第137話「年末」 フィルエリカ

 冬季休戦期間が訪れたはずだった。

 南国はともかく、雪が降るような冬がやってくる北国では攻め手が圧倒的に不利だ。防御側が要塞に篭っていれば勝手に敵が寒さで自滅する。防者優性は言わずと知れた原理だが、それに冬の寒さが加わると圧倒的な優性になる。

 だというのに――所詮は寄せ集めか――シアドレク獅子公が生け捕りにされて北部諸侯連合軍の脱落は秒読み段階に入った。悪魔の前では獅子とはいえ猫だったのだろうか?

 冬でも神出鬼没に、いやがらせ程度の軽攻撃ではなく、一個軍を撃破してしまえる攻撃が可能であると悪魔の遊牧騎馬軍の能力が証明されてしまった。

 各所で、そう各所でとしか言えないくらいのあちらこちらで不安の声が上がっている。いつあの悪魔が雪の幕の中から飛び出して急襲して来るのかと中央同盟の皆が神経を尖らせている。戦線が接していない東部諸侯領の方からあり得ない目撃情報が上がるくらいに尾ひれがついてしまっている。

 気の休まる暇が無いというのは最悪だ。士気がガタ落ちになる。

 中央同盟軍の総数は、応急迅速、無茶を重ねて三十万の大台に突入しつつある。内実は武器弾薬不足に新兵だらけ、そして訓練不足。個人単位での錬度不足は勿論、組織単位でも錬度不足もあり、そして軍単位での交流不足。頭数だけが揃っている。訓練教官も何やら自分の仕事が分かっていない奴が多いと聞く。

 既にもう逆転して勝つという段階にない。精神的劣勢は確定。

 ご老公とブリェヘム王が考えているのは、ある程度の兵力均衡を保ちつつの講和だ。

 エデルトの方はオルフ情勢の悪化と、彼等の言う北領の引渡しで手打ちが出来そうな雰囲気はあるが、聖戦軍の方はロシエの失速で士気が下がっていない上に、我等の土地全てを併呑するのが最終目的。

 ここで伝統的に魔神代理領との関係悪化で聖戦軍が二正面作戦の懸念でも覚えてくれればいいものを、最近はあろうことか仲良しの風潮すらある。

 いかに聖戦軍を疲弊させるかが課題だ。そのためには訓練不足でも人海戦術で、中央同盟三千万の人々を最前線に流し込んで敵戦力を逓減しなくてはいけない。

 そんな無慈悲な攻撃をする為に我々親衛隊がいる。奇形にせよ不純にせよ、千五百年ぶりの団結である。それを維持させるにはもっと生贄が必要だ。

 冬の悪魔の影に怯えつつ、やってくるであろう春の泥を待って、同盟兵士の腸を肥料として撒き、苦い講和の芽を息吹かせることが目標なのだ。

 メイレンベル方面軍は劣勢である。指揮官はヤーナの代わりに実質運営してきた従兄弟殿。

 メイレンベルの北には北部諸侯連合軍の防衛線を突破して来たエデルト=セレード軍がいる。シアドレク獅子公が敗れた際にはジーゲンホルク市への攻撃を冬季にもかかわらず行っており、こちらより厳しい冬に慣れた彼等が、彼等にとって暖かなこの冬に攻撃を仕掛けて来る可能性は常にある。北部諸侯連合軍自体は主幹とする軍を失ったとはいえ健在なので、まだまだ時間稼ぎはしてくれると思いたいが。

 西にはナスランデン王を主体にした中部諸侯連合軍第三軍がいる。シレム王の爺さんは慎重で疑い深く、伝統的に要塞化した自領に引き篭もる戦略を取っているので、それこそどうやってもこちらが後退せざるを得ない状況にならなければ打って出てくる可能性は低い。

 南にはガートルゲン王を主体にした中部諸侯連合軍第二軍がいる。マロード王は盛大に裏切りをかましてくれた奴だ。逸早く荒廃したメイレンベル南部に進軍して占領統治を始めており、神経質な程に隙を伺っては寸土を掠めるような攻撃性を発揮している。敵にしても味方にしても嫌な奴である。走狗伯、走狗王の名はせめて将来まで残して名は貶めなければ。

