【1巻/第一話】鋼の蜘蛛と《伽藍堂》 その3
3
《
しかし、異様である。作業台の上に転がるのは、紛れもない機械
「まずシンプルに、生と焼きからいこうかな。わたしも食べるのは初めてだから」
「……もう勝手にしてくれ」
「なあに? リコちゃんって甲殻類嫌いなんだっけ?
「いや……そういう問題じゃないんだよ……」
ウカはHAWの頭部と脚の間にドライバーを差し込み、器用にネジを外していく。三つの留め金を外し、慎重に脚を引き抜くと、制御系と筋肉を
「……もはや調理現場に見えないんだけど……スクラップ工場と同じ悪臭がするし……」
「そうかなー? 普通の動物とか魚を解体する方が、よっぽど臭いと思うよ」
「……なあなあ、ウカ、これって本当に安全なのか? こいつら、一応戦車の端くれなんだろ?」
「大丈夫だって。HAWが搭載してるのは7.62㎜弾の機関銃だけで──」
──ババババババババッ!
「……」
「……」
からんからんと響く
「……てへへ、うっかり☆」
「……っざけんなっ! 銃口の向き次第じゃ、オレは今頃ハチの巣だったぞ!」
「結果オーライだよ、リコちゃん! 過去にとらわれないで!」
「あのなー!」
不慮の事故もなんのその、こめかみを震えさせる同居人を無視して、ウカはそれでも調理を再開。真面目な顔を取り繕うと、ドライバーを握る。
「加熱時に悪臭の原因になるから、樹脂系のパーツは
解体された
「人工筋肉は
半透明の白い筋肉が、装甲からつるりと現れる。薄皮を剝がすと、生の
「はい、小型戦車のお刺身だよっ!」
「……名前をどうにかしてくれ」
「じゃあ、
「やめろ。オレが悪かった」
ウカ
「き、気持ち悪すぎる……これ、本当に食えるのか……?」
「筋肉に残っていた
電子回路が
「い、いただきますっ!」
そして、ぱくり。
「……」
「……どう?」
「……あ」
「あ?」
「……甘い……」
なるほど、エビとは言いえて妙である。ミネラル分を多く含んだ、軽い
ぱく。もぎゅもぎゅ。ぱく、ぱく。もぎゅもぎゅもぎゅ。
「ほら、
したり顔のウカに、リコは何も言い返せない。あれだけ頭が拒否していた機械の肉を、疲れた
しかしウカは、刺身が平らげられる前に
「はい、戦車のアジア風カルパッチョ」
今度はリコも
「すごい! 軽く火が入ると、案外あっさりするんだな! うますぎるっ!」
海産物に近い風味はあれど、かといってそれほど潮の味がするわけではない。その個性の弱さを補うように、香りの強い味付けと合わせると、シンプルなHAWの味わいが引き立つのである。春に旬を迎えた夏みかんの酸味も絶妙だった。
「じゃあ、次は完全に火の入ったものね」
そう言ってウカが取り出したのは、先ほどオーブンに入れておいた脚である。火を通せば赤くなるというわけでもなく、見た目ではほとんど変わりない。
「……これ、中まで火が通ってるのか? 装甲だって焦げてないし」
「あのね、リコちゃん。炭素繊維は燃えにくい素材なの。それでいて、伝熱性が非常に高いんだよ? 火は簡単に通るよ」
「熱に弱いのに、戦争に使われてたのかよ」
「まあ、うん、HAWはバイオロイドだから、寒すぎるのも暑すぎるのも苦手なの」
「駄目じゃん」
「戦場の歩くご
「まあ、網を置いときゃとれるんだから、いい食糧だよな。……でも、どうして絶滅してないんだ? こんなにおいしいのに」
「うーん、やっぱり気持ち悪いんじゃないかな? 見た目が」
「おい」
そうこうするうちに、手袋をはめたウカは装甲から肉を
「……あひゅい」
「よく火が通るよって言ったのに。お味は?」
「うーん、ちょっと肉がパサつくかなあ。
