第273話「第二次東方遠征作戦」 ゼクラグ

 第二次東方遠征を始めるにあたり、改めてベルリク=カラバザルの言葉が世界に向けて公布された。

 ”帝国連邦は蒼天の支配者たる領分を復し、共同体同胞の一助とならんがために宣戦を布告する。頭を垂れれば寛大に、そうでなければ一族類縁名称記録を地へ還す”である。

 遊牧帝国域と呼ばれる、かつてバルハギンが遊牧政権として史上最大版図を築いた領域の者達を支配するという意思表示である。今更このような言葉は挑戦的でもなければ挑発的な意味も成さない。北大陸北部遊牧民達全員に支配か死を選択させている。この言葉だけでもこちら側に付く者達とそうではない者達に分断され、既に戦果を挙げているといっても過言ではない。我々は今、言葉一つで戦略打撃を与える程の権勢を持つ。

 非正規軍の戦況は冬のロシエで聞いたものから少々発展している。ウルンダル宰相代理――ブンシク戦死後の正式な、世襲を認める辞令がまだ現地に届いていないようだが――シレンサルが先頭に立って侵攻中。正規の北征軍ではなく冊封体制下にある属国軍を相手に連戦連勝。盟友オルシバも非正規騎兵を連れ立って最前線と聞いた。

 東イラングリは掌握。打倒した敵から、畜害風から生き残った馬を奪っているという。帝国連邦も馬を多く損失しており、わずかでも補充があれば助けとなる。

 ザカルジン大王国北側の中立地帯はザカルジン軍が我々よりも素早く奇襲を仕掛けて奪取。のんびりと、戦果拡張もせずに占領行政に専念しているらしいが。

 ラグト地方ではこちら側に離反する部族多数。ウルンダル政権は元々、ラグト方面の遊牧民とイディル=アッジャール政権との橋渡し役として活動していた者達で東方の人脈に明るく、交渉がし易いそうだ。シレンサルも父ブンシクと共にそれらの仕事に携わり、外交手腕に優れていると言える。

 ヘラコム山脈北側北極圏の大森林地帯は田舎過ぎて良く分からない、らしい。あちらは冬になればわずかな極地狩猟遊牧民以外はまともに暮らせないような針葉原生林が延々と広がる未開地である。

 山脈南側の遊牧民達はハイロウ側からの統制が効いているのでこれからの侵攻状況次第。旧アッジャール残党も多い。

 カチャ圏と旧ベイラン圏には離反の動き無し。それらオアシス都市群は非常に統制が利いているとの情報。

 ハイロウと呼ばれているがハイロウではない、ジャーヴァル帝国との国境付近の有象無象の遊牧政権は日和見状態。その中間地点で中継貿易をやっているような連中だから、趨勢の決まらない内にどちらかに敵対するのも面白くはないだろう。

 情報によれば北征軍は畜害風対策に失敗して家畜を大きく損失、草原では麻痺状態にある。騎兵損失、馬匹輸送能力激減、補給が本国から届かずといった様相で大規模機動作戦が困難な状態にある。東イラングリ、ラグト地方でまともに活動出来ていないのは奇襲効果もあるが畜害風対策に失敗したからと見られる。勿論、百万と言われる正規軍と補助的な数十万に昇ると見込まれる都市市民防衛隊的な非正規軍がそれで消滅したわけではない。北征巡撫管轄域の本領ハイロウの防御は固いと見られる。

 長い内戦に揉まれた龍朝天政軍。海軍は一時壊滅したはずだが魔神代理領海軍に勝利する程までに復活を遂げている。陸軍も同様に精強となっていると見て間違いない。敵本土中央に近づく度に戦いは厳しくなるだろう。

 我が軍が去った後の西側ではロシエ帝国が誕生。神聖教会圏における帝国号の誕生は世界史的な大転換である。

 政治色は何とも言えない。ロセア大統領の共和政権を受け継ぐビプロル侯が元聖職者のルジュー一世皇帝を立憲君主として頂き、特権階級の特権廃止をしながら能力あるその階級の者達を重用。政権誕生の際にはランマルカ革命政府に支援され、一応の友好勢力として革命ユバールがある。既存の政治色で考えると分からないが、こう考えれば明快である。新たな独自勢力。

