第460話「ヴィニスチの戦い」 セラクタイ

 開戦初日は特に情報が錯綜しているが、セレード軍が把握している状況は以下の通り。

 エデルト王ヴィルキレク暗殺未遂事件の後、装甲列車部隊がシャーパルヘイに攻撃を加えつつかの王を救出してヴィニスチ市まで連れて帰った。宣戦布告無きセレード独立戦争の始まりで、両国国境警備隊同士の衝突が始まる。

 ”皇帝はヴィニスチに留まってカラミエを見捨てない”という演説がされたと国境線戦闘地域に噂が広まる。関税同盟との戦いでもかの王は戦場に立ったことから噂の信憑性は高い。

 開戦前より準備が整っていた三個予備師団とシャーパルヘイ駐留のブリュタヴァ軍が全面的に国境線、第一次防衛線へ向けて攻勢を開始。警備所程度の建物はあったが野戦陣地に相当するようなものは無く、敵国境警備隊は敗走。南北山岳地帯を除いて突破する。奇襲的に始まったことで緒戦を勝利で飾る。

 尚、北部ハリンキサク山脈南麓は難所により膠着し、南部カラミエスコ山脈北麓では戦闘行動は確認されず。

 南部は伝統的に所属の曖昧な遊牧カラミエ人が国境線を気にせず自由に出入りしている人口希薄な未開発地で警備隊不在。また開戦前には黒軍騎兵隊がその地域から密かに国境線を突破していたと見られる目撃情報がある。味方にも知られず大変結構なこと。

 これを受けてエデルト=セレード線及びヴィニスチ線から鉄道機動により敵軍の戦力展開が行われ、同鉄道を守るために第二次防衛線が早期に、国境警備隊を吸収しながら構築される。

 第一予備師団、ブリュタヴァ軍はヴィニスチ市の東と南側を抑えるも前進停滞。ヴィルキレク王の陣頭指揮の噂は事実と判明し、士気が高い。

 第二予備師団、黒軍本隊は第二次防衛線を突破してヴィニスチ線を切断。後退した敵戦力は第三次防衛線を構築する。一つは西への進出を拒む南北の戦線で、これは第二予備師団が突破を試みる。二つは北のエデルト=セレード線切断を拒むヴィニスチ市より西に伸びる戦線で、これの突破はこれから黒軍本隊が試みる。

 第三予備師団は第二次防衛線で前進停滞。敵支配圏側に南北カラミエ縦貫道があり、仮に突破しても南から側面攻撃の恐れがある。

 我々、セレード継承戦争の敗残兵を集めた、旧軍服を着る懐古趣味の老義勇兵隊は黒軍本隊に指揮下に入って行動することに決まった。ヤキーブのご老公とソルノクの倅が接触した後に編制された、我々のようなシルヴ大頭領にとって邪魔で臭いだけの存在は黒旗を掲げて死ぬのがよろしい。馬も良いやつは若いのに譲った。

 ラシージ副司令からも「この作戦が終わった後の人生は無いと考えてください」と決死の戦いを要求されている。年寄りは疲れやすくて気が短く、待機しているだけで消耗するからこの緒戦の興奮で盛り上がっている段階で使い切るのが丁度良い。

 エデルト=セレード線を背にする敵軍に向かって黒軍砲兵隊が気球で弾着観測を行いながら突撃準備のための弾幕射撃を始めている。敵最前列の形に合わせて整える試射が行われ、応急的に掘られた浅い塹壕、地形の起伏、木々や岩を利用した防衛線を隙無く叩く。緑の枝葉混じりの黒い土が噴き上がって削れ、折れた木が時間差で自重に押されて倒れ出す。

 老義勇兵隊は砲撃に合わせて突撃を敢行するまでしばし待機。

 防毒覆面を渡されている。毒瓦斯とやらの中を突っ切って憎きエデルト兵に打ち込む。カラミエ兵には多少同情の余地はあるが容赦する程ではない。

「ああ、すみませんそこの方」

 近くの老兵に声を掛ける。年下か?