「なるほどねー。グラタンとかに入れたら合うかも」
「……作ってくれないの?」
「残念だけどお肉以外の材料があんまりないの。お店の分だけ」
むーっ、と
「ちょっと待っててね」
中華鍋に
「どうかな? 戦車肉の戦車あんかけだよ」
「やっぱり、店で出す場合、名前は後で考えような……」
そう言いつつ、あんを
生来の猫舌もなんのその、はふはふと熱い吐息を漏らしながら、リコは食べる。まだまだ食べる。大皿一品が、たちまち胃袋の中に消えていく。
「うまいっ、めっちゃうまいっ!」
火が通り過ぎて水気を失っていた肉も、あんかけにすれば大逆転。濃厚な甘みがあんに溶け込み、肉とほどよく混ざり合う。
これなら何皿でもおかわりできそうだ、と思いつつ、不意にリコの手が止まったのは、目の前でじっと自分を見つめるウカに気付いたから。彼女はリコの食いっぷりに至極満足そうだったが、やはり
「ほら、ウカも食べなって」
「え、いいよ! 自分で食べられるし!」
「いいから、ほら、早く! 熱いうちが
「……分かったよー……」
カウンター越しにウカは背伸びをする。リコが差し出した一切れをぱくりと食べると、つぶらな瞳が見開かれた。
「な? すっごく
「……」
「……あれ? そうでもないか?」
「……おいしいけど……」
むぐむぐと口を動かすウカの眉間には、それでも小さな
「……また、わたしのこと子供扱いしてる」
「してないって。単純に、ウカの顔に『食べたいよー』って書いてあったんだ」
「もー、リコちゃんと一緒にしないでっ!」
ウカはやにわにリコから皿をひったくると、猛烈な勢いであんかけ肉を食べてしまう。不意を突かれたリコは口をあんぐりと開け、肉が消えていく様を見つめるばかり。
「あーっ! オレの戦車肉、全部食いやがった!」
「独り占めしてるリコちゃんが悪いんだもん!」
「んだよ、やっぱり食いたかったんじゃん! ったく、ウカは素直じゃないなあ」
「はいはい、そーですよーだ! わたしは素直じゃないし、子供っぽいですよーだ! でも、リコちゃんの方がもっと子供っぽいんだからね!」
「なんだとー! オレのどこが子供っぽいんだよ!」
「見たらわかるもん! ほら! 今だって、ほっぺをあんで汚してるし!」
ウカの指さす右頰を、リコは手でぬぐい取る。きまりが悪そうに顔をしかめる彼女だったが、すぐさまウカの顔を見つめると、にんまりと満面の笑みを浮かべた。
「ウカだって、汚れてるじゃんか」
「え?
慌ててウカがごしごしと口元をこすった途端、リコが叫ぶ。
「
ウカは新雪のように真っ白な顔を耳の先まで赤に染め上げ、押し黙った。しかし、リコは不意にウカの頭を
「あーあ、うまかったなあ! やっぱ、ウカはすごいよ。何作っても、間違いないもん」
するとますますウカの頰は鮮やかな紅に染まるのだが、彼女はじっとリコを見上げ、それから小さな
「……当たり前でしょ。わたしは《
「うん、そうだな」
「……それに……」
「……それに?」
「……リコちゃんも、重たい荷物運んでくれて……ありがと」
「ま、オレは《
思わずリコの口から
「後片付けはわたしがやっておくから、少しお昼寝したら?」
「うーん……そうする。今日は夜も忙しくなるだろうしな……」
「そうだね、記念すべき新メニューも加わったことだし」
「でも……名前を……考えないと……」
全てを言い終わる前に、リコは机につっぷし、すっかり眠りに入る。その寝顔に柔らかな
同居二年目に突入した、春の昼過ぎ。
穏やかな《
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