第272話「撤収作戦」 セルハド
帝国連邦軍撤収作戦開始。第二次西方遠征を終了して第二次東方遠征に切り替える。言葉面だけでも大事だ。損耗した四十万軍隊を大返しに北大陸極西から中央まで戻し、新兵と装備を補充して再編制、尚且つそこから極東まで進軍させる壮大な計画となっている。個人旅行規模でさえ大事である距離感。
「我々は、ロシエ新政府軍はオーサンマリンへ行きます。従って西ユバールへ向かう妖精さん達の重たい列には構っている暇がありません」
「人間は交換条件があると安心するそうですね」
「その通りです。無料程信頼出来ないものはありません」
「こうすればよろしかったですか」
手を出す。
「はい」
握手した相手はロシュロウ商会を名乗る女商人。ロシエ新政府及びバルマン王国、そして神聖教会圏諸国に対して強い繋がりがあるようでただの商人、御用聞きでは無さそうだ。
オーサンマリンに進軍するロシエ新政府軍への補給業務を邪魔せず、あちらはこちらの世界革命進行を妨げない。少なくとも撤収が終わるまでの間は、という取引。ロシエ新政府が革命勢力であるかは我々の基準では白黒付け難いが、戦略敵の一時的な一致がされた上でのことである。
戦略敵とは神聖教会。
神聖教会とロシエが停戦合意をしたことに帝国連邦は従ったが、停戦から講和条約へ移る前にロシエ、バルマンの領域から撤兵してロシエに対する圧力を取り除くことにした。本来なら帝国連邦軍という圧力でもってロシエに不利な講和条件を飲ませる手筈だったが、しかしそれを引っ繰り返す。
ロシエあえて粉砕せず、総統閣下がそのように決定した。
目論見は明確。ロシエを粉砕しないで存続させて神聖教会圏への対抗勢力とし、帝国連邦西側の戦力均衡を調整することだ。仮にロシエを神聖教会に屈服させたならば、戦争の終盤に戦った精強で技術的にも優れたロシエ軍基準の”大”聖戦軍と我々は国境を接することになるのだ。戦略危機を迎えるところであった。
大層に傷つき、ロセアという重鎮中の重鎮を失ったものの――死亡の経緯は不明だが容易に死ぬ立場とは思えない――ロシエ軍こと、ポーリ・ネーネト率いるロシエ新政府軍の主力は健在。無残な現行の聖戦軍相手なら勝てる戦力を保持する。力で屈服出来ない相手に不利な条件を飲ませるなど不可能である。
我々は迅速に撤収する必要がある。余分な荷物は現地で捌き、必要最低限の装備で身軽に行きたい。
気候寒冷化と内戦と殺戮焦土に加えて市場取引の影響で高騰に次ぐ高騰、実物からはかけ離れた値をつける麦袋の山をロシュロウ商会の下男達が崩して馬車へ移し、ロシエ新政府軍が向かう西の方角へ運び出している。
「これらはバルマンへ譲渡する約束の食糧です。受け取り先はそちらでよろしいのですね」
「そのように」
バルマン人の補給将校が頷く。
「お願いします」
ロシュロウも頷く。
バルマンへ譲渡した食糧が即座にロシエ新政府軍へ――全てではないだろうが――ロシュロウ商会経由で回されている。渡した物がどこを”跨いで”行こうが知ったことではない。
バルマン王は生存策に苦慮しているように思える。バルマンもロシエでありつまり飢饉に陥っていたのだがそれを分け与えるというのだ。神聖教会圏も一枚岩ではない。第一次西方遠征の経緯を思い出せばこの程度の工作はあってもおかしくない。
ロシュロウ商会の車列にはこの食糧だけではなく、東方から送られてくる武器弾薬に衣服も加わっている。この食糧以外の補給物資の出所、バルマンという門を潜る前と潜った後の経緯は政治家達の興味を引くだろう。人間達がより一層今後争ってくれるのならば何も問題は無い。
前線工廠の位置からはロシエ新政府軍の姿は直接確認出来ないが、聞いた情報とこの補給線の太さを見れば何となくその姿と未来が見えてくる。
