第201話「ランマルカ」 大尉

 獣の丘より、道中の各部族から馬を借りて食糧を分けてもらえる伝令用の認証を”馬”が持つことにより、馬の乗り捨てが可能になり、狩猟と料理の手間も省けた。そうして行きより早く移動。

 帰りの道中、駅にて軍から”認識番号八番、伝言あり”という伝言を受け取り、近場の要塞に寄って通信部から”認識番号八番はダリーバトムではなくニルサスターの総督府へ出頭せよ”との連絡を受けた。念のため発行年月日を確認したが、獣の丘への調査任務に向かった後である。

 駅のような末端部にまで伝言が出されるというのは至急の案件である場合が多い。”馬”は文句を言ったものの、”狼”と”猫”には引き続き協力して貰いたいので同行を頼み、了承された。

 ニルサスターは純然たる軍事要塞である。壕に塁、低く厚い壁と塔が張り巡らされて砲門が並ぶ。

 その周囲は敵が隠れられないよう林は完全に伐採され、岩石は撤去、土の盛り上がりも削り、海水が撒かれて草も生えず、一段掘り下げた形で整地されている。海に接続する水門を開くと海水が流れ込んで塩性湿地帯と化すことにより敵包囲軍が長期間留まることも、塹壕を掘ることも不可能にさせる。汚物を流し込んで一種の毒沼にするという選択肢も持つ。

 非常に素晴らしい防衛機能であるが攻められたことは一度も無い。この要塞がこの形になる前、ランマルカ人間が住んでいた時に我々が上陸攻撃を仕掛けた時を除けば。

 身分証明を行ってから有事には爆破されるか、余裕があれば分解回収される木製陸橋を渡り、右に左にと直進して門に到達出来ない道を進んで中に入る。

 一般開放されているわけではないので中には市場や商店のような施設は無く、官舎に兵舎に食堂に配給所、倉庫や工場等ばかり。変わった物としては市街戦用の、重臼砲の直撃に耐える設計で屋上に土盛りがされている防御塔程度か。

 ”馬”が「見て回るところとか無いの?」と言っていたが全く無い。港ならば一応、停泊中の軍艦が見所と言えば見所だが、部外の民間人がうろついて良い場所ではない。

 総督府一階、待合いの階で三人には待って貰って、受付の案内で三階の軍務の階へ行く。

 そこには同志キャサラと後任と思しき後任の大陸宣教師が居た。同志ピエターより若い。世代交代を感じる。革命第一世代はそろそろ全員が引退する時代だ。

 敬礼。返礼を受ける。

「出頭しました」

「同志大尉、待っていました。伝言が届いたようですね」

「はい」

 同志キャサラの声がわずかに弱くなっている。体力が落ちている。

 後任の大陸宣教師が命令文書を手渡して来たので受け取り、読む。内容は簡潔”認識番号八番は情報省大陸宣教局へ出頭せよ”である。つまりランマルカ本島の首都へ行かなくてはならなくなった。

「認識番号八番、同志大尉の新大陸での活躍は本国でも非常に高い評価を得ています。大陸宣教局は貴官の力を必要としています」

「了解しました」

 わざわざ大陸の外から指名が掛かるとは一大事か。

「私が乗ってきた郵便船が一番埠頭に着岸しているからそれに乗って下さい。艦番号四一一三。同志キャサラも帰郷のために同乗します」

「了解しました。これは同志ピエターからです」

 同志ピエターからの手紙を手渡す。

「受け取りました。ダリーバトムに預けていた同志大尉の荷物は既に船に積んであります」

 荷物の中には大口径狙撃銃がある。ロセアの頭骨を粉砕する機会は無さそうだが、単純に射程距離に優れるので使い道はある。

「つきましては、以前から雇っている”狼”と”猫”との雇用継続交渉がしたいのですが許可を頂けますか?」

 ランマルカ諸島か北大陸かもしかしたら南大陸、旧大陸方面での任務になると思われる。そして”狼”と”猫”は現地の案内には勿論暗いが、この亜神の脚力に問題なく追従出来るのは現在、獣憑きの二人だけである。いかに各軍が保有している偵察隊が精鋭であろうと生物としての限界がある。その上で二人は護衛、観測手として超一流。