「はい、セラクタイ夫人どうされました?」

「この、新しい鉄砲? どう使うのかしら」

 銃口から弾や火薬を込めて使う鉄砲は亡き夫が使う様子を見て知っている心算が、この小さい樽? みたいなのがついて、動く尻尾? みたいなのが動かすと戻らないのが分からない。

「えっと、引き金には指を掛けないで下さいね」

「はい、心得てます」

「この後ろの動くのが撃鉄で、動くと銃弾の雷管を叩いて発射します」

「まあ、そうなんですか」

「夫人、氏族どこでしたっけ?」

「アルルガンです」

「あっちの……マシュヴァトク伯のところは」

「エンチェシュ=バムカはクンベルサリ氏族ですよ」

 当時の反アルギヴェン派の老人の多くは死に、前線に出る体力が残っておらず、このような上流の常識を知らない兵士ばかりであることは確か。この時代になってそれを無礼だなんだと頭の中に浮かんだ自分が愚かだ。

「あそこは貴婦人に戦い教えませんもんね。撃ったことは?」

「ありません」

「薪割りは?」

「いいえ」

「短剣、いえ包丁は?」

「子供の頃に使った覚えがあります」

「夫人は武器を持たないで存在を示すのが良いと思います。あ、拳銃は貸してください。戻しますから」

「お願いします」

 拳銃を渡して撃鉄を戻して貰うが、使えないのなら意味が無い。

「それはあなたに差し上げます」

「どうも」

「旗はありませんか?」

「あれは重いし風を受ければ尚更で、ずっと持ってなきゃならないですから体力仕事ですよ」

「何か案はありますか?」

「毅然としてらっしゃるだけでよろしいかと」

「心得ました」

 筆と紙の仕事は出来るが、戦場に出ると何も出来ない。せめて臆するような者がいたら叱咤しなければ。

 ラッパが鳴る。

「化学戦用意!」

 指揮官の号令で皆は己と馬に防毒覆面を着用。この見た目の悪い被り物が生死を分ける。

「老義勇兵隊、前へ!」

 弾幕射撃の破壊を追って前進。弾着地点を乗馬が踏む。

 折れた木、削れた木。弾けて散った枝、舞う葉。剥き出しの黒い土、木の根。砕けた岩。肌と骨と内臓が見える敵兵。木片、土、石粉、血を被った落ち葉の上を黄緑の瓦斯が漂う。

 進む先からの爆風で枝に一度上がった残骸が落ちて来る。手元に重たい、肩から先の腕が落ちてきた。他の老兵には帽子に鞄、皮膚つきの服、抜けた腸。

 生き残った防毒覆面を被る敵兵が物陰から銃撃。皆で弓矢と拳銃で反撃して頭を抑え、元気な老兵が近づいて抜刀突撃を仕掛ける。

 榴弾と榴散弾と毒瓦斯弾で耕されていく弾幕の先を追って進む。顔をさらけ出した敵の生き残りは涙に鼻水を垂らして激しく咳き込んで蹲っているか、もう動かない。

 弾幕射撃の着弾の向こう側に機関車が吐き出す蒸気が濃く、横に長く見える。相当な本数の列車が稼働している様子。増援か撤退か。

 砕けた森と敵を踏みながら、しばし前進した後に弾幕射撃の着弾地点が乱れ始めて前進が止まる。射程の限界?

 ラッパが鳴る。

「老義勇兵隊、停止! 停止!」

 老義勇兵隊が前進して乱れた隊列の整理が行われる。

 降る砲弾が減り始めて、やがて無くなる。これから攻撃を仕掛ける位置、線路の保全のためだろうか? やはり射程限界か。

 森に静けさが戻る。指揮官は”まだまだ”と刀を掲げたまま振り下ろさずに待つ。

「老義勇兵隊、抜刀!」

 皆が右手で刀を抜いて肩に担ぎ、拳銃を左手に持つ。セレード騎兵の突撃姿。

「大地は母、山は父、風は祖先、天は見ている! 我等の死に様、御照覧あれ!」

 突撃ラッパ吹奏。

『ホゥファー!』

 あなた見ていてくださいまし。

 木、人、岩、土が砕けた地面を老騎兵達が駆けて前進。

 徐々に砲弾が傷つけていない、人が踏み均した程度の足場に変わる。森が途切れ、開けていくその先が明るくなっていく。

 立ち残る木々の隙間から線路際の土台、待避線に装甲車、貨車に客車、荷箱を並べた陣地確認。多数の兵士、噂の人狼兵も顔を出し、皆防毒覆面を被って機関銃に、直射用意の済んだ大砲まで並んで万全の防御体制。これに騎兵突撃を正面から行うのは幾らなんでも、素人の女でも無茶と分かる。

 ただ撃たれて死ぬ?

