第16話 荒野で襲われる皇女 上

 太陽が昇り始めると同時に進み出した5頭の馬には、セナスティの姿があった。


 使いカラスの一報を読んでクーデターを知り、この事態の収拾は、自分だけではできない事を確信したセナスティは、王都へは行かずに、幼い頃から慕っていたベラトリウム救出へと動き出していたのである。


 『ゲルヘルム』近郊のセーフ区画周辺にいる、国王軍の兵士らは6000人であった。


 『デルヘルム』にあるギルド・パイオニアマスター、アイゼンの言葉に、この事態の鎮静化には、国を統治する者が、まずは自ら動かなければと思い、セーフ区画に赴いたのである。

 そこで国王の思想を語り、今の人間至上主義に賛同する者らを王都へと帰還させ、セーフ区画に残った兵士らを皇女軍として駐留させた。

 そこに残ったのは4000人程である。

 決して多くはない数だったが、半数以上が残ってくれた事に、王の思想が兵にも行き渡っていると感じていた。


 その時でもセーフ区画には、ルフェルスからのマモノに属する種族が、難民として押し寄せてきており、まだルフェルスには、助けを求める者らがいると聞き、山を越える事を決意して向かったが、穴を塞いでいたゴーレムは石の塊になっており、短時間でトンネルを抜ける事ができ、ルフェルスへとたどり着いていたのである。

 兵士を500人伴って、ルフェルスに来たセナスティは、兵士らをルフェルス地方へ散開させ、マモノに属する者らの救出を始めた。


 ベラトリウムが幽閉されているのは、軍直轄の『エギアバル』監獄であり、彼と会った最後の場所で、ロイドに連れられて監獄で面会をした後に、ロイドの忠告を無視して『デルヘルム』へと向かった。

 ルフェルスに来て間もなく、ロイドがマモノに属する者を保護し、『ゲルヘルム』にあるセーフ区画へと導いている事を聞くと、彼もアイゼンと同じことを言っていた事を、セナスティは思い出していた。


 …わたしは子供で、無力…。


 唇を噛みしめたセナスティは、朝焼けに映し出されている、荒野の向こうに見える緑の森へと視線を向けている。

 その胸中には、ただベラトリウムの無事を願うしかなかった。


 …事態の鎮静化には、あなたの助言が必要、お願い無事でいて……。


 王都に次ぐ大きさの街『エルフェルス』へと向かう道から逸れ、少しばかりの緑しかない荒野を進み、『デルヘルム』からトンネルを通って『アルフェルス』へと続く道を目指し、その道から森沿いを通り、森を抜ける小道を使って森を横断する予定であり、森を抜けた場所から『エギアバル』監獄を目指す。

 そこからは馬で3日はかかるだろう。


 すでに朝日も高々に上がってきている。

 見渡しの良い場所を、太陽が昇り気温が上がる前には、抜けたいと思っていたが…。


 薄い砂煙を上げて進む一団に近づく数頭の馬の群れが見え、その数は…7頭…いや、10頭程であろうか…。


 セナスティの後ろを走る衛兵が気付き、声をあげて指をさし、衛兵を見たセナスティは、指がさしている方向へと視線を向けると、白いマントが靡いて見え、国王軍である事は確認できたが、それが敵かは判断ができない状況であった。


 彼らの勢いは、馬があげる土煙でわかり、かなりの速度で近づいており、衛兵が確認をしに行くといい、それを許可したセナスティ。

 衛兵が外套のフードをとり、口に巻いている布を取ると、近づく一団へとすすみだした。

 速度を少し緩めて状況を見守るが、馬を止める事はせずにおり、馬を止める事が、死を意味する事に繋がる可能性をも考えていた…間違えれば…。


 衛兵が一団に近づくと…、大きく馬から後方へと浮き、馬が速度を維持したままに駆け抜け、浮いた衛兵は、時間を掛けずに地面に転がるように落ちた瞬間、セナスティは馬の腹を蹴りあげ、速度を上げ、その動きに残りの衛兵も進み始めた。