短期決戦で決着、人心を早期に掴まなければ枯れて落ちる。機会を手にするだけのことはあるが長く手中に止めておけない程度。ポーリ・ネーネトという者の政治力が試されるだろう。
尚、神聖教会の聖職官僚から余剰食糧の高価買取などという話が持ち出されたが全て拒否してある。
■■■
前線工廠解体、どうしても撤去出来ない物は爆破。撤収する際に現地勢力へこの設備は渡さない。全て爆破処分とすることも検討されたが引渡し先が見つかった。同胞同志の革命組織であるユバール革命戦線である。ややこしいが、同志であるが人間の革命組織である革命ユバールではない。
解体した工場設備、戦闘で劣化した小銃に大砲、弾薬類を供与する。ランマルカ革命政府の北大陸橋頭堡に当たるユバール革命戦線には当然のことながら北海の同志の支援がついているのだが、今は鉄屑一片でも惜しい情勢らしい。
惜しいと思わせる姿は実際に確認出来る。神聖教会圏中の共和革命派の同胞同志達が集って来て、厳冬の中でも金属塊の大重量物であるそれらを運び出している。馬や牛のような運搬手段を潤沢に持っているわけではなく、小さな同胞の身体に合わぬ大きな荷物を担いでいる。これだけでも多数の死者が出るだろう。防寒具の余りも分けたが絶対数は足りていない。殺したロシエ人の衣服を剥いで重ね着するという対策は出来るので、疫病防止にまとめて埋めた場所は教えてやった。
ユバール革命戦線ではなく戦時協力を果たしてくれたバルマン王国に対して設備と装備を供与する予定ではあったがそれは変更されている。
この任務を早急に終えたい。
悪い報せがあった。魔神代理領の南大洋連合艦隊が龍朝天政の南覇艦隊に対し、タルメシャ沖で敗北。ジャーヴァル周辺まで制海権が後退とのこと。スラン川で龍朝天政と睨み合いを続ける我々、魔神代理領共同体の剣たる帝国連邦がこの事態に動かないわけにはいかない。ナレザギー財務長官の商会の主要海洋貿易路が敵対勢力によって三分の一が潰され、もう三分の一が危機に晒されている状況でもある。
今や帝国連邦は財務長官の商会の協力無しでは大戦争を行えない軍編制となっている。生存圏の質的拡張が自己完結段階に至るまではこの外線は守らなければならない。
そしてそこにもう一つ状況が追加される。大寒波の到来で遊牧帝国域全域に畜害風が吹き荒れて大きな被害が出ている。勿論、帝国連邦の盟友遊牧民達の居住地域も同様だ。全人民防衛思想教育に基づく各自治体民兵組織は戦時以外でも平時に互助する仕組みに成っていて、被害抑制のために早急に即応的な対策が講じられた。また総統閣下は世界中で高騰している穀物を飼料として、戦略備蓄分まで無料配布すると宣言。人徳に優れ、求心力の向上が見込める。
さて帝国連邦は大寒波への対策をしたがスラン川以東の天政下の遊牧民はおそらくそうではないと考えられている。弱体と混乱は必須で、救いを求める志向が強まっている。飼料の無料配布の噂も天政下へ流すというのだから遊牧民達の考えは強引にでも変わってしまう。
その思考が変わってしまっていると思われるスラン川以東の天政下の遊牧勢力に対し、こちら正規軍は大返し中なので急行出来ないが、準備万端に攻撃準備を整えていた非正規軍がいる。
総統閣下はウルンダル王でもあり、その名代として戦死したウルンダル宰相ブンシクの息子、新宰相シレンサルが非正規騎兵五十万をあたかも総統代行かのように、教導団のゾルブに後援されつつ指揮して攻撃を開始したらしい。遠方の出来事なので続報待ちなところはあるが、ゾルブの指導が入っているのなら手堅い軍令が出されているだろう。軍務長官としてラシージ親分がその攻撃作戦に指示を出していることは間違いが無く、当面は順調に戦況が推移しそうだ。
