第245話「戦略展開」 ストレム少年

「わー待て待て!」

「捕まらないよ!」

 運動は楽しい。口ばかり動かし耳に神経を尖らせるのは大層疲れる。

 下位同胞に追わせ自分は逃げる。一人単調に走練するよりも複数で行った方が走る目的もにわかに設定されて身体の躍動する感があり、短時間でも良い疲労が生まれる。

 中洲要塞にて見下ろす人間共の隙間を潜り、小路に入って迂回捕縛を試行する下位同胞の混乱を誘う。

「トゥリディシュ!」

 すると物陰から現れた子人間が腰に抱きついてきた。最近、サニツァが連れて来たという遊牧民出身の養子ジールト、通称ジーくん。話語はヤゴール語らしいが詳細不明。”捕まえた”あたりか?

「捕まった!」

「わ! ジーくん待ち伏せしてたんだ! すごい!」

「ホントだ! ジーくん伏撃名人!」

 言葉は通じてないが、同胞に成功して褒められて笑って、それから顔を隠すのに自分の服に鼻を擦りつけてくる。これは照れるという、身の丈に合わぬと思い込んだ賞賛を受けた時の人間特有の行動だ。

「こらジリャーカ! どこ行ったの! 出てきなさい!」

 サニツァが初期から連れている養子ミリアンナが高く大きな巻き舌声で、通りでジールトのヒルヴァフカ風愛称のジリャーカの名を怒鳴っている。昔はあまり喋らなかったらしいが、最近は大きい声を出して時には同胞に生活指導をしている。生活指導官ナシュカのように打撃指導こそしないが、聴覚痛撃傾向がある指導を行うので中々に恐れられている。多少肌が色黒いこともあり、上位同胞の一人が”小ナシュカ”などと言ったが。

 ジールトは通りから隠れるように自分の体を陰にする。これは最小限の動作で危機回避を行う、全生物共通の行動だ。

「んむむー」

 そして何やら唸る。隠密行動に協力して欲しいという非言語的な通達か。教育未修了の幼年者が時々やってしまう行動で、意思疎通に齟齬をきたすために指導対象である。

「ジールト、唸っているだけでは分からない。要望があるならちゃんと喋るんだ」

 言葉は通じておらず、音感で意志伝達をしようにも内容が少々高度であった。言語体系が近いならそれでも通じやすいが遊牧諸語系統だと少々厳しいか?

「あ! ジーくん見っけ!」

 今度は通りではなく、小路の奥、裏通り側からの声。労働及び二度の軍務英雄勲章受勲者に輝いた、人間ながら労農兵士の鑑と賞賛されたサニツァである。新式装備の量産計画を守った英雄である。

「あ! ストっくんも見っけ! ジーくん、ストっくんお兄ちゃんと遊んで貰ってたんだ。良かったね!」

 ジールトが自分から離れてサニツァに抱きつく。新たな有力な被保護対象の出現だ。

 怒鳴るミリアンナ程ではないがサニツァは普段から号令でもかけているのかと思うほどに声が無用に大きい。通りにも声が通った。

「あっ、こらジリャーカ! お手伝いしないであんた何やってんの!?」

 恐れをなしたジールトがサニツァの臀部側に隠れる。目を吊り上げた小ナシュカの登場だ。追いかけっこに参加していた下位同胞もその声を前に怒られた気分になって耳先を下げる。

「今日は荷造りしてマトラに行くって言ったでしょ! ちゃんとしなさい!」

 ゼクラグ顧問直下の特命作業員サニツァは労務に軍務にあちこちを転々とする。その属一般派遣労働者であるミリアンナと言語未習熟の属一般幼年者であるジールトはその異動に従って行動する。人事費用がやや掛かるが、英雄の労働力と戦力を前にすれば些細な問題である。

 こちらも通訳官の任を終え、ハッド同胞の砲兵技官との通訳、翻訳作業を通じて砲兵技術に習熟しているとして砲兵士官教育課程へ進むためにマトラへ戻ることになっている。おそらくこの人間達と道中は一緒だろう。

 ミリアンナが小路を進んでくる。下位同胞が道を譲る。我々は本能的に指揮系統序列を把握する。

「ジリャーカ! 何隠れてるの!? 隠れてないでお姉ちゃんの目を見なさい!」

「ミーちゃんお姉ちゃん、あんまり怒っちゃダメだよ?」

「サニャーキ甘い!」

「はい……」

 人間同士の諍いに参加しても益体は無い。

「今度は僕の番だ!」

「わっ、逃げろ!」

 追いかけっこ再開! 中洲要塞は元々猥雑な造りだった上に、要塞化によって更に複雑化していて追いかけっこをするのに楽しいのだ!


