髄筆(内臓系)

ダーク内藤

だれかのための文明/僕らのための知

 僕らの生きるこの文明を一言で表すとしたら、それは「やり過ぎ」なんだろうと思う。衣食住の全てにおいて、需要を超える品々が明らかな地理的偏りをもって供給される。例えば「衣」について言えば、世界の衣料品店の並ぶものだけでこの星の人類は生きていけるだろうし、オシャレに着飾ることだってできるだろう。


 食中毒の企業的責任を逃れるために過剰に投入される保存料や諸々の薬品は、僕らの免疫や脳機能の一部を壊す。この健康被害に対して加害者に当たるのは企業であるとも言えるけど、企業が有するのは二次的な加害性に過ぎない。僕ら市民が、食中毒という現象における自然的関係……つまり、食物は時間的、気候的要素において腐敗を起こすという当たり前の事実……の一切を忘却して、企業への責任追及を行ってしまうこと、その可能性を有していることが、第一の加害性であると思う。企業の加害性、あるいは脆弱性は、あくまでも、こうした追求に対して受け身であること、科学的予防によって対応することしかしないことにあるんだ、と。


 住むということについて僕が思うのは、僕らはどこに住むべきかという話だ。ネットでさんざん話題になったあの「タワマンざまぁ」って言葉、僕はけっこう好きだ。あまりにも防災的リテラシーの無い「上流階級」どもは、あまりにも自然な成り行きとして足元を水没させた。彼らは実に滑稽だと思うのだけど、一つ笑えない点は、彼らが不動産屋に騙されていた可能性があるということだ。普通、僕らが住む場所を決める時には、そこが大雨のときに浸水するような地域かどうか、治水は正しくされているかどうかといった情報に基づかなければならない。だけど、家売りを仕事にする奴らの中には、そうした情報を積極的に言わなかったり、危険なことも大したことではないようなふうに話したり、酷いときは書類上の隠蔽がなされる場合もある。そういうことが平気で行われている。


 僕らが生きるために、いくつもの種類のリテラシーが必要とされている。数百万年前から変わらずに、ずっと。

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