第215話「真に祈る」 マリュエンス(外務卿)

 朝早く、寒気で起きた。布団の中の暖かさと部屋の寒さの差が際立つ。

 窓がやけに白く光っているように見え、曇っている。

 聖都に雪が降った。

 暦では冬に近いが、一応秋だ。異常気象か?

 窓を開けると冷たい空気が流れ込む。窓枠、塀の上、庭の枯れる前の花と木に雪が薄っすら積もっている。

 シャッシャッと音を立てて召使いが道の雪を箒で掃いている。

 箒の筋が入って雪が除かれ、黒っぽく湿った石畳が見えてくる。

 カッポカッポと馬の蹄、ガラガラと車輪の回る音……近いな。

 扉が叩かれてから、少し急いでいる様子が伺える執事が入室。

「失礼します、旦那様」

 塀の上から双頭の犬の旗が見えた。こんな朝早くに到着とは、馬を替えながら急いでやってきてくれた様子だ。

「朝食が要るようなら誘っておいてくれ。要らないなら後回し、話が先だ」

「畏まりました」

 まず着替えるか。


■■■


 ロシエ王国大使館。本国の混乱の余波もあるが、一応機能は死んでいない。共和革命派等に対する連絡の取り次ぎ等は公式に行っていない。

 馬車で尋ねてきたのは聖王親衛隊の隊長家筋のハウラ・リルツォグト=ロシュロウ。カラドス王家、特にノナン夫人と、分家のケスカリイェンやグランデン大公家の連絡協力に従事している方だ。卓を挟んで座る。

 厨房の方にはやっと食事にありつけたという感じの聖王親衛隊の隊員を召使いが案内している。

 ロシュロウ夫人から手紙を受け取って内容を確認。

 水を飲む。目の前の朝食は後回しだ。

 こちらの提案に対して”全て合意”である。グランデン大公のではなく、聖王陛下の花押で、である。

「聖王陛下自ら?」

 健康な人事不省と呼ばれたマリシア=ヤーナ陛下が花押を書いた? 個人的な手紙ならば普通に書かれる方だが。

「お願いして書いて頂きました」

「お加減の程は?」

 セレル八世陛下、アシェル=レレラ殿下が暗殺された。そして嫡子の胎児の男の子も亡くなり、ユキア陛下も寝込んでいらっしゃると聞く。惨状を目の当たりにされた聖王陛下も精神的な痛手を負っているのかと思った。

「今年は麦の収穫が悪いから残念だと、そのくらいで」

「鈍い方でかえって……いや、失敬」

「いえ。姉はそういう人です。いいのです」

「姉?」

「母が、お前ら親父が一緒だと。証明は出来ませんが」

「確かに、メイレンベル伯の、あー確かに似てらっしゃいますね」

 男も首もあっという間に落とすといわれる稲妻フィルエリカのご息女である。そういうこともあるのだろう。

「一つお願いがあります」

「可能なことならば」

「暗殺者の情報、何か得られたらお願いします。ランマルカの手の者でしょうが、聖王領域外の捜索は難しい。しかし聖王親衛隊、なめられ続けるわけにはいかないのです」

「必ず。我々の仇です。可愛い甥の仇です」

 セレルは温厚で知的だった。

 リュゲールはやんちゃだったが正直で素直だった。

 アシェル=レレラは純朴で明るかった。

 元気に生まれるはずの男の子は可愛かったはずだ。間違いない。

「……冷めてしまいましたが、どうぞ」

「頂きます」

 訪問する旨を伝える手紙を、食べたら書かねば。


■■■


 聖オトマク寺院へ馬車で訪れる。聖王陛下の、ケスカリイェンの合意が得られたならば秒と待っていられない。相手側からも直ぐに訪問して構わないとの返書を受けた。

 正式な大使として寺院の正門前に馬車が停まるのだが、その前で停まった。

「どうした?」

「抗議団体のようですが」

 御者が困った声を出している。馬車から扉を開いて外を見れば、正門前で鎚矛を持った黒衣集団が石畳を石突でカチ鳴らしながら大きな声を上げている。抗議をしている様子だが何を言っているか分からない。

