第168話「ザロネジ公」 ゲチク

 ノグルベイの埋葬をやり直した墓へ参る。ザロネジ郊外にある救世神教会が管理する墓地の敷地内で、共同墓地とは別に個人名義で立てた。

 キュサ族の慣わしでは鳥葬で、骨は風が転がして岩が削ずるに任せる。しかしあのエルバティア族に襲撃されて以来、何となく鳥に食われるのは嫌だった。

 応急の墓を掘り返した時は、冬の間は凍っていたせいか割と形を残して腐ってやがったので焼いてから棺桶に詰めた。死んでからも臭いとは迷惑な奴だ。

 赤ん坊のころから知っているが、犬みたいな奴だった。

 親父は稼ぎの悪い糞野郎で、何回もぶん殴ったが直らなかった。遂には酔っ払って外で寝て凍死。母親は、若い頃は普通だったらしいが親父にぶん殴られて以来頭がおかしくなって仕事もいい加減で、遂には朝起きたら冷たくなっていた。

 ノグルベイはいつも腹を空かせて拾い食いをしていたのだが、気まぐれで獲物を分けてやっていた。腹が減って番犬を食おうと襲い掛かって瀕死になったのを哀れんで、だと思う。調理したら勿体無いといつも肉は生で食って、皮や骨までしゃぶって食う程。その内腹でも壊して死ぬんじゃないかと思っていたら全く元気だった。

 獲物を分けてやった時以来懐いて、言うことは何でも聞いた。勘違いしたことはあるが逆らった試しが無い。

 こいつのおかげで何度助かったか分からない。矢弾除けになったこと何度も。猟犬、番犬代わりにしたこと何度も、鉄砲玉にしたこと何度も。

 酒の中身を墓に三本掛ける。ロシエのワイン、ザカルジンの蒸留ワイン、ヒルヴァフカの麦蒸留酒。出すとこに出せば、オルフじゃ一財産だ。

 全部は勿体無いから全部に口を付ける……ザカルジンの蒸留ワインはちょっと掛けるだけにしよう。こいつは美味過ぎる。勿体無い。香りも味もかなり濃く、甘く、正に芳醇。凄いなこれ、輸入したい。いや、現地の酒本で樽から生で飲みたい。

 イディル王のアッジャール朝時代に飲む機会はあったと思うが、勿体無いことをした。あの当時なら手に入れようと思えばいくらでも手に入ったはずだ。

 馬の歩く、蹄の音が二騎分。振り返ってみると、二人組がこちらにやって来た。

「ゲチク将軍、こちらにいると聞いて来た」

 オダル大宰相がわざわざ墓の方まで、呼びつけるでもなく自分へ直接会いに来たのだ。それも護衛を連れず、当人を含めて二名。

 偉いさんがここまで下手に出るということは、断れない何がしかがあるということだ。

 隣にいるもう一人はオダルに雰囲気の似た若い女。背筋は伸び、眼光鋭く武人の雰囲気があるが当然護衛ではない。二人が馬から降りる。

「お久しぶりです大宰相閣下」

「うむ。活躍の程は聞いた。将軍に抜擢して正解だった」

「ありがとうございます」

「突然だが聞いてくれ」

「はい」

「シトゲネ太后陛下との件だが、ゲチク将軍、君との婚約は破棄される」

「理由を聞きます」

 出来過ぎた話だとは思っていた。

「国王陛下がエデルトの王女と結婚した後に、第二王妃として迎えられることになった」

「左様ですか」

「代わりと言っては何だが娘をやる。十八になる」

「どうも始めまして。ルクランと申します」

 そういうことか。逆にシトゲネ太后というとんでもない大物よりは、大宰相の娘ルクランの方が厄介事が少なくて良いかもしれない。いや、確実に良い。国王陛下の母であって恋人みたいな相手を嫁に貰ってしまったら命がいくつあっても足りないだろう。

 タザイールに相談したいと思ったが、これは決定事項なので相談するところではない。決定後どうするかを相談すべきだ。

「初めまして、ゲチクと申します……これからよろしくお願いします」

「はい」

 ルクランが力強く、短く歯切れ良く返事。

 貰う心算だ。正直、文句の付けようは全く無い。大宰相の娘というだけでかなりの貴人であろう。

 オダル大宰相が、安心したか鼻で一息吐いた。

「私に異存は全くないのですが、どうしてまた?」

「国王陛下の、そうだな、わがまま、のようなものか」

「わがままですか」

 まだ年の頃は十くらい。特殊な部族によっては成人年齢だが。

「ご懐妊された」

「あー」

 思わず声が出た。ルクランも、声が出そうになったのかちょっと俯き加減に口元を手で隠す。

 死んだ親族の嫁を生き残っている親族が迎えるというのは良くあることだが、これは若さの暴走とか、その感じがある。

 摂政ポグリアがキレて怒鳴る姿が思い浮かぶ。顔は知らないが、怒った年増の金切り声が聞こえてくるようだ。重要なエデルトの王女との婚姻の前にそんなことをされたら、母としても政治家としても頭に血が昇るのは間違いない。