このように大急ぎで東へ正規軍を返さなければならない理由がある。非正規軍が緒戦を勝利で飾ってもその後が続く保証は無い。手薄なところを奇襲攻撃でやり込めた、程度の戦況である。天政軍とて何度も手痛い目に遭い、軍事改革を進めていることは間違いない。大規模火力運用に長けた正規軍を迅速にぶつけるべきである。
迅速に動くためには行動計画を立ててその通りに動かす。これは既に始動して軌道に乗っている。
騎兵部隊を先頭に帝国連邦軍のほとんどは帰路についている。我が統合支援師団第二イリサヤルはまだ現地バルマンに留まっているが最後の後始末を担当していると言っても過言ではない。その軌道に乗った計画に些細な変更を加えろと言う者がいる。
荷物を長距離運ぶためには計画が必要だ。荷を積む車列がどの道を進み、どの通行証を使い、どの関門を通り、どこで寝泊りし、どこで荷を乗せ替えるかを考慮して動かす。全て連動する歯車のように無数の車列が渋滞を避けるように動く。予測される馬と牛と車の損耗も考えた補充計画も立てられている。ここに計画の変更を挟むと非常に、非常に効率が悪い。一つ車が一時停止を余儀なくされるだけでそれから後ろ全ての車が玉突きに遅延を強要される論理だ。
毒瓦斯の薬剤を譲ってくれとうるさいユバール革命戦線の交渉担当に上位同胞のヒルドとかいう奴がいる。荷物が増えれば計画は遅れる。荷物が減れば計画は? 勿論、荷降ろしの時間がかかるし計画表もその遅れに従ってずれて狂いが生じる。柔軟性に富んだ計画というのも理想だが難しい。
情報局によれば第一西方遠征にてヒルドは傭兵隊長としてこちら側の陣営に参加。素行は傭兵らしく、信用し難いとのこと。
「薬剤はこちらで使う予定があります」
「もう終戦ですが?」
「帰路に敵対勢力が妨害行動に出た場合使用します。持っているというだけでも抑止になります」
現在我が帝国連邦軍は神聖教会、聖戦軍に宣戦布告されてもおかしくないことをしている。道中の襲撃は有り得るので相応の装備は必要になる。車列の計画に織り込まれている。
「では越境した後に」
「共和革命勢力が横断出来ると?」
ロシュロウとの約束はロシエ領内でしか有効ではない。それ以外での保証は当然のことながら存在しない。
「それはそちらの商人経由で輸送を。船一隻分でも」
「別の作戦があります」
海路も車列のように行動計画から逸脱する要素が挟まると効率が悪くなる。陸と違って積載量に限りがあり、航路計画もある。そして船で運ぶ兵員物資の量は膨大で余裕が無い。
「ユバールもランマルカも薬剤原料が出ない。新大陸とキューベクス諸島では出るのですが、今即座に使う分が欲しいのです! あと化学戦の教導隊も欲しいというか、無ければ使えません。防毒装備もです! 勝利の実現のために」
「原料輸出はランマルカに要求して下さい。原産地で成分が違えば製法も違ってきますが、その点はあちらで研究済みでしょう。供与する工場設備を使えば作成出来ます。運用は操典を参考にして訓練して下さい。マトラとユバールで兵も設備も事情が異なります。あなた方に合った運用方法を見つけないといけません」
「薬缶投射砲の技術を。あれは供与される図面にも無いではありませんか」
「現場で応急的に作成したので正式な図面はありません。装備見本は供与表にありますのでそこから現物から解析を。運用手引き書類も運用記録も表に記載していますが確認しましたか?」
「しましたが、使ったことがありません!」
「実験を重ねてください。運用する者が理解するまで重ねることです」
「技師の一人も残してくれないのは何故ですか!」
「軍事機密です」
帝国連邦における武器需要は高まり続けており、毒瓦斯剤は筆頭の一つ。生産工場の拡大に技師供給がこのままでは追いつけない。また第二次東方遠征における前線工廠の第一建設予定地はザカルジン”大”王国。現地人雇用、指導を計画しているのでユバール革命戦線に割り当てる適当な者がいない。海という巨大な防壁があるランマルカと違って我が軍は常に敵勢力と国土を接し、戦場で使う以外にも備蓄をしなければならず、耐用年数が過ぎれば廃棄しなくてはいけない。常に生産する必要があり、技術者が要る。