 邪魔だ。門衛を務める聖皇衛兵も困っている。

「ここで降りる」

「お気をつけて!」

 抗議集団を避けて、通用門の裏にいる衛兵に話しかける。

「ロシエ外務卿マリュエンス・カラドスだ。急用だ、開けられないか?」

「マリュエンス外務卿ですね、訪問予定はお聞きしています。どうぞ」

 衛兵がさっと通用門の閂を抜いて扉を開けた。中に入る。

 抗議集団が背後から突撃してくるような錯覚を覚えて背筋が固まったが、振り返ればそんな様子は無かった。

「何だね彼等は?」

「スコルタ島浄化救済の尖兵修道会の修道騎士の方々です。何でも、エデルトのアソリウス軍の略奪が酷いから止めさせろと言っているらしいです」

「そうか、ありがとう」

「いえ」

 聞き取れないと思ったらスコルタ方言か。本人達はフラル語を普通に話しているつもりだから聞き取れないのもしょうがないか。

 寺院に入り、広い廊下を進む。前聖皇の趣味が払拭されたのはいいが、今日の雪も合い間って異様に寒々しい。長椅子に座って雑談している高僧達の足元には火鉢があるので頼めば貸してくれる様子だが。

 廊下を進む。地域にもよるが、名ばかりで暇を持て余している深紅の法衣の枢機卿がいる。その内の一人が火鉢も無く、腹の前で腕を組んで寒そうにしている。

 こんなところで暇を潰さないとならないとは同情申し上げたくなる……と思ったが、近づけば。

「猊下、お体を冷やしますよ」

 ルジュー猊下だった。この甥のことだ「火鉢を持って来ましょうか?」と尋ねた小僧には自戒のつもりで遠慮したのだろう。通りがかる小僧が困った顔をしているので何となく分かる。後で注意されるのは彼等なのだから持ってこさせれば良いのに。

「叔父上殿……私の処遇は決まりましたか?」

「そのようなことを仰らないで下さい。今日は希望があります」

「いえ、自分勝手なのは分かりますが、どちらに転んでも私はゴミ扱いなのでしょう?」

「そのようなことはありません」

「隠居、出来ませんか?」

「全力でお支えします」

「それは心強い」

 二十にもならない若者が、こんな疲れた顔で皮肉を。

「成果が上がりましたらご報告に参ります」

「……聖女に頼めば目を抉ってくれるか?」

「猊下」

「なんでもありません。気の迷いです」

 愛人でもつけて常に監視しておかないと怖いな。


■■■


 聖女の執務室を訪ねる。途中で出迎えに来たエデルト擲弾兵にしか見えないような修道士に案内される。

「失礼します」

 執務室に入れば、聖女が手に糞をつけ、彼女なら一飲みに出来そうな泣いている赤子のおむつを、大きな指で取り替えている。

「少し待ってくれ。中々こいつはこちらの都合を考えてくれない」

 聖女が取替えを終え、召使いの修道女が持つ水盆で手を洗い、少し嗅いで、石鹸で洗い、もう一度嗅いでうなづく。

 帝国連邦からの人質、リュハンナ=マリスラだったか。

「申し訳ない。おむつぐらいは取り替えてやるという約束でな。さて、本題に移ろう」

 見上げる程大きい、エデルト最強の”男”ヴァルキリカ・アルギヴェン。四十半ばだが若々しく、巨人症のような身体に歪なところはなくむしろ均整が取れている。エデルトで古くから信仰されている極光修羅ヴァルキリカ女神の化身と言われても全く違和感が無い。生まれる時代が違えば腕力だけで第二の聖王となるに時間は掛からなかっただろう。

「聖戦軍に対し停戦を申し入れます」

 聖女猊下に驚いた様子はない。先を知っている余裕も感じる。針の穴があったらそこに通すのは糸程度に自明な話ではある。

「こちらがそれを受け入れる必要性は?」

「帝国連邦軍に我がロシエの軍事力が破壊された場合、共和革命派の抑えが無くなります。また停戦した場合は共和革命派の絶滅に人口減少を受け入れて挑みましょう。次代の国王は還俗したルジュー一世”陛下”とします」