「任務内容を明かさないという条件で認めます」

「了解しました」

 後任の同志が椅子に座って手紙を読み始める。

 同志キャサラがやや足元不確かに歩くので、腕を取って支えて一階へ。

「”狼”くん。また継続して雇用したい」

 ゴロ寝用の毛皮絨毯の上に寝転がっていた”狼”が跳ねて起き上がる。

「いいぞ。で、何処に行く?」

 二人には今の新大陸に残っていて欲しくない。直ぐに行動を起こすのかは分からないが、複雑な情勢によって敵対してしまう危惧がある。そんな気がする。

「旧大陸方面。一先ずランマルカ本島へ行ってそこで詳しい任務を受ける」

 流石の”狼”も腕を組んで唸る。

「こっち側なら即答だが、あっちか?」

 長椅子の下に潜り、一階にいる妖精達の視線から逃れる試みをしていた”猫”も出てくる。

「猿てめぇボケかましてんじゃねぇよ」

 話に関係の無い”馬”が、何故か”狼”を庇うような位置に立った。

「そんなとこ行かなくていいでしょ、何で旧大陸になんか行くのよ」

 二人の事情を考えれば旧大陸側に連れて行くというのは中々、とんでもない話だ。民間協力者に求める段階を超えている。

 ”狼”の顔を見る。

 この顔も見納めかもしれないと思うと精神的に苦しいものがある。

 その大きい手を握ってみる。頼りになるのだ。

 顔を見る。彼は今何を考えているのだろう? はい、か、いいえ?

 不安になってくる。その目を見て心中でも察せないだろうか。

 獣の丘で異界と呼称される何がしかへの通路を看破したこの、おそらく亜神になることによって付加ないし増強された術で見ることは出来ないだろうか。

「ちょっと、いつまで手繋いで見つめてるのよ」

 ”馬”がうるさい。

 人に何となく狼のような特徴が混ざったようなこの”狼”、マティルズの力が欲しい。

 継続雇用を持ちかけることは出来るしそれは許可された自分の権限内。だが詐術のように感情に錯覚させるような論理を用いて口説くという行為は出来ない。二人の信頼を裏切ることは出来ない。

 決定権は二人にある。”狼”に”猫”が追従するのならば”狼”一人だ。

 どうしたらいい? 命を取る技術ならいくらでもあるが、心を取る技術は習得していない。

「分かったよ」

「デカブツ、マジかよ。しょうがねぇな」

 ”狼”と”猫”を継続雇用することに成功した。

「じゃあ私も行く」

 何故か”馬”が名乗りを上げる。

「健脚を生かして荷駄馬として働きたいってこと?」

「誰が荷駄馬よ!」

「”馬”くんを雇う理由が無いよ。それに船には部外者は乗れないし、ランマルカ本島行きの船は民間で出していないからついて来れないよ」

「見る魔術とそれから呪術も使えるし、道具も作れるのよ」

 ”狼”が頷いてその実力の程を肯定する。信頼する彼がそのように反応するのならば考えよう。

「じゃあこれは作れる?」

 呪術弾を見せる。同志エイレムから貰った骨の、念じた箇所に命中しやすくなる呪術の弾丸だ。

 ”馬”が呪術弾を手に取って眺める。

「これくらいなら作れるわよ。もっと面白いのもね」

 人差し指と親指で大口径弾の大きさを再現。

「この大きさでも?」

「拡張性の高い呪術刻印だから大丈夫よ。いける。これは元々鏃に刻むやつだし、ちょっとやそっと形が変わったからって変わらないわよ」

 ”狼”が、手斧の柄を開けて中から手元に戻ってくる骨の呪具を取り出した。

「こいつを作ったのはアーラだ。腕は信頼出来るぞ」

 手斧を投げて当てて手元に戻ってくる、その機能が確かに働いている場面は目撃している。能力は実証済みということになる。

「”馬”くん」

「アーラって呼んでよ! 何よ馬って!」

 一々大声を上げる。馬の方が静かだ。

「言い辛い。”馬”くん。よろしく、君も継続雇用しよう」

「アーラ!」

「”狼”くん。よろしく」

「おう」

「”猫”くん。よろしく」

「あいよ」

 継続雇用が叶ったので早速港の一番埠頭へ行く。ロシエ新大陸軍の輸送や、旧大陸方面で増加した諸任務、ロシエの新大陸脱落によって行動予測が一時的に難しくなったエスナル軍への警戒任務で停泊している軍艦の数が普段より遥かに少ない。