 グランデン方面軍は敵と今までは対等にやり合って来た。指揮官は我が叔父のハイベルト・ホルストベック。ちっぽけな傭兵伯が大出世した。

 グランデンの北では驚くべきことに、シアドレク獅子公軍と対峙している。絶望的な敗者から一転、栄光の勝者に寝返った。とても賢い。先の大戦ではエデルトのヴィルキレク王子とも同年代で、戦場も共にして親密であったらしいし、大きく驚くところではない。春にはグランデン軍を劣勢に追いやってくれそうだ。

 南西ではオルメン王を主体にした中部諸侯連合軍第一軍がいる。ザフリン公領辺りで土地を奪われたり取り反したりを繰り返して出血を強いつつの小康状態を保っている。

 ブリェヘム方面軍は一応のところは優勢と言える。指揮官はブリェヘム王。バルリー共和国を手懐けて安く大量にかの国の有名な傭兵を雇っている。

 ブリェヘムの西では上下ウルロン、ロベセダ王国主体で、聖女ヴァルキリカ自らが総指揮を執る南部諸侯連合軍と対峙している。ここで最も強大なブリェヘム方面軍が釘付けにされていて動けないのだ。逆も然りであるが、決め手を欠いている。

 南には旧フュルストラヴ公国に対し、聖戦軍へ寝返って分割してしまった反逆諸侯がいる。聖女がぶら下げた餌に食いついての衝動的な反乱で、ブリェヘム王軍の攻撃で鎮圧されつつあるが、劣勢になっても息子を王として送り出したレギマン公やイスベルス伯には自分の命を惜しむところは無く、抵抗は続いている。

 この冬は精神的に長くなる。今年の寒さはほぼ例年並みだ。

 家を焼かれていなければ例年と誤差程度の凍死者しか出まい。本来凍死するはずだった底辺の者達が徴兵されているので改善さえされている。盗賊化していた傭兵が前線に出ていて治安さえも改善されている。

 戦争で悪化する部分と改善される箇所が見えてきている。全くこれは何なんだ? 理屈は分かっても未だに疑問だ。


■■■


 暖房の効いた屋敷。あのクソ宮中伯の家かと思うともっと外まで効かせてやりたいが、住人が問題だ。

 妹と甥を訪ねに来た。アブゾルも連れて来た。大事な用がある。

 毛皮張りの安楽椅子に座った十四歳離れた異母妹のハルメリー。生まれたばかりのアルヴィカと一緒にあやしたこともある。そんな彼女を見れば腹が膨らんでいる。二人目と三人目は病死しているので今度こそはと緊張感がある。

「聞かせろ」

「はい姉上」

 妹の膨らんだ腹に耳を当てる。まだ蹴る程には大きくなっていないが、何となくただ母の心臓、肺に胃腸が動いているだけではない感じがする。

「こっち来い」

 手招きして呼んだのは甥のディタバルト。まだ四つだ。

 礼儀作法はまだ習い立てで、まだ何だか良く懐いている犬みたいな動きだ。

「私の腹を聞いてみるか?」

 甥が自分の腹に耳を当てる。まだ特別何かが聞えるわけでもないし、膨らんでもいない。

「姉上?」

 妹がまさか? と笑う。いつ死ぬか分からないから一回抱いてやったら、月のものが来ないのだ。

「アブゾル、このままいけばお前、父親だぞ」

「えっ!?」

「何だその反応は」

 アブゾルの腹を軽く殴る。

「姉上、よろしいのですか?」

「もうアルヴィカとフェンリア任せで親衛隊は動く。私一人、腹がデカくなった程度で大勢は変わらん」

 アブゾルが喜んで良いやら、どうしていいやら分からぬ顔でもじもじしているのは無視して本題に。

「いるか? 呼べ」

「分かりました」

 妹が手を叩くと、別室から待機していた女の召使いが入って来て礼をする。

「名乗れ」

「はい。エゼリカ・パンタグリュエンと申します」

「そこのデカい男がアブゾル・パンタグリュエンだ」

 パンタグリュエン家の生き残りとアブゾルを引き合わせるために今日、この屋敷にやってきた。別の家で没落貴族としてはマシな境遇で召使いをしていた彼女を、事情を説明してこっちの家で引き取ったのだ。血統を調べたが、アブゾルの曽祖父の弟の曾孫という関係であり、親等でも問題ない。

