【1巻/第三話】信仰と友愛のRe-Ration その1


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らんどう》が居を構える《アラカワ》地区の外れ。乱立するはいきよビルの上には巨大なカイワレ大根を乗せたかのごとく、天に向かって巨木の茂みが生えている。人呼んで、「ジャングル・オン・ザ・ジャングル」。高層樹林帯と呼ばれるそれは、CO2削減を目指し、22世紀に国家が推し進めた日本列島総緑化計画──すなわち高層ビルの大規模屋上緑化──のなれの果てであった。

 無論、ジャングルの中は自然界の縄張りである。野生動植物の激しい生存競争が日夜繰り広げられている。そこにひとたび足を踏み入れようものならば、普通の人間は骨一本帰ってこない。しかし、それでも愚かなるホモ・サピエンス。一部の好き者は危険を承知で挑もうとする。

 なぜならジャングルこそ、地球の生きた博物館であるからに違いない。人類文明が失った多くの技術、生命がそこには今も息づいている。

 いまだ太陽が東に居座る朝早く、《らんどう》からほど近い、23番ビル入り口の前に立つ二人も、そんな失われた宝を求めてやってきた。黒髪をなびかせ木刀をかついだ用心棒と、巨大な籠を背負ったメイド少女である。

「……なあ、いつも思ってんだけどさ……ジャングルに入るってのに、そのかつこうはどうなんだ?」

「そのかつこうって?」

「いやあ……ロングスカートとか、動きにくいし、汚れるだろ」

「そうかなー。むしろ、虫とか蛇とかの危険性を考えたら、リコちゃんの方が危ないんじゃない? そんなに腕をむき出しにしちゃって」

「だって、オレはちゃんとPAC打ってきたし」

「PACは別に万能じゃないんだよ? 再生速度よりも早い毒素が身体からだに回ったら、すぐに身体からだがボロボロになって、生きながら地獄のような苦しみを」

「分かった。うん、分かったから、恐怖をあおるのは止めてくれ。ウカのかつこうに口を出したオレが悪かった」

「じゃあ……はい、これ」

「え?」

 ウカが背負っていた籠から取り出されたのは、一着の長袖。広げてみると、背中と胸の両方にSUGOI☆KAWAII☆LYCOと蛍光ピンクのしゆうが施されている。

「それね、ジャージっていうの。大昔、運動する若者は絶対にこれを身につけなきゃいけないっていうしきたりがあったんだって」

「……絶対に?」

「絶対に」

「……」

「虫よけのお香もいておいたし、これならジャングルの中でもすぐにリコちゃんの居場所が分かるかと思って」

 ジャージの端にはご丁寧に、MADE BY MAIDとしゆうまでされている。大体、このピンクを基調にしたデザインを見ただけで、誰が作ったのかは明らかだったのだが。

「……これを着ろと」

「うん」

「……」

 率直に言えば悪趣味である。正直に言えばダサイ。とはいえ、いくらそれが趣味ではないと言っても、普段のリコならば渋々袖を通していただろう。ところが、なぜだか今日は違う。リコはジャージを見つめたまま動かない。ウカは不思議そうに小首をかしげ、尋ねてくる。

「……そんなにこのジャージ、嫌なの?」

「いや、そうじゃなくってだな……」

 気まずい。着づらい。小恥ずかしい。早い話がこの娘、馬鹿にされることを恐れている。

 なぜなら今日のジャングルピクニックは、リコとウカの二人だけではないからである。口も悪けりゃ手癖も悪い、そんなリコでもうら若き娘。人並みに羞恥心は育っていた。そう、今日はアイツが一緒に──……

「──おはようございます」

 突如背後より気配を表したのは、一人の青年。上から下まで白の服、その上新雪も裸足はだしで逃げ出すような白磁のごとき玉の肌。それゆえに、てつさびのような深い赤髪とはく色の瞳が異様に映える。

 名をルアン。スコピュルスの治安維持をつかさどる宗教団体《びやく》のルーキーである。

 リコとは何かと腐れ縁、あるいはふるき犬猿の仲。リコが犬なら、ルアンは猿。しかし、この世にこうも美しい猿がいただろうか。世が世なれば若い娘に囲まれて、黄色い歓声を浴びていたであろう繊細な顔立ちである。

 リコが慌ててジャージを背後に隠す一方で、ウカは朗らかに挨拶を返す。

「おはようございます。こんな朝早くに来ていただいて、ごめんなさい」

「いえいえ、《わにづら》の警備は夜から朝にかけて行いますから。いつも通りですよ」

「あ、そうなんですか! それならわたしたちの仕事とおんなじなんですね」

「《らんどう》もけ過ぎまで営業なさっているそうですからね。お疲れ様です」

「……」

「……」

 一見すると、美男美少女の見目麗しきやり取りである。しかし、丁寧な言葉遣いとは裏腹に、ルアンの内心は笑顔の鉄仮面で隠されており、対するウカも完全に余所よそきの顔。見えない触手で互いの腹を探り合っているかのようで、リコはひどく落ち着かない。

