【1巻/第二話】竜と親子と不老不死 その5


    5


 いつのまにか雨雲が去り、澄み切っていた夜空では、林立するはいきよビルの合間にいよいよ月が隠れようとしていた。

 日付が変わり、《らんどう》は既に店じまいの時刻。朝と同じく清潔でがらんとした食堂には、しかし、依然として人々の吐き出す酒気とじようぜつな言葉が漂っているようである。

 その真ん中で金髪の天使は一人、気をんでいた。

 なぜなら同居人が帰ってこない。

 何時間も前に竜の肉を持ち込んできたカクタスいわく、リコは仕事を無事に終えた。ただしインカム越しに一人で帰ると言って、顔も見せずに姿を消したという。危険な仕事を押し付けられて、腹を立てているのだろうとカクタスは語っていたが、こうも帰りが遅くなるとは。

 それほどリコは怒っているのだろうか。いや、仮に怒っていたとしても、《らんどう》に帰ってこないことなんて、今までに一度でもあっただろうか。普段のリコだったら、いの一番に帰ってきて、「死ぬかと思ったぞ!」と直接る。短気で、暴力的で、気まぐれだが、まっすぐなのが彼女の取柄。そうと分かっているからこそ、ウカはますます不安になった。帰り道、何か変な事件に巻き込まれたのではないか。《アラカワ》には、リコのせいで痛い目にあった者が沢山いる。疲れ切った隙をついて、襲われることだってありうるだろう。

 もう一度、カクタスさんに聞いてみよう──そう思ってウカが席を立ちあがった、その時だった。食堂の扉が開き、薄暗がりの入り口から現れたのは、全身から血を流す傷だらけの同居人。

「──リコちゃん!」

 ウカは駆け寄り、服が汚れるのも構わずにリコを抱きしめた。その様子に苦笑しながら、しかし温かな天使の抱擁に、ウカの頰も自然と緩む。

「……ただいま。さすがにまだ、オレの墓は作ってないだろ?」

「作ってるわけないよ! いつまでっても帰ってこないから、わたし、すごく……」

 ウカは潤んだ声を無理やり押しとどめ、それよりもの手当てだと、リコの全身をいちべつする。しかし、まみれのわりに傷があるわけではない。PACのおかげか傷口は既に塞がっていた。

「今の今まで、どこにいたの? こんなに汚れていたのなら、カクタスさんと一緒に帰ってくればよかったのに」

「あー、いや……そうじゃないんだよ。これは別に仕事で出来た汚れじゃない」

「……え? どういうこと?」

「ちょっとを手伝ってた」

 事のてんまつはこうである。

 渡り竜を気絶させ、あとはとどめをさすばかりとなった時、不意に現れた幼き竜。どうしても親を殺すことに躊躇ためらいを覚えたリコは、はいきよからこの親子を遠ざけようと腹をくくった。残っていた最後のPACを親竜に打ち込み、それから子竜を抱えて走り出す。幸い、《アラカワ・リバー》さえ越えてしまえば、向こうは餌も豊富なジャングルである。子竜を人質に親竜をはいきよの外へ誘い出し、それからはRUN&RUN。余計な傷も負ったが、とりあえず森の奥で親子を合流させ、帰ってきた時には日付が変わっていたという次第。

「……そっか。だからカクタスさんが持ってきた肉に、内臓とか頭がなかったんだ。足とか翼ばかりで、てっきりお肉が食べたいカクタスさんのチョイスかと思った」

「あいつだったら、子竜を丸焼きにして全部食ってるよ」

「……それはそうかも」

 容易に想像できる、クラーケンの捕食姿。今日も肉を持ってきて早速味見を望んでいたが、ウカが熟成させるべきだと断ると、すさまじい落胆ぶりだった。

「でも、もしも親子が工場に戻ってきたらどうするの?」

 ウカが尋ねると、リコは困ったような、しかしどこかふっきれた笑みを浮かべ、

「さすがに竜も馬鹿じゃないだろ。でも……まあ、そうなったら責任持って、オレが対処する」

「……どうしてリコちゃんは、そうやって面倒ごとを増やすのかなー……」

 そう口にしておきながらも、ウカは知っていた。名うての仕事人「《アラカワ》の黒い妖犬ヘルハウンド」は、案外義理と情に弱い。仕事のためには手も汚すが、ぎやくしゆは皆目ない。

