【1巻/第一話】鋼の蜘蛛と《伽藍堂》 その2

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 第三実験都市スコピュルス、旧称──東京。かつて日本という国家が存在した頃は、二十三区画に分かたれていたこの街も、現在十八区。リコたちが暮らす《アラカワ》の北を流れる巨大河川《アラカワ・リバー》の向こう側はうつそうたるジャングルにまれ、目下、野獣の街となっていた。《アダチ》、《カツシカ》、《エドガワ》は百年前に魔境と化したのだ。

 しかし、人間がかろうじて生き延びた他の区画も、自然の脅威とは常に隣り合わせ。大戦直前までに積み上げられた高層建築物は、今や巨木とぼうぼうたる下草に侵され、まるで緑の絵具えのぐをぶちまけたかのような、縦横無尽の枝葉に覆われている。

 人々が歩き回れるのは、かろうじて自然に侵食されていないはいきよビル群の内部か、鉄条網の屋根が取り付けられた屋外市場である。《アラカワ》の市場は比較的治安がいが、スコピュルスの地上が無法者の世界であることはやはり同じ。見せかけの平穏さを気取っていながら、一般市民も犯罪者も、皆がいつもピリピリしている。

 そんな中を、異様な二人がかつしていた。

 かたや、漆黒のロングスカートとエプロンに身を包んだ小さなメイドである。

 朝の怒りはどこ吹く風と、一歩《らんどう》から外に出れば、完全無欠のたたずまい。ウカの名を知る者も知らぬ者も、ついつい彼女を見つめてしまう。まるで魔法にかけられたかのように、辺り一面がうっとりとした空気にまれるのである。

 されど、彼女に近づく者がいないのは、隣を歩く用心棒のせいに違いない。

 肩までざっくりしのノースリーブ戦闘服は、極薄のカーボンナノチユーブ素材で作られたオーダーメイド。なまくらな刃では傷一つ付けられない。その上腰には、一本の木刀である。あなどるなかれ、彼女こそが《アラカワ》の誇る狂犬。黒髪の木刀娘といえば、《らんどう》のリコ、またの名を「《アラカワ》の黒い妖犬ヘルハウンド」。この辺りで彼女を知らないやつはモグリに違いなかった。

 ただ、今日は犬というより、ロバである。両手にいっぱいの荷物を持ち、背中には巨大な籠。そこにもはみ出さんばかりの食材が入っている。

「……な、なあ……まだ買うのか……?」

 さすがの用心棒も、積載重量百キロの荷物には骨が折れる。いや、文字通りそのきやしや身体からだは今にも折れるのではないかと思われるほど。遺伝子操作によるミトコンドリア強化体でなければ、とうにへばっていたことだろう。

 しかし、ウカは足を速めるでもなく、周囲の屋台に目を配る。金属部品のジャンク屋から、出所不明の人工臓器、時折食料を売るYAOYAやMATAGIの店もあるが、昼も近い頃合いには、どこもかしこも店じまいを始めていた。

「目的のものは手に入ったけど、まだリコちゃんが余裕ありそうだから。何かないかなって」

「いやいや! これ見ろよ! 重いよ! すげえ重いよ!」

「ほら、そんなに叫べるんだから、まだまだ元気だよ」

「空元気だよっ! 黙ったら死にそうなんだよっ!」

「でも……わたし、重たいものを持つとすぐに身体からだを壊しちゃうから……」

「いつもちゆうぼうで、どでかい鍋を運んでるだろうが!」

 こんなやり取りは今に始まったことではないので、リコもすぐに諦める。《アラカワ》の中央市場の端は目と鼻の先。あと少しで、まっすぐ帰路に着ける──と、思ったその矢先。

「あ、ちょっと待って」

 ウカが足を止めたのは、片付けをしていた行商の店だった。市場の周縁部は基本的に持ち場を持たない行商人が寄り集まる。主人らしき頰のこけた男の背後には、移動用の背負子しよいこに無数の道具が積まれており、随分な長旅をしてきたように見えた。背負子しよいこの屋根代わりに乗っているのは巨大な魚の頭骨である。大方、漁師か乾物屋なのだろう。

