【1巻/第四話】四川風、預言者殺人未遂事件 その1


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 けの食堂に、豪快な笑いが響き渡る。次々と飲み干される瓶ビールNEO青島と空になる無数の大皿。よいの《らんどう》は《シード》の貸し切りである。一週間ほど前、無事に《びやく》との会食が終わり、今日は立役者である《らんどう》の慰労を兼ねた祝宴が開かれていた。とはいえ、料理を提供するのはリコとウカ。既に食糧庫の食べ物はあらかた食い尽くされ、ウカも椅子に座って休憩中である。すっかりと酒が回り、赤ら顔のリコとカクタスはウカを挟んで、もはや何度目か分からない会話を繰り返す。

「いやぁ、見ものだったぜ、リコ。あのぶつちようづらで有名なティアナン導師の驚きようと言ったらよぉ! ウナギもどきならぬ、トビヘビもどきなんてなあ。あれも全部、豆腐から作ったんだろう?」

「そうそう、《びやく》の食糧工場から大豆をもらうまでは良かったんだけどさ、あいつらが見ている前で調理しなきゃいけないから、作れるのは当日なんだよ。しかも、豆腐を作るためのにがりは海水から作っちゃ駄目だって」

「それで?」

「だからもう、とにかく実験だよ! 硫酸マグネシウムだの、塩化カリウムだの、せつしようなしの化学合成薬品を集めて、海水のミネラルバランスを真似まねなきゃならない」

「そうは言っても、お前が苦労したわけじゃねえだろ。聞いた話じゃ、《びやく》の赤髪が大層働いたって話じゃねえか」

「……ま、まあ……それでも! オレだって色々頑張ったんだぞ! 豆腐を作ってたら、ウカが味噌みそを使いたいとか、またふざけたことを言い始めて、熟成に一年近く時間がかかるってのに、残された時間は数時間。そこから方々駆け回って、瞬間発酵用の酵母を探したんだよ……」

「そんな都合の良いもん、よく見つけたな」

「まあ……結局見つからなかったから、リブラリウスのじいさんに頼んで作ってもらった。即効性があって味も悪くないから、近々オイル・バーかいわいに売り出すって言ってたぜ。もしかしたら《アラカワ》空前の味噌みそブームになるかもな」

 逆さまの瓶から黄金色の液体が、ごくりごくりとリコののどを流れてゆく。床に並んだ空き瓶は二桁の大台に乗っていた。ウカはあきれてものも言えないが、今日の食材、会食のための準備、諸々を含めて《シード》からはかなりの支払いを受けている。冷蔵庫も空になったことだから、しばらくは店を休んでもいいかもしれない。

「……ところで、カクタスさん、一つ聞いてもいい?」

 ふと声を上げたウカに、リコがぴくりと耳を立てる。カクタスもまた機械けのたこあしを器用に動かして、瓶をテーブルの上に置いた。

「なんだ、どうした」

「今回の会食は違法PAC工場の接収に、《びやく》の力添えをもらうため、だよね? 前々から気になっていたんだけど、工場のっていうのは誰なの? 《びやく》が動く必要のあるほど、大きな相手だったのかなーって」

《アラカワ》一帯を支配するカクタスがわざわざ《びやく》に頭を下げた。それは《シード》と《びやく》の関係を踏まえても、そうよくある話ではない。

 するとリコが幾分かぼんやりとしたで、そうそう、と首を縦に振った。

「オレも気になってたんだよな……竜に食われた死骸を見た限りじゃ、大した装備も持ってなかったし、名もないゴロツキかと思ったけどさ。やっぱりPACの生産工場を作れる技術なんてすごいもんだよ」

 リコとウカに見つめられ、答えを迫られるカクタス。彼はビール瓶をつかり、ちびちびと飲んでは視線を泳がせていたが、やがて、ぽつりと、


「……《フェザ》だ」


 その瞬間、ウカは聞きなれぬ言葉にきょとんとし、リコはたちまち怒声を放つ。

「はあああああ? 真面目に言ってんのか!」

うそを吐いても仕方ねえだろ。まあ、そう気にすんな。この前ので一通り片はついたんだ」

 カクタスは新しいビール瓶の栓を開けると、なだめるようにリコの方へ差し出すが、彼女はそれを受け取り五秒で飲み干した挙句、さらに声を荒げた。

「ふざけんなっ! どうして今まで黙ってたんだよ! いくらあんたの依頼でも相手が《フェザ》だと分かってたら、話は別だ!」

「だから黙ってたんだ」

「お、ま、え、なあ─────!」

 リコがカクタスの首につかみかかろうとして、さすがにウカが止めに入る。

「ちょっと、リコちゃん、落ち着いて! ……元々、リコちゃんが酔っぱらって引き受けたのが悪いんでしょ? 違う?」

「でもさあ……!」

「その《フェザ》っていうのは、どうして駄目なの? そんなに危ない相手なの?」

「いや、危ないっていうか……めんどくさいんだよ! 仲間をやられたら絶対に報復してくるし、金で交渉しようとしても、きっぱり断ってくる。こっちが何をしようと、絶対に正面から戦おうとするんだよ!」