 敵陣地が一瞬で埃に包まれ噴き上がって転がって散らばった。試射無き突然の横一列同時着弾からの弾幕射撃再開。射程が限界に達したのは偽りで、敵が安全と思い込んで再集結するのを待ち、まとめて叩き潰した。

 敵陣地は木材、鉄筋、敷石、人間、人狼が砕けて鮮やかな色の中身を見せた。

 進む老騎兵が拳銃を撃ち、敵兵が小銃と機関銃で迎え撃ち、肉薄して刀で切って馬で踏み、銃剣で刺し返されて突破。

 先を行く砲弾の雨の中に一つ透明な傘を被ったような区画が見える。砲弾に破片を転がしもせずに止め、瓦斯が冷えて液になって溜まる。その外では防毒覆面を破片で切られた者が咳き込みながらその下へ行こうとして止まる。見えない壁がある。

 その傘の下で密集隊形を取る装甲する人狼兵、そして中央には目を引く背の高い金髪の、顔を知っている男。自分の役目はこれだった。

「ヴィルキレクがいたぞ!」

 指差す。突破した老騎兵が銃撃を集中、しかし銃弾が術で止まる。馬で体当たりを仕掛けてすら止まり、凍って死ぬ。噂の氷の術は物体と命を止める。

 役目を持った老騎兵の一人が信号弾を空に打ち上げ、花火が炸裂。

 花火を目印に弾幕射撃は着弾位置を変え、少し戻ってヴィルキレクの傘に注いだ。炸裂しない砲弾が傘に”溜まる”。その砲弾の上に砲弾が落ちれば炸裂、わずかに誘爆。

 人狼兵がこれまでと思ったかヴィルキレクを抱え上げ、西へ、ヴィニスチ市とは反対方面へ走って逃げだした。

 氷の傘の術は継続しつつも逃げる足に合わせてずれ、溜まった砲弾が落ちて一斉に爆発。液化した瓦斯も一部雨になって直ぐに気化。

 変な臭いがする線路上へ進んでヴィルキレクを追う。老騎兵達に「あれがヴィルキレクです!」と指差し誘導、目標を見失わせない。

 装甲人狼兵が一体ずつ、機関銃を持って捨て身の殿を務めて妨害。刀と拳銃、それから弓矢では一人殺すために何十騎も殺される羽目になった。迂回しても迂回側にまた殿が送られ、そうこうしている内に迎えの装甲列車が到着して軽装備ではどうにも相手に出来なり、諦めざるを得なくなった。


■■■


 ヴィルキレクを逃しながらも、ヴィニスチ市の西側、エデルト=セレード線の根本を切断する形を確保したのだが黒軍本隊の応対が奇妙だった。

 まず黒軍本隊の大半はこの西側にやって来ないで、南西側に展開して市内への砲撃を開始した。化学毒汚染を避け、また敵が列車で突入してくる可能性があるから避けるのは正しい判断であったと思う。しかしこの犠牲にしても良いとしている老義勇兵隊すら西側配置から外してしまった。

 奇妙なことが続く。汚染地域に突入した者と、していない者に分けられた。その説明をしに来た妖精が覆面どころか油布の全身防護服を着ていた。同じ服装の兵士達が不発弾を回収するか爆破処分する姿もその時に見られた。

 設置された特別な野戦病院に”特別”汚染者は集められて衣服は全て回収、風呂に入れられ、目鼻口の洗浄を特に指示され、整腸薬と言う下剤を飲ませられ、無個性な白い服に着替えさせられた。このような措置を嫌がって抵抗する者は防護服姿の妖精達に棒で叩きのめされる。