■■■


 本年の夏を持って東スラーギィ作戦は事実上終焉した。東スラーギィは草と水は悪いが非常に広く、思った以上に開拓民が入植出来たので一旦打ち切りとなる。環境への適応は定住民なら厳しいところだったが、遊牧民ならではといったところ。独立勢力化するのを防ぐため、レスリャジン傘下意識が強まるまで西のレスリャジンと東の開拓民の勢力均衡を県知事オルシバが志向した結果の打ち切りだ。

 打ち切りになった後もオルフからの亡命、入植希望者が内戦の激化で後を断たない。これ以上はレスリャジン氏族が頭数で負けるので追い払う方向に転換した。人口が増えすぎると新しい自分達の土地が侵犯され、拡張の余地を失う危機感から東スラーギィ住民は西より苛烈に追い払う傾向にある。作戦でオルフ系住民を石で撲殺する儀式も苛烈さを助長したことだろう。

 東スラーギィ作戦でアッジャール系住民を獲得しつつも、皆で協力して敵を粉砕して団結を強めた。しかしこれはまだ一時的な作用で、恒常的な作用とするために、そしてレスリャジンが筆頭であり続けるためにも排斥方針となった。亡命者を受け入れるという噂が流れてしまっているためにこの方針転換は並々ならぬ衝突を生むが、それが逆に好機。撒き餌効果によって団結のための標的がやってくるのである。情報の鮮度にはむらがある。

 亡命者改め、侵略者達をレスリャジン騎兵旅団で狩る。オルフとの国境線沿い、ペトリュク領からメデルロマ領までの長い東西で狩猟する。

 生存者に関しては慣例となった石打ちの通過儀礼にて殺傷。通過儀礼を済ませてこれ以上やる必要の無い者ばかりとなったため、殺さなかった者達は両オルフへ払い下げることになっている。ペトリュク、メデルロマでの支配勢力は変わり続けるが、双方が常に欲しがっているのは人と物。消耗する人員と物資欲しさに、両オルフは南部交易路欲しさに、スラーギィ北縁で戦闘を続ける、これらで獲得された外貨はマトラとスラーギィの復興強化のために投入される。

 復興が進み、全労農兵士、マトラ人民防衛軍への旧式装備の充足が完了した。これは旧式工場から新式工場への転換と同時に計画的に行われた。今後わずかに残る旧式工場は旧式装備の整備用部品の生産に留まる。

 同時期、新式工場が本格稼動を開始した。民兵ではない正規兵力たるマトラ人民義勇軍のための二万人分の装備充実をまずは目指す。今後の機動的な国内活動、攻撃的な国外活動のための精鋭集団だ。

 マトラの復興はほぼ成った。余力が出来たので県南部の平地における街道、運河の拡張工事にも注力。道路に至っては極力勾配を排除したコンクリート道路に換装予定。焦土戦術本位で考えれば整備のし過ぎは敵の攻撃を助長するが、道路封鎖は橋の爆破、コンクリート塊の落下で十分と判断された。それよりも快速道路により戦力、火力集中の方が防御に優位と判断された。

 アッジャールの侵攻時には国内生産だけでは軍需を賄い切れなかった。より一層の太い後方連絡線を配備することにより、前回のような大規模襲撃があっても対応出来るようにする。魔神代理領商人も貨幣を欲するので外貨の準備は欠かせない状態になりつつある。

 先進的社会主義の純粋性を保つには生存領域が不足している。完全に外部から遮断されても国防力と生産力を維持できる体制を維持しなくてはならない。今はイスタメル州傘下にあって安全圏にあるが、以前まではそうではなかったし、将来的に以前の危機的な状況に戻るとも限らない。スラーギィ政策を通じてマトラの生存圏を拡大するべきなのだが、最上位同胞達はいかに考えているのだろうか? 砲兵士官候補生にはまだ無用な心配であろうか?