 それに、だからと言って暗殺したり放逐したり腹に蹴りを入れてやれるような立場にシトゲネ太后は無い。もしやったとして、タラン族が反乱を起こしても非難する者がどれだけいるか。そうしたらまた内戦である。

「失礼」

「……うむ。ルクランは、負けず劣らずなどとは言えないが、見ての通りだ」

 かなりしっかりしているというところか。体もかなり強そうだ。

「任せるぞ」

「喜んで」

 微笑む顔ぐらい見せると思ってルクランを見つめたら、眉を寄せて口を一文字にして一礼。

 何というか、姫というよりは近衛兵みたいな雰囲気である。


■■■


 三人でザロネジへ、修復中の東門を通って戻る。まだ門と言うよりは壁に出来た隙間である。

「シルヴ元帥、恐ろしい砲手でした。敵にしたくありません」

 贅沢な悩みだが彼女は壊し過ぎだ。上部構造物どころか、基礎まで崩して歪ませている箇所が多数。

「全くだ、見せ付けられた」

 とてもじゃないがエデルトには逆らえない、とは言わなかった。

「焼けたと聞いたが、綺麗になっている」

「地元住民が一枚岩ではなかったので、鎮圧も消火も速やかに」

 突入時に焼かれた建物はほぼ撤去か、軽度なら再建済み。

「それは結構」

 市庁舎へ二人を案内、先導。

 正面玄関を入った正面に、血色染めの旗を額縁に入れて飾っている。汚いし生地が痛んで風に流すと破れるボロの、イーゲリ=ノルザルキーで作った元白旗だ。

「面白い旗だ」

「これはもう外に出すと千切れるような物になりました」

「しかし旗印だ」

「はい」

 ルクランが一瞬、こちらに遅れない程度に足を止めて旗を見ていた。綺麗な織物よりそちらが好み?

 地元の名士から選んだ市長の紹介は程ほどに、顔を見せておきたい者がいる。

「紹介したい者がおります」

 使用人にタザイールとランティスを呼びに行かせる。

「まずランティス・カントバレー海軍局長」

 先にやってきたランティスが一歩前に出て一礼。

「タザイール情報局長」

 煙草臭いタザイールも一歩前に出て一礼。

 肩書きが無駄に派手と最初は思ったが、これからはその派手さ相応の仕事をして貰うのだ。

「こちらで独自に両局を作りましたが、現状では規模が小さい。対ランマルカを想定するので規模は間違いなく大きくなります。大宰相の力で強力に後援して貰いたい。必要に応じて資金や人材が欲しいのです。特に海軍はランマルカの装甲艦に対処するように編制するので、おそらく馬鹿げた、と言われるくらい金が掛かりますが」

「担当部署が出来たら連絡する。対ランマルカは喫緊の課題だ。ジェルダナ等、反乱軍の要人はあちらに逃げた。レスリャジンの大王の方にも逃げ込んだ連中がいる。国内にも潜伏している連中はいくらでもいる。再編予定の国防委員会では対ランマルカ、反乱軍を想定した部局を設置する予定だ。対エデルト、対レスリャジンではまた別に部局を作るから連携調整に時間が必要だから少し待って貰う。亡国前提の戦時予算案を改定して復興目的の予算案を組まんといかん」

 具体的な返事が即座に出てきた。

「ルクランとの結婚式はザロネジで行って市民の人気取りに励め。今度ベランゲリで行われる叙任式でゲチク将軍、君はザロネジ公爵に叙任される。この周辺の行政、軍事の責任者になる。今君が行っている準備行為に正当性がつくから、結婚式はそれからだ。そこで堂々とザロネジ公を名乗り、知らしめてこの地域を掌握しろ」

