第135話「双頭の犬」 フィルエリカ

 親衛隊は猟犬であり番犬である。黒地に青き稲妻一閃に双頭の犬の親衛隊旗の、双頭とはその意である。

 血縁から無限に繋がりかねない復讐を恐れず、名誉を求めないで忠誠に生きるというのは難しい。標的が主に有力貴族であるからして敵は常に手強い。

 普通の貴族には出来ない仕事であり、かと言って平民にやらせても発言力や権威が足りない。それに君主側付きの役職を平民にさせるわけにはいかない。

 何より手を下さずに口だけで問題が解決出来れば一番だ。平民の発言と貴族の発言では影響力が当然違う。説得するのならば尚更だ。

 ストレンツ司教領の司教と血縁関係にある中立派貴族、ディッセン男爵ハリーカルド・ボーエンデルの居城へ出向いた。城と言ってもここは、水濠に丸太柵に囲まれた屋敷程度の貧乏城だ。火器を全く想定していない。

 ディッセン卿だが、年齢の倍は老けて見える顔だ。死相とも言う。

「ディッセン卿、ご存知かと思いますが、昨今の情勢で中立を決め込むことは認められません。聖戦軍が近づいた途端に背中から襲ってくる伏兵以外の見方を我々は出来ないのです。良くても邪魔で仕方がない障害物。意味はお分かりですね」

「分かりますが、容易に中央同盟に参加出来る家の状態ではないのです」

 ディッセン卿の抱える問題は、後継者の長男が病で死んでしまい、後継者になった次男がストレンツ司教領の司教であること。三男はおらず、次を産むには妻は体が弱い。妾に産ませるのも手だが不義の子は後代にしこりを残すし、それに男としてもう元気ではない。長男と同じ病にかかって、治ったが体力が失せている。死相が出る程だ。

 聖職にあることを理由に次男に継承権を与えないことも出来るが、今度は家が割れる。健康で優秀な次男を待望する家臣は多いのだ。今のご時勢ならば聖職にありながらその地位を継承することさえ神聖教会は認めるだろうし、問題があるならストレンツ司教を還俗させるだけの話だ。勿論、聖戦軍側に立つ者として。

「残るは娘ばかりで嫁いでいる。孫に男はいるが娘の子供だ。どうしていいか分からない。ボーエンデルの家名だけは潰すわけにいかない。決断も出来ぬと笑ってくれていい」

 平民が真摯に貴族のお家問題について話は出来ないものだ。

「お話は分かります。逆らう者に容赦しないのが親衛隊の存在意義でありますが、その事情で容赦しない程人情が無いわけではありません」

 部下の親衛隊員に指を動かす合図で木箱を持ってこさせる。大きさは女の子でも両手で持てる程度。

「その箱は?」

「どうぞ」

 受け取ったディッセン卿は木箱を重そうに受け取り、蓋を開いて見た。

「その家名を潰さない選択肢を与えます。孫息子さんを養子になさるとよろしいでしょう」

 その死相にはもう感情も浮かばないのだろう。年内には死にそうだ。

「……そのように致します」

「跡取り殿の身柄はファイルヴァインでお預かりしていますので後顧の憂い無く戦働きをして下さい」

「なるほど」

 皆殺しの上に家を潰されなかったのだから情はある。

 箱の中身は塩漬けのストレンツ司教の首だ。移動中の馬車を襲撃して落として来た。

 獲物を狩って来るのも猟犬の勤めだ。


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 冬も迫って来て大分外は冷える。陽射しも雨雲に遮られ、冷たい雨が降っている。

 秋の雨、麦を発育させる最後の一押し。そして収獲されなかった麦を腐らせて人々を餓死に追いやる雨。

 雨が降ると火薬に悪いので戦闘はお休みになる。最近は長雨で戦線は凡そ膠着状態だ。雪の降り始めは戦いにそこそこ良く、厳しい冬に入れば休戦期と思いたい。

 街道の脇に廃駅で雨宿り中だ。湿っていない廃駅内の廃材を焚き火に暖を取る。

 馬車が一台通りがかり、御者がこちらへ向けて手を振る。

 目標は、良く調べもしないで営業を掛けてきた辻馬車に乗る相当な馬鹿だ。他所の業者に圧力を掛けて仕事を断るようにして大分焦ったようだが、馬鹿には違いない。家の馬車を出せば目立つということには確かに頭は回ったようだが。

