【1巻/第二話】竜と親子と不老不死 その4
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態勢を立て直される前に次の手を打たなければ。そう考えたリコはすかさず竜に向かって木刀を突き出した。山勘だが、大きな鳥だと思えば心臓の位置は予想ができる。そこにめがけて直突き、それからねじるようにして引き抜く。
どっと温かい血潮が噴き出し、竜は叫んだ。
が、倒れない。
「どうなってんだよ! 化け物か!」
どうして心臓を潰されても、この竜は倒れないのか。
リコの脳裏にふとよぎったのは、恐竜の一種であるトビトカゲを
『──いい、リコちゃん。翼竜を殺した時は、首と背中、二か所で血抜きしないとダメだからね。翼竜は心臓が二つあって、全身に血液を送るものが胸に、翼に送る専用の心臓が背中にあるの。首だけで血を抜いても、背中の方に血が
「……『血抜きだけは忘れるな』って、そういうことかよ」
渡り竜はトビトカゲの数十倍の大きさである。心臓が二つ、あるいは三つあってもおかしくない。一個潰しただけでは、どうにもならないということか。
リコが慌てて距離を取ろうとも、既に手遅れ。その場で旋回した竜の翼が、一瞬でリコの
「──っ!」
ぼとり、とリコの右腕が落ちる。首を
しかし彼女は「《アラカワ》の
それは単に彼女が
どんな死地からも舞い戻る猟犬。ただ一人、死から逃れる者だからこその異名である。
「くそっ!」
リコは転がるようにして距離をとり、自らの腕を拾い上げると走り出した。
すると、早くも血中に眠っていたPACが機能し始める。砕けた骨が作られ、肉や血管が
とはいえ、PACに代償がないわけではない。
急速な再生は
手持ちの道具と言えば、木刀一本、PACが三つ、痛覚ドラッグのシリンジには予備があり、それから毒薬のテトロドトキシンも。……もちろん死にたくはないが、毒を使って倒せば肉は食えなくなる。それは最後の手段だろう。
「──」
ふと息を止めるリコ。
竜の足音が聞こえたのである。目を閉じ、聴覚と嗅覚に意識を向ける。
右斜め後ろ二十五メートル、
それから
おそらく
「ふーっ」
竜が遠ざかったのを確認して、リコはようやく息を吐き出した。そしてインカムが通信をキャッチしていたので、とりあえず
「おい、大丈夫か? 随分てこずってるようだな」
カクタスの言葉に交じる、くちゃくちゃという
「こっちは殺されかけてるってのに、
「腹減ってんだから、しょうがねえだろ。で、どうだい首尾は」
「最悪」
「さっきはもう勝ったみたいなこと言ってたじゃねえか」
「……見くびってたよ。渡り竜とやり合うのはオレも初めてなんだ。こんな馬鹿みたいにしぶといやつだとは思ってなかった」
「んだよ、竜が強いなんて当たり前だろう」
「知った風な口を
カクタスと
「で、なんか策は!」
「策?」
「……何のための通信なんだよ、これは。オレはお前と雑談するためにインカム付けてんのか?」
「そりゃそうだろ。実況中継でもしてくれりゃあ、暇つぶ──」
ぶつっ、と通信を切り、リコは必死にインカムを潰そうとする自分の手を止める。しかし、
「……なんの用だよ。今度ふざけたことぬかしたら、ただじゃおかないぞ」
しかしインカムの向こうから返ってきたのは
「うわー、こわーい」
「え」
「わたし、まだ何も言ってないのに。そんな言い方されたら、ちょっと傷ついちゃうな……」
「ちょ、ちょ、ウカか? ウカだよな?」
「……同居人の声も分からないの?」
「いやいやいや、なんでウカの声がオレのインカムに入ってくんだよ!」
「え? それは、カクタスさんの車の内蔵コンポにアクセスして、コンバーター代わりに通信衛星からの──」
「いい! やっぱいい! オレはそんな説明が聞きたいんじゃない! どうして連絡を取ってきたかって話だよ!」
「それは、ほら、仕事の内容はカクタスさんから聞いていたし、実況中継でもしてくれたら、暇つぶしになるんじゃないかなーって」
「……」
「冗談だってば」
「そうじゃなかったら、本当にインカム握り潰してたところだ」
「ごめんね、ちょっと盗聴してたの。早い話、手詰まりなんだよね?」
「そうだよ。何かアドバイスは?」
「血抜きは──」
「それはいい。心臓を一個潰してもぴんぴんしてる」
「えっ、潰しちゃったの? そんなことしたら血がお肉に回っちゃうよ!」
「もう遅い。というか、もっと早く言ってくれ」
「……うーん……あまりに生臭くなったら、メニュー変更かなー……あえて血で煮込むってのも悪くはないけど……」
「おーい、ウカさーん、聞いてるかー」
「え、なに?」
「ア、ド、バ、イ、ス、だよ! このままだと、そもそも肉自体にありつけないからな!」
「大丈夫だよ。いざとなったら、朝教えたドラゴン・スープレッ──」
切断。
深い、深い
「どいつもこいつも、ふざけてやがる……」
リコは絶えず遠方の物音に意識を向けており、竜が戻ってこないかという焦燥感に神経が焼き切れそうになっていた。どうしてこう、オレは振り回されてばかりなのかと内心悪態を吐いていると、三度インカムに通信が入る。
リコは迷いに迷った挙句、仕方なく接続した。すると聞こえる、相変わらず
「ごめんね、ごめんね。冗談に決まってるでしょ? そんなに怒らないで」
「時と場合をわきまえろ。こっちは命かかってんだぞ……」
反省したのかしていないのか、よくわからぬまま「そういえばね」と切り出したウカの口調は、打って変わって真剣なもの。リコはなんとか
「竜狩りの商人に聞いたことがあるんだけど、基本的に渡り竜は
「脳みそはだめってことか」
「そう。ただ、唯一可能性があるとすれば、首」
「……首?