「嫌だ! クソッタレ! 船って聞いてねぇぞ!」

 嫌がる”猫”を”狼”が首根っこ掴んで運んでいる。港に向かってから騒ぎ出した。

「旧大陸側に行くと言ったじゃないか」

「ヤーアー!」

 言葉になっていない。かなり怒っている。


■■■


 船は郵便用の快速船。大砲は搭載しておらず、蒸気機関は船体に対して巨大。喫水は浅く、船体軽量で細長い。

 キューベクス諸島沿いの複数の給炭基地を経由するので蒸気機関は常に石炭を節約しないで運転される。また船足が鈍る程に石炭を積載しない。

 燃料の節約のためではなく増速のために帆走を行うので帆は煤に汚れている。

 高緯度を通るが夏になっているのでそこまで寒くはない。この海域で冬の嵐に遭遇すると海から跳ねた海水が氷の塊になって飛んで来て船員の顔を砕くような難所であるが、季節が違うと快適なぐらいだ。

 ”馬”は初めて船で沖合いに出るとのことで、航海の初めは船酔いでゲロを吐きながら船室に篭っていた。慣れてからは水浴びが出来ないとか便所が男女共用で気に入らないとか煙草に火を点けたら警告されたとかぷりぷり怒っていた。

 ”猫”は海に出るのは初めてではないが好きではないので終始文句ばかり言って騒ぎ、点検、停泊時以外動作を続ける蒸気機関の震動と騒音と悪臭に文句ばかり言って騒いでいた。慣れるまで辛かったようで泣き出すこともあった。


■■■


 キューベクス諸島も通過し、ランマルカ本島まで航路も半分まで到達したという頃。船旅に慣れ、疲れ、頭が半分ぼやけた頃。”馬”が禁煙に文句を言わなくなって、”猫”が帆柱に昇る余裕を見せるような頃。

 船員達の間から奇怪な現象が確認されていると報告が上がるようになった。

 意志の強い者も、耳が良い”狼”も”猫”も異変が起きていると言い出した。

 蒸気機関の異常かもしれないとのことで機関が停止され、帆走を行いながら煙突の経年劣化、何かの衝撃で変形して吹奏楽器のように異音が発せられたとの推測に基づいた点検整備が行われたものの異常は認められなかった。

 機関が停止したままの風と波だけの静かな夜、外の空気が吸いたいと同志キャサラの手を取って甲板までの移動を補助した。

 月に照らされる、船が掻き分けて作る海面の紋様を見る。

「故郷に帰るまで寿命が持ちそうです」

「はい」

 風に混じって変な音が聞こえる。帆を綺麗に西からの追い風を受けて進んでいる。船に異常が無いというのならば、風に音が乗ってきていると考えられる。

「あ!」

 あ?

「同志キャサラ、聞こえましたか?」

「感嘆するような声が聞こえましたね」

 カチッカチ、と船体の固いところに固い何かが当たる音。船員達が異音だと船体や周囲を見渡し始める。

 自分も見渡すと、帆柱の梁から逆さにぶら下がる変な塊が見えた。異形であり、毛のようなものが垂れ、そして長い首に人面。

「”鳥”くん!?」

「大尉さんこんばんは! この船とっても早いね! やっと追いついた!」

 小銃を持ち出した船員達が甲板に出てくる。

「射撃禁止! 射撃禁止! 僕の仲間だ! 敵ではない!」

 ”鳥”が下りて、足の爪で甲板をカチカチ鳴らしながら歩いて来た。久しぶりに、そして夜にその姿を見ると思ったより大きく、異形の姿に本能的な恐れを感じてしまう。捕食者と獲物のような。

 奇怪な現象とは”鳥”の歌声だった。


■■■


 船長に”鳥”の乗船許可を求めた。規定と照らし合わせ、どの事例が適応されるかを決めるのに時間が掛かった。

 洋上で意図しない人物を乗船させるというのは遭難者救助以外にない。外交要素が絡む他国船からの移乗のようでもあるが船からではない。自国の軍艦に民間船からも違う。捕虜の取り扱い条項は使えない。飛んだり泳いだりして友好国の者が乗船してくる場合の規定が無かった。とりあえず、洋上に漂っていた遭難者が自力で船に這い上がってきたという体で扱うことになり、そして自分が遭難者を現地雇用してその責任下で管理するとして”狼”達のような乗船枠に当て嵌める。