■■■


 幼年教育課程の時は成績抜群で課程を短縮し、修了した。砲兵士官候補生課程でも、使われる教科書を翻訳したのは自分であり、内容は誤訳が無いか表現に誤解が生じないかと細心の注意を払って読み込んでおり暗記している。座学に関してはその課程が短縮された。

 しかし、自分には決定的な弱点があった。それは筋力である。そう、未だ身体は幼く、大砲へ砲弾や火薬袋を詰めるのも、装填棒で押し込むのも一苦労なのだ。成長を待たねばならず、いかんともし難い。サニツァに”ちっちゃいストっくん可愛い!”などと成人扱いされないほど小さい身体は軍人として未熟。人間と体格に大きな差違が無いランマルカの血が入っているので一応年齢水準で比較すると他の同胞より大柄ではあるのだが。

 座学の代わりに体力練成を行うことが砲兵士官候補生としての責務となった。砲兵士官は指揮する立場にあるが、戦闘中はいつ部下を失うか分からず、装填作業も砲の機動、弾薬運搬でも人手が足りず、指揮官であってもその手を使う状況は容易に想像出来る。例え部下が皆殺しとなっても一人で弾薬装填から発射まで行うことが出来て当たり前だ。年に数度の訓練をするだけの平和な国の軍ではない。

 マトラ軍体操を行って体を温める。

 左右反復腿上げ。その場から動かず、膝を股関節の高さまで上げることを左右交互に反復。

 肩部旋回内回し。拳を握り腕を前に突き出して肘を伸ばし、肩を大きく前部へ回す。

 肩部旋回外回し。回す向きを反転。

 半屈伸。膝に手を当て、腰を落として膝を曲げ、そして伸ばす。

 胸部開閉。拳を握り腕を前に突き出して肘を伸ばし、内側に交差させて肘を重ね、脇を閉めつつ肘を脇につけて出来るだけ後ろへ反らす。

 前方傾斜首左回し。頭部の前方傾斜を意識して首を右回し。

 前方傾斜首右回し。回す向きを反転。

 前屈後ろ反り。膝を伸ばしたまま、掌を地面に着ける。そうしてから腰に手を当てて腰を後ろへ反る。真後ろを見る。

 左右斜方前屈。腰を左に捻ってから前屈動作を行い、身を起こしてから今度は腰を右に捻ってから再び前屈動作。

 小跳躍。その場から動かず、膝をあまり曲げないで小刻みに跳躍。

 左側屈。足を肩幅に開き、左手を腰に当て右腕を上に伸ばして腰を左に曲げる。

 右側屈。曲げる向きを反転。

 腕前振り屈伸。膝を曲げると同時に前に突き出した腕を下げ、膝を伸ばすと同時に腕を胸の高さまで振り上げる。

 深呼吸。胸を広げて大きく限界まで吸い、息は全て吐き尽くす。

 ちなみにジールトが隣で真似をしている。彼は幼年者であって労働者ではないので勤労義務が無い。通常ならば幼年教育課程で読み書きを学ぶのだが人間であるし言葉も通じていない。確かミリアンナが暇を見つけては言葉や文字を教えていたような気がするが、彼女が食堂で働いている時間帯は暇なのだろう。

 次は強行軍……もどき。小銃、野営可能な装備、物資を含んだ荷物を背嚢に入れ、ぶら下げて持って山道を歩く。幼い身には余りに重い。体重より重いのだ。

 ジールトは己の馬の手綱を引いてついてくる。邪魔ではない。何か口を出してくるわけでもない。不慮の事故で行動不能になった場合は助けを呼ぶ期待が出来るのでむしろ保険として好ましい。時折、急に拳銃と騎兵銃の中間程度の銃で野生動物を銃撃狩猟する発砲音に驚く程度。獲物は皮を剥いで馬の鞍に吊って歩いており遊戯ではない。

 行きと帰りの体力を考えて歩かなければならない。倒れるわけにはいかない。

 帰りの道は辛い。呻いて顎が上がる自分に「兄ちゃん、兄ちゃん」とジールトが何やら応援らしき声を掛けてくる。簡単な言葉は覚え始めている。無論血縁ではない。

 往復が終わってまだ余力があれば執銃動作訓練を素早くやって上半身を鍛え、藁人形へ向かって銃剣刺突訓練を繰り返す。

 時間が立って号砲が鳴る。

「課業止め、昼前の授業終了! 課業止め、昼前の授業終了! 食事と休息を取り、昼後の授業に備えよ! 食事と休息を取り、昼後の授業に備えよ!」

 重くなり、意識しないで身体が動くような感覚の中で食堂へ向かう。

 この食堂の配食係にはミリアンナが含まれる。係の同胞達に大きい声を出して指導している。

 自分が受け取る番になるとやってきて、不法ギリギリのところまで食事を大盛りにして寄越す。ジールトも同様。

「農民さん、労働者さん、兵隊さん、いただきます」

 ジールトも真似して言おうとするが言葉を理解して喋っていない。ヤゴール語が分かれば指導も簡単なのだが。

 ジールトには口の形、舌の動きを言葉一つ一つに分解しつつ手短に教える。長く付き合っている暇はないので手短だ。食事を終えたら着替えをして、昼前の疲れを出来るだけ癒した後に、昼後の課業では新式装備を使った教育訓練がある。また昼後の課業開始の号砲は砲兵士官候補生が今は発射することになっているので少し早めに出ないといけない。