 部下と街道上に出て通せんぼ。御者はすんなりと停車する。この辻馬車の出資元はご老公の持ち会社系列だ。

 馬車の扉を二度叩く。

「開けますよ」

「どなたですか、無礼な!」

 扉を開けると、北部の親戚のところへ向かおうとする中立派貴族ナイセン伯の夫人と、夫人に抱かれる幼い息子。

「このご時勢に戦地へ観光とは、あまり褒められませんね」

「親衛隊……見逃して下さい! 息子はまだ小さいのです、何も知らないんです!」

 夫人が息子を抱き寄せる姿は母そのもの。

 馬車の屋根からの雨垂れも合わさって帽子にポツポツ当たる。寒い。

「ご主人の決断力の無さを嘆いて下さい。我々とてこのような真似を好きでしているのではありません。同盟三千万の命が掛かっています」

「関係ありません! 私たち親子が何をしたと言うのです!?」

「何もしていないからでしょう。それに貴女が無知なだけであって現実はそうではありません。貴族なら分かります。分からぬならばその辺の農民。私が農民とその息子に何か配慮をする必要がおありか?」

 帽子から雨水が伝って垂れて背中に染みる。何か腹立ってきた。

「どうする気ですか」

「ファイルヴァインへご招待します。ナイセン卿にもご招待の手紙を出します」

「人でなし」

「犬ですから」

 中立派、そして潜在敵の中でも大物のナイセン伯に選択を迫る用意が出来た。この先の結果は中央同盟の重臣達がどうにかする。

 獲物の居場所を突き止めて猟師に狩らせるのも猟犬の勤めだ。


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 同盟諸侯が常に味方とは限らない。

 聴取の結果、聖女の手の者であると判明した密偵を連れ、その者と密談をしていた準男爵ノルリンスク卿の屋敷を訪ねた。ファイルヴァイン郊外の大きい屋敷だ。

「親衛隊のキトリン卿がどういったご用で」

「覚えがあるでしょう」

 腕と足を縄で縛った密偵をアブゾルが担いできて、床に落として転がす。密偵は苦痛に呻く。

「分かりませんが」

 金で爵位を買えるだけの金と影響力があった商人ノルリンスクの表情からは読み取れるものはない。そんなものは卓上遊戯にしか使えないが。

 部下が、密偵の服を破いて上半身裸にして、肩の線に沿って背中に切れ込みを入れる。そしてゆっくりと、切れ込みに手をかけ、掴みやすいように刃を入れて捲り、掴んでゆっくりと背の皮を剥がすと耳が痛くなるような悲鳴を上げた。

「覚えはありませんか」

 部下が背中を剥がした箇所に塩を塗り、密偵は泡を吹いて失神する。それから水筒の水を顔にボチョボチョと落として目を覚まさせる。

「続きが見たいですか?」

 子供は既に人質に取っている。部屋の隅で不安げに見守る、隠居した彼の年老いた父母を見る。

「いいえ」


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 親衛隊の仕事は外回りばかりではない。本来の役割は首都の治安維持が目的で設立された。

 本日はカラドス=ファイルヴァイン全域にて査察を行う。勿論抜き打ちで、そして一斉摘発でもある。対象は貧民に市民、商人に在住貴族、色々だ。計画は抜け目無いフェンリアが立てたものだ。全く、誰に似たのやら?

