その船影は


「8番残し。左舷後進最微速」


 航海長が号令を掛け、信号員がその通りに操艦する。艦橋伝令は、分り易くはきはきと各部に伝令する。今、一番艦橋が騒がしくなる時間だ。


「後部、このままだと左艦尾が打つかる。曳船で引いて貰いたい」

「『えんしゅう』、引きが甘い! もっと引け!」


 艦橋伝令は、後部甲板作業員の悲痛な叫びを伝える。航海長はそれに応え、保身からもつい熱が入る。

 今回、曳船なんてない異世界で出港するにはどうしたものかと協議した結果、「えんしゅう」が両艦尾の索道から曳索を繰出して引いて貰う事になった。「えんしゅう」にとっても「かが」にとっても、この様な事は初めてであるのでトラブルは付き物だ。


「よし。両舷停止。8番放せ」


 今、岸壁と「かが」を繋ぎ留めるは、8番もやいのみだ。これが離れるのを見届ける為には、左舷ウィングに出る必要がある。


「8番放した!」


 艦橋内から伝令の声が届いた。俺も岸壁の係船柱ビットからもやい索のアイが離れたのを目で確認した。


「出港用意!」


 俺が艦橋内に顔だけ向けて放った言葉で、信号員が喇叭を構えた。

 異世界の街に、拡声された出港喇叭が響く。俺はそれに、何処か郷愁を覚えた。


「競合船舶、3隻。ブリーフィングの通り、『ちょうかい』の他予定通り出港した模様。予定位置でその場回頭、一時停止します」

「はい」


 艦橋に戻り、席に着いた。航海長は前を見た儘、俺に確認を取った。


「右舷後進原速、左舷前進原速。面舵一杯。『えんしゅう』、押せ」


 その場回頭を開始した。航海長は右往左往、ぶつけないよう大忙しだ。

 地球でも中型船舶に部類される大きさの船が、港に集まっている。「かが」から見れば、それらは小型船なのではと錯覚してしまう。


「そう言えば――」


 突然右後ろから声がして、驚き振り返る。声から分っていたが、左舷の司令席にいる筈の円城寺だった。


「『おおすみ』を動かした、あの魔法。過去に『ありあけ』通信の3曹が、魔法石で電球が点く事を発見したらしいよ」

「え、じゃあ、何。電気って事?」

「ではないらしいけど、その3曹が異世界の技術を活用して、魔力で動くパソコン作っちゃったって」


 この話が何処迄本当か分らないが、そうだとしたら、競合船舶情報にあった“魔動船”って電動船って事か? 電気と魔力は、性質は同じでも調達難易度が魔法石が存在する魔法の方が低いから、異世界でも実現可能なのか。

 然し、技術力で言ったら、ここは地球と大差無いのかも知れないな。


「もど〜せ。両舷停止。曳索放せ」

「もど〜せ」

「曳索放した」


 艦橋とウィングを繋ぐ出入口は、開放されている。俺がただ振り返るだけで、「えんしゅう」の様子は確認出来る。艦尾に溢れんばかりに防舷物を着けた「えんしゅう」は、艦尾の索道から引き出していた曳索を海水に漬けない様に一気に引き込んだ。特に、軸があるからだ。無事、取り込んだ「えんしゅう」は触らぬ神に祟り無し、とそそくさと離れていった。


「両舷停止……左右軸遊転停止」


 艦は車とは違う。惰性で止まるにも時間が掛るし、止まる迄結構進んでしまう。


「ここは、今迄見て来た港とは全く違うね」


 円城寺は、独り言の様に言った。

 俺も何十箇国と渡って来たが、この様な港は初めてだ。木造船だらけなのもその原因の一つだろう。それだけでなく、コンクリートや金属を使用した建物等が少く、地球で言う近代以前の景色に思えるのもある。

 艦橋の横に並ぶ窓は、景色をパノラマ写真の如く映し出す。これを見ていると、異世界になんて来ていないのだと思ってしまう。


「両舷前進原速。おも〜か〜じ、30度」


 艦はゆっくりと、港を後にした。



「本艦搭載のHS、島を視認。群島と思われる」


 レーダーで陸岸を探知し、発艦させたSH−60Kからの情報が艦内放送で報された。基本的に、自艦が得た情報は、艦内放送で総員に共有される。

 艦長席の目の前にある電話の呼出ブザーが鳴った。近くで立っていたから、直ぐ手に取れた。


「はい。艦長」

「CIC、哨戒長から艦長へ。暗礁等捜索の為、アクティブ捜索を行いたい」

「了解。アクティブ捜索始め」

「アクティブ捜索始め」


 艦橋からも島が見えてきた。目の前いっぱいに、小さな島島が広がる。


「この水脇みずわきを三戦速で通れるか?」


 近い島迄目算五海里となっても、実速力21ノットで突き進もうとする航海指揮官に対し言った。


「あっ……はい。両舷前進強速」

「両舷前進強速」


 ハッとした航海指揮官は速力を落とした。海図が無い上に群島である。何処に暗礁があるか分らないし、急に水深が浅くなるかもしれない。海洋観測艦でなく、護衛艦である「かが」は正しい測量も敵わないから、目で海面の色の顕著な変化が無いか確認するのが最終的に重要になってくる。その点も、速力を落す理由だ。


「じゃ、俺はCICに――」


行くから、と言い掛けた所でまたブザーがなった。


「はい」

「CIC、哨戒長から艦長へ。不明目標レーダー探知しました。本艦の349度、17マイル。的針、的速、082度、10ノット。尚、速力は不規則です」


 哨戒長の報告に被せるように艦内放送も入る。


「見張、目標を未だ視認出来ない」


 直様、二十倍の双眼鏡を使う見張員からの報告が届けられた。17マイル離れていれば、船影は疎かマストすら見えない距離だ。


「マスト一本、左015度、水平線、動静不明。アルファと思われる」

「了解」


 見張りの報告が航海指揮官に届けられた。どうやら常識を超えたマスト高のようだ。

 俺はその場で、首に掛けた双眼鏡を構えた。だが、7倍のこれでははっきりと見えない。何かあることだけは分る。


「A、平均速力から割出したCPA。030度、6000。CPAタイム、1136。尚、艦首を8000で変る」


 正直、この目標は群島の一つで、偽造目標なのではと思っていた。見張りが見つけてしまったのなら、ちゃんとそこに船があるのだろう。


「じゃあ、俺はCICに行くから」


 今度こそ言い切ったから、艦長席から離れる。


「気を付け! 敬礼!」


 航海指揮官の号令で艦橋立直員が敬礼する。俺は「宜しく」と言い残しCICに向った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る