「はい」

「出発の準備が出来たら教えろ。ベランゲリの宮殿まで案内しよう」

 話が早い。

「手荷物一つで十分、直ぐ出られます」

 タザイールから、何時の間にか用意した荷物と武器と携帯食糧を受け取る。こいつ見て、聞いてたな。

 そして外から馬の歩く音が複数。乗る馬と替えの馬も用意済みか。

「出られますが……」

「休憩は不要、疲れておらん。娘に配慮する必要は無い」


■■■


 オダル大宰相の案内で、出発時に護衛の騎兵隊と合流してザロネジを出た。ゆるりと街へ宿泊に寄ることもなく、馬の上で野宿。

 そうして素早くアストル川とウォルフォ川を強引に繋げた運河都市ベランゲリに到着。

 その昔はウォルフォ川は短い川で、その水はペトリュクからブリャグニロドまでを覆い尽くすような、今ではペトリュク南部にだけ名残がある大湿地帯に流れて込んでいた。それを源流から運河として整備し、ベランゲリまで繋げた。

 そうすると余りにもアストル川に水が流れ込みすぎて氾濫するので、ベランゲリ、イーゲリ=ノルザルキー、ザロネジへと至る水路が刻まれ、余分な水が流し込まれ、徐々に大地を削って今の長大なウォルフォ川が形成された。

 そんな公共事業が出来たのはオルフ統一王ゼオルギ一世の時代である。統一戦争後に大量に溢れてしまった傭兵や仕事の無い人間達を集め、再び内戦を起こす気力を出させないために忙しい仕事を与えた。

 運河の中心部にある、ゼオルギ一世の騎馬像の隣にある石碑にそのような内容が刻まれている。

 叙任式や受勲式などは対象者を集めて一度に行うので、対象者が全て首都に揃うのを待たないといけない。宮殿へ真っ直ぐは行かず、大宰相の屋敷で宿泊する。

 宿泊中は、大宰相は忙しくて滅多に帰ってこない。ルクランは話し相手になる程に口数は多くない。タザイールが傍にいないので暇つぶしの相手もいない。ノグルベイがいれば……。

 たまに食う寝る以外でオダル大宰相と喋る機会はある。

「ザロネジ公の旗は元からあったザロネジ市の旗を使うのかね? あの血の旗は良いと思うぞ」

「その通りにしたいと思います」

「織物職人にどんなものにするか相談するといい。紹介しよう。ルクラン、案内してあげなさい。水路沿いの青看板の綿問屋の向かいだ。あそこならいつでも急ぎの注文が来ていいように余裕を取ってる」

「かしこまりました」

 四人で出かける。自分とルクランに、背後から追従してくる刀を吊った護衛と、荷物持ちのお付の女。

 アストル川から貯水池に向かう水路沿いに歩く。都会風に洒落た物が陳列されて売られている。色鮮やかでつい目移りしそうだが、ルクランは足が速くそれらに目もくれない。そして真っ直ぐ目立つ青看板の向かいの店に到着。機械の忙しい音が聞こえてくる。

「こちらです」

 店に入ると工房になっていて、大小の機織り機を職人が動かし、多様な模様を付けながら生地を織っている。

 帳簿を見ていた店主らしき老人が応対に出てくる。

「旗を注文したい」

「どのような旗をご注文で?」

「軍旗にも公国旗にも使える大きさなんだが、数は……しまったな。まずは一つ、か?」

「意匠が決まれば早く量産可能ですので、それからでもご注文頂ければ。勿論大きい旗も作れます。既存の物の色違い、紋章の組み合わせ違い程度ならば直ぐに製作へ移れますが」

 どう説明しようか悩んでいるとルクランが口を開く。

「作って欲しい旗は見なければ分かりません。粗末な白旗に何人もの血が染まり、銃弾と風に破れた姿です。非常に迫力があります。まずは見て、考えて頂きたい」

「完全に新規でございますね、かしこまりました。絵師と職人を選んで見に行かせます。場所はどちらでしょう?」

「ザロネジです。ザロネジ公ゲチクの名で、前金代わりに旅費を渡します」

 荷物持ちの女が硬貨の詰まった袋を手渡し、受け取った店主はそのまま一礼。

「かしこまりました」

 そして一直線に屋敷へ帰る。途中で「お嬢様、ロシエの物が西の市場に入っていると聞きました」とお付の女がルクランに言ったが「そんな用事はありません」だと。

 帰ればオダル大宰相が「もう戻ってきたのか」と呆れていた。


■■■


 ベランゲリへの自分の到着が早過ぎたらしく、一月近く待たされてから叙任、受勲者が揃ったと報せが来て、式典の準備が終わってから宮殿へ赴く。その間に式に出るための礼服が出来上がったのだから無駄とは言えないが。

