山田波秋

第1話

小雨が降る中、バー・インスティンクトのマスターは考えていた。基本的にお客さんの会話に頷くだけの彼は店を開ける準備をしている間にふと思っていた。


– 降って来た –


そう言う表現が正しいのかもしれない。だって、「象の鼻はなぜ長いのだろう?」と言う問いだったから。仕事にはなんの意味も持たない。


店が開き、常連のお客が入ってくる。いつも開店すると常連から入ってくる。僕もその中の1人だ。この店に新規のお客が早い時間から来る事は少ない。朝5時まで開いているこの店は、他の店が閉店なって溢れたお客が集まる、時計の針が0時を超えてから、アルコールによって感覚が麻痺した客が来る。そんな店であった。

当然今までたらふく飲んでいた客がなだれ込んでくるのだから店の雰囲気は一転し、酔っ払いの大声と絶え間なくドリンクを作るマスターの作業に変わる。嫌いではないが、僕はこの店に5時までいた事は少ない。翌日が仕事の場合に朝5時まで飲んでいるのは大変だし、その前にこちらが酒に潰されてしまう。


なので、僕は常連が集まる比較的に早めな時間帯にいることが多い。

常連だけの時は特に他愛もない話をする。毎日通っていれば特に話すような会話はない。当たり前である。


マスターが口を開く。

「象の鼻ってなんで長いんですかね?」


僕はふと思う。確かに、だ。「キリンは自分の餌を食べるために首が進化した」と言われている。正しいのかはわからないが、進化論に沿った大多数の意見はこの結果に落ち着いている。

では、なぜ、象の鼻は長いのだろう?

今の時代、インターネットを使えば答えは出て来る。ほとんどの人間がスマートフォンを持っている現代、答えを見つける事は容易である。でも、今日は調べる事はやめにした。


象。それ自体が何かのメタファーなのかもしれない。鼻が長いと言うのは男性にとってペニスの長さをイメージしているのかもしれない。


2杯目のシーバスリーガルをロックで飲む。僕は常連である「帽子」さんと鼻の長さについて話す。

「大きくなりすぎて、自分の口が地面につかなくなったから、手の代わりに鼻がのびたんじゃない?」帽子さんが言う。


恐らく、ではあるがいきなり答えが出たような気がする。これは理にかなっている。帽子さんは知的な一面も持っている。普段はそれを見せようとはしないが、僕が口にした質問に対しては、ある程度納得ができる回答がすぐに帰って来る。


でも、雨が降り、他のお客さんも来ない時間帯。話をここでは終わらせたくはなかった。

「それもいいけれどさ、僕が昔読んだジャック・ドリエソンって作家の本にはこうあったんだ。『キリンの首も、象の鼻も伸びるべくして伸びたんだ。意味なんてない。神の気まぐれ、さ』と。」


もちろん、ジャック・ドリエソンなんて作家は存在しない。僕が酔いに任せて出た嘘だ。


「神の気まぐれ、と言えば」帽子さんは言う。「なんでオスとメスがいるか?わかる?」確かに難しい問題だ。両性具有と言う生物もいる。なぜ、オスとメス、男と女がいるのか?

「子供を産むため?」僕は聞く。

「恋をするためさ。」帽子さんは SOLと言うメキシコのビールを飲みながらスマートにそう答えた。ロマンティックである。


確かに、恋をするからセックスをする。そして結果的に子供が生まれる。あながち間違っていない。

それに口を刺すようにマスターが言う。

「人間だとそうですよね。動物も恋をするのかな?象はどうだろう?」


話が象に戻る。確かに僕らからみて、カッコいい象もグラマラスな象も違いがわからない。象は恋をするのだろうか?メスの象に対して、キザなプレゼントの一つでも送るのだろうか?動物のセックスに避妊なんて行為はあるのだろうか?


また、動物に夫婦と言う感情はあるのだろうか?弱肉強食の動物界、強いオスがハーレムを築くのか当たり前なのではないだろうか?


人間は指輪と言うアクセサリーで婚姻関係を第三者に示す。薬指、少々値段はするがこれほどわかりやすいイコンはない。


「動物も結婚式するんですかね?」結婚式を間近にしたマスターがボソっと言う。

家庭を持つのか?

人間の赤ちゃんはものすごく未熟者な、状態で生まれてくる。

他の動物は生まれてからすぐに立って歩く事が出来る。餌を食べるのも本能で備わっている。人間だけなのだ、未熟な状態で生まれてくるのは。だから父親と母親の支援が無いと生きて行けない。


動物は直ぐにでも現場に出れるのだろう。生きるための糧を知っているのだろう?


シーバスリーガルのおかわりをした時に新しい客が来た。女性である。この女性も常連である。傘を傘立てにしまうといきなり喋り出す。

「ねぇー、聞いて〜、彼氏と同棲出来るのかもしれないの。この前は電話で子供の名前とか考えちゃった。」

非常に声が大きくて、承認要求が強い、クスリ自慢。キャラが強すぎて話しが途切れる。


人間の赤ちゃんは未熟だ、と話している時に子供の名前を幸せそうに考えている。


帽子さんはSOLを飲み終えて会計を始めている。

僕もこのシーバスリーガルを飲み終わったら帰ろうと思う。


空気が壊れる音がした。

それは飲み屋では良くあることだ。


そして、僕も十数分後店を出た。雨は止んでいて生暖かい風が吹いていた。


読んでいてわかるかと思うが、この話に結末はない。酒の席の会話に結末がないのと一緒だ。気になる人は象の鼻の長さについて調べてもらってもいいし、その結果をみてため息をついてもらっても良い。


酒の席の会話、それは雰囲気を楽しむ一つの肴。そうやって今日も酒飲みは酒を飲んでいるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山田波秋 @namiaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る