「医療教育的指導始め! 良い子棒用意!」

『良い子棒用意!』

「指導!」

『良い子になーれ! 良い子になーれ! 良い子になれるよ大丈夫!』

 という具合。

 集団で抵抗する雰囲気になれば、また同じく防護服の銃殺隊が整列を始めたので、何とか自分が説得しに回った。

 説得に回る頃には身体に異常が出始めており、それも説得材料に利用した。

 目が痒くなって充血。足から始まったと思うが、火傷をしたような紅斑が出始める。鼻と喉が変に熱く、咳も出始める。吐き気が少しした。これは尋常ではないと言えば大人しくなる者はなり、戦って死ぬと騒いだ者は”良い子棒”に叩かれてから寝台に縛り付けられた。

 紅斑が痒くなってきて医師に相談したところ手袋の着用が義務づけられた。爪で引っ掻いて傷を広げない措置で、寝ている時や寝ぼけている時に備えて特に就寝時は絶対着用。寝ながら外さないように複雑に縛るよう指導される。

「痒いとこ痛いとこ掻いたり触ったりしちゃ駄目だからね」

「これは毒瓦斯の影響ですね」

「内緒だよ」

 妖精医師はまるで聞く耳持たないと回答した。


■■■


 しばらく隔離されていた。無毒化が進んだようで医師、看護士の防毒服姿も見られなくなった。見舞いの方だが、検閲付きの手紙のやり取り以外は禁じられている。この防毒覆面では防ぎ切れない毒瓦斯は軍事機密で、症状すら外に漏らしたくないらしい。誰が何の用事だったか不明だが、この野戦病院に忍び込もうとした者が射殺されている。

 代わりに入院患者の症状が重篤になり始める。馬の殺処分もされているようで、嫌がる嘶き後に銃声。

 自分の症状も進んでしまった。目が見えず、肌が痒くて痛く、咳や痰が頻繁に出る。身体が生きながら腐るような感覚。看護師が自分の体を拭いて、包帯を替え、着替えさせる頻度が増してきている。

 他所の寝台から、下痢の臭いがすることも珍しくない。

 激しい咳から喀血していそうな者がいて、喘ぐようになって静かになり、二度とそちらから咳の音も聞こえなくなる。

 入院生活と症状から発狂する者も多数で、叫び声と打撃音と『良い子になーれ!』が恒例の組み合わせ。いっそ殺してしまえば楽ではないか?

「お加減は如何ですか」

 声で分かる。彼女はシルヴ大頭領、セレードの希望。

「ご子息は議会で王と認められましたか?」

「お陰様で全会一致です」

「おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「状況はどうなっていますか」

「降伏を拒否されて市街戦になりましたが、ヴィニスチの戦いに勝利しました。今は残党狩りと都市機能の復興の最中ですね。それ以外の戦線は停滞中ですが、第一種民兵の第一陣の整理がついて浸透突破を開始しています」

「ヴィルキレクはどうなりましたか?」

「ファグスラに向かったと思いますが、あちらの広報ではまだ扱っていません。ヴィニスチ陥落について声明を出すと思いますがまだですね」

「これは何の毒かご存じですか? きっとヴィルキレクも浴びたはずで、無事ではないはずなんです」

「ご活躍は聞き及んでおります。勲章の授与と年金査定については手続きが進んでいますよ。それと毒に関しては軍事機密と聞いています」

「大頭領にもですか?」

「多くを語れません」

 知っているが末端には知っているかどうかも教えられないということだ。

「自決を手伝ってくださいませんか」

「あのマトラの妖精達が治療をしているということは助かるということです。死ぬならもうトドメを刺されていますよ。彼等にそんな情緒はありません」

「本当ですか」

 肺がやられなければ大丈夫ということだろう。目は戻る? 盲目の老人など死んだも同然で、では治るのか。

「後はお任せてください。まずは傷を治して体力を戻すところから始めてください。セラクタイ夫人は前線より、救済同盟で活動して頂かなくてはならないんですから」

「救済同盟の方々はいらっしゃってますか?」

「違う病院の方で活動しています」

「そうでしたか」

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