 帝国、皇帝という名前は中央、東側世界程に西側では気軽ではない。神聖教会圏で皇帝という称号は古代帝国以来使われていない。事実上使用を禁じられている。

 古代皇帝の代わりとして聖皇が出現。宗教勢力による革命政権が世俗帝権を奪って否定したという歴史的経緯がある。その状況で圏内で禁じられた皇帝号を使ったならば神聖教会の長である聖皇と位を並べるという意味になり、その影響下からの独立表明となる。つまり敵対。

 過去、神聖教会からの独立を目指して皇帝を名乗った者達は全て滅ぼされている。死後も呪われた存在として墓地にも埋葬されず、功績を否定され、族滅、歴史的記述からも抹消される傾向。

 ロシエ帝国は神聖教会への牽制となる。政治は常道に囚われないので予兆も無く両勢力が同盟し、帝国連邦への侵攻開始ということも有り得るので油断は出来ない。そのような可能性もあるが、この帝国誕生は第二次東方遠征のために必要な出来事と考える。

「ゼっくんゼっくん見て見てこれこれ!」

 何時ものようにやかましいサニツァがイリサヤルにあるシャルキク方面軍司令本部にやってきた。昨今は何故か”私、ゼっくんの専門家!”などとほざいては抱きついて来たりやかましいことこの上なかったが、今日は少々様子が違う。匂いが違う。

 茶色の焦げと白黄色の生地が香ばしげな、パン生地がパン生地らしく無いほどにチーズが混ぜられた焼き菓子。

 白い凝乳に色鮮やかに盛られた赤と紫のベリーが乗る菓子パン。

 一見見た目に工夫は無いカカオ菓子。いや、干しブドウの粒が見えるな。

 司令部要員、全員が食べるに十分な量があり、甘さに飽きないようにお茶も淹れてある。

「ミーちゃんが作ってくれたんだよ! 私もちょっと手伝いました。食べよ食べよ、皆で食べよう!」

『わーい!』

 ミリアンナが「どうぞ」と喜ぶ幕僚達に配膳を始める。

「何の心算だ?」

「別に、戦勝祝い? でいいじゃない」

 かねてよりミリアンナには横領疑惑があった。労農兵士達へ食事を提供しているだけでこのような菓子類を、特別に誰かへ個人的に配食するなど不可能であるからだ。

 特務作業員サニツァの配偶者であろうとも横領という国家財産への攻撃には厳正に対処せねばならない。

 結論から言って無罪である。ロシエ戦役中の菓子作りは死傷者発生時の余剰食糧の流用であり、軍法規定に定められていない。規定が無いことは悪いことのようだが、戦闘の度に未帰還者を予測して定数より少なく食事を作って待つなどという行為は有り得ず、結果余剰が生じるのは予防不能である。そして今回の菓子類であるが、私費作成である。

 給食係がこのような菓子類を作るような資材を貯めることが可能か? 副業行為は禁じられていないので可能である。本業を十分に行っているのならば寸暇を惜しんでも、という前提であるが。

 ミリアンナはアッジャール戦役中より敵の死体漁りで金品を集めてそれを商人との間で投機的に売買を行って元手を増やしていったのだ。帝国連邦軍では個人的な略奪行為を禁じているが、ミリアンナが行ったのはそういった規定の無い時代の話になる。そこで作った金で仕入れた商品はマトラの公的な倉庫の空きを利用していた時もあったようだが、それも禁止されていなかった。横領はその時代から罪だったが、倉庫の空きを利用することは業務妨害とならない限り全く見過ごされてきて罰則規定が無かった。

 元手を作り、投機的な売買で増やし、そして両替商を行いながら金銀の値の動きを見て更に増やす。そして今ではその金でナレザギー財務長官の商会の株式を買って運用している。そのように情報局が調べた。内務省に何かされる前にマトラ共和国情報局で疑惑を否定し、サニツァを引き続き健全に運用出来るように努めた。

 ミリアンナは極めて資本主義的である。善良なる労働者から搾取したわけではないので悪辣とは言い難いし、違法行為は遡及さえしなければ一切認められない。

 ただ賄賂の疑い。しかし私費で作り、口では何の対価も求めてはいない。生存能力に長けているとは思っていた。

 チーズ焼き菓子。原材料元と思われる牛さんの顔が焼印に押されている。チーズの香りだがあの発酵臭さが薄く別物を思わせる。別の発酵臭? 発酵乳が混ぜてあるのか!