ユバール革命戦線の化学戦事情に関してはランマルカ革命政府の強力な後援があるのだから問題無いと判断している。我々が今使っている毒瓦斯技術は昨日今日開発したものではない。既に技術交流でランマルカに渡っており、そちらの経路で指導が入っているはずだからここまで食い下がる必要があるのか……ああ、そうか。違うことを考えているのか。
「伝令」
「は」
「憲兵隊に技師拉致の可能性ありと」
「は」
待機していた伝令が出る。
「同胞同志である我々を疑っているのですか!?」
「ヒルドさん、君、信用出来るの?」
「当然です! 共に世界革命を成し遂げる仲間ではありませんか!」
「伝令」
「は」
「偵察隊にユバール革命戦線に対する監視強化を。疑いあれば射撃してよろしい。射撃した場合は死傷に関わらず報告を」
「は」
待機していた次の伝令が出る。
「信じられない! 人間に対する勝利を前に内分裂を扇動するとは!」
「まるで君とは人間と話をしているようだ。我々が協力出来ることは可能な限り書面で記してある。今行っている話し合いでは互いに気付かないような不足箇所を指摘し合うものだ。化学戦装備、操典に関してはこれ以上供与出来るものは無いと言っているのに何故食い下がる? 大きく要求をして妥協すると見せかけて本来より余分に獲得しようという魂胆が見える。その余剰獲得分をどこに隠匿しようとしているのかな?」
「言いがかりだ!」
「それは良かった。不正が無いことに越したことはない。さて化学戦装備以外で気になることはありますか? 供与表を再確認することを推奨します」
「いえ、結構です!」
「では言い方を変えましょう。ユバール革命成功のために必要なことを今一度考えて供与表を見なさい。それからもう一度話を聞く。警備」
「は」
「今日の夜まで勉強出来る時間を確保した上で彼を監禁するように」
「は」
警備責任者に命じた。
人間社会に汚れた同胞ばかりを集めていることは良く分かった。地理と歴史がそうさせるのは仕方が無いことだ。そういうことは教育で矯正するよりないだろう。
「陰謀だ!」
「そういう言葉、通用すると思って発言しているのか?」
以降、ヒルドは口を閉じた。
■■■
前線工廠の解体は時間が掛かる。爆破解体ならともかく、一から部品に分けて他の物と混ざらないように識別番号票をつけて梱包し直し、欠損破損があれば修理や補充をする。細かな部品製造工場は最後まで稼動させてある。
問題は発生する。ロシュロウの車列とこちらの車列が同じ道を使って渋滞が起こるというもの。迂回路建設の指示、一次車体を路肩に寄せる空間を設けるなどの指示を与える。こういう何度も起きる問題があれば専門の対応部署を編制し、作業が必要なら専属の部隊か、他の作業を行っている部隊から一時人員を借りることが出来る権限を部署担当者に与える。それから新たな別の問題が発生した時、既存の対応部署で対処出来るのならばそこへ任務を追加して必要なら人員を補填し、性質が違い過ぎるのなら新たな対応部署を編制する。
権限がいる仕事は最高責任者がするしかない。バルマン軍将校に、まだこの地に商機があるのではと商品を持ち込もうとする商人がこちらに来て通行妨害をしないようにと要請し、自由行動を取る商人に強制する権限は無いと返答を得て、バルマン王に対して強制執行を行うか我が軍の部隊を各関門に配置するかを選択させるという交渉を行ったが、このような案件は部下には任せられない。王に物申すならばそうするしかない。バルマンの場合、内戦直後なので官僚組織が未整備でそのような要請をする相手が王しかいないという事情もあったが。