「アブゾル」

「は、はい?」

「戦争が終わったらこの子と結婚して家を再興しろ。戦功有りで騎士爵に取り立てる。いいかアブゾル。今かなりお前の頭は混乱しているだろうが、それは気にするな。我々は、親衛隊に連なる貴族は普通ではないのだ。黙って言うことを聞け。嫌か?」

「わかりません」

「なら良い子にしていろ」


■■■


 月日は進んで白龍の日である。魔神代理領の新年でもあり、何の因果があるのか良く分かっていない。互いに文字が発明される前からあった信仰である。そういうこともあるのではないか?

 とりあえず、神聖教会圏で白龍の日は仕事を休み、普段より豪勢な料理が出る程度の日だ。

 貧乏貴族もそうするし、庶民もそのようにしている。聖職者ですら儀礼をむしろ省略してのんびりする。

 そんな日に気になってしまう食糧事情、穀物だが、敵が増えて人口が減った分の輸出先が減っているので在庫が余り、価格は戦時中なのに驚く程は上がっていない。穀倉地帯である東部諸侯領が、フュルストラヴを除いてほぼ無傷なのが大きい。

 今年の冬は飢え死にの心配は少ない。その代わり戦死の心配が大である。

 そんな我々にとっての白龍の日は、全く休みではなかった。

 ロシエ事情について三女ハウラからの報告が上がって来たので上層部に報告をした。

 ロシエの王冠、ユバールの王笏、アレオンの王剣に次ぐパシャンダの王珠であるエブルタリジズ、”落ちて来た太陽”の売却騒動があったそうだ。

 ロシエはエスナル王に売ろうとしたが、守旧派貴族が猛反発し、猛反発した守旧派貴族に革新派貴族が猛反発。閣僚会議で殴り合いになり、決闘騒ぎにもなった。

 これを受けてそして停止されているはずの議員議会が議員の意志で独自に開かれて、閣僚会議に不信任決議が出された。

 閣僚会議の面々は何れも揃って大貴族で、王族も多数在籍している。それを中小貴族や知識階級とはいえ平民が混じる議員議会が否定するとは革命騒動に発展しかねない。

 実は宝石だけの売却話だったのが、パシャンダ利権の売却と勘違いされたのが発端らしい。新大陸領の売却という前科が勘違いをさせたか、分かっていて勘違いをしたのかは不明。

 これに加え、東部軍は辛うじて元帥であるエルズライント辺境伯ヴィスタルムが自費で兵士へ給料を払っているがそれも長くない見通しで、早晩軍組織が瓦解するという話。

 ご老公とブリェヘム王にこのようなロシエ事情の悪化を伝え、その際に他関連国の事情も耳にした。

 バルリー共和国は本格参戦をしているかのように傭兵を送ってきてくれている。当初の二万から、五万の規模に拡大。かの国が傭兵として出せる限界に近い。政情不安定なオルフとは国境を接しているし、険しい山を挟んだ向こう側だが、魔神代理領の、それも今侵攻してきている悪魔の軍勢の本拠があるのだ。防衛は怠れまい。

 ザーン連邦は火事場泥棒を狙っていそうであるが、傭兵市場が賑わっていて意外と好景気らしい。弱っている北部諸侯連合軍を攻撃しようとして、ロシエにユバール、エデルトからも警告されて大人しくしているそうだ。もし攻撃をしたのならおそらく、北部諸侯連合軍は自衛のためにエデルトに下るだろう。

 聖皇領ではこの戦争の準備を万端にしていたらしく、後方の混乱は非常に少なくて安定しているらしい。これだけ王号を濫発し、枢機卿管領を増やしたのだから行政が停滞しているのではないかと思うが、アタナクト聖法教会が官僚人材を大量に育成して溜め込んでいたので人手不足も無いようだ。この時点で我々は負けていたか。