「……すごく、いい人たちに聞こえるけど」

「だから面倒なんだって! 賄賂も買収も闇討ちもやる《シード》とは、月とスッポンなの!」

「……リコちゃんはどっちの味方なの……」

 とりあえず大いに叫んですっきりしたらしく、リコは椅子に腰を下ろす。ウカはあんいきを漏らすと、カクタスの方に向き直った。

「……何か因縁でもあるの?」

「まあな。リコが《シード》で働き始めた頃、《フェザ》との大きな抗争があったんだよ。オレたちは《びやく》と手を組んで戦ったんだが、その時、リコは結構痛い目にあった」

「──あ、それって、ルアンさんも参加したっていう」

「あー、そういや、あいつもいたな。それだよ、それ」

「確かリコちゃんは、アフリカンマフィアと戦ったって言ってたけど」

「《フェザ》がそのアフリカンマフィアだ。……しかも、美と高潔を旗印に掲げる、な」

「美と高潔……?」

「汚いことはやらねえと自称してんのさ。けどよ、《フェザ》はスコピュルスでも三本指に入るマフィアだ。あいつらはバックに《人類進化機構HEO》が付いてるから、PACはもちろん、最先端のバイオ技術がいくらでも使える。支配下の連中はPACの買い付けで寿命を人質にとられて、刃向かうこともできやしねえ。結局、悪事も金と資源でデカい面してりゃ、正義になるんだよ」

 カクタスはまるで《フェザ》の話で口が汚れたとでもいうように、消毒代わりのビールを流し込む。すると、今度はリコが小首をかしげた。

「……でもさ、竜に食われたやつらは本当に《フェザ》なのか? アフリカ系の顔には見えなかったし、第一、かつこうがなあ……」

「なあに? 《フェザ》の人って、何か特徴があるの?」

「ウカだって一目見りゃ、すぐに分かるよ。なんていうか、こうビシッと──」

 リコが《フェザ》の服装について話そうとした、まさにその時。《らんどう》の扉が、大きな音を立てて開かれた。

 うわさをすれば、である。

 静まり返った食堂にさつそうと現れたのは、色とりどりのジャケット。頭のてっぺんからつま先まで、無駄のない身なりの奇態な集団。《シード》の人間が軒並みほこりをかぶったように見えるほど、彼らの放つ美意識は研ぎ澄まされていた。黒いトップハットとえんふくを着こなす老人がいると思えば、白のシングルジャケットに淡い紫のサスペンダーを合わせる若者がいる。このはいきよじんかいが折り重なる《アラカワ》にあって、その汚れなき様はあまりに苛烈。

「……ほら、あんな感じ」

「……なるほど」

 それからふと人垣が割れ、黒のエナメルパンプスを高らかに鳴らしながら、一人の女が現れた。しやくどういろの肌と、丁寧に編み込まれた黒真珠のごとき銀髪。その長身にまとうブラック・タイはあたかも新品を下ろしたかのよう。彼女は低く、む奇妙な声音で、一同に挨拶した。

「──こんばんは、《シード》の皆さん」

 この女、名をヤシギと言う。《フェザ》北東部を取り仕切る、美しき首領。

「《アラカワ》の暴食蛸クラーケン」に並ぶ、「《タイトウ》の不死鳥フエニツクス」である。

《フェザ》の突然の襲来に、《シード》は完全に度肝を抜かれていた。《らんどう》の宴会に呼ばれていた三十人ほどの中堅のうち、誰一人として立ち上がることもできない。唯一、カクタスだけがのそりと席を立ち、口を開く。

「……外の看板が見えなかったか? 今日の《らんどう》は貸し切りだ。そんなに大勢で押しかけられても、食い物は残ってないぜ」

 するとヤシギの瞳がゆっくりと細くなり、その顔には貼りつけたような笑みが浮かぶ。

「おやおや、早速のご挨拶じゃないか、カクタス。そんな殺気立った目で、どうしたんだい」

「……殺気立ってんのはそっちだろうが。しよくどころにそんな物騒なもん持ち込むなんざ、しつけがなってねえな、おい」

 カクタスの視線の先にあるのは、ヤシギの腰にるされた長剣である。ヤシギはそこであえてさやから剣を抜き放ち、その磨き上げられた刃を見せつけるようにカクタスに近づいていく。

「そう怖い顔をするんじゃないって。あたしらも馬鹿じゃない。何もここで抗争を始めるつもりはないよ。……それにあんたたちの様子じゃ、戦いにすらならないだろうさ」

 冷ややかなまなしが食堂中の赤ら顔に注がれる。《シード》の男たちもようやく腰を上げるのだが、彼らが銃を手にするより早く、《フェザ》の集団が剣を抜いた。無数の長剣が、天井から吊り下がる照明を映し込んで、揺らめいている。