 食べる……牛しゃんもう最高!

 ぬ、しまった。しっとり食感と甘さと非常にわずかな酸味の組み合わせが強烈である。発酵食品は科学の領域にあり、それを操るとは先進的である。既に熟達の域。幕僚達は『オピャラキャッパニャー!』と叫んでいる。

 ベリー菓子パン。凝乳とベリーの色合いが誘う……おっと、しまった、気付いたら髭に凝乳がついてしまっていた。心を奪う呪いの菓子め。しかし先ほどのチーズと発酵乳の焼き菓子に比べたら少々、手抜きではないかな? 動物さんの顔が無いではないか。

 食べる……甘ふわ濃い甘酸っぱ鼻もわバニラのベリーぷちじゅわのサクサクとしっとり固め生地に隠し酸っぱベリー!?

「うぴょっ……」

 何なんだこれは? 味と香りと食感の数が尋常ではなかった。数種類のパン生地が多層構造。強めの酸味に涎が搾り取られてしまった。甘い、甘酸っぱい、酸っぱいのベリーを使い分ける全縦深同時打撃、帝国連邦軍が目指す理想の戦術をよもやここで奇襲的に受けようとは予想外! 幕僚達は『ウンギャギャッギャヂャー!』と仰け反ってしまっている。まるで毒物、劇薬でも盛られたかのようだ。

 カカオ菓子。見た目は粒々付きの板である。勿論のこと我々にとってはとても好ましい菓子ではあるが、しかししかし先ほどの全縦深同時打撃ベリー菓子パンに比べたら数段格落ちの感が強い。これは食べる順番を間違えたか?

 食べる……苦い? いや甘い、干しブドウ粒々、濃い、辛い、う、鼻に抜ける強烈な刺激!?

「何だ……これは?」

「カカオ粉と油強めの蜂蜜練りで乳最小限で、ラム酒入りの、お菓子というかお菓子だけど元気出る薬に近い? かも」

 鼻が熱い、頭に血が昇るよう、暑い、息が乱れる。これは蜂蜜を越える興奮剤、覚醒剤に相当するのではないか?

「全員、このカカオ菓子に手を付けるな! 業務に支障が出るぞ!」

 ガリパリポリと鳴り、既に口に含んだ幕僚達の、こちらの指示を聞いた視線が集る。ここで吐き出せばと思ったが口がもごもごと動いている。カカオ菓子は皿に戻されたが……。

 ……しまった。

『ほわぁ?』

 大丈夫か?

『ホギャウギャウゲェウンガアオガアオォワッキオオォゴワゴアガギアッ……!』

 これは……効く……。


■■■


 ロシエで損耗した正規軍の本国再集合が滞りなく進み、天政侵攻に向けた再編制が進んでいる。

 我々が帰還した時には、撤収までに計上した被害報告から、放棄した装備と死傷した兵員分の補充準備を軍政局が済ませていた。こちらから送った被害報告から補充部隊を各方面軍集結地点に編制待機済みで、そのまま各師団へ受け入れるだけで良い状態になっていた。もう自分が口出しなどしなくても良い程に成長し、働いてくれている証明だ。素直に嬉しい。

 ロシエ戦役での消耗は、敵に与えた打撃に比べれば低いものの無視できない痛手を負っている。今回は正規軍の定数までの回復は確約されているが今後、もう一度同じような補充をする場合は兵練も未熟な少年達を組み込むか、成長を待つまで耐えるしかないらしい。世界の大国を複数相手するにあたり人的資源の少なさが帝国連邦の弱みだ。

 重武装、重装甲化によって人的資源を補う軍を作っていかなくてはいけない。現在この方針で装備は整備されている。元より他国から比べればその傾向にあるが更に、である。

 薬缶投射砲、新型火箭といった新兵器の投入の成功は軍の質を高める。今後の新兵器開発が帝国連邦の勝利を確実にし、労農兵士の消耗を防ぐ。

 弾薬不足を防ぐことも質の高さに直結する。敵が一日に百発撃つ間にこちらが千発撃ち込めれば勝てるといった単純な計算である。その無茶を可能にすると思われるのが鉄道輸送。鉄道の延伸は中洲要塞から西にダフィデスト、南にバシィール、東にイリサヤルまで済んでいる。基礎工事や線路の量産も順調で冬が終われば工事の速度も上がるという。今は春、極東に向けて線路は延び続ける。