 ベルシア王国はロベセダ王国という姉妹国が出来て上機嫌である。無料で獲得したに等しいのだから当然か。この妹を守るためなら姉は軍も出すだろうからますます聖戦軍の後方は安定する。仮に聖戦軍をウルロンの南に追い返し、追撃するとなっても敵はいくらでも予備戦力を保持しているということだ。

 エスナル王国は相変わらず旧大陸事情には関与せずに新大陸事業に打ち込んでいる。大規模な金に銀鉱を発見して以来は本当に羽振りが良く、人口の少ない国だが各国から冒険者が集まっていて人的資源にも困っていない様子。ランマルカの新大陸軍とペセトトなる土着勢力とは紛争が絶えないらしいが、事業から撤退する素振りは見せない程度にはやはり儲かっているようだ。

 オルフで行われているアッジャール朝オルフ帝国とオルフ人民共和国による未亡人戦争は未だにズルズルと行われている。見方によってはアッジャール朝征服前のオルフ貴族同士の内紛状態とさして変わらないとも言われ、ある程度は安定していると見做されることもある。

 最近ではオルフ人民共和国側が優性で、エデルトがセレード軍を動員せざるを得ないらしく、我々としては助かっている。

 魔神代理領はアソリウス島での一連の紛争以降はエデルトとほぼ同盟状態である超大国だが、直接参戦はしないものの我々とは敵対中立関係にある。何より一番の敵対行為は、グルツァラザツク将軍の傭兵軍の越境を容認したところにある。いくら傭兵とは言え、七万以上の兵力を送り出すとは敵対行為に他ならない。

 しかし我々には魔神代理領に対して非難声明を出すことすら出来ない。もし交戦状態になったならば目も当てられない。先の大戦とアッジャール戦争で疲弊しているとはいえ、最近では体力を取り戻しつつあるのだ。

 ランマルカ革命政府は君主や貴族を戴く全ての国の敵。同盟ロシエ王国での革命騒動には確実に関与し、思想的にも実質的にも我々の敵だ。

 しかしオルフ人民共和国は彼等に、明確に支援されている。我々の敵対国の敵だ。複雑ではある。

 そして中央同盟内での共和革命派の摘発数は増加傾向にある。敵は内外に溢れ返っている。


■■■


 アルヴィカが宮殿まで人車で出迎えに来た。停車する時に首に掛けられた縄が引かれ、男達が一斉に『グゲェ!』という感じの苦悶の息を吐いた。

 都内の道は石畳でわずかに溶けた雪に濡れ、薄っすら凍てついている。除雪された雪が脇に積もり、いつもより道幅を狭く見せる。

 馬代わりに繋がれた八人の政治犯達は目を塞いだ覆面一つで全裸、裸足である。体を震わせ、覆面の口の部分の網目から白い息を吐き、白い肌を寒さに赤くしている。何となく凍傷を負っていないかと足の指などを流して見てみるが、腐っている者はいないようだ。停車しても足踏みを止めずに熱を作ろうと頑張っている。