 開始時刻と同時に都の門は全て予告無しに閉じられ、出入りを禁じる。例え盟主殿が外出する用事があっても開かない。重臣達にも通告はしない。親衛隊独断でやるからこそ効果があるものだ。

 今、門を閉じる合図のラッパが都中に鳴り響いた。黒い親衛隊旗も合図に各所で揚げられた。演出も重要である。

 外出しようとしたロシエ人貴族が抗議しているという下らない苦情以外は問題無し。

 我々が都内で使う車両は全て戦闘馬車。装甲は分厚く、銃眼がついていて車内から安全に銃を撃てる。それに軽量小型だが大砲を轢かせている車両もある。

 五十人程度に部隊を小分けにして電撃的に一斉に行う。

 親衛隊長である自分も部下を直接引き連れて動く。娘達もだ。

 まずは市民グストール宅。部下が家の扉を二回叩く。

「親衛隊である。開けたまえ」

 反応無し。部下は次に扉を開けようとするが鍵が掛かっている。

「破れ」

 アブゾルは大槌を持って扉を叩き壊す。

「突入」

 抜き身の剣や拳銃を持って部下が突入。

「何だお前達は!?」

 とグストールらしき怒声。

「居留守を使ったな! 公務執行妨害だ、連行する」

 部下が、鼻が折れて鼻血を垂らすグストールを屋外に引き摺り出して来た。

「横暴だ!」

「そうかね」

 家の中から物を壊す音が鳴り響く。床板に壁を破って剥がす、木が悲鳴を上げて割れる音が賑やかだ。

「何をしている! 俺の家を壊す気か!」

 部下が家の窓から顔を出して報告。

「隊長! 床下から数十丁の銃が出てきました! 火薬と弾丸もです!」

「共和革命派の本も出てきました! 労働党宣言、英雄語録、革命軍野外教令、三つ揃ってます」

「ご苦労」

 グストールは憤慨しつつ、意志の強そうな目で睨んでくる。

「何を企んでいたのかな?」

「革命万歳! 貴様等のような醜い豚は何れ労農兵士の団結によって焼かれるのだ!」

 昔はこの手の人間がいたら珍獣かと思ったものだが、最近は良く出てくる。

「敵は何処か、知るのだ同胞よ! 奴ら……」

 何故だか知らないが歌い始めたので殴って黙らせる。

「聴取しろ」

「はっ」

 部下が敬礼してからグストールを連行しようとするが、暴れだしたので部下が囲んで袋叩きにぐったりするまで殴って蹴る。


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 次は商人ルイゲン・リューネン宅。

 店舗も兼ねるちょっとした屋敷の周囲を部下が封鎖してから正面玄関の前へ。

 そしてルイゲン自ら玄関を開けて出迎えに来る。いつもの商談の時のように平静を装うとしているのが分かる。

「これは親衛隊長殿、本日はどういったご用件で」

 声を震わせずに喋っただけ中規模商人としてはマシな方かな。

「捜査にご協力下さい。行け」

 部下が屋敷に入っていく。剣は流石に抜き身ではない。

「困ります! まだ営業時間ですし……」

「ああ、仕事が増えて困っているよ。親衛隊も大変だ」

「はい……」

 観念したか?

 見るからに顔色が変わり、庭の長椅子に座って具合悪そうにルイゲンが唸り始める。

 部下が一名戻って来る。

「酒蔵のワイン樽の半数以上が硝石樽です!」

「これはリューネンさん、もしかしてこのファイルヴァインを爆破して破壊しようと画策していたのですか?」

「それは違います!」

 ルイゲンが跳ねるように立ち上がる。

「値上がりしてから売ろうとしていただけです! 何がいけないんですか、倉庫に商品を置いていただけです! そうです、私は……」

 長話を聞いていられるほどこの査察はのんびりしたものではないので、ルイゲンの両頬を片手で掴んで握る。

「このご時勢に値上がりしてから売れるとでも思ったのか馬鹿者め。恨みを買って殺されるだけだと分からないか? 分からないか」

 握った手を放し、殴り倒す。

「連行しろ」

 顔を腫らせて泣き始めたルイゲンは連行される。


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 貧民街の中でも酒場に賭場や娼館が並び、ある意味では裕福なオステンダール通りを封鎖する。

