【1巻/第二話】竜と親子と不老不死 その5
5
いつのまにか雨雲が去り、澄み切っていた夜空では、林立する
日付が変わり、《
その真ん中で金髪の天使は一人、気を
なぜなら同居人が帰ってこない。
何時間も前に竜の肉を持ち込んできたカクタス
それほどリコは怒っているのだろうか。いや、仮に怒っていたとしても、《
もう一度、カクタスさんに聞いてみよう──そう思ってウカが席を立ちあがった、その時だった。食堂の扉が開き、薄暗がりの入り口から現れたのは、全身から血を流す傷だらけの同居人。
「──リコちゃん!」
ウカは駆け寄り、服が汚れるのも構わずにリコを抱きしめた。その様子に苦笑しながら、しかし温かな天使の抱擁に、ウカの頰も自然と緩む。
「……ただいま。さすがにまだ、オレの墓は作ってないだろ?」
「作ってるわけないよ! いつまで
ウカは潤んだ声を無理やり押しとどめ、それよりも
「今の今まで、どこにいたの? こんなに汚れていたのなら、カクタスさんと一緒に帰ってくればよかったのに」
「あー、いや……そうじゃないんだよ。これは別に仕事で出来た汚れじゃない」
「……え? どういうこと?」
「ちょっと引っ越しを手伝ってた」
事の
渡り竜を気絶させ、あとはとどめをさすばかりとなった時、不意に現れた幼き竜。どうしても親を殺すことに
「……そっか。だからカクタスさんが持ってきた肉に、内臓とか頭がなかったんだ。足とか翼ばかりで、てっきりお肉が食べたいカクタスさんのチョイスかと思った」
「あいつだったら、子竜を丸焼きにして全部食ってるよ」
「……それはそうかも」
容易に想像できる、クラーケンの捕食姿。今日も肉を持ってきて早速味見を望んでいたが、ウカが熟成させるべきだと断ると、
「でも、もしも親子が工場に戻ってきたらどうするの?」
ウカが尋ねると、リコは困ったような、しかしどこかふっきれた笑みを浮かべ、
「さすがに竜も馬鹿じゃないだろ。でも……まあ、そうなったら責任持って、オレが対処する」
「……どうしてリコちゃんは、そうやって面倒ごとを増やすのかなー……」
そう口にしておきながらも、ウカは知っていた。名うての仕事人「《アラカワ》の
「なんだよー、そもそもウカだって竜を狩ってこいってオレをけしかけたじゃん。それともあれか? 帰ってくるのがちょっと遅くなっただけで、本当に心配になっちゃったのかなー?」
「それは……」
「そうかそうか、オレが死ぬのがそんなに嫌だったかー」
リコがにやりと笑うと、ウカはふいっと目をそらす。
「もー、知らないっ」
しかし、膨れ顔を見せながら、やはり内心の
「……でも、リコちゃんが無事でよかった。お疲れ様」
「ああ、ほんと大仕事だったよ。ウカも遅くまで待っててくれてありがとな」
「……うん」
「よーし! とにもかくにも腹が減ったな。ご飯、余ってる?」
「もちろん。座って待ってて。すぐに出来上がるから」
ここからは料理人ウカの領分である。
「はい、渡り竜の中華風甘辛
リコは冷蔵庫から
「~~~~~っ!」
声にならぬ、歓喜の
「くぅーっ! たまらん!」
ビールとの相性も抜群である。最高級の肉を、こうもジャンクに味わってしまう、そんな背徳感が
そんなリコの様子を満足げに見ながら、ウカは次の一品へ。これも下準備は出来ている。血が回ってしまった具合の悪い部位は
「アスパラガスと渡り竜で作ったヴァン・ジョーヌソースがけだよ」
「……ヴァン・ジョーヌ?」
「リコちゃんが昨日ラッパ飲みした黄ワインのこと。大戦前の第六実験大陸ルトゥム……ヨーロッパって呼ばれたところのワインの一つなの。元々、料理にも使われていたんだよ」
では、果たしてそのお味は。
リコは最初にソースだけ、ぺろりと試しに
「……くふぅ」
奇妙な溜め息と共に、ぴくりと震えるリコの耳。竜と死闘を繰り広げた用心棒とは思えぬほど、甘美にだらけた顔がそこにあった。
リコの口を支配していたのは、驚くほど濃厚で、しかし上品なクリームソース。先に食べた肉と同じ材料だとは到底思えない、落ち着いた味わいだった。アスパラガスと一緒に食べると、野菜の
「……なんていうか、おいしさが洪水状態だ」
「あはは、なにそれ。……でも、これはまだ熟成が足りないから、結構あっさりしている方だと思うよ。立て続けに食べる分には、丁度いいかもしれないけどね」
「確かにこれなら飽きないもんなあ」
「とりあえず、次の一品で今日の渡り竜はおしまいだけど、もしも足りなかったら言ってね。普通のメニューだったら、まだ用意できるから」
「りょうかーい」
ウカはそれから酒蒸しにしておいた渡り竜の翼の肉を取り出した。最初は筋っぽいかと思っていたが、火を通すとゼラチン質が溶けてふっくらとしている。塩と酒を小鍋でひと煮立ちさせ、細かく手で裂いた肉をいれる。余っていた竜の卵を溶いて鍋に回し入れ、蓋をして三十秒。どんぶりにたっぷり盛った白米の上に、半熟の卵とじを乗せれば完成である。つやっつやの黄金色が、
「はーい、渡り竜の塩親子丼!」
「……親子を助けたオレに、それを食わせるのか」
「助かる命もあれば、助からない命もある。大切なのは、ちゃんといただくということです」
「でもなあ……」
「カクタスさんから聞いたけど、渡り竜って工場の護衛とかを食べてたんでしょー? その肉を食べてるってことは──」
「うわー! やめろっ! 考えないようにしてたんだから!」
「でも、どんな生き物だって、何かの命を食べてるんだもん。大昔は人間だけが好き勝手に他の生き物を食べていたけど、今はそうじゃない。人が何かに食べられることだってある。それは自然な形に戻っただけだよ」
「……そりゃそうだけどな」
「ほら、冷めちゃうから食べて!」
往々にして天使とは、生を祝う者であり、死と隣り合う者でもある。PACによりほとんど不死身になったリコにとって、食を愛し、命を尊ぶウカはしばしば忘れかけていた死を思い出させた。しかしそれゆえに、飯は
リコは沢山の白米と共に、熱々の卵と肉を頰張った。
「はふぅっ」
熱々の湯気に、ちょっとだけむせる。でも、そこに混じる香りが既にたまらない。
シンプルな味付けだからこそ、シンプルに
「これは、いくらでも食えるっ……!」
「それはよかった」
テーブルの上に並んだ渡り竜の三品。ウカは気持ちの
ただ一瞬、大きな鳥のような影がビルの谷間を横切ったような気がした。
「まさか、ね……」
それからいくら耳を澄ましても、
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