他にも部下に任せることが出来ない来客がある。機密情報を含んだ相談を持ち込んでくる者。
「工場移築の隊列に混ぜて貰えないかな、同志セルハド。ああ失礼、大統領閣下。思わず昔なじみに喋ってしまいました」
「同志スカップ、いえ結構、喋り易いように」
大陸宣教師スカップ。初期のランマルカ留学組ならば全員が世話になっている。どうやら彼は人間の男一人、女二人、奇怪な獣人一人、人面鳥一頭? を連れて西ユバールに向かう様子。警備兵に見咎められること必然の姿であり、任務を果たす労農兵士に囲まれてこちらまでやってきた。最高責任者である自分の許可入りの通行証が欲しいだろう。
「通行証が必要かな」
「滞在もさせて欲しい。ここ、安全圏に来るまで休む暇が無かった。聖域から離れてする仕事は格段に疲れるね」
「伸びきった補給線、どころではない」
「正に」
通行滞在証を人数分作成する。
「各人、名前を」
「スカップ、八番の大尉、ペセトトの亜神の鳥、獣憑きの猫、モンナウカ族のアーラ、ダンファレル・ガンドラコ」
ダンファレル・ガンドラコとはバルマンの王太子か。要人を隠密裏に移送とは大事だ。変装なのか防寒具で顔を隠すようにしているあたりバルマン王の同意があるかは怪しい。
背の高いダンファレルの姿、広い肩幅を見て訝しげになっているバルマン将校が見受けられる。そして思い切って声を掛けようとすれば、小さい方の女がヤンとばかり発声する未知の言語で捲くし立てて牙――肉食獣のもの、普通の人間ではない――を剥いて威嚇。奇怪な獣人も小銃を持ち直していつでも撃てるぞ、と見せて追い払う。でも気になると遠巻きに見れば、大きい方の女が錯視効果のある目が複数ずれて描かれた仮面を被って呪文を唱えて呪い始めて遂には諦めさせる。諦めてからの去る歩みは遅く、最後に人面鳥がバルマン将校を凝視しながら異形の巨体で迫って追い立てた。
「馬と替えと車に食糧も欲しいね。道行く同胞同志にそれを頼むのは酷と見える」
工場設備と装備を受け取り、担いで歩いていく西ユバール行きの同胞達の姿は薄汚れ、凍えてくたびれている。ここに到着した時に気が抜けたかそのまま倒れて死ぬ者も多い。革命に参加する道中、次いでに荷物も運んでいくという流れだが。
「たぶんそちらも分かっていると思うのだが、一言」
「何かな」
「ユバール革命戦線に集っている同胞達、軍閥を作ろうとしている。把握は?」
「しそうな連中だったけど本当にしてたんだね。ヒルドかな。あれは不穏分子筆頭だ」
「今監禁してもう一度革命成功のために考え直してこの……」
西ユバールを目指す同胞同志達の列を見やる。
「……供与表を見て発言しろと言っておいた。猶予は今晩まで」
「同胞同志は助け合うもの、とはいえ手間をかけてくれて有り難い。僕から一言掛けておこうかな。いや、どうしようか、ああ、決めたよ。同志セルハド、ちょっとだけ協力を」
「どうぞ」
「事業は僕が引き継ぐよ。少し手間だが説明してくれないかな」
「少々……」
付士官に「……日程表を」と言い、確認する。
統合支援師団”第二イリサヤル”に与えられた任務と照らし合わせる。
一つ目の任務。聖王領、バルマン経由でのポーリ・ネーネト率いるロシエ主力軍のオーサンマリン入城を支援するロシュロウ商会を初めとする反神聖教会系の人間勢力の補給活動を邪魔しないこと。また撤退時に放棄する食糧をバルマン軍に渡すこと。これによりロシエ主力軍は補給線を支えられた状態で政権奪取に向かっている最中。これは既に軌道に乗っている。
二つ目の任務。前線工廠を解体し、その設備をユバール革命戦線に供与すること。また持て余した原材料、使えるけど廃棄するような中古装備も供与する。第二次東方遠征へロシエから持っていけないような物品を処分する廃品処理任務。これは今ヒルドからスカップに担当を替えようかという話になっている。大陸宣教師スカップに任せた方が問題無さそうだ。