「──あんたたちが一発撃ち込む前に、首が落ちるよ。試してみるかい?」

 その言葉にカクタスが小さく首を横に振ると、《シード》の連中はおずおずと席に腰を下ろした。今や完全に《らんどう》は《フェザ》の、そしてヤシギの支配下にある。

「……他人の祝いに水を差すってのは、よほどの用があるんだろうな」

 でっぷりと腹を突き出しながら、ヤシギをにらみつけるカクタス。ヤシギはヤシギで空いていた椅子に腰を下ろすと、長い脚を華麗に組んで、その視線を正面から受け止めた。

「そりゃ、あんたに言いたいことはいくらでもあるんだけどね」

「……の件は済んだ話だろう」

「そっちが勝手に済んだつもりにしているだけじゃないのかい」

「尻拭いをしてやったのはこっちだ。感謝はされども、恨まれる理由はねえけどな」

「……尻拭い、ね」

 繰り返したヤシギの声音に、なぜか《らんどう》が静まり返る。とん、とん、とん、と一定のリズムを保って机に打ち付けられる彼女の指の音だけが、まるで首を真綿で絞めるように、緩慢な威圧感を与えてくる。

「勘違いしてもらっちゃ困るんだ。違法PACに手を出したのは名もないゴロツキどもだよ。どうやったか知らないが、《人類進化機構HEO》の技術を盗んだから、あたしたちが追っていたんだ。それを竜のせいで手間取っているうちに、《シード》が横取りしたんじゃないか」

 するとカクタスはあからさまに鼻を鳴らし、肩をすくめる。

「お上品な方々は、早いもん勝ちって言葉を知らねえのか? 俺たちだって自力で場所を突き止めたんだぜ。文句を言われる筋合いはねえよ」

「……自力だって? 裏でに頭下げて、けんから逃げようって連中がよく言うじゃないか。それもあたしじゃなくて、上に掛け合うなんてね」

「《アラカワ》の話を《タイトウ》に持ち込む道理はねえよ。それに、《フェザ》も頭の固いやつばかりじゃなかったってことだ。今回お前がの外だったのは、普段の行いを《フェザ》の連中も良く思ってねえってことだろう。その石頭のせいで無駄な戦いと死人が出てるんだと、いいかげん学んだらどうだ」

「違法PACで毒を売りつけようってやつに言われたくないね」

「なんとでも言え。……それとも、あれか、《フェザ》は一度決まった約束も破棄して、うちのシマを荒らそうってのか? ピカピカのオシャレよろしく、よっぽどメンツが大事らしいな!」

たこみたいに顔色変えて、金を食って膨れ上がるより、よっぽどマシだよ!」

「……」

「……」

 長きに渡りしのぎを削り、殺し殺され、恨みにまみれたたこと鳥。二人が顔を合わせれば、自然と殺気がほとばしる。一つ間違えば、血で血を洗う戦いが始まりそうな空気に、周囲はただただ胃が痛くなる。

 だが、今日に限ってはそれも長くは続かなかった。ヤシギが不意にかぶりを振り、いきを漏らしたのである。

「……ったく、今日はたこみつくために来たんじゃないんだよ」

「……なに?」

「用があるのはあんたじゃなくて、そこの小娘だ」

 ヤシギのてつくようなまなしが射抜いたのは、なんとリコである。突然矛先を向けられてぽかんと口を開けていると、ヤシギは冗談を言うでもなく、むしろいっそうのこと真剣な目つきで問いかけてきた。


「……あんた、カンナを殺したかい?」


「──は?」

「……カンナビスを殺したのかって聞いてるんだよ」

「カンナビスって……あの、カンナビスか?」

「五年前、《シード》を裏切った娘だよ」

「は? いや、ほんと、何言ってんの? なんでオレが?」

「へぇ……そうかい」

「……なんなんだよ、その顔は!」

 あまりに唐突な告発である。カクタスに助けを求めようと視線を向けると、彼はたこあしで器用に頭をかきながら、こうつぶやく始末。

「……お前、カンナをやったのか」

「いーやいやいやいやいや! なんで? オレが? はあ? 意味わかんないから! どうして頼まれてもいない相手を殺すんだよ! 知らないって!」

「でもなぁ……そういえば、お前、カンナと仲良かったじゃねえか」

「いや、まあ、そうだけど! だったら、ますます殺さないだろ! オレ、カンナが今どこにいるかも知らないんだぞ? それがどうして殺すなんて話になる? ──おい、ヤシギ、あんたもいい加減なこと言うなよな! カクタスじゃあるまいし、オレは仕事以外で人は殺さないぞ!」

 突然るしげられたリコは思わず席を立ち、炎を吐かんとする勢いで叫ぶ。しかしヤシギは平然と首を振るばかり。

「まあ、正確に言うと、まだ死んではいないよ。完全なこんすいじようたいにある。つい数時間前に、部屋で気を失っているのが見つかってね。監視カメラを確認したら、意識を失う直前にカンナ自身が口走っていたんだ。って。これはあんたの名前だろう?」

「いや、だからって……そんなの偶然かもしれないだろ……」

「残念だけどね、

「……絶対?」

「あの子は今、《フェザ》専属のでね。仕事を始めてこの方、

「……」

「あたしはたこの娘の言葉より、カンナの言葉を信じるってわけさ。何を言おうと、あんたは今、うちの預言者を殺そうとした第一容疑者なんだよ」

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