サイン10

アサノ アメミ

第1話 夜明け前の海

闇夜を引き裂き夜明けを迎えた瞬間、僕の五感が最初に感じたのはフリージアの香りだった。フリージアの香りは一度だけかいだことがあった。サーフィンをしている明るい人々と犬の散歩をしている穏やかな人々、だれもいない海辺が僕には居心地がよかったのにあのフリージアの香りはまるでパラレルワールドに来てしまったかのような渇望を感じさせた。あの一度以来、僕の中でフリージアはシンボリックなものになってしまった。ストリートで花屋を見つければ駆け込みフリージアの存在を確認し、フリージアの花言葉だけでなく生育環境も何もかも調べていた。フリージア博士と祖父に笑われれば非常に誇らしかった。フリージアについてなんでも知っているという自負がその時の僕を生かしていた。ただ、不思議なことに気づいた。どうして僕はあの香りがフリージアだってわかったんだろうか?そして、僕以外にフリージアに中毒を示す男がこの世の中にいるのだろうか?そう思うと僕はいてもたってもいられなかった。いてもたってもいられない衝動が僕に闇を切り裂く力を与えた。資金も体力も気持ちの余裕も今の僕にはある。僕はこれからフリージアの正体を突き止めに行く。


いつぞやの占い師が俺に言った。「あなたはあなたの冥王星と同じ場所にある金星の女性を探しなさい。その女性はあなたの笑顔の源になるでしょう」。酔っぱらった勢いでたいして仲良くもない同僚と入った路肩の占い館の汚いばあさんの話を俺はすでに10年も引きずっている。何人もの女が俺に恋をして寝てみても俺はその女たちに金星を見いだせなかった。どんなにきれいな女もどんな真面目そうな女もそれは俺に対してだけで、遠くから見ていれば肩がぶつかったときに謝りもしない普通の女たちだった。子供が泣いていても気にも留められないそういう感性の女ばかりだった。人当たりはいい。でも、笑顔の写真を一枚も持っていない。その真相を突き止めて泣いてくれる女、親友のシュナウザー犬のポン太郎みたいにそばにいることをやめない女、そんな女がきっと金星を持った女なんだと思う。この間の夜、たまたま帰りが遅くなって、見上げた空の満月が馬鹿みたいにきれいでその隣に主張の激しい星があったこともまた占い館のばあさん同様引きずっている。あの星はあとで調べてみたら金星らしい。月がいるのに非常に主張の激しいうるさい星だと思った。はじめて夜空で金星を見た。もっと貞淑かと想像していたから思わず笑ってしまった。


相変わらず俺の女遊びは派手だし、親の仲の悪さから母親と妹からは愚痴が毎日のように来るけど、幸い仕事と遊びが順調だからうまくごまかせているというか、まあ根っから俺は悩むタイプじゃないんだけどね。はじめたフットサルも面白いし、ランニングの距離数も伸びている。ただ夜が怖いことはごまかしようがない。次の日が仕事なら飲み明かすこともできないし、されとて誰かと一緒にいたいとも思えないし、思う相手もいない。俺はガタイもでかいし楽しいことを全力で楽しむタイプだから誤解されやすいところが昔からある。ただ、俺は目のきれいな人が好きなんだ。見た目とか性格とかももちろん大事だけど、俺は目がきれいな人ならそれですべてを許せてしまう。バカなんじゃねーの?なんて同僚には言われるけど、もう好みの問題だしそれで人生失敗してもいいかなって突き抜けてる。そんな運命の出会いを待ってるって誰かに言っても笑われていつもおしまい。自分のことを知ってくれる人、無条件で認めてくれる人を求めつつ得られなくても今でもこうやって普通に生きていられるけど、そろそろ年齢的にもホンモノを見つけたいって思う。次に恋をする相手は決めているというか、そのホンモノは感覚的にわかるというか、こんなタイプだろうなって直感があるというか。それは、シンクロが多い相手。目がきれいでシンクロが多い相手。それも出生時のシンクロ。なんか占いとかで「運命です」みたいなのってロマンチックでいいじゃん。あともうひとつ言うなら、奇天烈な子も面白そう。そうやって俺は明日にロマンチック要素を乗せて毎日をなんとかやり過ごしている。そう、なんとかかんとか。

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