 すると、ルアンの切れ長の瞳が不意にリコへと向けられる。そして、彼女が逃げられぬようしっかりと正面から見据え、その口元に端正な微笑を浮かべた。

「どうも、おはようございます、リコさん」

「……お」

「あ、すみません、間違えました。おはようございます。SUGOI☆KAWAII☆LYCOさん」

「なっ、おい、これは別に──」

「何を慌てているんですか。おしやですよ。大戦前のオールドファッション。実にお似合いではありませんか。正装をそちらに変えてみたらどうですか、SUGOI☆KAWAII☆LYCOさん」

「んが───っ! その呼び方をするなっ!」

 勢い任せにジャージを投げ捨てようとするものの、さすがにリコの手は止まる。口を挟もうとしないウカと、絶え間ない冷笑を浮かべるルアンを見比べ、リコは歯をキリキリと鳴らした。

 しかし言うまでもなく、この勝負、はじめから結果は見えていた。ウカから渡された服を、リコが拒めるはずもない。

「……羨ましいだろ! お前が欲しくても、やんないからなっ!」

 やけくそにそう言い放ち、ジャージを身に着けるリコである。実際袖を通してしまえば、思いのほか動きやすくて風通しもよい。試しに木刀を振ってみても、別段気になるわけでもなく。

「あれ、なんかぴったりだ! 悪くないじゃん!」

「……ほんと単純ですね、あなたは」

「ん? 何が?」

 ルアンはあきがおで、ウカに視線を戻す。それから少し声音を改め、頭を下げた。

「今日はどうぞよろしくお願いします。僕はお二人の食材集めに同行して、その一部始終を観察するだけです。いないものと思っていただいて結構ですから」

 するとウカは幾分か当惑をにじませたまま、

「別についてきていただくことは構わないんですけど……でも、本当にをやらないと駄目なんですか? さすがに、お客さんの食べたくないものを黙って入れたりしませんよ?」

「すみません、どうか、お気を悪くなさらないでください。これは我々《びやく》の戒律なんです。必ず信徒の者が食材集めから調理までを確かめる必要がありまして」

「確か、皆さんは菜食主義ってことでいいんでしたよね? 教義的に使ってはいけない食材というのは……」

「動物性のものは基本的に全て駄目です。卵や乳製品も許されません。根菜類も禁じられています。疑似肉や無菌野菜など、認可を受けた工場のせつしよう食材に関しては大丈夫ですが」

「……なるほど、でも、動物性かー……」

「何か問題が?」

「あ、いえ、全部が全部というわけではないんですけど、このジャングルに生えている植物は動物を食べたりするんです。そういうのって、植物に入るのかなーって」

「……まあ、許されないでしょうね。疑わしきは黒です。本来は《びやく》管理下の食品工場で作られたものしか食べないので、こういった事態に対する柔軟性はないんです」

 ルアンがすまなそうに眉をひそめるそのかたわらで、リコはあえて聞こえるように「ほんっと、迷惑な話だよ!」と独り言。すかさずウカがぴしゃりと叱る。

「もー、だめだよ、リコちゃん! ルアンさんが悪いわけじゃないんだから!」

「関係ないね。いきなり一週間後に会食の用意を頼んできたと思ったら、やれ肉は使うな、魚は使うなって、文句ばっか言いやがって。しかも挙句の果てに食材確認だぞ? うちのコックが芋と間違えて肉を入れるなんてことがあるかっての!」

 ウカに向かっていた視線は、次第にルアンの方へ。不満を口にしていたら先ほどの嘲弄を思い出したらしく、リコのこめかみがピクピクと震えている。しかしルアンの方は平然と首をかしげるばかり。

「……はて、確か《らんどう》に出張させると申し出たのは、カクタスさんだったはずですが。こちらは別段、無理を通したわけではありません。しかし、どうしてもとおつしやるから、それに応じたまでのこと」

「うぐっ……」

「先日のPAC工場引き渡しの件で、便宜を図ってほしいという意図が透けていることは明らかです。うちのティアナン導師から純正PACを横流ししてもらい、その上違法に目をつぶってもらおうと……どうしても《びやく》を喜ばせたいのは《シード》の方では?」

「うぐうぅ……」

 淡々と理を詰めていくのがルアンのやり口である。合理をもって虎威となす。それはスコピュルス各地に立法行政地区を設け、武力にらない社会秩序を営む《びやく》の方針でもあった。

 押し黙ったリコに、おまけでウカが小さないきを一つ。

「カクタスさんのお願いだからって、仕事を受け入れたのはリコちゃんでしょ? ほんとにあの人には弱いんだから」

「仕方ないだろ! 義理は義理だ。あんなたこでも育ての親にかわりはない」

「だったら文句言わないの!」

「むぅ……」

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