 …あれは、仲間じゃない!…。


 4本の土煙が緑の少ない赤い大地に線を描き、その線を追う大きな土煙と数本の線。

 後は…馬がどこまで持つかが運命の分かれ道になる…。

 目標の森の形が地平線に見えて来るが、距離はかなりあり、まっすぐに見ているセナスティに並んだ2人の衛兵が、小さく頷いて馬を列から離し始めると、大きな弧を描きながら、側面の方から接近しようとしている一団へと向かい始めた。


 目を広げて見ているセナスティに、最後の1人が近付いて、前だけを見ろと言葉をかけ、その言葉に小さく瞳を閉じると、前方へと視線を変えたセナスティだが、彼らの行動が気になり、小さく視線を向けてみると、見える2つの姿は、一段に飲み込まれると馬だけが走り去り、衛兵は地面に叩きつけられていた。


 セナスティの思いもむなしく、命を落とした衛兵の亡骸を、近づく一団の馬が通過した後には、顔の形が判別できない程に目が飛び出し、大きく不格好に凹んだ顔が、血の海に浮かんでいるように無残に残されていた。


 馬の能力の限界が、追いかけてくる一団でも見受けられ、一頭、また一頭と遅れ始めるが、馬の能力はセナスティらにもあり、次第に速度が落ち始めている。

 考えれば、すでに数時間、馬を走らせていた。

 こんな事があるなら、日中は走らずに、休ませればよかったと悔やむセナスティの馬が遅れ、後方を走っていた衛兵の馬と並んだ。

 衛兵はまっすぐに前を見ている。


 後続の一団の数は、遅れた馬を抜いても、あちらに分がある数である。


 身を小さくし、馬に負担がかからないような姿勢をとっているセナスティに、並んでいた衛兵が、急に速度を緩め始め、その姿を身を屈めながら見ると、口に回していた布を取り、にっこりとした笑みを見せた。


 40代後半の彼は、セナスティの衛兵でも年長者であり、セナスティが物心つく頃にはすでにそばにいた。

 約16年間…。

 決して長くは無いが、短くもない時間を共に過ごした衛兵である。


 休みらしい休みも取らず、天涯独り身で、セナスティを近くから、時には遠くから見守っていた彼には、多くの事を学び、人の上に立つ事の厳しさや覚悟を教わった。


 彼は、ベラトリウムとは親友で、ベラトリウムを王に紹介した者でもあった。


 ベラトリウムを助けに行くことには反対をしていたが、最終的には賛成をしてくれた。

 彼には、親友であるベラトリウムの命より、セナスティの命が大事と言う事は、セナスティにも分かっていたから…、危険を承知で、『エギアバル』監獄に救出に向かう事にしたのだ。

 それは、自分の考え以外にも、彼の親友の為に、なにか出来ないかと思う気持ちでもあった。


 彼の名は、『ローレン・ハゼット』。

 『オルフェルス』領地にある諸侯の出であり、王妃の婚姻と共に『キングス・ルフェルス』へと来たと言う事であったが、王妃とは接点は無いが、領地の主の娘の警護役でついて来て以来、『キングス・ルフェルス』にいたようであり、熱心な仕事ぶりと信頼に、彼をセナスティの警護役に抜擢したのであった…。


 この事案が発生した時も彼に守られ、共にルフェルス地方を横断し、ゴーレムの存在を知ってはいたが、強行してトンネルを通り、運よく襲撃にも合わずにルヘルム地方へとたどり着く事が出来た。

 王が父なら、彼は第2の父…。


 それだけセナスティの傍にいて、セナスティを守った彼が…微笑む…。

 小さく目元に集まっている皺は、年を感じさせた…。

 もう……。


 セナスティは前を見る。

 なぜか…自然に涙が溢れる…そして……。


 馬を降りたローレンは、腰のロングソードを抜くと構え、そして…向かってくる一団を睨みつけ言葉にする……。


 「ありがとう…セナスティ皇女。あなたの即位の日に、傍にいることが出来ないのが…唯一の心残り!」

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