 謁見場には多くの叙任、受勲者の列に並ぶ。諸侯、将軍に兵士、官僚、民間人もいる。

 玉座に座るのがゼオルギ=イスハシル。

 若い割りには堂々として、無駄に険も無い。話が通じそうに見える。確かに聡明そうだ。それと父イスハシル王に似ているらしいが、タザイールなら女より良いと言いそうな美人である。

 聡明であられるはずの王がしてしまった若さの暴走は、若さ故だろう。たったの十に完璧を求めるのが間違いだ。見たことも無い年寄りに”俺のシトゲネ”が取られそうになり、そのシトゲネ太后も死んだ夫に似た若い、自分と血縁にもないその息子とくれば、抵抗したかどうかも怪しい。先にどちらが誘ったかも怪しいところ。

 自分も下半身に負けて年増の不細工と結婚したことを思い出す。中身は良い女だったが、それはそれだ。

 下種な考えはこのくらいにしておこう。

 玉座隣の摂政の椅子にするのが王母ポグリア。

 聞いた歳より老けているが、人を鍋で煮て食うような噂が立つ外貌には思えない。

 女の政治家というのはとかく悪く言われがちだ。サウ・ツェンリーはどうだったか? あまり言われていた記憶が無い。テイセンの蛇姉ちゃんはデカいデカいと言われていただけだったか。黒龍……止めよう。噂をすると本当に出てきそうだ。

 シトゲネ太后は姿を見せない。見せられないか、見せる必要が無いか。

 オダル大宰相が名簿を見ながら読み上げる。

「マフダール、王の前へ!」

「は!」

 筆頭はマフダール大将軍。

「ペトリュク公に叙する。その地方を良く治めよ。また国家元帥として王国軍を統括せよ。四駿四狗の第二の駿馬として今後の活躍に期待する。以上である」

「は!」

 筆頭は言われるまでもなくオダル大宰相か。

 それから駿馬が二、狗が三と読み上げられて王から肩書きを頂いていく。それから運河に街道を繋げろ、要塞を建造しろ、あの都市を復興しろ、というように公共事業を言いつけられていく。

 ゼオルギ一世も行った大規模な公共事業は、内戦後のあぶれ者に仕事をさせて余計な大暴れをさせない政策の一つだが、ここでそれを指示するわけか。

「ゲチク、王の前へ!」

「は!」

 王の前まで行き、跪く。

「ザロネジ公に叙する。その地方を良く治めよ。将軍としてそのままザロネジ方面軍を統括せよ。四駿四狗の一狗にその名を新たに連ねる。今後も励め。また貴卿の友人である亡き兄弟パトロが列聖された。その遺骸をザロネジに持ち帰り、聖パトロ大聖堂を建立せよ。以上である」

「は!」

 列の元の位置へ戻り、他人の叙任と受勲を見る。元人民解放軍、人民共和国の官僚などが叙任されたり叙勲される姿が異様に見えて、しかしオルフ人にとっては当然のように見えているのが感じられる。所詮はいつもの内戦だったという面だ。

 公共事業の発注が、マフダール国家元帥以外にされる。ザロネジの大聖堂建築などはやる気のある聖職者が多いので声を掛ければ人も金も集まって簡単な注文だと思える。

 名誉な肩書きを貰った割りには悩み顔の者達の集まりは、喜びの少ないままに終わった。


■■■


 式の後はベランゲリ、オルフにおける救世神信仰の中心地である聖レーベ寺院へ行く。

 聖……パトロ爺さんの遺骨を受け取りに来た。受け取るといっても、その骨の入った装飾された棺桶をザロネジまで運ぶのは教会の聖職者と馬車であるが。

「二人にしてくれないか」

 人払いをしてもらって、棺桶を開けてパトロの骨と対峙する。あの元気な爺さんが今ではこれか。

 中原で、ザカルジンで、旧ラグトで、チャグルで、ガエンヌルで、旧アッジャールで、フレクで、このオルフで、一歩間違ったら自分がこれだった。

 率いる人間が代わった。イディルのアッジャール時代から一緒にいた人間はタザイールだけで、自分が集めて作った部族は消滅し、与えられた部隊は壊滅と再編を繰り返して原型も無い。

 捨てては拾うを繰り返し、キュサ族の不良が今ではアッジャール朝オルフ王国のザロネジ公爵。

 不細工な年増の嫁がお似合いの同族殺しが、五十代の爺になってようやく十代の美人で高貴な嫁さんを貰った。

 若い頃から一緒だったノグルベイはいない。

 今まで着たこともない礼服姿。

 生まれた時からあった目玉が今は一つ少ない。

 故郷ではどんな訛りで話していたかが今一思い出せない。

 元の自分はどこにいった?

「神よ、俺はちゃんと俺か?」

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