【1巻/第三話】信仰と友愛のRe-Ration その2


    2


 厳しい弱肉強食の世界が広がる高層樹林帯。その中でリコたちが訪れた23番ジャングルは比較的危険の少ない区域だった。一見して、他との違いは瞭然である。ジャングルの多くが、高い樹木の屋根によって覆いをかぶせられ、昼間でも湿った洞穴の中を進むような趣であるのに対し、ここは実に明るい。枝葉の育ち切っていない高木のじゆかんから、こうまどをくぐったような細切れの日差しが森の奥深くまでんでいる。

 夜行性であるトビトカゲなどの恐竜は明るく乾いた森を嫌い、結果として23番ジャングルは危険な捕食者が数えるほどしか生息していなかった。気を付けるべきものといえば、近づく熱源を感知し、きよくじようとつたいを伸ばして串刺しにするツルギナスや、触れたものを大量の触手でからめとる陸イソギンチャクである。

 そんな中をリコとウカは特に警戒することもなく進んでいく。二人が何度も通っているために道が踏みならされ、そこから外れなければ特におびえる必要もない。リコはルアンが後ろ五メートルの距離を開けて付いてきているのを確認すると、ウカの耳元でささやいた。

「……なあ、わざわざあいつと一緒にここへ来なくても良かったんじゃないか? 裏の菜園とか、屋台で買うだけでも野菜は手に入るじゃん」

「それはそうだけど、会食ってことはきちんとしたものを出さないといけないもん。食堂の普通のメニューじゃ、失礼だよ」

「はあ? アレも駄目だ、コレも駄目だって、自分たちで勝手に食いもんを狭めてるような連中だぜ? どうせ料理に興味なんかないって」

「うーん、そうかなー……」

「大体、あいつらの食事なんて、いつも缶詰とオイル・バーなんだ。オレ食ったことあるけど、ほんと悲惨だぞ。色素の抜けきったピクルスとか、大豆の粉を固めただけの棒なんだから。食った気にもなりゃしない」

「……なんで食べたことあるの?」

「え?」

「いや、どうしてリコちゃんが《びやく》のご飯を食べたことがあるのかなって」

「そりゃ、《シード》と《びやく》の共同作戦で、何度か一緒に仕事をしたこともあるし……」

「ふーん、そうなんだー」

「……なんだよ」

「別にー。ただ、いつも嫌いだ嫌いだって言ってるわりに、仲良くお話してるなーと思って」

「はああああああ? オレと、あいつが、仲良く? どんな目をしてたら、そう見えるんだよ! オレがあんな頭カッチカチの顔面キッラキラ野郎と──」


「──あの、すみませんが」

 リコが声を荒げたところで、すかさず言葉を狭むルアン。さすがに聞かれていたかとリコの背中に冷汗がにじむが、ルアンはちらりとも視線を向けず、ウカに一束の草を差し出す。

「あの、こちらを見つけたので、よければどうぞ。ティアナン導師は豆が好物でして。確か……エンドウ、という植物でしたよね?」

「わー! すごい! ありがとうございます!」

 どことなく不満げだった寸前までの表情から、天使の笑顔に切り替わるまで、コンマ一秒。リコもあきれるほどの変わり身で、すらすらとウカの口から言葉が出てくる。

「これはなんきようしゆのエンドウ豆ですね。しかも大戦前の原種に近いかも!」

「そんなに貴重なものですか」

「はい。最近採れるのは、鉄でも折れないっていうくらいさやが硬いものばかりで、こういう柔らかいのは貴重なんです。ルアンさんは、もしかしてご自分で野菜を採りに行ったり?」

「いえ、普段は特に。ただ、教練プログラムにサバイバルの基本がありましたから、野草を見つける方法などは一通り学んでいます。慣れないもので、この程度しか見つけられませんでしたが……」

 それから、ルアンの視線はおもむろにリコの方へ。そして、あえてキッラキラの笑顔を張り付けたまま、こう尋ねる。

「ところで、リコさんの狩りのおうわさはかねがね聞いているのですが。さぞかし野草採取もお得意ではないかと。もう何か見つけられましたか?」

「……い、いや……オレはなんていうか……」

「そうもったいぶらずに。自分はなので、何度か教えていただかないと覚えられませんよ」

「──」

 ルアンのまなしに、汗がダラダラと流れるリコである。無論ウカからの助け舟はなく、ごうとくの泥船はずぶずぶと汗に溶けて沈んでゆく。ルアンは思う存分動揺を観賞すると、満足そうにうなずいて再び後方へと帰っていった。