「なんだよー、そもそもウカだって竜を狩ってこいってオレをけしかけたじゃん。それともあれか? 帰ってくるのがちょっと遅くなっただけで、本当に心配になっちゃったのかなー?」

「それは……」

「そうかそうか、オレが死ぬのがそんなに嫌だったかー」

 リコがにやりと笑うと、ウカはふいっと目をそらす。

「もー、知らないっ」

 しかし、膨れ顔を見せながら、やはり内心のあんをウカはどこかで感じてしまう。だから今日は素直に、思いを口にした。

「……でも、リコちゃんが無事でよかった。お疲れ様」

「ああ、ほんと大仕事だったよ。ウカも遅くまで待っててくれてありがとな」

「……うん」

「よーし! とにもかくにも腹が減ったな。ご飯、余ってる?」

「もちろん。座って待ってて。すぐに出来上がるから」

 ここからは料理人ウカの領分である。

 ちゆうぼうに入ってすぐ、彼女が手に取ったのは渡り竜の竜田揚げ。実はこっそり味見用に、用意しておいたのだった。もも肉をブロック状に切り分けて、下味は塩、しよう、紹興酒、それから五香粉とかたくりをまぶして高温でさっと揚げたもの。軽い食感のうすごろもまとっているが、揚げあがりからはしばらくっているので、冷めてしまっている。だからこその、一工夫。ウカは中華鍋に油を回し、唐辛子とにんにく、しようを軽くいためた。それぞれの香りが立ったら、竜田揚げを投入。しよう、みりん、テンメンジヤンからめて、一気にいため上げる。仕上げに油を少々と、煎りをまぶし、一品目の完成。

「はい、渡り竜の中華風甘辛いため!」

 リコは冷蔵庫から瓶ビールNEO青島を取り出し、ラッパ飲み。酒のせいで招いた今日の苦労はどこへやら、疲れた体に冷えた刺激がわたる。そして、「いただきまーす!」と、早速パクリ。

「~~~~~っ!」

 声にならぬ、歓喜のうま火傷やけどをつゆとも恐れずに、ただ爆発的にかきたてられた食欲に身を委ねる。勢い込んで肉を頰張ると、ガツンと口に広がる濃い目の味付け。しようやにんにくの香りの中に、決して劣らぬ肉の風味が舌をつかんで離さない。ナッツのような香ばしさと程よくにじた脂の甘みが混ざり合い、牛肉とも異なる深みがあった。一発ノックアウトのUMAMIがリコの口内で躍っている。

「くぅーっ! たまらん!」

 ビールとの相性も抜群である。最高級の肉を、こうもジャンクに味わってしまう、そんな背徳感が美味おいしさに拍車をかけていた。

 そんなリコの様子を満足げに見ながら、ウカは次の一品へ。これも下準備は出来ている。血が回ってしまった具合の悪い部位はにくにして食べればいい。玉ねぎと一緒に肉をいためたら、そこに加えるのはほんのわずかに残されていた二百年物の黄ワイン。バター、牛乳と一緒に軽く煮ると、たちまち得も言われぬ香りが膨らんでゆく。ウカはその間にアスパラガスのかわき。全長三メートルにもなる竹のような24世紀のアスパラガスも、春の新芽は柔らかい。大きめに切って竜の皮下脂肪を溶かした熱湯で軽くでたら、冷めないうちににくのソースを回しかける。

「アスパラガスと渡り竜で作ったヴァン・ジョーヌソースがけだよ」

「……ヴァン・ジョーヌ?」

「リコちゃんが昨日ラッパ飲みした黄ワインのこと。大戦前の第六実験大陸ルトゥム……ヨーロッパって呼ばれたところのワインの一つなの。元々、料理にも使われていたんだよ」