 これは目立つ。目立たせるための人車だ。まともな神経の持ち主でこれに加わりたいと思う者はまずいないだろう。そう思わせるための宣伝だが。

「普通ので迎えに来い。私まで変態に思われる」

「あらお母様、今更ですわ。この程度で転がる評判をお持ちでしたか? 諸国を漫遊して首も男も瞬く間に落とす稲妻フィルが変態だからと言ってどうと言うことはありません」

「うるさい」

 御者はアルヴィカの趣味的な弟子である女性隊員が行い、娘と車内に入る。内装は至って普通だ。

 御者が「進め豚ども!」と声を張り、鞭が空を切る音が鳴って破裂音、「アァー!」と男の絶叫が響いて人車がペタペタと人の足で、車輪を回して進み出す。

「聴取に進展は?」

「共和革命派に関して、分かるのは下っ端同士の横の繋がりばかりで費用対効果が悪いです。まるで素人の芋掘りですわ。蔓ごとゾルゾルっと抜けませんの」

「共和革命派対策はまだ緩めてもいい。ある程度育ったところで一度に潰す程度にしろ。今は聖女のネズミが怖い」

「分かりましたわ。そうそう、聖女のネズミ達に関しては一人、口が堅いのがいて不眠で根性を削っているところです。そろそろ折れそうなのでお見せしますわ」

「ほう」

「どうも、他のネズミが吐いた内容から推測すると聖女肝いりのネズミらしいですわ」

「それは楽しみだな」

 方向転換の度に鞭が振るわれ、男達が悲鳴を上げる。

 まだ調教が完璧ではないような男が抗議の声を――覆面のせいで聞き取れないが――あげるが、また鞭が何度も振るわれて悲鳴があがる。

「アルヴィカ、お前、私に倣って結婚しないで全部愛人で済ませる必要はないんだぞ」

 アルヴィカのこういった行いは既に公然である。嫁の貰い手などあるわけはないのだ。貴族は言うに及ばず、一般市民でもお断りだろう。

「まあお母様、誰が誰に何を仰っているかご存知ですか? 第一この人車もお母様が昔やった犬の散歩を参考にしたんですよ」

 昔、反乱分子の一斉摘発をやった時に都内引き回しをやったのだが、普通に馬で引いて走らせても面白くないと思って、犬の散歩をするようにそいつらに首輪をつけて引っ張って回ったものだ。立ち上がれば四つん這いになれと蹴り倒し、人の言葉を喋れば脇腹を蹴り上げ、食事休憩の時には地面に生肉をぶちまけて口だけで食べさせ、水桶一つに男達に顔を突っ込ませて水を飲ませた。耐え切れずに人前で失禁した奴には本当の犬になったのかと罵り、そいつらの家族に漏らしたものを掃除させた。そう、あの散歩の時には反乱分子の家族も連れて回ったものだ。

「若気の至りだ」

「ふふ、わたくしも若いですわ。それも比較すればわたくしの方が絶対に大人しいのです。まだこれで自殺者は出してませんわ。ちゃんとご褒美も上げてますのよ」

「うるさい」

 親衛隊の勾留所へ、「停車!」と御者が声を張り、首に繋がれた縄でもまた引かれたか男達が一斉に『グゲェ!』と空気を搾り出す苦鳴を上げて停車。

 勾留所は監獄ではない。囚人の管理なんて面倒臭いことは親衛隊ではしていない。

 下車して中に入れば、半ば脅迫用の大掛かりな装置がこれ見よがしに目に入る。

 棘椅子、責め水車、虫籠、釜風呂、標本台、角座布団、鉤吊り台、鉄の棺桶、四肢絞り機は見た目も凄いが、操作や準備に時間も人数がいるのでほとんど使っていない。使った後に洗うのも面倒だ。興行半分の公開処刑なら血飛沫飛ばして観客を喜ばせるものだが、聴取には無用なことだ。

 いつも聴取に使うのは簡単な物ばかり。

「まずは共和革命派の方からご覧になって下さい」

 分厚い石壁と、音楽室のような穴空きの壁で防音仕様になっている聴取室を一つ一つ訪ね、扉の小窓から中を覗く。

 共和革命派の者への聴取には窒息頭巾が使われている。

 頭巾は表面が革製、裏面が綿製で目鼻口耳の穴は開いていない。水に濡らして被せるだけで、洗濯も裏返して干せばいいので簡単だ。

 対象は頭巾を被されて、しばし耐えて、もがき苦しんで、聴取官が失神寸前のところを見極めて頭巾を外す。

「赤い鹿の居場所を言え」

「知らないって言ってるだろ!」

 また対象は頭巾を被され、と繰り返す。

「赤い鹿か。下っ端がそんな大物を知ってるのか?」

 中部にて共和革命思想を広げたとされる、所謂宣教師のような奴だ。目撃証言はあるが印象はチグハグで、集団が一つの個人名を名乗っているというのが取り締まり界隈の通説。

「共和革命派は逆転の哲学です。最下層が最上層に転換するような、現実は革命が起きたとしてもやはり何の学も無い最下層がそうなることは難しいですが、草の根活動段階ならば裏通りの口の上手い物乞いにだって指導者になる機会はありますわ。知ってそうなことを吐かせた後の出涸らしに聴取しております」

