【1巻/第三話】信仰と友愛のRe-Ration その3


    3


 次の瞬間、リコはすかさず猫の心臓を一突き。そしてちゆうちよせず、自分の上腕を切り飛ばした。

「リコちゃんっ!」

 ウカが悲鳴を上げるのも当然である。リコが自ら切断した腕からは赤い血潮が滝のごとく流れている。地面に落ちた方も、既にみ傷が青く変色し、腐食が始まっていた。ルアンは展開の速さに頭が追い付かず、リコだけが気の抜けたいきを漏らした。

「いってえなぁ、もう……」

 ものの数秒で血が止まり、腕が再生し始める。もちろん、PACの効果である。

「ルアン、こうなったのも全部お前のせいだからなー!」

「いや、さっきのはあなたが油断したからでしょう……」

「それは……! まあ、そうか」

「大体、こんな生き物がいるなら最初から言っていただかないと。僕はできるだけ野生動物の命を奪うまいと、威嚇の発砲を行っただけです」

「結果として、一匹死んでるんだが……」

「殺したのはあなたです」

「いや、正当防衛だし。もしも殺さなかったら、オレたちが──」


「ちょっと、二人ともっ!」

 さっそくけんを始めるリコとルアンに、ウカの上ずった声が飛ぶ。彼女が指さす方を見てみれば、ジャングルの影からぬっと現れ出る赤と黒のしまよう。どうやら相手は群れだったらしい。猫が十匹。三人を囲むように円陣を作り、少しずつ距離を詰めてくる。

 ルアンは大きないきを漏らしたかと思うと、こうつぶやいた。

「……まあ、猫を挑発した失態は、僕の責任ですね」

 彼は構えていたライフルを背負い直すと、腰のホルダーから二丁の自動拳銃PL-20を引き抜いた。彼の髪の色とよく似た、深紅の塗装。その弾倉に込められているのは、空砲はおろか麻酔弾ですらない。肉を貫き、命を絶つ9㎜弾。

 真白き衣、あるいは白き腕の先で火花を咲かせる拳銃が人々の目に焼き付いたのか。「《びやく》の薔薇ばら」とは、ルアンの二つ名。戒律を破り、せつしようを犯す、美しき──

「いや、お前は戦わなくていいから」

「え」

「これはだって言ってんだろ。狩りは食うか食われるかだ。中途半端な覚悟で首をつっこむんじゃねえ。獣を見て空砲で威嚇するような甘ちゃんは黙って見てろ」

 リコはそう言い捨てると、木刀片手に大地を蹴る。仲間を殺され、距離を計っていた猫の一匹に向かって切りかかった。一刀両断、獣の脚を切り落とし、首を跳ね飛ばす黒髪の娘。即殺、即殺、即殺と、寸分の迷いも無しに相手をほうむっていく。これはまずいと思ったのか、猫もターゲットをリコに定め、一対多数で襲い掛かる。やはりジャージは素晴らしい。いつもはしの白き腕も、今日は布で守られている。牙や爪に貫かれなければ、多少の毒を防いでくれる。敵に触れぬよう身軽に飛び回り、妖犬が毒猫を翻弄した。

 そんな様をぼうぜんと見つめるのはルアンである。行き場を失った拳銃はだらりと下がり、所在なくホルスターへと戻っていく。そのかたわらでウカはじろりと彼をにらんだ。

「そんなに気安く銃を抜くなら、戒律なんてどうでもいいんじゃないですか?」

「……いや、気安く抜いているわけでは……」

「わたし、ルアンさんはもう少し筋の通っている方だと思っていました。《びやく》の人ってそんな簡単に戒律を破れるんですか?」

「……」

 至極まっとうな正論に、ルアンは返す言葉もない。……というより、ウカの隠しきれぬ怒りに思わず口をつぐんだか。いくらPACがあるとはいえ、既にリコが傷ついたことは事実である。顔に毒が付きでもしたら、首を斬り飛ばすわけにもいかぬ。何度死線を超えたつわものと知っていようとも、同居人の身を案ずるウカの怒りはもっともだった。

「……ルアンさんは、あの猫の正体をご存知ですか」

 依然と冷ややかな声音のまま、ウカが問う。

「……いえ、すみません……」

「では、よくご覧になってください。あれこそ、人間のがもたらしたものですよ」

「信仰……?」

「そうです。ドクネコの祖先は人間がペットとして飼っていた猫です。ただし、一部の人間がとあるを与えて、自然に返した猫たちにあたります」

「ただの野生化した動物ではないんですか」

「はい。彼らは毒物を食べて、それを筋肉や毛皮に保持できるんです。スグロモリモズなど、大戦前から存在した有毒哺乳類を参考に遺伝子を編集したんだと思います」

「でも、どうして」

「それはもちろん、ですよ」

「──」

 荒廃した地球から脱出し、環境の回復を待とうと宇宙へ人類が逃げ出した二百年前。《箱舟時代》と呼ばれるその当時、地上に残された人間がわずかな食糧を奪い合い、狩猟採集の世界を生き抜かなければならないことは既に予想されていた。そしてしやを失ったペットたちは格好の獲物になってしまうという可能性も。ゆえに、一部の人間はこう考えたのである。誰かの食料となる前に、いっそ、ペットを食べられないものにしてしまえばいいのではないか──。