 ウカはルアンから渡されたエンドウ豆をかばんにしまいながら、苦虫をみ潰したような顔の同居人に、口をとがらせる。

「ほら、やっぱり仲良い」

「どこがだよっ!」

「……リコちゃんとルアンさんって、いつもこんな感じだよね。わたしとリコちゃんが一緒に暮らす前からの知り合いでしょ?」

「そりゃ、オレが《シード》で働き始めた頃から知ってるからな」

「じゃあ、カクタスさんと同じくらいの付き合いなんだ」

「だからといって、あいつと仲がいいわけじゃないっ! むしろ、オレたちはそりが合わないんだよ。一度、《シード》と《びやく》が協力して、アフリカンマフィアの連中とやり合ったんだけどさ。もう、一から十まで、てんで意見が食い違うんだよ。あいつは筋金入りの軍隊上がりだから、当然っちゃ当然なんだけどさ」

「……軍隊? さっきルアンさんも教練プログラムを受けたって言ってたけど、《びやく》は非暴力とロゴスの組織じゃなかったっけ」

「ま、建前はな。でも無法者だらけの地上で、そんなのただの空論だ。公の平和的指導者とは別に、《白兵》と呼ばれる汚れ仕事を請け負う軍部がある。ルアンはそこのエリートだ」

 宗教治安維持組織《びやく》。その母体となっているものは二つ存在した。一つは大戦期末、地下へいんとんする選民からはじかれた民衆に広まった終末思想──擬ジャイナ教。せつしようを掲げた、ある種の諦念主義。もはや地上での死が避けられないならば、せめて安らかな死を願おう。暴力と破壊が渦巻いていた末世にあって、その極端なほどの理想は確かに一定数の信者を得た。

 しかし、ただ殺されるだけでは教義が果たせぬと、一部の信徒は自衛組織を作り始める。せつしようの罪を負う代わり、信徒を守り、救済を得る。そこになだれ込んだのが、23世紀まで残っていた地球最後の軍隊──《旧世代のための防衛戦線Defensive Front for Obsoleters》、通称DFOである。

 それすなわち、世界各地の実験都市においてPACの暴走によりもたらされた急速な自然改変を鎮圧すべく、投入された多国籍軍。徹底した規律と禁欲主義こそが組織のちゆうたいとなっていたDFOと擬ジャイナ教が手を組むまでには、それほど長い時を要しなかった。

「……大体さ、あいつの言葉と行動はバラバラなんだよ。筋が通ってない。生き物を殺すな、肉を食べるなって言っておきながら、あいつの背にかつがれているのは何だ? ボルトアクションライフルW e a t h e r b y M a r k Xだぞ! あれなら一発で渡り竜の頭蓋骨を粉砕できる。あいつの狙撃でどれだけの人間がちりと化したか──」


 ──ドンッ。

 不意に背後で響く、重い銃声。思わずウカとリコはびくりと身体からだを震わせた。発砲の残響が足早にジャングルを駆け抜けると、たちまち静けさが舞い戻る。リコはすぐさま後ろを振り向き、ルアンに向かって叫んだ。