 昼間の内なので人通りは少ない。何の騒ぎかと通りに面した建物から住人は顔を覗かせ、武装した親衛隊に睨まれて顔を引っ込める。

 勘違いした喧嘩っ早い輩は剣で切り伏せられる。

 アブゾルを連れ、通りで一番大きな酒場に入る。

 酒場には組員が席を半分は埋めており、奥の方には女を両脇にして椅子に座る、このオステンダール通りを牛耳るフォリング商会の頭のエスターがいる。商人ではあるがチンピラを多数抱えるヤクザである。

 視線が自分へ一気に集まる。敵意丸出しだ。エスターに至ってはどうもナメた面だ。躾がなってないな。

「お前等、どうした?」

 このフォリング商会だが、代替わりしたばかりのエスターが親衛隊のところに挨拶にも来なければ、指示にも従わないのだ。

 顔見知りの古参の組員が奥から出てくる。

「代替わりしたばかりでご挨拶が遅れました。申し訳ありません」

「いつからお前等の謝罪は口だけになった」

 古参が腕を卓に置いて、短剣で自らの手首を刺した。

 組員等が驚き、エスターも思わず立ち上がった。

 古参はそのまま手首を叩いて捻って砕き、もいだ。

 もげたその手を取る。偽物じゃないな。

「どうか……」

 エスターに手招き。世話になっているだろうその、苦痛に身を捩るのを堪えている古参を見て、しかし頭の意地もあってゆっくりこっちにやって来る。

「いいか少年、年寄りの言うことは良く聞くもんだぞ」

 エスター少年、青年だが、その手にもげた手を押し付ける。

 教育が終わる前に先代が死んだものだからこの程度で済ませた。


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 我が隊最後の大物、都在住の法服貴族。

 さて珍しいことに親衛隊が屋敷の門前に来たのにその門が開かれないではないか。

「親衛隊である。門を開け」

「ご当主様の命令で開くことは出来ません」

 門衛が答える。悪足掻きを。

「命に替えても?」

 アブゾルが両手剣を抜剣、構える。

「はい」

 良い兵隊だ。

「斬れ」

 アブゾルが門衛を肩から股下へ抜けるように真っ二つにする。血と内臓がドっと零れる。

 戦闘馬車で牽引していた大砲を用意させ、門を砲撃で破らせる。

「突入! 抵抗する者は殺せ!」

 門扉を破壊して貫通した砲弾が半壊させた玄関。そこへ抜剣して、拳銃と着剣した小銃を持って部下が突入する。別方向、壁を梯子で乗り越えて突入する者もいる。

 怒号と悲鳴に銃声、剣戟が鳴る屋敷に入る。とても屋敷の使用人とは思えない賊のような輩が死体になって転がっている。

 抵抗はその分激しく、返り討ちに遭った部下が外に運ばれる。

 しばらくすると戦いも終り、ご当主家族が連行されて来る。

「マルチス卿、あなたのようなご立派な方が何と無様であるか。悲しいものですね」

「ロシエに尻を振る雌犬め」

「何か名案があれば後で聞きますよ。連行しろ」

 外に出ると、門前にアルヴィカ直下の査察部隊が”人車”でやってきていた。

 捕縛され調教され、目隠しをされた全裸の政治犯達を馬の代わりに繋いだ車だ。御者席に座るアルヴィカに鞭打たれながら走る様は迫力満点。

 捕まったらこうなるぞ、という脅しで良く都内を走って入るが、ちょっと、かなり笑えてしまう。

「お母様、緊急です。ザフリン公アイゲストフ・グリュッヘンが出兵を拒んでおり、軍が実質挟み撃ちになっております」

「休む暇も無いな」


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 離反貴族ザフリン公アイゲストフ・グリュッヘン。メイレンベル伯領から東部に位置するザフリンを統治する領主だ。公爵と言っても領地だけならメイレンベルの半分以下。