「すみません、ちょっといいですか?」

 ウカが声をかけると、店主ははっと顔を上げ、すぐさま申し訳なさそうに頭をかいた。

「あー、悪いけど、この通り今日の売り物は全部はけちゃって……」

 道端に広げられたしきには確かに何も載っていない。しかし、ウカが指差したのは、背負子しよいこの脇にるされた網である。その中には滑らかな流線形の装甲らしきものが見える。

「それは、売り物じゃないんですか?」

「あれ? お客さん、HAWを知ってるの?」

うわさに聞いたことがあって……もしよければ、売っていただけませんか?」

「いやいや、もうあげるよ。もらってくれるなら、こっちとしてもありがたいし。ここじゃ全然買い手がつかなくてさ。一匹も売れないから、端から諦めていたんだ」

 店主は網を取り外し、どさりとリコの前に置く。よく見れば、中に入っていたのは中型犬ほどの大きさのロボットで、形は蜘蛛くもによく似ている。全面が炭素繊維のよろいに覆われていた。

「タダでいいんですか? わー、ありがとうございますっ! 本当にうれしいなー!」

 ウカが外向けの作り声と見事な笑顔で礼を告げる一方、リコの眉間にはますます深いしわが刻まれた。ウカがロボット入りの網を手渡そうとすると、リコは静かに首を振る。

「……待て、ウカ」

「なあに?」

「《らんどう》の食材のためなら、百歩譲っていいけどさ。さすがにガラクタは別の話だ」

「……」

「ウカの趣味が機械いじりだってことは知ってる。別に何を買おうが自由だ。でもさ、この買い出しは《らんどう》の仕事なんだ。公私混同っていう言葉、知ってるか?」

 リコは珍しく真剣な顔つきでウカを見つめた。同居を始めて丸一年。仲良くやっているつもりではあるが、締める時は締めなければ。親しき仲にも礼儀あり、心安きは不和の基、である。

 しかし、ウカは「え?」と首をかしげて、問い返す。

「リコちゃん、何言ってるの?」

「……だから、いい加減冗談は冗談としてわきまえて」

「だって、これ、食材だよ? 《らんどう》の食材なら、持ってくれるんでしょう?」

「はあああああ? いや、見るからに機械じゃん。ロボットじゃん。こんなの食うやつどこにいるんだよ! 全身機械の機工体だって、ネジを食うやつはいないだろ!」

「でも、情報プランクトンとか、マイクロマシンは機工体の人にも人気で──」

「そうじゃなくて! 少なくとも、《らんどう》の客は人間だし!」

「だから、そもそもこれは人間用だよ。食べるのは中身だもの」

「……中身?」

「もちろん、電子基板って意味じゃないよ。このHAWっていうのは、バイオロイドなの。中の筋肉は蜘蛛くもの遺伝子から作られた人工筋肉で、結構おいしいんだって」

「……バイオ、ロイド……」

 予想外の単語にリコの思考が停止する。しかし、ウカは台本でも用意していたかのような滑らかさで解説を始めた。

「正式名称はHoming Arachnoid Weapons、そうせい蜘蛛くもがたへいってことね。第四次世界大戦中、各地で使われた陸戦小型戦車の一つなの。一年間の内蔵電池で動くんだけれど、この季節になると自分たちの改修ドッグに勝手に帰ってきて、充電するんだって。だから、その前に網を張っておけば、勝手に捕まるって話」

「で、でも……人工筋肉って……」

「装甲で守られているから寄生虫や雑菌も入り込まないし、すごく安全なの。とりあえず、帰ったらお刺身にでもしてみようかな……」

 説明もほどほどに、ウカは早速メニューの勘案を始める。ぜんとするリコは、HAW入りの網をそっと手渡され、もはや拒む暇もない。うそだと言ってくれとばかりに行商人の方を振り向けば、男はとうに姿を消していた。既に太陽は中天近く。市場の人間は帰宅の時間だった。

「ほら、リコちゃん! 早く帰って、ご飯にしようよ!」

 ご機嫌なウカが振り返って、そう叫んだ。残念ながら、結局荷物を分担する気はないらしい。やはり周囲の人々が見とれるようなすがすがしい笑顔に、リコもなんだかんだと流されてしまう。

 ふと、ギュイーン、というモーター音に目をめれば、蜘蛛くもがたロボットがワシャワシャと網の中でうごめいていた。

「……どんだけ新鮮なんだよ……」

 今日の昼ご飯は、採れたてぴちぴちの戦車と決まったわけである。

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