 夜になると、夕食を食べた後にジールトがミリアンナに料理して貰った獲物の肉を持ってくる。身体を大きくしなければならない今の自分には必要な栄養だ。


■■■


 秋頃には新装備のマトラ人民義勇軍総数二万、大砲八十、斥候騎兵少数による編制が完了した。自分のような士官候補生などの訓練未了者も含んだ上で、ではあるが訓練課程の修了は時間が解決する。

 一新された装備は先進的だ……完全充足はまだだが。

 全兵士には軽量鉄兜、中帽、防刃襟巻き、絹製防弾着、鉄板入り長靴を標準装備させる。消耗戦となれば後方要員も歩兵とならねばならないし、敵の後方襲撃は当たり前に警戒しなくてはならない。

 絹製防具に関しては、我々はランマルカのように気象条件から島内ではなくわざわざ新大陸で生産をするような苦労はしなかった。魔神代理領内では当たり前に絹が流通しているので調達に苦労が無かった。

 軍服は以前までのような民兵服や平服ではない、灰色斑模様の野戦服に統一。戦列歩兵戦術よりも散兵戦術を重視する方針を固めた故の配色だ。対騎兵及び火力集中用の密集隊形訓練等は勿論怠らないが、今後世界的に増大するであろう砲火力を見越しての判断。ランマルカ式の薄茶色の軍服、野戦服よりも先進的である。ランマルカでさえまだこの灰色斑模様のような迷彩野戦服は一部特殊部隊でのみ採用されているだけだ。後進故の利点であろう。

 また機能性よりも外見重視の、戦列歩兵的で人間的な儀礼式典で見栄えのするような軍服は採用しないことに決定。今後必要性が生じれば儀仗兵装備として用意される可能性はあるが、生産工場枠の圧迫に繋がる。儀礼服装を扱っている服屋に外注するのが適当ではないかとも言われる。

 小銃は滑腔式のマトラ=シュレッフェン銃から三十三年式ヤンフォールン施条銃が歩兵の標準装備として配備される。弾薬装填の遅さを補う拳銃も全兵士に配備する。

 工兵のみならず一般兵も土木作業を行うのが軍の方針。最低でも個人用塹壕程度は工兵に頼らずとも自力で掘れるようにという考えだ。折り畳み式円匙を拳銃のように全兵士に配備。これは白兵戦時に、刃を研げば斧のように扱える。銃剣格闘すら困難な乱戦時、特に狭い塹壕戦で効果を発揮するだろう。

 新兵科として突撃兵が誕生した。小銃を持たず、代わりに拳銃を四丁、そして刺突可能な棘付き棍棒を代わりに持つ。そして肩当、小手、脛当てを追加で装備して白兵戦に強くした。四丁の拳銃は胸甲としての機能を兼任するため、その鞘は胴体前面に装着される。重装備負荷に耐えて短期的な走破能力が要求され、身体能力格別な者を選別して割り当てる。食糧配給量も上げる。適格者達は自分が強行軍もどきの訓練に使う荷物など軽く背負って、意識がやや遠のく程に感じた山道など革命歌を歌いながら走り抜けるような連中だ。道で行き合う度に「ちっちゃいストっくん頑張って!」と言われた。

 新兵科として猟兵が誕生した。三十四年式ヤンフォールン狙撃施条銃を装備する。最精鋭の偵察隊員資格者程ではないにしろ、射撃能力抜群な選抜射手相当者を選別して割り当てられる。快速な散兵、狙撃兵として運用されるので疲労要因となる装備は基本持たない。軽量鉄兜、絹製防弾着、長靴用鉄板は人数分配備されるが適宜作戦内容に応じて装備しない。彼等は山道などではなく山林、川などの不整地を走って集合、離散の訓練を繰り返していた。


■■■


 月日は過ぎて砲兵士官候補生課程を修了した。身長も伸びて体重も増え、砲弾装填にあまり苦労しなくなった。正式に砲兵士官としてマトラ人民義勇軍に配属された。

 新型の施条砲を一門任された。上位指揮官の指示を聞き、状況によっては応用を利かせ、部下に指示して標的を撃つ。あのハッド同胞の砲兵技官の言葉一つ一つが指揮をする度に有用で正しいと感じる。無用に男性器に関して言及していたことが少々雑音と思わないでもないが、アッジャール族の迎撃、操典の翻訳編纂作業、確実に身についている。