 それから直ぐに事件が起こる。”鳥”は歌うのが好きで、船員達が士官が歌に意識を奪われて操船を失敗して事故を起こしかけたのだ。このような失敗で自分は責任を負うのだが、内容は妨害行動を再度行わないと判断されるまで牢に監禁である。”鳥”と一緒に牢に入った。

「航海中は歌ったり、鼻歌をやるのも禁止」

「うん!」

 牢と言っても半分倉庫のような、複数人をまとめて捕らえておく場所なので結構広い。”鳥”は歌う代わりにクルクル踊り始めた。

 自分もクルクル。

 牢は暇だ。やることがなく、船上の好ましくない食事だけが楽しみになる。

 そんな暇な牢に”猫”は良く遊びに来た。暇なのだ。

「化物! 何しにきた化物!」

 ”鳥”は素早く猫の襟首を噛んで持ち上げ、寝台代わりの藁の山に連れて行って上に乗って暖め始めた。

「おー何だこれ! 化物お前頭おかしいだろ!」

 口の割りには気に入ったようで昼寝をしていった。夜も寝に来た。

 ”馬”も牢に様子を見に来た。暇なのだ。

「おわ!? 恐っ、あ、ごめん」

 ”鳥”を見るなりビビって、そうかと思いきや羽毛を撫で回して「おおー、凄いよこれ!」とはしゃいだ。

「ねえ大尉さん、私の作った呪術弾試して欲しいんだけど、これ出れる?」

 それから牢番伝いに船長へ射撃訓練の許可を求めて了承された。

 ”馬”が作った呪術弾の材料は、キューベクス諸島の各島に停泊した時に手に入れた骨である。

 ”狼”と”馬”が訓練のために今日まで海上の漂流物を回収して、的として機能するように浮きを強化したり的になるような”立った”部分が増設されている。準備の良さは”狼”の指導だろう。

 ”馬”が海へ漂流物を投げ込み、”狼”が風速を計り、自分が照準を調整した小銃と大口径狙撃銃で狙って撃つ。

 ”猫”が「外せ!」と横で騒ぐので全弾当てた。使用したのは全て”馬”の呪術弾である。性能は確かだ。妖術師なる名乗りは本物だ。

 そうして射撃訓練と呪術弾の試し撃ちを続けていると、ピー、と笛? が鳴った。

 当直士官か曹長が吹いたかと思って海上から船上の方へ振り返ったが、違う。見張りについていた船員が「向うの亜神です!」と腕を伸ばして指差す。その方向を見れば見学名目で出ていた”鳥”が翼を広げて空中で旋回しており、そこから笛のような音が鳴っている。口笛だ。

 ”狼”が望遠鏡で確認。

「鯨だ、海面ギリギリ下にいる。あまり大きくないが、新鮮な肉が食いたいな。大尉さんなら潮吹きの時に鼻から脳みそを撃てないか?」

 大口径狙撃銃に呪術弾を装填する。

「風、東を中心に南北に振れる、速度は毎時十五イーム前後」

 ”狼”が風速計で測っている値を告げる。船が進む分風速が増しているのは前からだが、海面から出ているかどうかの遠距離目標を撃つのは初めてかもしれない。白波が立つ程ではないがうねりもあり、海面が障害物になっている。

 照準合わせの前後ネジで狙撃眼鏡の位置を最大望遠にまで。

 弾道補正の縦ネジ、偏流補正の横ネジはそのまま。距離があるが、船が移動し続けているので直ぐにズレる。それなら基準値が良い。

 銃身を船縁に置く。右手は銃把と引き金、銃床は右胸に押し当て、左手は銃床の上に添える。

 鯨は何時海面から出てくるか分からない。呼吸を止め、体の微妙な震えを抑えて待つことは出来ない。呼吸を最小限に抑えて待つ。

 待つ。

 ”鳥”が口笛で激しく、ピーピー! と鳴らす。

 海面から黒い皮、曲線を描く背中が浮上する。鯨と船の進行方向は偶然にも同じのようだが、速度差から遠ざかりつつある。

 待つ。

 黒い背中の一部、穴が開く。

 引き金をゆっくり、徐々に力を入れ、銃が振動しないよう、気付いたら引き金が絞られる程度に撃っている場合ではない。震動は許容して機会を逃さず、発射する呪術弾頭が穴に入り込んで脳髄を粉砕するように念じる。