 第二次東方遠征、規模から見て一年、二年で終わらないだろう。鉄道への期待が高まる。

 またゲサイルが実戦向けに操典をまとめている減圧射撃法も確立されれば火力の向上は確実。速力が必要とされる実体弾とは違う榴弾、榴散弾を発射する際に火薬量の抑制と砲身薬室への負担軽減が軍全体で実現されれば補給線への負担軽減となり、長期間大砲を使用出来るようになれば時間当たりの射撃量も増える。故障する度に重たい大砲の代わりを後方から遥々運ぶ手間が減るというのはとても重要なことだ。

 運用によって質や量を補うという発想は先進軍事科学的で素晴らしい。

「ゼっくんゼっくん聞いて聞いてねえねえ!」

 何時ものようにやかましいサニツァがシャルキク方面軍司令本部にやってきた。この前は新しく制定された勲章を授与してやって「君を選んだことに間違いは無かった」と褒めてやったら急に顔つきを変えて「好き好き好き好き!」と発狂し始めて顔中舐め回すみたいに口を付けられて大層気分が悪かった。

 サニツァは現在、イリサヤルに続々と届く第二次東方遠征用物資の荷捌き分類業務に当たっている。今は夕方、昼間労働者達が明日に備えた休みに入り、夜間労働者達が交代に起き上がってくる時間である。昼間勤務を終え、職務怠慢をしてまでこちらにやって来たわけでは無さそうだが、仕事終わりの報告が上がってくる頃合なので少々忙しい。

「ミーちゃんがね、チュルル……じゃなくてテュグルホクくんと戦争が終わったら結婚したいんだって! ねえねどーお?」

 こちらに尋ねてくる理由は全く不明だが、該当人物は知っている。情報局調べでは全く問題の無い男だ。

 自分が気にすることではないが、カラチゲイ族のテュグルホクは伝令資格を持つ優秀な騎兵であり、龍人を素手で殺傷するなど身体能力も抜群。かつてベルリク=カラバザルを相撲にて投げ飛ばしたという点では高評価。遊牧民的観点だと男らしい面構えで性格も多少情に脆いところを除けば真っ当とのこと。歳も三十を過ぎたあたりで落ち着いている。そして以前の小規模な畜害風で妻子が死んでおり再婚奨励策にも合致、特に問題は無い。

 ……この前の豪勢なお菓子類の持ち込みはこれの根回しの心算か? 情報局の方でも奇声が上がっていたと後で聞いたが。

「好きにしたらいい」

「やった! ゼっくんお父さんのお許しが出たよ!」

「父ではないし拘束権限も無い」

「でもミーちゃん、ゼっくんがどう言うかって気にしてたもん」

「気にする必要はない」

 諜報員だとかダラガンだとか、ああいった害的要素が無ければどうでも良いことだ。将来の人的資源向上の一助となれば良い。


■■■


 帝国連邦は今、人的資源以外に畜害風の影響で馬不足に悩まされている。ロシエ戦役で多くの良馬を失っている。そこでプラヌール式騎兵戦術が研究され、その不足が幾分か補われると言う。

 その新戦術とは、良馬に乗る精鋭騎兵が遊撃弓騎兵、前衛槍騎兵を務め、そして平凡か少々出来が悪い騎兵に後衛銃騎兵を務めさせるという混合戦術である。精鋭にしか出来ない仕事は精鋭に、雑兵に出来る仕事は雑兵にやらせて兵と馬の質の低下を戦術で補うという。いずれ人と馬の数が充足された時が訪れたとしても更なる大軍の編制をする時にこの騎兵戦術は有効であろう。これを実戦で証明したプラヌール族長カランハールは慧眼である。

 国勢調査では人口増加中。

 食料事情改善につき餓死者消滅。医療体制整備により病死者激減。内務省軍による介入で内部抗争撲滅。法外的存在の賊の壊滅。再婚、救貧策で夫の死に妻が追従――一部部族で習慣となっている、養う者がいなくなれば乞食になるしかないので自殺した方がいっそ楽という発想――する殉葬、貧困ゆえの自主的な人口抑制手法である嬰児殺しも政治的訓戒もあってほぼ抑制される。無職からの重度貧困化を回避する先進社会主義的就職斡旋業務も動き出し、特に今必要とされている鉄道延伸工事に順次投入中。内政は非常に良好。