三つ目の任務。第二次東方遠征につき貿易収支の悪化対策に、南大陸東部に対する進出をナレザギー財務長官の商会が開始する。これには今まで書類上だけの存在であった傭兵公社が動く。その為に、中古ではないが東へ運ぶには重荷である装備を一度フェルシッタへ運ぶ。そこで傭兵公社に参加予定のフェルシッタ傭兵団のアデロ=アンベル・ストラニョーラへ引渡す。バルマン撤収後のことになるが、撤収が延期になると相手の予定が狂うので遅れることは許されない。
四つ目の任務。フェルシッタを後にしてからはペシュチュリア港から出て、魔都経由で水上を行ってザカルジン”大”王国へ上陸。別経路から運ばれる資材を受け取って即座に前線工廠建設に移る。魔神代理領系の資本も投入され規模も大きくなる見込みで大工事となるだろう。
既存の部署では対応出来なかった分の臨時対応部署の編制も終わって作業は全て軌道に乗っているところである。ここに悪条件を追加して遅延することは避けたい。ヒルドという奴を相手にして効率的に任務を遂行出来るかと言われれば否としか言えない。
「では引継ぎを。供与表に不備が無いかの確認から」
「大変結構。そうそう、その前に連れに休む場所を。疲れているし、目立つ」
「彼らに宿泊所の提供を。生物学的に特異なようだから食事に対する要求には出来るだけ応えるように」
「は」
付士官に命じておく。それから供与表をスカップに見せる。読みながら話が続く。
「さて同志セルハド、ヒルドは拘束し続けておいて欲しい。何を企んでいるか、彼の”同志”がどんなものか後で吐かせる」
「ヒルドの監禁を無期延長。脱走、自殺を許すな」
「は」
戻って来た伝令に命じておく。
「同胞も教育が無ければあのようになってしまう」
「その通り。ユバール革命戦線に集る同胞同志達は神聖教会圏で独自に生存適応してきた。してきてしまった。当然の弊害だが、ランマルカとしてはこの規模は経験が無い」
「我々の時も百万に迫るほどの同胞を受け入れたが、また更に規模が大きい」
「ロシエは昔から妖精の使い方が上手い、と言われていた。それだけ抱えて手放さないでいた。そして世界的な気候の寒冷化による貧困、飢饉が発生、これにより今まで手元においていた妖精を食べさせることが出来なくなって手放さなければならなくなった。そこに工作して呼び寄せたが、ざっと確認出来ただけで二百万は固い。家畜と同じで頭数に税金が掛かっているが、どうも財政危機に陥ってからは大分隠していたようで書類だけじゃ全体の数は把握出来ていないけどね」
「こちらの倍。それも段階的ではない。無理が掛かる」
「うん、一度の受け入れでしかも受け入れ先が整備されていない。でもそれだけの人的資源、そちらの中古装備とこちらの支援装備、合わさればユバール奪取も不可能とは言えなくなる。人間主導の共和革命派、ユバール王権復活を画策する王党派、ロシエへの復帰を目指すロシエ派、エデルトの傀儡となっている東ユバールの貴族派、ユバールは今支離滅裂だ。少なくとも橋頭堡を確保出来る隙間は十分にある。そちらのベルリク=カラバザル総統が行っている古い人間を殺して新しい人間に入れ替える瀉血教育法、大いに参考にさせて貰うつもりだ」
「教育だけで対応する時間は無いと」
「それは残念なことだ。ユバールには身を守る柵も無い。君達のように集団教育を一からしている猶予は無い」
「取り寄せないとならないがこちらでの同胞教育記録が使えるはず。一切今後教育をしないわけにいかない」
「確かに。後で要請しておこう。あー、こちらではなく北海経由、ニズロム経由がいいかな」