 予算と弾薬備蓄量に余裕があれば可能な限りマトラ人民義勇軍は実弾演習を行った。早急に錬度を向上させる理由が出来た。

 ジャーヴァル遠征先にいるラシージ親分より指針を示されたのだ。革命指導者ダフィドが示した共和革命派の段階的影響力増加計画の一つ”しゅるふぇ号計画”路線でマトラは戦略展開する。

 妖精種の保全を目的とした貿易を行う。奴隷となった同胞を輸入して人的資源を確保するというのだ。出産活動だけで人口の増大を図るには限界がある。

 その為の購入費用、外貨の調達、そして奴隷購入を行っているという宣伝目的にこの新式装備の輸出を行うという。

 技術流出が代償としては痛いと思われるが、生産設備、技術の売買ではないから致命的とはならない。兵器とは消耗品であり、生産設備が無ければ維持が出来ない。金属は錆び、磨けば減り、使えば壊れる。基本技術論だけなら既に世に知れ回っている古い知識の集合体だが、分解程度で真髄を理解出来ない生産技術というものがある。決して輸出してはならないのが生産設備、技術であろう。陳腐化した後ならば遠慮することはない。

 同時にマトラ人民義勇軍は対外戦争に参加して実戦経験を積み、質的向上を図る。同時に貿易路も拡張し、同胞を買う範囲も広げ、そして世界展開の糸口を掴むという。

 人的資源の確保、軍隊の質の向上、示威活動、貿易路と影響圏の拡張。これらを対外戦争を行うことによって実現するものである。

 その対外戦争の機会が早速やってきた。ジャーヴァルへの軍事顧問団派遣に続き、今度は北大陸極東のレン朝天政まで遠征するという。海上からの上陸作戦が主任務になるらしい。遠征は軍事顧問団などという規模ではなく、万単位の遠征軍を伴って行くことが決定されている。マトラ人民義勇軍の力を世界に知らしめるのだ。

 上陸作戦と言えば海での行動になる。マトラは山の中だ。

 ゾルブ司令が申請し、マリオルの海軍に訓練の協力を要請することになった。まずは海岸部における迅速な人員、装備の下船、乗船だ。砲兵としては重量物である大砲の揚げ降ろし作業訓練が気になるところだ。海軍の水兵達からは船上での綱捌きを学ぶことになるだろう。


■■■


 冬になり、春になれば軍事顧問団がジャーヴァルから帰還してくるという手紙が先行してやってきた。マトラ人民義勇軍の装備完全充足と予備装備部品の調達はその時期に達成される見込みである。三交代制で工場が稼動を続けている。労働者の生産闘争あってこそ兵士の火力闘争が実現されるというものだ。

 そして春を前にしてスラーギィ県知事オルシバの息子カイウルクが、道中はベルリク=カラバザルの代理として、ジャーヴァル戦争で行き場を無くしたレスリャジン氏族を親とする諸遊牧民族を引き連れて陸路で帰還して来るという大事件が起きた。

 中でも有力な氏族はアッジャール系のカラチゲイ氏族、ラグト系のムンガル氏族、ジャーヴァル系のプラヌール氏族である。いずれの氏族も千人隊以上の戦力を捻出出来る氏族であり、相当な人数だ。有力ではない弱小、もしくは氏族規模にも届かぬ者達も居て、戦力としては三千騎強、人口としては万の単位。よくこれだけの人数を数十人のレスリャジンの若者達が牽引してこれたものだと思う。統制の効かぬ人間を良く指導出来たものだ。これは素直に感心しよう。

 東スラーギィ作戦にてレスリャジン氏族が新たな体制で出発した矢先にこのような大増員である。混乱は避けられないと思われる。

 そのカイウルクを筆頭に軍事顧問団に随行したレスリャジンの少年達は皆、引き連れてきた諸遊牧民族と通婚を交わしたらしく、その例に倣って在郷氏族と新来氏族も血族的な結束を固めるために結婚を繰り返すことになり、輸入される祝儀の品がマトラの山中を南から北へ引っ切り無しに通る。

 東スラーギィ作戦の例に倣えば、また何か軍事作戦の必要性を感じる。ただあの騎馬軍団を海路で送るわけにはいかないだろう。

 マトラ人民義勇軍が海路を進んでいる時、スラーギィの方では何が起きるのか? 生きて帰るまで知れぬままか。

 世界地図を見るにレン朝は遠い。遠過ぎる。

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