 内務長官ジルマリアの偏執的なまでに細かな行政が功を奏している。生かした人数以上に処刑数が多いとも噂されるが、統計によれば生かした人数の方が多いことが判明している。勿論内務省発表であり、処刑人数を自慢する当方の内務省的には嘘を吐く必要はない。

 良いことばかりではない。一部、人間住民の中から士気低下、何かと理由をつけて軍籍を離れたがる者達が出現していることだ。非常に、非常にけしからん。原因は一つ、第二次東方遠征終了後にベルリク=カラバザルが帝国連邦議会の開催を予告したことに始まる。議会議員を各地域から選出することになるのだが、当然各地域の有力者は己か己の息子、娘を議員にしたがる。議員になるために地域からの支持を得る必要があり、また死んではいけないのである。そういった有力者とその息子、娘というのは帝国連邦軍の部隊長、士官級が多く、またマトラ戦役、ロシエ戦役で実戦経験を重ねた得難い者達なのだ。

 ベルリク=カラバザルから直接、議員になりたいからといって軍籍を離れることは許さない、という文言を貰えれば良かったのだが、あの野郎は魔都で開催される臨時御前会議に出発して今頃は船上である。流石に通信が出来ない。あの野郎が帝国連邦議会の開催を予告さえしなければ発生しなかった問題なのだ。また総統位の非世襲化を明言したことにより、議会を通じて次期総統を目指そうという政治的な動きも出てきている。

 第二次東方遠征にだけ集中したい時期にこの横槍。野郎は何を考えているのか、ではない。全くこの事態は考えていなかったはずだ。野郎は昔からそうだが思った以上にいい加減な奴だ。大きいことは言うが微に細々と詰めて考えていない。適当なことをしたあとは大体ラシージ親分がケツを拭いてくれると思っているのだ。けしからん。

 ラシージ親分もラシージ親分でちゃんと――しかも何も言わず――補佐するのだから奴が調子に乗るのではないか?

 ”正当な理由無く、軍務省の許可も無く軍籍を離れるまたはそれに類似する行為を行った者のこれまでの功績は認めず、つまり勲章を授与せず、脱走と見做して処罰する”という宣言をラシージ親分は軍務長官として出した。これにより軍籍を離れたがった者達は諦めざるを得なかった。新しく制定された勲章の数々はマトラ戦役の頃から遡ってこれから大量に授与されることになっており、他の者達が胸を飾っている中、偉い議員になろうとしている者が光り物も無しでいたら非常に恥ずかしいという状況を作り上げたのだ。正直、危なかったと思っている。

 イリサヤルの工業団地の中心、物資集積広場の駅から東へ、ハマシ山脈の鉱山からエシュ川を下って届けられる鉱石が積み上がるジラカンドの港まで延伸中の鉄道建設闘争を視察。

 鉄道基礎が畝のように延々と伸びており、幅を保つ枕木が定間隔で続き、その上に鋼鉄の軌条が乗る。機関車輸送の効率性が分からなければこの膨大な鉄量の投入に理解を示すことは出来ない。時代が時代ならば大陸の森林全てを伐採しても作れない程の鉄が使われているのだ。最新の鋼鉄生産設備が無ければ実現不可能な施設。先進科学もここまでくれば古代人にとっては神の奇跡といったところであろうか?

 第二次東方遠征のために労働者達が汗を流して整地し、杭を打ち、枕木を設置し、軌条を敷設してまた杭で固定していって、小型の人力鉄道車両が歪みや段差が無いか確かめるために試運転に往復する。また疲労軽減のために音楽隊がマトラ労働歌を演奏し、皆が歌っている。