 大口径弾の強い反動で銃床が肩を打つ。

 着弾まで一瞬、しかしやや時間が掛かる。

 鯨が赤い潮を吹いた。

「うわ、当てちゃった」

 弾丸の作者の”馬”が変な顔をする。

「諸君! 同志大尉の技術を称えよう! 何と彼は航行中の船上からおよそ八百イームは遠方の鯨の鼻の穴に銃弾を撃ち込んだのだ!」

『おー!』

「同志大尉の標的になった時点で時既に時間切れ!」

「あの精確な精密狙撃で致命的な致命傷を与えたことは確定的に明らか!」

「流石同志大尉は格が違うなー!」

「すごいなー! 憧れちゃうなー!」

 船長、船員達が風と蒸気機関に負けぬ大声を出す。狙撃に集中していて気付かなかったが、非番の船員や士官に、煤のついた機関員まで甲板に出て一連の狙撃を見ていた。

「同志大尉ならばいかなる困難な任務も遂行してくれるだろう。我等が革命の先駆け、初めの軍務英雄、敵の頭蓋を粉砕する射撃手、反革命の人食い豚を数多屠りし同志大尉に賞賛を送る。また今後の困難な任務の達成を願って三唱!」

 当直士官が音頭を取り、船員、機関員が諸手を上げる。

「ヘペップ!」

『フラーイ!』

「ヘペップ!」

『フラーイ!』

「ヘペップ!」

『フラーイ!』

 今日の晩御飯は鯨肉。


■■■


 牢から解放された後のある日「ヒャッヒャ!」と”猫”が妙に興奮して騒いでいた。もう少し寝ていたいと思っていたら自分の腹に”猫”が飛び乗り、衝撃で吊床が引っ繰り返った。

「起きろ!」

 受身を取った腕が痛い。”猫”は両手で腰をバシバシ叩いてくる。

「何?」

「陸!」

「うん」

 夜の当直後に寝ていた船員達がこれで起き始めて唸っている。迷惑になるから甲板に出よう。

 甲板に出ても陸地は見えないのだが、「ヒャッヒャ!」と”猫”が帆柱を昇って行く。高さを確保すれば見える距離まで来ているか。沖を航行していた時はいなかったカモメが船にやってきて足場にして糞を垂れている。

 ガチっと背後で着艦音。振り向けばカモメの頭を咥えている”鳥”だ。首を振り上げ、喉を膨らませながらカモメを丸飲みにした。

「大尉さんおはよう!」

「おはよう」

 それから長い首を擦り付けてくる。

 ”猫”が駆け下りてきて体当たりをしてきた。踏ん張る。

「上がって見ろよ!」

「入港作業の邪魔になるからダメ」

「玉無ぇくせに固ぇなおい」

 ”鳥”が”猫”の襟首を噛んで持ち上げる。船の中に戻る。

 早くも上陸のために”馬”が荷造りしており、”狼”が顎で指して、こいつ見ろよ、と笑っている。

 同志キャサラの個室へ向かい、体調を伺うと顔が少し白い。士官室係にお茶を一杯頼み、手を引いて外の空気を吸わせに後甲板へ連れて行く。

「もう直ぐ着きます」

 士官の指示で船員達が入港準備を済ませていく。

 本島から南へ突き出る半島の岬と、東方に砂州で小ランマルカ島と繋がる陸繋島の隙間に船が入る。岬と島の要塞砲が雨露に濡れないよう砲門に覆いが被せてある。

 半島と島の間の狭く薄暗い水道南口を通り、そこを抜けると一気にニルスフライの港湾都市が広がる。

 次の作戦のためか、名だたる軍艦が東西の軍港に停泊しているのが見受けられる。

「同志キャサラ、ニルスフライですよ」

「はい。海軍が集結していますね」

「きっと大きな作戦ですよ」

 風と熱いお茶のおかげか同志キャサラの顔色が少し良くなる。

 東の岸壁の港湾員と船員が手旗信号で通信中。どうやら軍港には空きが無いので民間港側に入港しろとのことだ。軍港側は水深が深く、民間港は浅い。この郵便船なら問題無い。

 岬の北側にあって岩に隠れるような配置の旧城をそのまま使っている海軍省庁舎が見えてくる。あの城は砲の射程に捉えることが難しく、革命当時は飢えて降伏するまで包囲したものだ。

 民間港側に入港する。帆は畳まれ、蒸気機関での調整で岸壁に接近、船員の投げる錘付きの細い綱が岸壁に落ち、港湾員が受け取って引っ張り、その先の太い係留索を取って係留柱に掛ける。防舷物が船体から下ろされて岸壁に直接擦らないようにされる。

