【1巻/第四話】四川風、預言者殺人未遂事件 その2


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 けの街は人間の住む世界ではない。太陽の治世のもとでは日陰に息を潜める獣や恐竜、どうもうな植物たちが、月の女王のお出ましと共にそこらじゅうをばつする。もはやヒエラルキーの頂点から転落した人類は、扉を締め、明かりを消し、朝日を待つのが世のさだめ。

 しかしよいの《アラカワ》には、一台のリムジンが走っていた。曇り一つない、鏡とまがうほどに磨かれた車体の上を、月明かりが滑ってゆく。その中では、すまし顔のメイド少女と、マフィアの幹部、そしてもんの表情を浮かべる被告人が重苦しい空気を共有していた。

「……どうして、こんなことに……」

 リコの口かられる言葉に、いきを返すのはウカである。

「どうしても何も、容疑者なんだから。疑いを晴らすためには真犯人を見つける以外ないよ」

「いや、だからオレはそもそも無実だっての! なんでこんな夜中に、マフィアの隠れ家に行かなきゃならないんだよ!」

「……リコちゃん、悪人は皆、自分を無実だって言うんだよ?」

「神妙な顔して紛らわしいこと言うな! 他人ひとごとだと思ってるだろ!」

「だって他人ひとごとだもの。それに……皿洗いもまだなのに、わたしまで重要参考人として呼ばれちゃって、本当にいい迷惑というか……」

「同居人の危機だろうがっ! 第一、オレが何もしてないことはウカが一番知ってるだろ?」

「うーん……でも、ほら、最近《びやく》の会食の準備でわたしはちゆうぼうに籠りきりだったから……。あの味噌みその酵母を探す時なんか、リコちゃんは外を駆けまわっていたし、一人殺すくらいいくらでも」

「やめろやめろっ! ウカまでオレをおとしいれようとするなっ! 悪乗りにもほどがある! それに、まだ殺したわけじゃない。なあ、ヤシギ、そうなんだろ?」

 リコが怨念を込めてヤシギに目を向けると、彼女は「まあね」と首肯した。

「息があるのは確かだね。数時間意識がないこと以外、異常は見当たらない」

「なら別にいいじゃんか……」

「いや、困るんだよ。しやべらなくなったあの娘に、利用する価値なんてないんだからね。あれでも結構な額を積んでるんだ」

「もはやただの奴隷じゃん! 悪人はどっちだよ!」

「単なる労働契約さ。何不自由ない暮らしをさせてやってるんだ。向こうも本望だろう。それなのにまったく……工場の件だけでも示しがつかないこの時期に、困ったもんだよ」

 それからヤシギは不意にポケットから赤と白の渦巻きが描かれたキャンディーを取り出すと、ペロペロするどころか、バキバキと音を立てて嚙み砕き始めた。リムジンの閉鎖された空間に、不穏な音が反響する。

「それでカンナは……何をやってたんだ? あいつは元々腕のいい技師だったけど、オカルトはてんで信じちゃいなかったぞ」

「オカルトじゃないさ。預言だって言ってるだろう。……まあ、予測って言った方がいいのかもしれないけどね」

「予測……?」

「じきに分かるさ。あの子の可能性に気付かなかったたこの目は、やっぱり節穴だってこともね」

 リコたちを乗せたリムジンはスコピュルスの北東に向けて土煙を上げて猛進した。はいきよビルの谷間を抜けると、現れるのは断崖絶壁。《アラカワ・リバー》のかわぎしである。スコピュルス──すなわち「崖」を意味するその名の通り、旧東京の東岸は大地がえぐり取られ、見るも無残な崖を連ねていた。《アラカワ》と《タイトウ》の間に位置するここ《わにづら》はその北端。かろうじて残された《スミダ》地区の名残である。

 断崖に巣をつくるいわつばめのごとく、ここには様々な人間が壁面のくぼみに住み着いていた。内地と異なり、けの中でもこうこうとしたあかりが壁面を浮かび上がらせ、活気に満ちたにぎわいがある。それは、《わにづら》がある種の停戦地帯だからというせいもあるのだろう。《シード》や《フェザ》、そして《びやく》といった巨大勢力が、岩壁に大人しく肩を並べている。水運を利用して運ばれてくる様々な資源を手に入れるためには、多少のいざこざには目をつぶろうという暗黙の了解である。《わにづら》を支配できればスコピュルス北部は掌握したも同然だが、一度抗争が始まれば泥沼化するのは必定。それゆえ、互いが互いをけんせいし合い、なんとか危うい均衡を保っているのである。