 侵攻してきている聖戦軍と中央同盟軍でそのザフリンを東西二分して膠着状態にあるのだが、その肝心のザフリン軍が中央同盟の盟約に従わず、出兵せずに城や都市に引き篭もって連絡を絶っているのだ。

 臆病風に吹かれたか、と悪口を言える暇がある程に状況は甘くない。早急にその頭を殴って、生死問わず、正気に戻さないといけない。

 手段に拘っている暇は無い。聖戦軍と対峙している軍は容易に動かせない。だから親衛隊が特急で向かう。

 まずは単純に――雨が無くて幸運――山火事でザフリン軍へ陽動を掛ける。そして間髪入れずに街を潜入工作員に放火させて混乱させる。火事対策で夜も眠れなくして兵士を疲れさせる。

 そうしてザフリン全体が鎮火後の疲労で、疲れて寝ぼけて気が抜けている早朝、ザフリン兵に変装して堂々と公爵がいる城に入る。

 城の中は疲労感に溢れている。臨時の医務室になった各部屋に寝かされた、火傷を負った者の呻き声が響く。

 ザフリン公の執務室に入る。別働隊には公の要らぬ血縁者を殺しに行かせている。継承問題で混乱が起きないように血統の整理をする必要がある。

「誰だ?」

「報告です」

「うむ」

 目の下に隈を作ったザフリン公が机の書類から顔を上げる。火事への対処の前に、聖戦軍にどうやって乗り換えるか、それまで中央同盟軍の圧力をどう跳ね除けようかと悩んでいればその疲れ切った顔にも頷ける。

「首をファイルヴァインの門に吊るさせて頂きます。弟君がザフリンを継承されるよう段取りは出来ておりますのでご安心を」

 刺剣を抜き払う。

「……子供だけは」

「貴き血の義務に老いも若きもありません。知っているでしょう? ご存知無い?」

 ザフリン公の口に刃を突き入れた。

 後は顔を隠すように布団を被せて担架でザフリン公の遺体を運び出して逃げる。


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 親衛隊は敵性分子を発見して狩る以外にも名の通り、ファイルヴァインと盟主殿等、重臣達の警護を行う。

 本来の親衛隊は聖王個人の警護の役目を担い、その解釈で重臣等や都を警護し、またその解釈で敵性分子の摘発を行っている。個人を守るならその周囲を固めることとし、それ以上に敵意ある者を事前に排除する。

 盟主殿はまだ聖なる王ではない。まだ最有力候補だ。候補だから守らないという理屈は無いので守っているし、それで士気が下がってはいない。ただ何となく違和感はあるものだ。

 聖王の称号は現聖皇の認可無しに名乗るのは難しい。神聖教会が敵となっても我々の宗教は同一なのだ。頭が痛い。

 だから中部諸侯の一致団結に加えて、ロシエが用意している新聖皇が必要だ。その工作はもう始まっているという。我々のための聖王を望んでいる我々から見ても胡散臭い話だ。あの聖女ヴァルキリカの圧倒的な権力資金力暴力の前ではなんとも、流石のロシエでも霞んで見えるので不安だが。

 そんな状況で更に不安な情報が入っている。聖戦軍に対するロシエ軍二十万による攻撃の結果、半失したという。半失とは如何なる状態か? 解釈によっては様々である。

 半数の部隊が大きく消耗して組織的に戦闘不能になって一時的に後退するのも半失だろう。

 戦闘終了後に死傷者、行方不明者を計上したところで五割に達したことも半失だろう。

 今回の半失は文字通りの意味らしい。十万人を喪失したということだ。死者行方不明者と現場復帰不能な廃兵を合算して十万である。

 その廃兵であるが、四万名あまりが目を抉られて腕を潰され、捕虜から解放された者達であるとのこと。

 四万である。ある程度の規模を持った都市人口そのものの数である。それも働き盛りの男達だけで四万。か弱い女子供老人ではないのだ。

 我々は過去出会ったことのないとんでもない悪魔と戦っているのであろう。一応、ロシエが降参したとはまだ宣言していないので次回がある、と思いたいが。

 宮殿の警備は昔より、平時から親衛隊が責任を持って行って来た。

 ただカラドス=ファイルヴァインの都全体の防備ともなると常備軍と同等の守備隊で行われてきた。守備隊は名誉的な存在でもあって、グランデン大公下の諸侯からある程度人員を供出しているので、何者ともつかない兵も混じっていて対処前は不安材料であった。