「普段は通らないんだけど、体温が一定以上になると放熱のために
「体温ってことは……つまり……」
「PACってこと」
自然の
ただし、相手は渡り竜。その熱処理スペックは文字通りモンスター級であろう。
「……何回殺せばいいんだろうな……」
「それは、死ぬまでじゃないかな?」
だよなあ、と
「料理の準備して待ってろよ、ウカ!」
「うん、リコちゃん、ファイト!」
元気な声援を聞き取ったリコはインカムの接続を切り、廊下に飛び出した──……
──その二時間後。
「まーだ死なねえのか! このクソデカドラゴンめ!」
「……なんなんだよ、ほんと……腹減った………」
ただし気づけば周囲には渡り竜の足やら翼やら、切り飛ばされた肉がごろごろと転がっている。
「……」
いやいや、駄目だろう。さすがにそれはアウトだろう。「PACで再生したばかりなら、世界で一番
あるいは、工場のどこかに放置されている違法オイル・バー。……匂いをたどれば見つけられる。ただカクタスの言葉を信じるとすると、それは毒入りの可能性が高い。「そんな危険なものを食べるなんて許しません!」と天使が叫び、「一日に二本もオイル・バーなんて食いたくねぇ!」と悪魔まで拒否する始末。この案も却下である。
リコは唇を
「第三ラウンド、いくぞ!」
──また二時間後。
「……」
さすがに虚勢を張る元気もない。延々と動き続け、食べ続け、リコの体温は既に四十度を超していた。心なしか、体表面から立ち上る熱気に、彼女の周囲が
だが
すらりと伸びた竜の首。大人の腰回りはあるかと思われるその太い幹を
「──」
リコはその瞬間を見逃さない。壁を蹴って飛び上がり、翼の一撃を
「──って、切れねえよっ!」
さすがにリコも燃料切れ。元々木刀で肉を断っていたのは、
──ギュエエエエエエエエ!
竜が
リコはなんとか木刀を握りしめ、首にしがみつくしかない。開いた
痛覚ドラッグ。
神経伝達物質は人類も恐竜もおそらく同じ。増幅された痛みで動きが鈍るのではないか。
「こうなったら、イチかバチかだ!」
思い至れば迷わず実行。
ぴたり、と竜の動きが止まる。
一瞬、リコは毒と間違えたかと
リコは勝機を逃すまいと、
バランスを崩した竜は、頭からブリッジになるようにして地面に叩きつけられる。
そして、フィニッシュ。
もはや言うまでもあるまい。
これは地球史上初めて、ドラゴンに、ドラゴン・スープレックスが決まった瞬間であった。
「……あー、疲れた……」
竜の下敷きにされぬよう、間一髪
が、木刀を抜きとり、改めて振り上げたその時だった。
キュエエエエエ。キュエエエエエ。
単純な話である。
渡り竜もまた、敏感になった聴覚によって、この鳴き声を聞き取ったのではないか。我が子の声に、一瞬、気を引かれてしまったのだ。
廊下の奥からひょこりと顔を出した、幼い竜。……いや、羽が硬化し
リコは当然の理屈に思い至った。渡り竜は繁殖のためにやってくるのだ。となれば、既に子供がいてもおかしくない。根城に居座るということは、ここに巣があるということ。
「そりゃそうだよなあ……」
いまだ人という脅威を知らぬのか、幼竜はぺたぺたとリコの方に近づいてくると、
そんな折に、カクタスからの通信が入る。
「どうだ、いい加減終わったか」
「……終わったよ」
「ちゃんととどめを刺したんだろうな? もういい加減、待つのも飽きたぞ」
「……」
リコは自らの手に握られた木刀と、断ち切るべき竜の首を見比べる。しかしその間に、くりくりとした幼竜の瞳が割って入ると、
「カクタス、あんた、竜を食いたいんだよな」
「そりゃこの季節だけの珍味だからな。……おいおい、まさか独り占めする気か? 俺の誕生祝ってことで、いいんだろう?」
「ああ……」
カクタスはリコの上司であり、そして育ての親であった。
己の親への手土産に、幼竜の親を殺さねばならない。
そもそもこの世は弱肉強食。PACによって激化した生物間の闘争は、誰に対しても平等に訪れる。リコが殺されれば幼竜の餌となっていたのだから、その逆もまた自然の理。
ウカだって、渡り竜の肉を楽しみにしてたしなあ……。
リコはふっと小さく息を吐き出すと、幼竜に向かってこう
「……悪いな。オレもこれで生きてんだよ」
静まり切った
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