 車から降ろされ、リコたちが案内されたのは《フェザ》が受け持つ区域だった。直接の配下だけではなく、《フェザ》に上納金を納めている者がひしめきっている。そこをヤシギが進めばれいに人垣が割れて、会話がぴたりとんだ。エナメル靴が鳴らす軽快な足音が、波音と共に夜陰に響く。

 しかし、ある時ヤシギが指を鳴らすと、背後に控えていた部下がリコとウカの首に一本の薬剤を打ち込んだ。

「……な、何しやがった」

「カンナがいる場所は機密でね。道を覚えられると困るから、海馬の場所細胞を一時的に抑制させてもらった。これから数分の間の記憶は、あんたたちの頭にどうやっても定着しないよ」

「目隠しすりゃいい話だろうが! わざわざ物騒なもん使いやがって!」

黒い妖犬ヘルハウンドは、随分と感覚が鋭いらしいじゃないか。目を閉じていたって、場所くらい覚えちまうだろう」

「……」

 それからどんな言葉を交わしたのか。リコが気付いた時には既に場所が変わっていて、周囲は明るく、清潔感に満ちた白壁に囲まれていた。いまだ文明が滅びる前の、「素晴らしき22世紀」。ひび割れた床も、壁を覆うつたもない、完全な密室である。

「おはよう、もうそろそろ頭がはっきりしてきただろう。その扉の向こうに、お待ちかねのカンナがいるよ」

 食べかけのキャンディーをかじりながら、ヤシギは近くの椅子に座っていた。彼女の目線の先には、厳重にじようされたてつがある。リコがウカを横目で見ると、相変わらずのあきがおで、さっさと終わらせて帰りたいという思いが眉間のしわに表れていた。

「開けてくれ」

 リコの言葉で、ヤシギが首を縦に振る。すると近くにいた部下が長剣を抜き放ち、ウカの首筋に刃を添えた。

「お、おい! それはどういうことだよ、ヤシギ!」

「もしかしたら、こうやってカンナに近づいて、あんたがとどめを刺しに来たという可能性もあるだろう。もし妙な真似まねをしたら、この娘の頭を切り離すんだよ」

「オレは真犯人をあばくために来てんだぞ!」

「知ったことかい。変な真似まねをしなけりゃ、傷付けはしないさ。要は、きちんと役目を果たしゃいいんだよ」

 バキバキとキャンディーをくだくヤシギの目は完全に据わっている。木刀も刀帯もいつの間にか奪われており、もはや従う以外の道はない。

「……分かったよ」

 いき交じりにうなずくと、ヤシギが立ち上がり、自ら扉を開錠する。彼女の案内で中に進むと、そこにあったのは質素な1LDK。あるものと言えば、ベッドと机と椅子が一つ。ただ、あまりに異様なのは、天井を埋め尽くす無数のである。しの筋繊維のように束となり、それが真ん中でより合わさると、下に伸びる。そのケーブルの先には、巨大なヘツドマウントデイスプレイをかぶった一人の少女がいた。椅子に座った彼女は微動だにすることがない。

「……このケーブルは……」

埋め込みインプラント型ネット端末だよ。旧時代の馬鹿どもがロックアウトしたネットをこじ開けるための道具さ。《わにづら》のあらゆる情報を取り込んで、処理できる」

「……予測ってのはつまり……カンナの脳を、計算装置として使ってるってことか」

「いつかは壊れる機械より、いつでも治る生き物の方が便利だろう」

「……」

 リコは机の下に、大量のPACが積まれていることに気が付いた。カンナの腕には既に点滴の針が通じている。確かにこれなら、ネット接続で頭がショートしても決して死ぬことはない。

「……こんなんで、オレがどうやって殺すっていうんだよ」

「毒なら可能だろう」

「でも、そんなの見つかってないんだろ?」

「そうだね。脈も安定、身体からだに異常は見られないが、意識だけが戻らない」

「……あのさ、そもそもオレの名前をつぶやいたっていう監視カメラの映像が残っているなら、ずっと時間をさかのぼって犯人を捜せよ。オレ以外に疑うべきやつがいるんじゃないのか?」

「向こうであんたの同居人に刀を突き付けている男以外、ここに立ち入ったやつはいないよ」

「じゃあ、あいつが──」

「第一発見者で、カンナの世話係をしているやつだ。そりゃ、最初によくよく取り調べたさ。告白強制剤も使って裏は取った。あいつは白だよ」

「……オレたちにそんな薬使ってみろ。ただじゃおかないぞ」

「使うだなんて言ってないだろう。まだ、その時じゃないさ」

 ヤシギの冷徹なまなしとリコの殺意に満ちたへいげいが交錯する。だが、ヤシギはこだわる様子もなく視線を外すと、ベッドに腰かけ、カンナを見つめた。リコも小さく息を吐きだし、怒りを殺す。しゃがんでカンナの顔色を確認してみるが、鼻から上を隠してしまうHMDのせいで、よく分からない。