 船梯が掛けられる前に”猫”が船から岸壁に飛び降りる。埋め立て地とはいえその地上の感触に喜んで跳ね回っている。

 船梯が掛けられ連絡将校を優先に下船。その中に自分も含まれ、雇った仲間達も随行員に含まれる。

 忘れ物の確認をしてから皆で岸壁に下りて、次に向かうのは首都ダフィドルゴー。ダフィドの都市の意。

「皆、早速移動する。はぐれた場合は身の安全は保障出来ないから注意してくれ」

 ”狼”は心配ない。口を半開きにして新大陸では見ないような背の高い建物、全面コンクリート敷きの道路を見ては変な声を出している”馬”と手を繋いでいる。

 ”猫”は”鳥”が襟首を噛んで持ち上げたまま。この姿勢になると”猫”は比較的大人しくなるので問題無いだろう。

 手を引いていては遅い同志キャサラは自分が負ぶって進む。

 道行く労働者達の視線が集まる。警察官の視線も集まる。

「出来るだけ道の脇を進んで」

 道路の中央は馬車が優先に走る。その脇が歩行者用。

「随分変わったな。商店が何にも無くなったな。あそこ市場だったなぁ」

 資本主義的な富の収奪と独占を防ぐために商店は無くなった。代わりに配給所が設置されている。

「あの店の看板も無いか」

「何のお店?」

「酒飲んで、女が踊るのを見る店。金を追加で払うとおっぱいで顔を挟んでくれる」

「げ」

 昔を思い出して”狼”が独り言を言い続け、”馬”が適当に喋る。

 ニルスフライの大通りを抜け鉄道駅に入る。駅員には情報省大陸宣教局へ出頭せよとの命令文書の、封筒に書いてある発行者の部分を見せ、列車の優先車両に座らせてもらう。

 初めての列車に乗った皆が興奮したように落ち着かない。自分も本島で試作機を見た切りなので初めてだ。

 蒸気機関車が蒸気や煙を吐いて動き出し、車窓からニルスフライの街並みが滑るように動いて見えた時は自分も感動した。”狼”ですらも窓にくっついて眺めていた。

 郵便船で蒸気機関の音や煙に振動には慣れていたが、地面を走り出すと別物だ。家や工場が並んで、排煙を出す煙突が何本も立っている。

 対向する列車と擦れ違った時の見た目と音と衝撃に、窓にくっついていた皆が驚いて後ろに下がり”馬”が「きゃっ!?」と転ぶ。跳んだ”猫”が「ヤ!?」と自分の顔に突っ込んできて首が折れるかと思った。

 対向車が曳く黒く汚れた貨車が何台も通り過ぎる。石炭だろう。窓が蒸気と黒い排煙で埋め尽くされる。

「お、開くな」

 その後”狼”が窓が開閉式であることを発見して窓を開ける。風が強く入り込んできて気分が違う。

『ヤー!』

 ”馬”と”猫”が外に顔を出して向かって大声を出す。

 そして隧道に入ると車内が一瞬で真っ暗になる。

「ギャー!」

「ヒャ!?」

 酷い臭い、呼吸が!?

