【1巻/第一話】鋼の蜘蛛と《伽藍堂》 その3

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らんどう》という名は、元々世紀末に流行した新興宗教の聖堂を利用したことに端を発する。長い間はいきよとなっていたところにリコが住み着き、そこにウカが転がり込んできたのだが、いつの間にやらすっかり食堂として改修が進み、宗教施設としての名残は天井の高いきゆう窿りゆうだけである。隣接されたちゆうぼうはコンロが四つ、シンクが二つ、作業台はベッドほどの広さとなる。重労働の食材運びを終えたリコは、ちゆうぼうまえのカウンターに座り一休み。中ではいよいよウカが蜘蛛くもがたへいの調理にとりかかろうとしていた。

 しかし、異様である。作業台の上に転がるのは、紛れもない機械け。そして調理人の手に握られたのは、包丁ではなく、ペンチとドライバー。

「まずシンプルに、生と焼きからいこうかな。わたしも食べるのは初めてだから」

「……もう勝手にしてくれ」

「なあに? リコちゃんって甲殻類嫌いなんだっけ? うわさによると、エビみたいな味がするらしいけど」

「いや……そういう問題じゃないんだよ……」

 ウカはHAWの頭部と脚の間にドライバーを差し込み、器用にネジを外していく。三つの留め金を外し、慎重に脚を引き抜くと、制御系と筋肉をつなぐ何本もの電子ワイヤーが見える。

「……もはや調理現場に見えないんだけど……スクラップ工場と同じ悪臭がするし……」

「そうかなー? 普通の動物とか魚を解体する方が、よっぽど臭いと思うよ」

「……なあなあ、ウカ、これって本当に安全なのか? こいつら、一応戦車の端くれなんだろ?」

「大丈夫だって。HAWが搭載してるのは7.62㎜弾の機関銃だけで──」


 ──ババババババババッ!


「……」

「……」

 からんからんと響くやつきようと、厨房の床に伸びる弾痕の列。リコがじろりとにらみつけると、ウカは「あはははは……」と乾いた笑いをこぼし、戦車の裏側に取り付けられた機関銃を外した。そして、自身が放ちうる最大限の可愛かわいい微笑を浮かべ、リコにウインク。


「……てへへ、うっかり☆」


「……っざけんなっ! 銃口の向き次第じゃ、オレは今頃ハチの巣だったぞ!」

「結果オーライだよ、リコちゃん! 過去にとらわれないで!」

「あのなー!」

 不慮の事故もなんのその、こめかみを震えさせる同居人を無視して、ウカはそれでも調理を再開。真面目な顔を取り繕うと、ドライバーを握る。

「加熱時に悪臭の原因になるから、樹脂系のパーツはれいに外さないとね。ただ、炭素繊維の装甲は外さないの。このままオーブンに入れて……」

 解体された蜘蛛くも型の脚が、巨大なオーブンに並べられる。火を点けたら、加熱される間にもう一品。ウカは生の脚を一本手に取ると金属切断用のワイヤーカッターを関節の穴に差し込み、じょきじょきと装甲を切り開いていく。

「人工筋肉はよろいの間に丈夫な被膜が張られているから、端っこのけんを切り取って、慎重に引き剝がせば……ほら!」

 半透明の白い筋肉が、装甲からつるりと現れる。薄皮を剝がすと、生のきエビにも似たつややかさがあった。ただ、人間の上腕ほどの大きさのために、それが全くの別物であることは明白。ウカは肉をぐようにして薄切りにして、皿に並べ、リコの前に出す。

「はい、小型戦車のお刺身だよっ!」

「……名前をどうにかしてくれ」

「じゃあ、蜘蛛くもの人工筋肉の」

「やめろ。オレが悪かった」

 ウカいわく、まずは塩を付けて食べた方がよいとのこと。リコは皿の端の小さな一切れを箸で摘まみ上げ、塩をちょこんと付ける。すると、突然、。まるで生き物のように、ビクビクと小さなけいれんを始めた。