「拒否をしたら?」

「さもなくば、カラドス=ケスカリイェン朝ロシエ=エグセン連合王国マリュエンス五世が誕生されます」

 聖王陛下から取り付けた、もしもの場合の合意である。御嫡子への王位継承、そして聖皇聖下への変わらぬ恭順の意志。

 ロシエ王国への攻撃は聖戦軍には不可能となり、尚且つ聖女猊下が聖都からエデルトに繋げたがっている南北の線を強力に断ち切ってしまう。聖戦軍指揮権を失ってお飾りになっている聖王の権能も、ロシエとグランデン派エグセン諸侯の力を合わせれば十分に神聖教会筆頭となり、実力に裏づけされた聖王となる。

 受け入れれば純粋なカラドス王朝が続く。受け入れなければ神聖教会圏が聖王派と聖女派に割れる。聖女猊下の選択は?

「マリュエンス卿のお人柄は良く分かっている。嘘ではないとな。だがさて、糞垂れる幼子から糞垂れる老人まで面倒を見なければならない立場としてはロシエからの言葉だけでなるほどと納得が出来ない」

「ですから停戦を求めます。講和ではなく」

「講和させられるだけのものがあると言うのだな」

「はい。確かな筋で確約を得ております」

「停戦直後にルジュー枢機卿への戴冠、共和革命派へ攻撃開始をするというのだな」

「はい。ロセア大統領と合意に至っています」

 ロセア卿が様々な案を条件分岐で用意されている。セレル八世……殿下、アシェル=レレラ殿下、名も亡き御嫡子亡き今、この通りになる。

「なるほど。かの魔族元帥殿はそのようにか。なるほど。それはそれは、ランマルカが黙っていないだろうな」

「はい」

 御三方を暗殺した者達は依然として所属不明である。ただし、人間の物ではない火器の使用や、人間ではない刺客が確認されている。人面の鳥、連発銃、連射砲、空飛ぶ馬車。尋常ではない。そして全てがランマルカを指し示す。

 だがそれ以降がオーボル川を越えた後が分からない。あの稲妻フィルエリカですら討ち取られた。生半可な追跡者じゃ返り討ちに遭う恐ろしい刺客であることが分かっている。

 刺客個人への復讐は恐らく不可能。であるならば命令を下した、御三方が死んで得した者達に仕返しをするしかない。

「敵はランマルカ、妖精です。そしてそれに踊らされる哀れな民衆です」

「講和するにあたり、敗北で構わないのだな?」

「既に勝ち負けではありません。生きるか死ぬかです。当然生きる道を選びます」

「ユバールは独立する。どのような国にするかはともかく、ロシエから切り離される」

「はい」

「バルマン王の独立領域を認める」

「はい」

「ロシエ王国軍は聖戦軍指揮下に入る」

「はい」

「ロシエ王国内の聖職叙任権は聖皇の専権事項である」

「はい」

「アラックの王冠は返還される」

「はい」

「アラックもか?」

「レイロス卿に確認を取っております。馬に乗ると落ちるから要らないそうです」

「それはかの御仁らしい。そうか。一先ず猶予を持って関係各国に賠償金を支払って貰うが、適当なところで帳消しにする。騒ぐ馬鹿がいるのでな。鼻薬代は出して貰おう」

「はい」

「一応の講和会議はするが、この打ち合わせ通りならこれ以上も以下も無い。停戦の使者を出そう。到着までの被害は享受しろ」

「ありがとうございます」

 聖女猊下が聖なる種の形に手を切り、合わせ、瞑目して唱える。

「聖なる神が遣わした悪魔の鞭に、今少し神の僕ロシエが耐えられますように」

 同じく手で切って真に祈る。

 しかし帝国連邦軍、言うことを聞くのか?

 そして使者の到着までの道のり、凄まじく遠い。西から行っても北から行っても。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る