  侵略の雨、祖国を濡らし

  破壊の風が切り刻む

  恐れず戦え、同胞同志

  不断に戦い築くのだ

  守りの家、豊饒の大地、革命守る労農軍

  真に勝利するその日に

  祖国に日差しが降り注ぐ

  振るえその腕、進めその脚、血と汗に塗れよ

  真の献身が明日に実る

  明日の明日へ繋げよう


  反撃の牙、鉄で覆い

  号砲鳴りて突き進む

  忘れず戦え、同胞同志

  果敢に戦い破るのだ

  阻む塹壕、囲む要塞、遥かなる進撃路

  敵を砕くその時に

  戦士の血肉が糧となる

  握れ剣と銃(つつ)、踏めよ軍靴で、死と灰に塗れよ

  敵の滅びが我等の願い

  滅び去るまで戦わん


 建設闘争をするだけが労働者ではなく、給水用の水や塩分補給用のおやつも配られ、一日の作業目標地点には労働者野営地が設営されて給食と宿泊の用意がされている。休息も労働の内。

 万全の補給体制あってこその速やかなる建設労働闘争である。この点を疎かにする者は愚かで浅はかである。悪辣なる資本主義者は補給体制を敢えて経費削減と銘打って行わないというのだから理解不能である。流動的な労働者が無限に供給されるが如き状況を悪用することを許す非社会主義的後進文明なら有り得ることだろう。実際、革命前のランマルカではそのように労働者が、奴隷たる同胞達が使い捨てにされていたと聞く。酸鼻猖獗な状況で革命指導者ダフィドは否が応でも動かざるを得なかったとも言われている。結果人間の絶滅をもって状況が改善された。

 後知恵になるが、現在の帝国連邦のようにランマルカでも多少は労働者階級の人間達を生かしておいても良かったのでは? とは思う。当時の緊急事態を肌身に感じていないからこその意見ではある。

 馬に乗って揺られ、鉄道をしばらく追って歩いていると背後から馬が走る音。そして併走してきたのは荷物を載せた予備の馬に駱駝を縄で繋いで連れて来たジールトにメハレムだ。

「今度こそヘラコム山脈を越えるぞ!」

 経緯不明だが決意表明をしに来たらしい。ブットイマルス分隊は解散した後なのでこちらの指揮系統下にあるわけではなく、報告義務は無い。

 この二人には自由行動が許されている。敢えて義務より解放することにってり多角的な利益を共同体が享受する可能性が期待されている。異端的な自由行動は社会主義的には間違いであるが、硬直思考に染まってはならないのは先進科学的である。帝国連邦に益するのであればこういった存在もある程度許されなければならない。国家運営方針もそのように完全なる硬直性は否定されるべきと判断がされている。

 今後、ジールトのような自由人は増やしていく方針。ランマルカの大陸宣教師にあやかるのなら大陸浪人といったところか。制度化の際にはその名を使うのも良いだろう……いや、それは自分が制度案を出すべきだ。資金物資とある程度の機密情報の提供、軍や商会に対する支援要請権限の付与、そういった後援があれば役目を大きく果たせる。視察が終わったらそうしよう。

 馬上からジールトが腕を組んでくっついてくる。その胸にはロシエ戦役記念章と民間向けの軍事英雄勲章がある。新しく制定された勲章だ。メハレムにも同様の勲章が授与されている。軍属であれば灰狼勲章も授与されたが。

「ゼっくんお父さんはお土産何か欲しい?」

「父ではないし土産も不要だ。自分の思う最善を尽くせ。その為に義務より解放されているのだ」

「うん!」

 制度が整備されていないので今ここで、準備も無いのでジールトに支援してやれることはない。馬や駱駝に物資の類はレスリャジン部族長代理のカイウルクから供与されているのでその点で苦労はしていないようだが。

 そして振り返りもせずに馬を走らせてジールトは東へ去る。メハレムも会釈してから一拍遅れ、馬や駱駝の列を進ませて去る。


■■■


 再編を終えたシャルキク方面軍整列。定数を満たす約五万の労農兵士と、それぞれの馬や駱駝に武器弾薬物資、車両の列。

 各部隊点呼、人員装備点検終了の報告を各部隊長より受ける。

「行軍開始」

 命令。

「行軍開始……行軍開始!」

 副官たる砲兵部長の復唱、号令。

『行軍開始!』

 各部隊長の無数の復唱。

 第二次東方遠征作戦開始。

 行進曲演奏開始。閲兵隊形より行軍隊形へ、士官の号令と下士官の指導により兵士達が蠢いて変形、街道へと進出していく。

 ロシエ戦益で発生した死傷者の補充分には訓練を終えた人間の定住民歩兵が以前より多く混じるようになった。遊牧民と違ってある程度そのまま実戦投入が出来ないような連中だったので少し実戦配備が遅れた形になる。