「窓閉めろ! 全部閉めろ!」

 わけも分からぬまま、”狼”の言う通りに窓を閉める。

 隧道を抜けると咳き込む皆の顔に煤がついていた。排煙は隧道のような密閉された空間だと逃げ場を無くし、車内に入り込んでくるようだ。

「今度は開けろ!」

 また窓を開けて車内を換気する。

 同志キャサラが変な声を出して咽ている。

「大丈夫ですか?」

「いえ、ちょっと、おかしくて」

 同志キャサラから手巾を受け取る。何だ? と思ったら”鳥”がくしゃみをするわけではないが鼻水を噴いて出していた。拭う。


■■■


 慣れぬ蒸気機関車に騒ぎつつ、各駅に停車し、便所が線路へ直接落下する形式で船みたいだとまた騒ぎ、配給された食事が不味いと文句を言われたり。

 そして四半日をかけて首都ダフィドルゴーに入る。

 ニルスフライとは比べ物にならないくらいの広大な市街地、建物と高い煙突、巨大な記念碑に時計塔が連なり、皆がまた「都会ってこんなにデカいの?!」と窓際にくっつく。

 南駅を過ぎ、資材搬入駅を過ぎ、重量物を下ろすような各駅を過ぎてから緩やかに坂を上っていく。視線が丘の上にあがり、鱗のように屋根が並ぶ街並が過ぎる。

 革命前は人口百万を数えたランマルカの都は今では五十万までに虐殺で減少したものの、貧困層や奴隷は消滅しており、建物の数は以前より増え、廃屋はほぼ存在しない。

 ランマルカ人の社会科学者ドレアル・ウルキアの奴隷で息子とまで呼ばれたダフィド・ウルキアの名を冠した首都。

 ランマルカは気候寒冷で農作物の育ちは悪く、以前の北海は海賊エデルトの”我が海”であったため海洋貿易も覚束なかった。

 厳しい環境は労働者、農民、漁民に対して更に厳しくのしかかった。厳しいからこそ人々を大切にしよう、土地が悪いならせめて人を良くして労働効率を上げようというのがドレアルの思想であった。

 それを元にダフィドが共和革命思想を作り上げ、そしてこの結果である。

「皆、間も無く列車から降りる。ここでも同じくはぐれないように。獣憑きと言えど人間、ここに生きた人間は、留学生を除けば君達しかいない」

「はいはーい」

 気軽に返事をしたのは”猫”だけである。

 革命記念公園前で列車から降りる。

 駅正面から出ると名の通りに革命記念公園が見える。中央に革命指導者ダフィドの銅像が立ち、本を手に持って左腕を広げ、右の人差し指は不動の極星を指している。

 最後の若きランマルカ王の結婚式典時に国王夫妻が妖精の近衛隊に刺殺されたのだが、その現場がこの公園。

 刺殺事件を合図に「人間を殺せ」というダフィドの言葉が発せられ、それからランマルカ中に広まり、その通りの虐殺が開始された。

 当時のランマルカ妖精は人間に対して完璧に従順であると思われていた。妖精に対しては檻も鎖も枷も無く、犬より従順と人気があった。優秀な兵士とすら見做されて武器を持って各地に配されていた。当時、士官が人間で他全てが妖精の部隊も珍しくなかった。

 それまで国内で反乱が起きた時は妖精の兵士達が命令によって反乱勢力、人間を弾圧しており、虐殺はある種手馴れた仕事でもあった。

 ランマルカ王国の弾圧方式は復讐を恐れるものであり、見せしめ以上に根まで絶やすのが基本で徹底的に行われる。自然と島内の人間が絶滅するまで行われた。

「こんなになっちまってるのか」

 ランマルカ人の”狼”が銅像を見上げて言う。

「昔ここの広場の屋台で売ってた揚げパンがよ、凄ぇ汚い油で揚げてたもんだから腹壊したことがある……ゴミも落ちてないし、綺麗になったもんだ。あそこの階段の陰で行き倒れてた浮浪者が腐ってよ、誰も片付けないもんだからとんでもないことになってな、腹が爆発したんだ。おお、思い出してきた」

 人間が管理していた時代は確かに酷かった。

 公園の脇にある軍用の馬車に乗り、情報省庁舎に向かう。

 街並は以前と同じく整然としている。街路樹や花壇は一時期撤去されていたはずだが、また植え直して整備しているようだ。

「同志キャサラ、革命後は撤去された植物を植え直してますね」

「風害予防に役立つと認められたようです」

「花壇は?」

「良くご覧になって。あれは芋ですよ」

「菜園でしたか」

「でも花を咲かせるようにしているようです」

「どんな効果が?」

「気分が良いでしょ」

 文化的な余裕を享受出来る程度に本国はなってきていたのか。長らく新大陸にいて分からなかった。

 道の雰囲気が変わってくる。建物の建築様式も代わり、背が低く地味な見た目である。そしてハッド妖精のやかましい袋管笛が鳴らす曲が聞こえてくる。

 ランマルカ妖精と違い、ハッド妖精は路上の脇で札遊びをしていたり、公園で球技を楽しんでいる。酒場も料理店もあり、路上で燻製肉を炭火で焼いている屋台もあるので食べ物の匂いが漂っている。資本主義社会と違ってあれらは金を払わなくても飲食可能である。ただ欲の深い人間を想定していないので連れて来た彼等に利用させる気はない。