 対処として親衛隊は前々から工作をし、信を置けるとした守備隊の人員を吸収し、従来の守備隊は解散してそのまま前線送りとなった。名目的には戦争激化による守備隊を削っての補充部隊の派遣であって、不名誉な扱いはしていない。

 本日の警備は厳重。市民の外出は禁止した。

 親衛隊以外の武装禁止。貴族は帯剣するが、それまで。

 かなり物々しくなったが暗殺の危険が極限に高いので仕方がない。

 今日は盟主ヤーナとロシエ王子アシェルの結婚式なのだ。

 要人の式場としてファイルヴァインの宮殿は歴史と外見共に申し分無い。

 宮殿内の点検は厳重。搬入物の点検も厳重。出席者の身体検査も厳重だ。

 ロシエ王は出席されないが代理として王弟夫妻、アシェル王子から見た叔父夫婦がやって来た。肩書きはロシエ王国外務大臣夫妻であるからして十分過ぎる程に要人である。

 自分は今、酔っ払いヤーナが結婚式で――式後の宴会はともかく――酔っ払わないか監督している。刺客が直接刺しに来ないようにする仕事は二番目である。

 ヤーナは可愛らしい子であるが、己のメイレンベル伯領の南部が虐殺に見舞われても関心が無いくらいに高貴なる義務に興味の無い奴だ。領主としてはカスである。

 控え室では純白の花嫁衣裳にこの馬鹿が紫の染みを作らないように気を配らないといけない。

「フィルぅ、これ白湯だよぉ」

「酒はお預けだ」

「ぶー」

「あの一口だけ……」

 アシェル王子が発言、目を見る。

「……何でもありません」

「一口寄越せ! 抗議します! ぶーぶー! 結婚と豊穣とは切っても切れない縁があるので、豊饒の象徴であるワインは飲まなきゃ神様に失礼なのです!」

「うるさい馬鹿」

「ぶー」

 馬鹿がぶーたれている内に式が始まるのでアシェル王子は式場の所定の位置へ移動する。

 式次第だが、戦時中なので色々と省略している。王族らしい仰々しい段取りではなく、中流階級程度の項目数だ。大通りでの結婚行進だとか、大衆を広場に集めて披露だとか、現状では警備責任が取れない。

 式場は宮殿内にある礼拝所。都内の聖堂と比べても見劣りしない造りだ。今日に合わせて天井画の修復が行われて終了している。ルメウスも参加していた。

 新郎は入り口から向かって右の、一番奥の席で待機中。介添え人は叔父公爵。アシェル王子は顔が赤くなるくらい緊張している。歳相応に可愛らしい。

 結婚行進曲が教会用の大風琴で、荘厳な音と曲調で演奏される。

 曲はロシエ人作曲家のものかエグセン人作曲家のものかで協議があったが、間を取ってバルマン人作曲家のもので結論が出た。

 新婦入場。

 今日のために、盟主が伯爵だと少し見栄えが悪いということで、ご老公が各地に派遣している方伯、子爵の契約相手をヤーナに名義上だけ移して領地の水増しをした。そして元から広大で独立していたメイレンベル伯爵を公爵に改号。盟主の威光を重ねて大公と称することになった。

 中央同盟盟主にしてメイレンベル大公マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェン、入場。介添え人はご老公。