「その方が早い。今、本国からこちらにまで遠路機密情報を送るのは面倒が多い」
「確かに……読み終わった」
「気がついたことは?」
「鉄蟹、木蟹と呼ばれる新兵器について。残骸は押収してあるかな?」
「それを持っていきたいと?」
「こちらに譲って貰えればペセトトの専門家の協力も仰ぐことが可能だ。遠路あのような機密情報の塊をそちらが運ぶより、こちらに渡してくれた方が早く安全に研究が出来る」
合理である。神聖教会がその存在に気付いているかは分からないが、気付いているのならばあらゆる手段を用いて盗難を図ると考えて良い。それほどまでに鉄蟹木蟹は強力な兵器だ。
「現物を?」
「勿論」
スカップを連れ、警備厳重に保管されている鉄蟹木蟹の残骸が置かれた天幕へ行く。
原型は止めていない。木蟹の破片を可能な限り拾い上げ、目撃情報と照らし合わせて姿を再現するように並べて置いてある。鉄蟹状態の姿も目撃者の証言と照らし合わせ、こちらは絵にしてある。外れた装甲や火器もある程度は回収したがほとんどが散逸してしまっている。
「重要な胴体内部の操縦系統などの仕組みに関しては完全に潰れているので不明。中には二名分の肉と骨が確認された」
スカップが部品を手に取りそうになり、引っ込めてから眺めて回る。時折鉄蟹の絵を眺めて比較する。
「ペセトトの呪術人形を解体、部品を付け替え組み合わせた物なのは間違いない。オーサンマリンで兵器として使われたという記録があるが、それかな。大変興味深い」
「これ一機しか確認はされていない、代替機の無い特注と思われる」
「後でこちらの情報局に問い合わせをしてみよう。ただ呪術人形製作技術をロシエは持っていないはずだ。どうにかしてペセトトで鹵獲したものを調整したのだろうが、これ程に強力な兵器なら今回の戦いに間に合わずとも今、オーサンマリンで量産体制に入っていてもおかしくない。しかしその様子は無い。大物を隠匿して生産する程の施設はあそこにはない。そして北大陸への新大陸軍帰還からこの蟹の開発まで余りに時間が短過ぎる。余分な開発に資源を投入する余裕はロシエに無かったはず。あるなら分かる。これ程の規模のものを秘密に出来るわけがない。推測するに、天才的な理術研究者が脇目も振らずに再現性を無視して作ったというところかな……おや、本当にこれだけ?」
木蟹の破片を指先で数えていたスカップが、他にも無いのかと首を巡らす。
「ポーリ機関は未搭載。金属を外側に弾く術を強力に発動しながら動いたと報告にある」
「完全に呪術人形に頼って動かしていたわけだ。しかし呪術人形の操作技術をロシエ人が持っていたとは少々信じがたいが」
「奇跡ならば」
「ああ! そうか、それを忘れていた。人形使いの術なり奇跡が扱える操縦者がいれば良いのか。うんうん、トゥリーバルの土人形使いという有名な例もある。そうか、納得出来る」
「ランマルカに持って行くのならば梱包に準備は必要だが」
「是非」
「解析結果が届くのを待っている」
「そうだね」
■■■
前線工廠の完全撤去を見送り、東へ統合支援師団”第二イリサヤル”を動かす。我々が帝国連邦軍の最後尾である。
バルマン領へ進入すれば、バルマン軍は西ではなく東の聖戦軍に備えてオーボル川沿いに配置されていた。
我々がオーボル川を渡る時、まるで迎撃体勢を取るように聖戦軍が川沿いに並んでいた。
全軍に戦闘準備をさせて進む。
「化学戦用意」
「は。化学戦用意」
労農兵士や馬にも防毒覆面を装着させ、敵中で毒瓦斯を散布する準備を徹底させた。
オーボル川の渡河支援に我が軍の部隊が、野営と称して砲兵隊を用意して待っていてくれている。
気の抜けない帰路だ。撤収作戦は敵勢力圏内を脱するまでが撤収作戦である。
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