「何ここ? あれ美味しそう!」

「あれ食わせろ!」

 ”馬”と”猫”が騒ぎ出す。だからだ。

「ハッド妖精達の行動は公共の福祉に反しない限りは否定されない」

「ハッド妖精? ランマルカ妖精と違って髪の色が黒とか茶が多いね。体が太め?」

「”馬”くんの見立ては正しい。我々ランマルカ妖精は人間にハッド妖精から品種改良されて生まれたんだ」

「は!?」

 ”馬”の視線が思わず”狼”に向く。

「元はランマルカ人間がハッド妖精の中から赤毛や金髪、銀髪の珍しい見た目の、人間の価値観で麗しい者を選んで誘拐して家内奴隷として売っていた。お手伝いの出来る見た目の良い愛玩動物としてだね。かなり流行ってた。犬より人気があった。それを繰り返している内にハッド妖精にはそういう明るい毛の色の者がいなくなってね、無いなら作ればいいとランマルカ島で繁殖が始まって今みたいにほぼ別種になっていった。ランマルカで品種改良――人間が言うには――されて誕生したからランマルカ妖精。頭の回る利口な者が好まれたから淘汰の結果頭が良いとされている。意志の強い者の誕生確率は高いと統計で出ているからいい加減ではないかもしれない。見た目が悪いとされたハッド妖精は代わりに厳しい肉体労働用の奴隷にされてた。今生き残っているのは体力に優れた者が多い」

 少々人間への種族的感情が入って口数が増えてしまった。

 情報省庁舎に到着し、中の大陸宣教局を尋ねる。”狼””猫””馬””鳥”は玄関を入って直ぐの待ち合い区画に待機させる。

 大陸宣教局は情報省の中でも最重要の部局だ。内戦を終えたばかりで弱っていた我々を守るために共和革命思想を北大陸に広げる必要があった。仮想敵全てに内戦をさせて弱らせ、海を渡ってまでランマルカに侵攻する余裕を与えないようにした。

 悪戯に目立ち、かえって攻められる口実を与えるだけとも言われ、革命後最も紛糾した話題でもある。実行に移された当時は賭けに近い判断であったが、今の情勢を見れば成功したと言えよう。

 大陸宣教局局長を尋ね、上位者の同志キャサラが代表に敬礼。返礼。

「まず同志大尉、君の任務は複数名の狙撃だ。中には狙撃候補者の似顔絵と名前、現時点での肩書きが記載されている。覚えるように」

 局長から封筒を受け取る。

「現地では北大陸西部担当の大陸宣教師同志スカップが案内を行う。情勢の変化により狙撃数に変更が生じることはあるが、そこは同志スカップが判断する。出発日時は後程伝えるので連絡が取れる場所にいたまえ」

「は」

 次に局長が同志キャサラに手を出し、握手をする。

「おめでとう同志キャサラ。君の革命初期からの活躍が認められた。後日式典が行われて革命指導者より直接、革命英雄勲章が授与される。同志で三十四人目になる」

「分かりました」

「余生を過ごす場所に希望はおありか?」

「革命前から住んでいた場所を希望します」

「戸籍の住所で良いのだね?」

「はい」


■■■


 大陸宣教局から連絡があるまで指定の共同宿泊所で待機することになった。

 連日、飯が不味いとか、運動する場所が無いとか、買い物出来ないとか、不満を垂れる”馬”と”猫”とずっと大人しくしている”鳥”を”狼”に任せ、宿泊所の当直に外出先を伝えて出かける。

 場所は同志キャサラが住んで働いていた酒場だ。自分が住んでいた家も近い。

 馬車で行き、久しぶりに訪れると、奴隷時代に狩猟していた森は伐採されて消え、魚を獲った川は堤防で固められ、時に膝下まで泥が深くなっていた土がむき出しの道はコンクリート敷きで、酒場は補修工事を何度か受けつつも原型を辛うじて留め、しかし公共の食堂になっていた。

 給食配膳の時間が過ぎて誰も居ない食堂の席に二人で座る。

 歌手や踊り子、演奏者が活躍していた舞台は補修されつつ、卓や椅子が並べてあるものの人間が経営していた時の名残はある。

 ハッド人街で貰った酒を出して乾杯をしてから飲む。同志キャサラは咽てしまった。水で薄めたら咽ないが「美味しくない」だそうだ。

「歌う?」

 同志キャサラが席を立って舞台にゆっくり足腰辛そうに上がり、咳払いをして声を作り、歌おうとして声が出ず、動かぬまま立ってしばらくして首を振る。

「忘れちゃった」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る