「しかし……自分たちが見捨てる命を、わざわざ作り変えてまで守ろうと……? もはやそれは何を守っているのか……」

「だから、ゆがんだ、と言ったんです。人間は誰しも、自分の肉体だけでは生きられません。自分がより心地よく生きるためには、外の世界を変える必要がある。美味おいしくないものを美味おいしくしたいと思うように、食べられるものを食べられないようにしたいと思う人もいる。己のルールをどのように設け、どのように順守するのか、それは自由ですけど……、分からない人間もいるという話です」

 ウカの問い詰めるような調子に、ルアンの表情は硬くなる。ただ、それでも彼が口を開こうとしたその瞬間、不意に地面から聞こえたかすかなうなり。最初にリコが心臓を貫き、動かなくなっていた猫が突然立ち上がったのである。そして猫は間髪をれず、ウカに向かって跳びかかった。巨大な顎が小さく人形のような顔にみつこうとしたその時、

「──っ!」

 その口は二つの手によって押さえられた。間に入ったルアンが、とつに顎をつかんだのである。しかし、今度は彼の頭めがけて、猫の前肢が襲い掛かる。

「危ないっ!」

 ウカの悲鳴で獣が止まるわけもなく、毒液をにじませる猫の爪はルアンの顔面を切り裂いた。ところがルアンはひるみもせず、身体からだをひねって猫を地面にたたきつける。猫はびくりと全身を震わせた後、ついには口から大量の血を吐き、絶命した。

「あ、あの……ルアンさん……」

 その背中に呼びかけるウカの声は震えていた。ドクネコの毒は複数の毒が混じり合い、血清もどくやくも存在しない致死性である。それが手にも顔にもついてしまえば、もはやPACでも助からない。ルアンの命はもって数分。すぐに立っていることさえできなくなる──そう、ウカは思っていたのだが。

「……」

 猫の死体を見下ろして、ルアンが吐いたいきは決して死を覚悟したようなものではなかった。彼はゆっくりとウカの方に向き直ると、どこか寂しげに微笑ほほえんだが、端正な顔に刻まれた爪痕を見てウカはようやく理解する。

「……その顔は……」

「機工体ですよ。僕は全身機工フルアーマーです。毒は効きません。リコさんが言ってたじゃないですか、僕はだって」

 えぐれた傷の奥にあったのは、強化樹脂製の白い筋肉。血の一滴も流れていない。まるで作りものめいた顔立ちも、常人離れした白い肌も、彼の身体からだが本当に作りものなのだとすれば納得がいく。ルアンは指に付いた毒をハンカチで拭いながら、淡々と語った。

「僕は元々、戦闘用に開発された全身機工の実験体で、脳以外は全て機械です。……培養槽の中で生まれて、生身の体を知る前に、機械けの体に接続されました」

「……」

「だから、僕の脳には本能と見分けがつかない人為的な条件反射が、色々と組み込まれているんです。身近な人間に危険が及べば、意思よりも先に身体からだが反応する。そういう風にできているんですよ。むしろ反応が遅れたのは、僕の落ち度でしょう。本来なら、猫のとどめが刺されていないことに、もっと早く気付くべきでした。どうやらウカさんの剣幕に、僕の身体からだしていたようで」

 ルアンがいつも通りの微笑を浮かるといっそうのこと、顔に残った傷がきわって見えた。その顔が本当の感情を反映したものなのか、ウカの目には判別がつかない。うまく笑い返すことができず、重たい沈黙が流れる中、ふと響く粗野な葉擦れの音。目を向ければ、リコが草をかき分け、二人の前に現れた。

「……全部追っ払ったぞ。はーっ、疲れた……」

 一滴の返り血も浴びず、無傷での帰還である。自ら切り落とした腕も元通りで、途中で切断されたジャージから滑らかな肌がしになっている。彼女はルアンの顔に気付くと、はて、と首をかしげた。

「ルアン、お前その顔どうしたんだよ。怒ったウカに引っかかれたのか?」

「──」

 あまりの発言にウカは絶句。さすがのルアンも顔をしかめ、押し殺した声で言う。

「……どうしたも何も、なんですがね……」

「……え?」

「あなたが殺し損ねた猫にやられたんですよ……。覚悟がどうのこうのとたんを切っていたのは、どなたでしたかね……」

「あはははは……まあ、そういうこともあるよな!」

「「……はぁ」」

 不意に重なる、ウカとルアンの大きないき。しかし、いきを吐かれた当人はなにやらニコニコして、こう言ってのけた。

「なんだ、知らないうちに二人とも仲良くなってんじゃん!」

 再度、大きないきがジャングルに吐き出されたことは、言うまでもない。

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