 まず第一線配備になったのは行軍速度が規定以上に達した者。騎兵ならばともかく、徒歩の人間は同胞より鈍足で持久力にも欠けるので訓練と選抜が必要だった。足手纏いに合わせて行軍速度を落としていては作戦力に関わる。

 第二線配備の定住民兵も今後拡大していくだろう。攻撃作戦には鈍足でも防御作戦には使えるし、第一線の軍が突破した後に追随したり、また逆に後退する時の殿を務めることも可能だ。全て何もかも最精鋭で労農兵士を揃える必要は無い。強兵には強兵に出来ることをさせ、弱兵には弱兵に出来ることをさせれば良いのだ。そこへ更に征服地で捕虜を獲得して尖兵として用いれば帝国連邦軍は理論上世界人口が尽きるまで兵士を抱えることが出来る。龍朝天政の総人口は四億を優に越えるとも言われており、捕虜を尖兵として突撃させる戦術は多用せざるを得ないだろう。それだけの捕虜を脅迫するだけの兵力が必要になり、第二線配備の弱兵でも必要になってくる。

「ブットイマルスに続け!」

『おー!』

「わっしょいわっしょいブットイマルス!」

『わっしょいわっしょいブットイマルス!』

 シャルキク方面軍の行軍隊列の最先頭に立ち、ロシエで習得した”真ブットイマルス”なる術で作った鋼鉄以上の強度を誇る黒い非金属物質――土が元になってるが全く異質――の竿先に括った帝国連邦旗を掲げ、時々横に大きく振って鼓舞しながらサニツァが進む。

 彼女の功績は遡るのならばまだマトラが弱小の独立共和国時代から、ヘルニッサ修道院にて焼け死ぬところだった自分と当時の部下達を救出したところから確認出来る。そして時間を置いてから勧誘した後、兵士として労働者としての功績は抜群であって、記憶にあっても記録に取っていないものが無数にある。既に労働英雄勲章と軍務英雄勲章が授与されているがそれではとても足りなかった。労農兵士の模範……とは少々言い難いが、一つの到達点として例に出されることに間違いはない。

 帝国連邦前のマトラの労働英雄勲章一回。

 帝国連邦前のマトラの軍務英雄勲章二回。

 戦傷を示す髑髏勲章。上限の不動の極星三つ付き。

 精勤を称える白馬勲章。最上級の一等、上限の不動の極星三つ付き。

 勇敢さを称える灰狼勲章。最上級の一等、上限の不動の極星三つ付き。

 マトラ戦役記念章。

 ロシエ戦役記念章。

 そして帝国連邦初となる個人の名を冠した特別記念の”サニツァ記念勲章”が規定され、受勲された。その意匠は英雄棍棒ブットイマルスである。ラシージ親分からも賞状が送られ、シャルキク方面軍司令本部内の壁の天井際に額縁に入れて飾ってある。

 あと受勲されていないのは戦死した際に受ける赤髑髏勲章と、卓越した指揮を称える黒鷹勲章である。戦死はともかく、サニツァのことを考えれば黒鷹勲章は少々厳しいか? 年々思考も科学的になってきているようなので最上の一等は無くても三等ぐらいなら有り得るかもしれない。

「帝国連邦国歌斉唱!」

『おー!』


  垣根を越える同盟を、

  偉大なる総統は団結する!

  不滅の帝国を実現する、

  約束された連邦万歳!

  栄光あれ祖国

  民族は一つに

  結束せよ、同胞よ!

  旗に集え、兄弟!

  祖国に捧げよ、力

  捧げるは皆がため


  高炉で燃える鉄鋼と、

  広大なる農土で繁栄する!

  創造の帝国を実現する、

  組織された連邦万歳!

  歓喜あれ祖国

  人民は一つに

  結束せよ、同胞よ!

  旗に集え、兄弟!

  祖国に捧げよ、力

  捧げるは皆がため


  世界に冠たる軍勢で、

  愚かなる敵勢を撃砕する!

  無敗の帝国を実現する、

  訓練された連邦万歳!

  勝利あれ祖国

  国家は一つに

  結束せよ、同胞よ!

  旗に集え、兄弟!

  祖国に捧げよ、力

  捧げるは皆がために!

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