「今優先することじゃないな」

「はい、今度からそういたします」

 次の聴取室へ。

「彼女は?」

「宮殿でどうにか召使いの仕事をしたいと四方に声を掛けて回っていた子です。まだ若いですわね、十代半ばでしょう。本人は二十歳と言っていますが」

 その若い子に使われているのは針だ。ただの裁縫針で血管を避けて神経に刺すだけで、糸をつけておけば深く刺しても抜くのに楽だ。

 針を刺される度にその若い子は高い悲鳴を上げる。

「ただの馬鹿に見えるが、使い捨ての何も知らない偵察要員じゃないか?」

 敵の諜報員が世間知らずの馬鹿を、何の変哲も無いような案件で、就職斡旋だとか何らかの噂で馬鹿の行動を操りつつちょっとしたお願いなどもして、何も知らない者が聞いたらどうでいい情報を獲得させ、そして何気なく聞き出すという回りくどいが自分の手は汚さないで済む手法がある。

 自分も昔、ちょろい青年に城で働く機会を探りたいとある城のゴミ出しの時間を割り出させ、ゴミ出しに出てきた召使いを殺して服を奪い、変装して城主を暗殺したことがある。勿論青年の口封じを後でしたが。

「どうにも間抜けな感じがし過ぎて勘が言っているんです。演技達者な腕利きじゃないかと。吐かなきゃ吐かないで派手に動く馬鹿は危険分子ですし」

 次の聴取室へ行く。

 虚ろな表情で、家事子育てでくたびれた中年女といった感じの者が今にも倒れそうに体を揺らして立たされている。

「これが?」

「聖女の良いネズミ候補です。入国自体は戦争開始より二年前で、夫が商売の拠点をファイルヴァインに移すという名目で引っ越してきておりました」

 中年女は力尽きたように倒れそうになり、聴取官が支えて立たせてから棒で背中を殴り、桶の冷や水を顔にぶっ掛ける

 人を交代でつけて眠らせないように、尻や背中を定期的に怪我しないように棒で打ったり水を浴びせる方法だ。時間は掛かるがこれは効く。

 あまり面倒なことはしない。死なないように管理するなら死なない程度のことをするのが良い。

「何かしたか?」

「いえ、怪しい痕跡はありません。ただ、この女が諜報員を統括していると証言がありました」

「怨恨から来る誤情報の可能性は?」

「良く気が利く奥様。人との関わりは適切な近所付き合い程度で角が立つところが何も無く、その旦那の商売というのも零細そのもので恨みを買うほどの儲けは無し。家庭は子無しで薄幸が漂っていて嫉妬する隙も無い」