「血液検査はしたのか?」

「言われるまでもない。異常値は一つもなかった。健康そのものだよ」

「けど、カンナは元々──」

も検出されてない」

「え……? あのカンナがドラッグを手放したのか?」

「このヘビージャンキーを《フェザ》に引き入れる時点で、一切手を引かせたよ。随分苦労したが、離脱症状もない。今だって、ここに持ち運べるものは全て検査済みだ。薬物はないよ」

「……」

「あたしたちはね、この娘が健康的に生きられる環境を用意してやったんだ。むしろ《シード》にいた頃は一日中錯乱状態だったって言うじゃないか」

「健康的、ね……」

 ヤシギの言葉に、リコは思わず顔をしかめてしまう。リコの知っているカンナは、おしゃべり好きで陽気な少女である。《シード》において珍しい女のメンバーで、としも近いことから、何かとよく話していた。確かに薬物中毒で、カクタスでさえ扱いきれないところもあったが、それでもケーブルにつながって、こんな窮屈な世界で生きるような人間ではない。

 しかし、ヤシギはリコの考えを見透かしたように、首を横に振る。

「あんたは、これじゃカンナが可哀かわいそうだとでも思ってるんだろう」

「思って悪いか」

「じゃあ聞くけれど、この子が絶えずアクセスしている、ネットがどういう世界か、知ってるかい」

「……カンナは……宇宙みたいなもんだって言ってた」

「そう、こんなちっぽけで、荒れ果てた地上よりもよっぽど広大なのさ。かつて情報社会の黄金期に蓄えられたネットの宝物庫には、誰も知らない世界がいくらでも眠っている。大戦中にかなりのデータが秘匿化されたとはいえ、ひとたび門をくぐれば、もうその世界はそいつのもんさ。《採掘屋》はあんたなんかよりも、ずっと自由に生きてるんだよ。……聞いてみたらいいじゃないか、あんたの同居人も、だろう?」

 思わず部屋の外に目をやると、剣で脅されたままのウカと視線が合う。肝が据わっているのか、あるいは考えるのをやめたのか、彼女はにこりと天使の微笑を向けてきた。リコは苦笑を返し、ヤシギに向き直る。

「……そういえば、食事はどうしてるんだよ。毒とか使うなら、そこが一番怪しいだろ」

「カンナの食べたいものを作らせてる。言われた食材を買ってくるんだ。そこにキッチンがあるじゃないか」

 ヤシギの言う通り、部屋に隣接するキッチンは確かに人に使われている様子があった。冷蔵庫にもきちんと食材が入っていて、本当にカンナが料理をしているように見える。しかし、リコの脳裏に浮かび上がるのは、カクタスの書斎から大量のフライドポテトを盗み出し、それを食料としていたかつてのカンナである。まさか、薬物治療で健康に目覚めたとでも?

「なあ、ちょっとウカに見てもらってもいいか? ちゆうぼうのことはオレより詳しいから」

 リコがそう願い出ると、ウカが部屋に入ってくる。彼女は一瞬、こんすいしたままのカンナに目をめたが、何も言うことはなかった。キッチンを調べるようにリコが頼むと、冷蔵庫やコンロ脇の香辛料を眺め渡し、こう推察する。

「特に変わった点は見当たらないかな。多分だけど、中華系──それも四川の料理をよく作っていたんだと思う」

「……四川? なんか、聞いたことある気がする……」

「《シード》の母体となった中華連邦の中央部にある地域のことだよ。からくて刺激的な味付けが特徴なの。ほら、この唐辛子とか、花椒ホアジャオを使うんだけど……って、うそーっ!」

「ど、どうした?」

「ねえ! これすごいよっ! この花椒ホアジャオ、原種にそっくりで粒が小さい! 《らんどう》で使っているのは、実が大きく進化しちゃって使いにくいんだよねー。あの、ヤシギさん、この香辛料を仕入れているところって、どこなんですか?」

 飽くなき探究心に駆られる《らんどう》の調理人。首筋に剣を突き付けられてもなお、頭にあるのは料理のことだけらしい。あまりにのんな反応にヤシギも虚を突かれたのか、「ああ、それは」と返事をしてしまう。

「確か……『《』と呼ばれていたような……」


「「──え?」」

 重なったのは、リコとウカの声である。二人は目を見合わせ、そしてすぐさま同じ結論に至ったらしい。リコは大きないきを吐き出し、こう言い切った。

「カンナの意識を奪ったのは、そいつだよ」

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