 では、果たしてそのお味は。

 リコは最初にソースだけ、ぺろりと試しにめてみる。

「……くふぅ」

 奇妙な溜め息と共に、ぴくりと震えるリコの耳。竜と死闘を繰り広げた用心棒とは思えぬほど、甘美にだらけた顔がそこにあった。

 リコの口を支配していたのは、驚くほど濃厚で、しかし上品なクリームソース。先に食べた肉と同じ材料だとは到底思えない、落ち着いた味わいだった。アスパラガスと一緒に食べると、野菜のみずみずしい汁気にとろりとしたソースがよくからむ。あれほどの強いうまを持っていた渡り竜が、ここでは見事な引き立て役。歯ごたえのあるしっかりとした肉感を残しながらも、豊かな風味はソースに溶け出し、全体の調和に貢献していた。

「……なんていうか、おいしさが洪水状態だ」

「あはは、なにそれ。……でも、これはまだ熟成が足りないから、結構あっさりしている方だと思うよ。立て続けに食べる分には、丁度いいかもしれないけどね」

「確かにこれなら飽きないもんなあ」

「とりあえず、次の一品で今日の渡り竜はおしまいだけど、もしも足りなかったら言ってね。普通のメニューだったら、まだ用意できるから」

「りょうかーい」

 美味おいしいものは空腹なうちに。それもまた《らんどう》の鉄則である。

 ウカはそれから酒蒸しにしておいた渡り竜の翼の肉を取り出した。最初は筋っぽいかと思っていたが、火を通すとゼラチン質が溶けてふっくらとしている。塩と酒を小鍋でひと煮立ちさせ、細かく手で裂いた肉をいれる。余っていた竜の卵を溶いて鍋に回し入れ、蓋をして三十秒。どんぶりにたっぷり盛った白米の上に、半熟の卵とじを乗せれば完成である。つやっつやの黄金色が、まぶしいほどに食欲を誘う。

「はーい、渡り竜の塩親子丼!」

「……親子を助けたオレに、それを食わせるのか」

「助かる命もあれば、助からない命もある。大切なのは、ちゃんといただくということです」

「でもなあ……」

「カクタスさんから聞いたけど、渡り竜って工場の護衛とかを食べてたんでしょー? その肉を食べてるってことは──」

「うわー! やめろっ! 考えないようにしてたんだから!」

「でも、どんな生き物だって、何かの命を食べてるんだもん。大昔は人間だけが好き勝手に他の生き物を食べていたけど、今はそうじゃない。人が何かに食べられることだってある。それは自然な形に戻っただけだよ」

「……そりゃそうだけどな」

「ほら、冷めちゃうから食べて!」

 往々にして天使とは、生を祝う者であり、死と隣り合う者でもある。PACによりほとんど不死身になったリコにとって、食を愛し、命を尊ぶウカはしばしば忘れかけていた死を思い出させた。しかしそれゆえに、飯は美味おいしく、単なる栄養補塡行為以上の意味を持ちうるのだろう。

 リコは沢山の白米と共に、熱々の卵と肉を頰張った。

「はふぅっ」

 熱々の湯気に、ちょっとだけむせる。でも、そこに混じる香りが既にたまらない。

 シンプルな味付けだからこそ、シンプルにうまいのである。部位が異なるからなのか、竜の肉から香るのはほのかな青草の風味。薬味を乗せていないのに、そこには確かな春のかぐわしさがあった。ぱくぱく、はふぅ、ぱくぱくぱく。箸は全く止まる様子を見せない。

「これは、いくらでも食えるっ……!」

「それはよかった」

 テーブルの上に並んだ渡り竜の三品。ウカは気持ちのい食べっぷりを見せる同居人を見つめながら、ふと遠雷にも似たかすかなとどろきをに感じる。とはいえ、高窓からのぞく夜空には、もはや雲一つ見当たらない。

 ただ一瞬、がビルの谷間を横切ったような気がした。

「まさか、ね……」

 それからいくら耳を澄ましても、ほうこうのような響きはついぞ聞こえることがなかった。



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