「き、気持ち悪すぎる……これ、本当に食えるのか……?」

「筋肉に残っていたATPアデノシン三リン酸と塩が反応しただけだよ。だいじょーぶ!」

 電子回路がしの殻が視界に入るとどうにも口が開かないので、ぎゅっと目をつぶり、気合を入れるようにリコは叫んだ。

「い、いただきますっ!」

 そして、ぱくり。

「……」

「……どう?」

「……あ」

「あ?」

「……甘い……」

 なるほど、エビとは言いえて妙である。ミネラル分を多く含んだ、軽いいその香りと共に、舌の上に広がったのは濃厚な甘み。それでいて、やはり筋肉の弾力がある。もぎゅもぎゅとしやくを続けると、次第に「戦車らしい」独特のコクが見えてくる。

 ぱく。もぎゅもぎゅ。ぱく、ぱく。もぎゅもぎゅもぎゅ。

「ほら、美味おいしいって言ったでしょー?」

 したり顔のウカに、リコは何も言い返せない。あれだけ頭が拒否していた機械の肉を、疲れた身体からだが求めている。もう箸と顎が止まらない。

 しかしウカは、刺身が平らげられる前にちゆうぼうへ皿を引き上げると、その上に松の実と香菜を散らし、熱々のねぎ油を注いだ。じゅっ、という音と共にHAWの肉の表面が縮まり、香ばしい匂いがカウンター越しに流れてくる。千切った夏みかんを散らし、しようを二、三滴たらすと、再び皿はリコの前へ。

「はい、戦車のアジア風カルパッチョ」

 今度はリコも躊躇ためらわない。すぐさま一口放り込むと、「んーっ!」と身体からだを震わせた。

「すごい! 軽く火が入ると、案外あっさりするんだな! うますぎるっ!」

 海産物に近い風味はあれど、かといってそれほど潮の味がするわけではない。その個性の弱さを補うように、香りの強い味付けと合わせると、シンプルなHAWの味わいが引き立つのである。春に旬を迎えた夏みかんの酸味も絶妙だった。

「じゃあ、次は完全に火の入ったものね」

 そう言ってウカが取り出したのは、先ほどオーブンに入れておいた脚である。火を通せば赤くなるというわけでもなく、見た目ではほとんど変わりない。

「……これ、中まで火が通ってるのか? 装甲だって焦げてないし」

「あのね、リコちゃん。炭素繊維は燃えにくい素材なの。それでいて、伝熱性が非常に高いんだよ? 火は簡単に通るよ」

「熱に弱いのに、戦争に使われてたのかよ」

「まあ、うん、HAWはバイオロイドだから、寒すぎるのも暑すぎるのも苦手なの」

「駄目じゃん」

「戦場の歩くごそう、って言われたくらいだもん。大体、HAWの美味おいしい調理法のほとんどは戦時中の兵士が考えだしたんだって。この丸焼きもその一つ。大昔の日記を読んでいたら、偶然見つけたの」

「まあ、網を置いときゃとれるんだから、いい食糧だよな。……でも、どうして絶滅してないんだ? こんなにおいしいのに」

「うーん、やっぱり気持ち悪いんじゃないかな? 見た目が」

「おい」

 そうこうするうちに、手袋をはめたウカは装甲から肉をれいに剝がしとっていた。被膜の中でぷっくりと膨らんだ白身は雪のような純白。リコはとりあえずそのまま、塩もつけずに食べてみた。

「……あひゅい」

「よく火が通るよって言ったのに。お味は?」

「うーん、ちょっと肉がパサつくかなあ。美味おいしいことは間違いないんだけど」

「なるほどねー。グラタンとかに入れたら合うかも」

「……作ってくれないの?」

「残念だけどお肉以外の材料があんまりないの。お店の分だけ」

 むーっ、とほおを膨らませるリコに、ウカはどうしたものかと首をひねる。それからふと思い出したのは、朝ご飯に使った、出し汁の残り。

「ちょっと待っててね」

 中華鍋に出汁だし、ねぎの切れ端を投入して、ほぐしたHAWの肉もまぜる。ふつふつと煮立ったら、市場で買ったばかりの卵で、かき卵に。最後にしおしようで味を調えたら、かたくりでとろみをつける。出来上がったあんを、熱々の内に焼いたHAWの肉の上にたっぷりと回しかけた。

「どうかな? 戦車肉の戦車あんかけだよ」

「やっぱり、店で出す場合、名前は後で考えような……」

 そう言いつつ、あんをからめた焼きHAWを一口頰張った瞬間、リコの全身に電流が走る。無論、肉に滞留していた電気にしびれたわけではない。めちゃくちゃうまいということである。