「それは無臭過ぎて臭いな」

「極めつけですが、手と足の裏の皮が家事で厚くなるものとはやや別系統と判断しました。筋肉の付き方も同様です」

「良く分かったな」

「人の体を診るのは楽しいですよ」

 アルヴィカはニタっと笑った。

 生意気なのがちょっと気に障ったので尻を抓ってやった。

「やんもうお母様」


■■■


 自分の屋敷の隣にある親衛隊事務所へ顔を出す。

 フェンリアが事務員に混じって静かに書類を弄っている。全く、アルヴィカに教育を半分任せてどうしてこれになるのか? 反面教師になったかもしれない。

 忍び足でフェンリアの背後に立って、肩を掴む。

「わっ!」

「ひゃっ!?」

 驚き肩をすくめたフェンリアがゆっくりこちら向く。事務員達が小さく笑ってる。

「お母様! びっくりしたじゃないですか」

 フェンリアが、まるで自分の娘ではないかのように目をパチクリさせて愛くるしい。

「びっくりさせたからな」

「もう……」

 随分と可愛げがあると満足していると、フェンリアが書類を一枚出してきた。パっと見て数字がたくさん並んでいる。

「今度は私がびっくりさせます」

 書類を読む。簡単に解説すると親衛隊は間も無く予算超過となり、機能が大きく麻痺しそうだということ。

「見積もりが甘かったな」

「はい原因は首都外における取締り行為が多いことです。まず今までの親衛隊の実働範囲がグランデン大公領内だったことで、それを基準にしたために計算が合わなくなっています。中央同盟が急造そのもので、同盟関係の構築という表看板にばかり注力がされて裏方への配慮が抜け落ちていたのが原因です。大急ぎで作った予算編成は脇目も振らぬほどの正規軍一辺倒です。それに加えて本来の、かなり古くて使える権利ではありませんが、親衛隊の資金源である取り締まった貴族からの略奪が否定されています。そしてその代替案は示されていません」

 切る程の自腹など存在しないのがリルツォグト家だ。これは格好悪いな。

「親衛隊長の仕事をして来て下さいますか」

「分かった」

 自分以外の腹を切らせよう。


■■■


 宮殿に出向いてご老公に直談判をした。

「親衛隊予算が消失寸前です。回す予備費はありませんか?」

「足りないか……見積もりが甘かったな。だが予備は全て軍事に溶ける予定だ」

 ご老公は傭兵団との契約書類をざっと見せてくれた。名高くお行儀の良い傭兵団というのはそれなりの契約金から違約金の設定など、ちゃんと細かくしているものだ。それだからこそ金は底抜けに無くなっていく。

「削る私財はありましたか?」

「きっと君の方が自由に出来る金を持っているよ」

「でしたね」

 資産額と自由に出来る金の量は比例しないものだ。

 グランデン大公は間違いなく大貴族である。しかしその分、余人には伺えない程に手広く出費が嵩むのだ。

 ご老公の次、あの野郎を探して宮殿を歩く。

 そして発見。秘書に書類束を持たせ、廊下を歩いていた宮中伯の胸倉を擦れ違い様に右手で掴んで壁に押し付ける。

「予算を出せ。隠し金庫に畑の一つや二つあるだろう」

「何だ親衛隊のか!? うるさい、お前等の努力が足りないんだ!」

「今努力をしているじゃないか」

 クソ宮中伯の股座の下に膝を入れて釘付け。こいつは自分より小さい。

 短剣を左手で抜いて、その腹でその面をペタペタ叩く。

「嫁を質に入れる覚悟くらい決めたらどうだ」

「お前の妹だろうが!」

「リルツォグトの家に生まれたその時点で生贄の祭壇に捧げられている」

「認めんぞ!」

「いいからお前、私財を絞り出せ。屋敷を売れ、ディタバルトを金持ちと結婚させて結納金を剥ぎ取れ」

「出来るか!」

 使えない奴め。

「この貧乏人が!」

「さっさと退け婆が!」

 というわけで、野郎の脛を蹴ってから親衛隊事務所へ戻る。


■■■


「フェンリア、我々で稼ぐ必要があるぞ。隠し金庫を確認してみたが空だった」

「略奪を税や手数料と名を変えて行うようにしないとならないでしょう。とりあえず法に適った形の草案を出し、グランデン大公の判断を仰ぎましょう」

「草案は作ったのか?」

「構想はありますがまだ手が付いていません。時間がかかります。法学者を招くのも、この情報が成立前に漏れると面倒事になりそうですし。私が抜けた分の事務員を補充するにも予算が、ということになります。お母様、出来ました?」

 出来ません。やれないことはないが、他の事務員の足を引っ張るだろうし、やれるようになった頃には戦争は終わってそうだ。

「今、この場の金稼ぎの見当はつくか?」

「摘発名簿にある金融商人を筆頭にお金を借りましょう」

「中央同盟名義で借りろ。反対したら敗北主義者となじれ、脅せ。現金護送の名目で部隊を出して建物の前の道路を埋めてやれ。勝てば長期で返す、負けたら同盟は消滅するか返すものも返せない。これだ」

