【1巻/第三話】信仰と友愛のRe-Ration その4
4
猫の襲撃を退けた一行は、食料採集という本来の目的を続行した。細道を進み、明るい樹海が切れると、突如現れるのは鉄骨の
「……てっきり森を
鉄骨にカーテンのようにして垂れさがる
「オレが見つけたんだぞ。ここは戦後すぐに建てられた化学工場なんだぜ。たぶん、ウカとオレしか知らない」
「へぇ……しかし、工場の
「そりゃ、食い物探しに決まってるだろうが。ルアンはウカと一緒にキノコを探しに行って来いよ。オレは面白いもん持ってくるからさ」
そう言うと、リコはふらりと
「……付いてきてください。こっちです」
「はい」
「……これは……?」
「さすがに《
「ええ、まあ……これは……キノコ、なんですか」
「アミガサタケの一種です。ただし、食べれば数時間で死に至ります」
「……」
道端に置いておけば、干した内臓か、あるいは腐った脳だと見間違うに違いない。しかし、ウカは白く美しい指先で次々とそのキノコを摘み取り、籠から取り出した大鍋に放り込んでいく。ルアンは
「……《
「当たり前ですっ! ただ、猛毒なのは事実ですよ。だからここで毒抜きをするんです」
「そう簡単にできるものなんですか」
「このキノコの有毒成分はギロミトリン、加水分解をすれば、モノメチルヒドラジンになります。モノメチルヒドラジンは
「……お詳しいですね。さすが、ウカさんが食の博物館と称されるのも納得です。……いったい、その若さでどうやって知識を得たのか……」
「わたしは単に、調べることが好きなだけですよ」
含みのあるルアンの
「すみません、ぶしつけな質問でした。──それで、そんな毒キノコがどうしてこの工場に? ……まさか、あの猫たちの餌場とか……」
「まあ、彼らは毒物を体内生産することはできないので、食べていることは間違いないと思います。とはいえ、この工場はむしろ、毒抜きで生じるモノメチルヒドラジンの生産に利用していたんじゃないかな、と。PACがあれば植物も無限に再生しますよね。大がかりな装置を用意せずとも、化学物質の生成は植物に任せればいいんです」
大鍋の八分が埋まるほどのキノコを集めると、ウカはそれを
すると、ルアンがハンカチを取り出し、ウカに差し出す。
「マスクをされた方がよろしいのでは? 気休めですが、ないよりはマシでしょう」
「あ……ええ、そうですね。忘れてました。ありがとうございます」
ウカは大人しくそれを受け取ると、三角に畳んで口元を覆う。二人はそれから言葉を交わさずに、しばし大鍋を見つめた。やがて、湧き上がる熱湯の
するとある時、ふと思い出したように、「そうか」とルアンが
「大量のヒドラジン生産ということは……ここは《箱舟時代》の工場なんですね」
「はい、ヒドラジンはロケットの推進剤ですから。地球を捨てて、人々が衛星軌道に逃げ込んだ時代、こういう工場がいくつも作られました」
「……それなら僕も聞いたことがあります。権力者ばかりがロケットを打ち上げ、地上に残された者がPACで暴走した自然と戦い続ける……」
「《
「……今の《
ルアンは鍋から視線を外し、打ち
「あの……なぜルアンさんは《
「随分と単刀直入ですね」
「この際、きちんと知りたいなと思いまして。やっぱり気になるんです。ルアンさんがどういう気持ちで信仰を守っているのか」
「戦闘機械が、なぜ
「いえ、そうじゃなくて……なぜルアンさんが、《
「……」
「……ぶしつけ、でしたか?」
「あ、いや……ちょっと驚いただけですよ。ウカさんは僕なんかに関心はないだろうと思っていたので。目に入っているのはリコさんだけかと」
「……そ、そんなことないですよ」
「あはは、すみません。でも、何か僕について、彼女から聞いたんですか」
「それは……はい……ルアンさんは《
「それで……どうお感じになりましたか?」
「率直に言えば……なんだか矛盾してるな、って。食事や
「軍部出身の人間のほとんどは、矛盾なんて感じていないと思いますよ。《白兵》にとっては戒律なんて形だけのものです。隠れたところで肉や魚を食べる者はいくらでもいる。《
「でも、あなたは」
「戒律を守り、
ルアンは脇に立てかけていた銃を手に取り、その輪郭を確かめるように指を滑らせた。
「……僕個人の考えを言えば、救いなんてそれほど期待していないんです。《
「……義理?」
