか。

「な、なんじゃ、放せ!」

 悲鳴に釣られて目を向けると、店の奥に逃げようとしていたリブラリウスがヤシギに襟首をつかまれていた。

「わしは無実とわかったじゃろう? もう用はないはずじゃ!」

「《フェザ》から金をだまし取った落とし前はつけてもらうよ」

「金なら返す! わしゃ、か弱いドラッグディーラーじゃぞ! 乱暴に扱うでない!」

 か弱さの欠片かけらもない剣幕で、リブラリウスは言い返す。すると、ヤシギは蛇も縮み上がるようなまなしで彼をさらにねめつけた。

花椒ホアジャオの代わりになる麻酔を出しな。依存性は極力抑えたやつだ」

「そんな、無茶を言うでない。ヂィーマー花椒ホアジャオに匹敵するほどのものなんぞ、そう簡単に……」

「じゃあ、鳥と一緒に《わにづら》の崖から落ちるしかないね」

「……」

「まだ腕の一本も切り落とされていないだけ、ありがたく思ってほしいもんだ」

 ヤシギはナイフを滑らせ、リブラリウスの首元をゆっくりとなぞる。骨ばったのどぼとけをくすぐるように、鋭利な刃先が皮膚をかすめていた。しかし、リブラリウスはカウンターを手でたたき、勇ましくヤシギをにらみ返す。


「わしは苦節六十年、この身一つでやってきたんじゃ! 暴力には決して屈し──」


 広げられた手にヤシギのナイフが突き刺さる。

「──ますっ! すまぬ、すまぬ~! 痛いのは嫌なんじゃ~!」

 刹那の白旗である。ヤシギがナイフを抜くと、リブラリウスは穴の開いた手を押さえながら壁の引き出しを次から次へと開き始めた。

「ここでもない……ここでもない……」

 植物の根やら、種やら、動物の乾いた臓器やら、中には引き出しを開いた瞬間に粉が舞って、それを吸い込むとくらりと頭が揺らぐ。小さな店内に薬物があふれていくが、彼はやがて拳大の丸い球のようなものを取り出した。それをヤシギの前に置くと、手をこすり合わせて説明を始める。

「これは特別製のソムニフェルムでございますじゃ。枯れてもさくに成分が残るよう改良したオリジナルでの。テバインもコデインもほとんど入っておりませんわい」

 ヤシギは「そうかい」と素っ気ない返事を返し、黒い球を手に取った。彼女が目を細めて眺める間、リブラリウスの額には水を跳ねかけたように大粒の汗が噴き出ている。果たしてそれが緊張によるものなのか、目当てを探す間に妙な薬物を吸い込んだからなのかは分からない。

 一方リコは耳慣れない言葉の羅列を耳にして、ウカにひそひそ声で尋ねた。

「……なあ、ウカ、なんなんだ、あの黒いやつ」

 すると、ウカは少しあきれたように眉をげる。

「リコちゃん、知らないのー? ケシの実だよ。ケシの実。ソムニフェルム種は、アルカロイド含有量が多い品種で、大昔からアヘンを作るために利用されていたの」

「ア、アヘン? 完全に麻薬じゃん! じゃあ、ってのは……モルヒネ?」

「そうだね。テバインもコデインも似たようなものだけれど、副作用が圧倒的に強いから、本来は精製過程で分離するの。モルヒネの割合が高いってことは、とても扱いやすい品種だってこと。麻薬業者にとってはすいぜんものかも」

 PACに支えられた24世紀。半永久の命は、当然麻薬の副作用を大いに解消することにも貢献した。そもそも《シード》も大戦後に膨れ上がった麻薬産業を資本に成り上がった組織である。おそらく、ヤシギが良質なケシの実を手に入れたと知ったら、カクタスはひどく悔しがっただろうと、リコは思う。

 ヤシギは一通り観察を終えた後、

「これをどうすればいい」

 と尋ねたが、リブラリウスは「はあ」と一瞬あつにとられ、

「それは……まあ、粉にして直接食べても大丈夫じゃろうし……薬にしても……そこらへんは、ご自由にしていただいて……」

「じゃあ、まずはあんたが毒見をしな」

 ヤシギはケシの実をリブラリウスに返し、腕を組んでしまう。一瞬、リブラリウスはリコとウカの方に目で助けを求めてくるが、今更間に入れるわけもない。リコたちが肩をすくめると、リブラリウスは観念した様子で肩を落とし、紙やすりでケシの実の外皮を削りとった。しかし、なぜかその粉末を手に乗せると、運んだのは自らの口ではなく、かたわらに留まっていたペットのインコ。

「ちょ、ちょっと、じいさん!」

 リコが声をかけても、もう遅い。な瞳を輝かせ、餌を差し出されたかと思った「しーちゃん」はケシの実の粉末にかぶりつく。人間はおろか、カンナの意識を取り戻すための超濃モルヒネである。どんなに微量でも、小鳥がめれば──


 ぽてっ、と倒れるインコ。身体からだをぷるぷると震わせ、完全に卒倒している。

「何してんだよ! あんたのペットだろ!」

 思わずリコが叫ぶと、リブラリウスは静かに首をかしげ、

「……ペット? こいつは、じゃ。客の中には自分でめて見せろとか言うやからがおるがの、そのたびにわしがめていたら、中毒になるじゃろう」

「い、いや……まじか……」

「しーちゃんは既に五十三代目。品種改良も進んで、ほとんど人間と同じくらいの耐性を持っておる。この摂取量だと、じきに──」

 リブラリウスが言い終える前に、インコの肢がもぞもぞと動く。しーちゃんはひょっこりと身体からだを起こしたと思うと、まるで何事もなかったかのようにリブラリウスの肩に乗り、けづくろいをし始めた。リブラリウスはカウンターの下から白い液体の入った瓶を取り出すと、それをコップに注ぎ、しーちゃんの前に差し出す。

「よーし、お疲れさまじゃ、しーちゃん。お前さんの好きなミルク割りじゃぞ~」

 しーちゃんは思い切りコップに頭を突っ込み、あっという間に液体を飲み干すと、「Fouuuuuuuu!」といきなり奇声を放つ。そして、突然りゆうちような言葉で話し始めた。

「かーっ! マジかよ、サイコーだよ! ベロセット、シンセメスク、ドレンクロム! 三点盛りのミルク・プラス! これを飲まなきゃ始まんねぇ! 決めていこうぜ、ドラッグ&ジュース! おぃおぃおぃ、みんなテンション低いんじゃないのぉぉぉ! ハッ!」

 さすがのヤシギもぜんである。リコたちも強烈な脱力感に襲われる。

「……なんか、微妙にリズム刻んでるよな」

「言葉を話すためにダウン系の薬を使う人間もいるんだし、アッパー系の薬で話せるようになるインコがいてもおかしくないかもね」

「そういう問題なのか……?」

 ともあれ、これ以上の茶番はご免だと、ヤシギはケシの実を手に取り店を出る。ここまで来るとわざわざ疑うのも面倒になったのだろう。リコとウカも大人しくその後を付いて出るが、背後では点火してしまったインコのヒップホップ魂がなおも激しくビートを刻んでいた。

「《わにづら》に潜む悦楽の実! アダムも知らねぇ魅惑のポピー! めたら速攻昇天不可避! でも、オレは死なねぇ不死身鳥! イェェェェ!」

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