「テメー、いきなり物騒なもん撃つなっ! せめて声をかけろよっ!」

「ああ、すみません。何か大きな野生動物が見えたもので。早めに追い払った方がいいかと。それにさっきのは威嚇用の空砲ですよ」

「そういう問題じゃないっ! 心臓が止まるかと思っただろ! ってか、分かっててわざとやってるよなあ!」

「あはは、そりゃそうでしょう」

「おまえなー!」

 ひようひようと笑うルアンに対し、リコは木刀を抜き放ち、今にも飛びかかろうとする。しかし、その寸前、ウカがはっしと手をつかんだ。

「離せよ、ウカ! オレは今日くらい、あいつを一発殴ってやるんだ! 今はオレたちの仕事中なんだぞ。上下関係ってのを分からせてやる!」

「……リコちゃん」

 ぐっと眉間によったしわは、年に数回みられるほどの深き峡谷。ジャングルに入ってからというもの、ますますその溝は深くなっており、リコもさすがに意気阻喪である。

「……だから、さっきからなんなんだよ……その顔は……」

「わたしたちの仕事なんだから、わたしたちに集中すればいいの。違う?」

「いや、でも」

「もうすぐ目的地なんだから、早く行こ」

 ウカは一瞬、微笑をたたえるルアンの方に目をやったが、すぐさま視線を外すと、リコと腕を組む。そしてぼうぜんとする同居人を引きずるようにして前へ進んでいった。

「……わたし、負けないもん」

「負けないって、何に?」

「何でもないのっ!」

「なんでオレが怒られてるんだよぉ! 大体、あいつは──」

 銃声を追いかけるようにして、リコの抗議がむなしくジャングルにだましたその時である。

 彼女が不意に口をつぐみ、静寂が辺りを支配した。

「どうかしたの、リコちゃん」

 その突然の沈黙にウカが足を止めて尋ねると、リコは即座に押し殺した声で、

「足を止めるな」

「え?」

「オレたち、つけられてる」

 彼女の声音が、いつものそれとは全く違う。ウカの前ではほとんど見せることのない、仕事中のリコ。研ぎ澄まされた刃物のごとく、抑えきれぬ殺気と緊張感が、つかんだ腕越しにも伝わってきた。リコは刀帯のスロットから痛覚ドラッグの赤いシリンジを取り出し、腕に打ち込むと目を閉じる。鋭敏になった聴覚がかすかな震えをつかみとった。

「オレたちに並行してぴったりとついてきてる。ただ……人間じゃないな。服や武器の擦れる音が聞こえない」

「野生動物?」

「ああ。これはおそらく……」

でしょ」

「そう、それだ……って、どうして」

「……だって目の前にいるんだもん」

「え」

 目を開けたリコの正面に立っていたのは、一匹の四足獣。人間の大人ほどはある体長と、すらりと伸びた長い尾。全身が赤と黒のまがまがしい模様に覆われている。こうさいを針のように細く収縮させた金色の瞳が二人を射すくめた。

 ウカがゆっくりとリコの腕を離すと、リコもまた極力刺激を与えまいと緩慢な動きで背中の木刀に手を伸ばす。そして猫に視線を向けたまま、背後に追いついたルアンに問いかけた。

「……おい、さっきお前が発砲したのって、こいつか」

「ええ、そうですが。お二人は何をそんなに警戒なさっているんですか」

 ──ドギュン。

 森に再び鳴り響く、重たい銃声。しかしたびは空砲ではない。目前に立ち塞がる獣の首に深々と刺さったのは麻酔弾である。ルアンはよどみない動きでライフルのはいきようを行うが、次弾を装塡する指がふと止まる。

 なぜなら、数秒で薬が回り、気絶するはずの相手が、ぶるりと首を震わせて麻酔弾を振り落としたからである。怒りに満ちた渋面が猫の表情に浮かび上がり、突風のような鋭いうなりが咽喉かられていた。

「なぜ……」

 常に崩れることのない美麗なルアンの表情にも、さすがに一瞬影が差す。すると、ここぞとばかりに唇をにやりとゆがめ、リコがルアンの肩をたたいた。

「ははあ、さすがのルアン様も軍事教練で教わらなかったのかな~? あいつらに麻酔は効かないぜ。ありとあらゆる毒物は無効だ」

 ますます曇るルアンの眉間。リコは構わずこう続ける。

「そんでもって、あいつらは牙にも、爪にも、毛にも、肉にも、猛毒を仕込んでる。触れられたら命はないし、出会ったら獲物を置いて逃げるのが鉄則なんだよ」

「……」

「《アラカワ》の泣く子も黙るのことを知らないなんて、お前もまだまだ──」

 しかし、全てを言い終えるよりも先に、我慢の限界が訪れた。

 ルアンではない。猫である。

 ルアンをからかうことに夢中なリコに対し、猫が飛び掛かる。

「あ」

 そして、猛毒の牙でもってリコの左腕にみついた。

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