「分かりました。行けそうです」


■■■


 冬が明けそうだ。シアドレク獅子公に対する攻撃を最後に冬季休戦期間が訪れたのだと確信出来たのが最近である。

 ファイルヴァインの宮殿にて、人質の数が管理するには過剰になって来ている。罪人みたいに扱っていいのなら余裕はあるが、貴族として扱うとなると限界も近い。

 ご夫人方は上流貴族らしき籠の鳥にしても経験的に忍耐しているが、部屋に閉じ込められ、集団生活を送り、精神的に追い詰められて激昂して耳に嫌に響く声を上げる者が増えてきている。大体は論理的ではない感情的な声で相手にするものではないが、耳を露骨に塞ぐのもアレなので鼓膜に悪い。

 ブリェヘム王に頼んで耳が聞えない使用人でも募集して貰おうかと思った程だ。自分は時々見回る程度だが、直接に対している親衛隊員や使用人達には申し訳ない気分だ。

 一度暇潰しと証してアルヴィカが行っている拷問見学でもさせようかと思ったが、彼女等はあくまでも友軍を裏切らせないための人質であって、敵では決してないのだ。何というか、燃料代とか馬草代とか、そんなものだと割り切れ、人と思うからダメなのであって家畜と思えば喚いても無視出来る、と親衛隊員と使用人に説明して納得して貰った。それからご夫人同士の対立や喧嘩は放っておけとも指導。

 さてお子様方であるが、これが意外と楽しそうである。我等が盟主殿がそのお子様方と遊んで回っているからだ。旦那様も参加していらっしゃる。

 酔っ払いヤーナは本当にお気楽な奴で、人質の中でも位の高いご夫人にその夫人らしからぬ態度について説教をされたが「にゃふーん?」と言って、人質の子供を抱っこして床をゴロゴロ、きゃっきゃと転がって逃げたくらいだ。ヤーナは昔からそういう神経だ。

 人質の子供達と騎士ごっこをしたり、歌って踊り、小さい子は背中に乗せてお馬さん、絵本も読む。聖典は絶対に読まない。

 庭を掘り返して怒られて、盗み食いをして怒られて、昼間から酒を飲んでいる。松明片手に、大道芸人みたいに蒸留酒を吹き付けて火を吹いたりする。

 雪の降る庭で雪だるま作り競争をして、乱立する雪だるまを防壁にして雪合戦。廃材から自作のソリを作って子供達を乗せて走り回る。

 宮殿の番犬に飛びついて撫で回し、野良猫を半日以上追い回す。元気な子供達ですら疲れて途中で諦めても追い回す。

 自分の部屋に皆を集めて一緒にお昼寝をし、お漏らしした子のおしめは使用人が反応する前に替え終わる。お昼寝の子供の中には、早くに親元から離された十代のご夫人が混ざっていることもある。

 親であるご夫人方だが、ヤーナがお飾りも良いところなのは知っているし、機嫌は損ねたくないので反対していない。

「みんなー、鬼ごっこだよ! 鬼はフィルね。わー! 逃げろー!」

「逃げろー!」

「鬼婆だ!」

「ババアこわーい!」

「カマキリですわ!」

「鬼カマキリ!」

「食べられる!」

「人食い鬼!」

 一人で全員捕まえてやった。


■■■


 雪はまだ積もっているが、陽射しに雪が溶かされて軒先から水が雨のように垂れる。

 春を目前にして中央同盟軍の総数は四十万に達した。錬度の怪しい兵隊達の訓練も、怪しいなりに上がってきている。とりあえず、前へ進ませるだけなら問題が無いらしい。

 兵士の士気は勝気になれる程に高くはない。しかし戦えない程に低くもない。劣勢のせいで士気が下がり、虐殺のせいで戦わなければならないと義憤が燃え上がっている。

 もう既に聖戦軍へは講和会議の打診は済んでいる。この冬の、一応の休戦期間を利用し、大使段階での調整、交渉は着々と行われた。双方の同意が得られた、という段階ではない。だが、着地点は広くても暗闇には沈んでいない。

 新年ももう直ぐである。親衛隊には新年前後の休暇など無い。

 普通の家庭が眩しいな。

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