 生来の猫舌もなんのその、はふはふと熱い吐息を漏らしながら、リコは食べる。まだまだ食べる。大皿一品が、たちまち胃袋の中に消えていく。

「うまいっ、めっちゃうまいっ!」

 火が通り過ぎて水気を失っていた肉も、あんかけにすれば大逆転。濃厚な甘みがあんに溶け込み、肉とほどよく混ざり合う。

 これなら何皿でもおかわりできそうだ、と思いつつ、不意にリコの手が止まったのは、目の前でじっと自分を見つめるウカに気付いたから。彼女はリコの食いっぷりに至極満足そうだったが、やはり美味おいしいものは分かち合ってこそ。リコは一切れを箸で摘まみ、ウカの方に差し出した。

「ほら、ウカも食べなって」

「え、いいよ! 自分で食べられるし!」

「いいから、ほら、早く! 熱いうちが美味おいしいに決まってんだからさ!」

「……分かったよー……」

 カウンター越しにウカは背伸びをする。リコが差し出した一切れをぱくりと食べると、つぶらな瞳が見開かれた。

「な? すっごく美味おいしいだろ?」

「……」

「……あれ? そうでもないか?」

「……おいしいけど……」

 むぐむぐと口を動かすウカの眉間には、それでも小さなしわが一つ。ほんのり桃色に染まった頰は、やはりぷっくりと膨れていた。

「……また、わたしのこと子供扱いしてる」

「してないって。単純に、ウカの顔に『食べたいよー』って書いてあったんだ」

「もー、リコちゃんと一緒にしないでっ!」

 ウカはやにわにリコから皿をひったくると、猛烈な勢いであんかけ肉を食べてしまう。不意を突かれたリコは口をあんぐりと開け、肉が消えていく様を見つめるばかり。

「あーっ! オレの戦車肉、全部食いやがった!」

「独り占めしてるリコちゃんが悪いんだもん!」

「んだよ、やっぱり食いたかったんじゃん! ったく、ウカは素直じゃないなあ」

「はいはい、そーですよーだ! わたしは素直じゃないし、子供っぽいですよーだ! でも、リコちゃんの方がもっと子供っぽいんだからね!」

「なんだとー! オレのどこが子供っぽいんだよ!」

「見たらわかるもん! ほら! 今だって、ほっぺをあんで汚してるし!」

 ウカの指さす右頰を、リコは手でぬぐい取る。きまりが悪そうに顔をしかめる彼女だったが、すぐさまウカの顔を見つめると、にんまりと満面の笑みを浮かべた。

「ウカだって、汚れてるじゃんか」

「え? うそだ、そんなわけ──」

 慌ててウカがごしごしと口元をこすった途端、リコが叫ぶ。

うそでーす! 簡単にひっかかってやんのー!」

 ウカは新雪のように真っ白な顔を耳の先まで赤に染め上げ、押し黙った。しかし、リコは不意にウカの頭をでると、偽りのない笑顔で言う。

「あーあ、うまかったなあ! やっぱ、ウカはすごいよ。何作っても、間違いないもん」

 するとますますウカの頰は鮮やかな紅に染まるのだが、彼女はじっとリコを見上げ、それから小さないきを漏らした。

「……当たり前でしょ。わたしは《らんどう》のコックだもん……」

「うん、そうだな」

「……それに……」

「……それに?」

「……リコちゃんも、重たい荷物運んでくれて……ありがと」

「ま、オレは《らんどう》の雑用だからな。役割分担は必要だ──って、ふわぁ……」

 思わずリコの口かられたのは、大きな大きなあくびである。その様子を見て、ウカはどこかあきれたように、しかし優しげな笑みを浮かべた。

「後片付けはわたしがやっておくから、少しお昼寝したら?」

「うーん……そうする。今日は夜も忙しくなるだろうしな……」

「そうだね、記念すべき新メニューも加わったことだし」

「でも……名前を……考えないと……」

 全てを言い終わる前に、リコは机につっぷし、すっかり眠りに入る。その寝顔に柔らかなまなしを注ぎながら、ウカは音を立てぬよう、静かに片づけを始めた。

 同居二年目に突入した、春の昼過ぎ。

 穏やかな《らんどう》の一幕である。


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