「かつて僕はガラクタの山でティアナン導師に拾われました。腐りかけの培養槽の中で死を待つばかりだった脳みそを拾っていただいたんです。それから、僕は新たな肉体を与えられ、名前を与えられ、職を与えられました。今も生きていられるのは、あの方のおかげです。戒律を守ろうとするのは、彼への恩返しのようなものですよ。そして……命令に従い、戒律を破るのもまた、恩返しのようなものです」
「……」
「ウカさんはこう言いたいのでしょう。それは恩義を利用されているだけではないのか、と」
「……だって、現にその方のために、ルアンさんは苦しんでいますよね?」
「……どうでしょう」
「あの死にかけの猫にとどめをさした時、わたしにはルアンさんが本当に悔やんでいるように見えたんです。……あなたは本当に戒律を守ろうとしている。
しかし、ルアンは落ち着いた
「そもそも
不意に
つまり、ルアンという男は自分と似ているのではないか。リコの自由な在り方に
ウカはルアンには聞き取れぬほどの
「……ルアンさん、ちょっと手伝っていただけますか」
「ええ、もちろん」
ウカは大鍋を手にすると、
「どうだ!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「雑草ですか」
「ちがーーーーーーう!」
「名前を言ってもらわないと分かりませんよ」
「香水薄荷だよっ! 確か……うん、そう、香水薄荷!」
「はあ」
「ははーん、お前、どうせ知らないんだろー! これはな、
むふぅ、と得意げに鼻を鳴らすリコだが、ルアンの反応は実に薄い。口を覆っていた布を外し、草を一枚摘まんで口に放り込むと、「なるほど」と
「それは自家菜園にあるんだから、わざわざとる必要なんてないのに」
「え……」
「そんなに、ルアンさんに
「なっ、オレはただ、採集の腕前を」
「あー、しかも結構硬そうな葉っぱばかり。香水薄荷は若葉がいいって言ってるでしょ?」
「え、でも……うぅ……」
二人からの冷めた視線を受けて、リコが見る間に
「……腹減った……」
「もー……じゃあ、ご飯にしよっか。キノコも後は乾かすだけだし」
「うん……」
ウカは三角巾を外し、地面に広げるとその上に籠に入れておいたパンやチーズ、ハムなどを並べる。簡単なサンドイッチを作ろうと用意をしてきたのだが、ふと目に付いたのはルアンの姿。彼はバッグから、缶詰一つと棒状の袋を三本取り出す。ナスのオイル漬けの缶詰、そして大豆粉末と植物油で作られたオーガニック「オイル・バー」である。それはまさに、リコが話していた、《
「……それ、
「ええ。《
「え、いいんですか?」
ルアンの善意にあやかって、ウカはナスのオイル漬けをぱくり。……白ワインビネガーで味付けされてはいるものの、やたらと塩が
「……う、うーん……なんというか……」
「はっきり
ウカがちらりと目を向けると、渋面のリコが口を
「はっきりと言えばいいんだ。
「それはそうですが、あの時はあなたの正直な感想のおかげで《
「……うぐぐ」
一瞬でやりこめられるリコの哀れさに苦笑しつつも、ウカはルアンに一つ質問をする。
「ところで……ルアンさんは、どうして食事を? 機工体なら栄養補給は……」
「ええ。動力源は電力です。ある意味、食事に関しては誰よりも
するとリコがぼそりと
「……だから言ったじゃん。食い物に興味ないんだって」
しかし、ウカはなおも尋ねる。
「でも、ルアンさんにも味覚はあるんですよね?
「ええ、まあ……」
「じゃあ、
「……はい?」
「人間のフリなんかのためじゃなくて、食事を純粋に楽しみましょうよ」
「しかし、必要もないのに、なぜ──」
「必要がないからこそ、楽しめるんですよ。機械の
「……」
「わたしに、作らせてもらえませんか」
「作るって……今ですか」
「はい。その
そう語るウカの表情に、それまでの取り繕った気配は消え去っていた。彼女のどこまでも真剣な
「……ウカの料理は何でも
そんな二人の様子を見て、ようやくルアンも腹を決める。彼はしっかりと
「会食を作っていただくわけですから、その技量を確かめるのも僕の仕事ですね」
材料は缶詰とオイル・バーと道中に取れた野草だけ。調味料は一切なし。
しかし、それでこそ調理人の腕が鳴る。
《
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