 新婦は入り口から向かって左の、一番奥の席につく。

 聖歌”プリワオスの星”斉唱。


  聖なる神は、種よ広がれと言われた

  薄暮に彷徨い、盲目のように彷徨った

  嘆きは悲惨に、万年続く


  聖なる神は、人よ集まれと言われた

  愛に導かれ、恵みの地に我々は辿り着いた

  賛歌は赤々と、それより続く


  聖なる神は、火よ高まれと言われた

  弱きを知り、人と家と家々を結びつけた。

  彼と彼とを、今から永遠に


 古い聖歌である。”プリワオスの星”が何であるかは古過ぎてよく分かっていない。聖なる信仰に上書きされた民話だとか発表した学者が破門されかけたのは知っている。

「これより、中央同盟盟主にしてメイレンベル大公マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェンと、ロシエ王国第四王子アシェル=レレラ・カラドスの結婚式の開催を宣言します」

 女の名前が先に上がったのは、アシェル王子が婿入りするからである。普通は王子が嫁に取るのだが、それだとヤーナが本家カラドス家に入ってしまうことになり、完全にロシエ人が中央同盟を乗っ取ることになる。そうなると離反する諸侯の数が増大するのでその処置である。

 宣言したのはブリェヘム王。彼が進行を行う。

 聖なる神の前で宣誓をして祝福するのに本来なら相応の高位聖職者を呼ぶのだが、時勢がその点では最悪だ。平和だったならば枢機卿くらい呼べる内容だ。聖都に出向けば聖皇でも良い。

 今日は進行も含めて聖職者の役割をブリェヘム王が勤める。若い頃は本物の聖職者で大司教を経験していて、そのまま在職していれば枢機卿確実だったらしい。そしてらしい格好をすれば王は、それなりに高徳に見える。

「これより結婚宣誓を行います。新郎新婦は前へ」

 介添え人に支えられて新郎新婦が、聖職者もどきのブリェヘム王の前へ進む。

「マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェンは、アシェル=レレラ・カラドスを夫と認めますか?」

「はい」

「アシェル=レレラ・カラドスは、マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェンは妻と認めますか?」

「はい!」

「異議あるものは?」

「異議あり!」

 ここでその声を上げるとは思わなかった。会場がざわめく。

 席を立った者がいる。身形精悍な、とても愚かには見えない毅然とした者、準男爵ライヘルム・ペンゼルコーヘンだ。

 彼は決闘の代闘士として高名。良きにしろ悪きにしろ、いくつもの私闘を片付けてきた。

「えっ! やだ、うっそ、花嫁強奪!?」

 楽しそうにヤーナが声を上げる。場の空気は停滞の方向へ。

 ペンゼルコーヘン卿は咳払いをして場を持ち直す。

「ロシエ人が我々の上に座ることはエグセン人の矜持が許さない。ヤガロ人もそうでないだろうか。口は閉じていても賛同してくれる諸卿もいることと思う。ならば私が今、その者達を代表してここに立つ。後顧の憂い無きようにすべきだと私は考える。いかがか?」

 刺剣を抜きつつ、ペンゼルコーヘン卿の前に立つ。自分の出番だろう。

「フィルとライくんが私を巡って決闘するのね! やだぁ、どうしよぉ!」

 ペンゼルコーヘン卿に、ちょっと待て、と手の平を向けてから花嫁衣裳で体をくねらせるヤーナの前へ行き「黙ってろこの馬鹿」と言って戻る。

「盟主お二人の代闘士として私がお相手する。彼と私が代表として不足と考え、不服ある者は名乗りを挙げよ!」

 今回は異議無し。

 ペンゼルコーヘン卿も刺剣を抜く。

「稲妻フィルがお相手とは光栄の至り」

「こちらこそ、無敗のライヘルムがお相手で光栄だ」

 相手は股を大きめに開いた半身の構え。

 こちらは直立に近い構え。

 初手。

 相手は大きく踏み込み、腕を伸ばし突き。早い。

 その剣身に合わせ、こちらの剣身を添わせて軌道を反らして突き返し……ながら後ろに跳ぶ。

 相手は手首を捻り込みながら軌道を修正して突き返しを返して来た。危ない。

 ペンゼルコーヘン卿の来ると分かっていても避けられぬと言われる、単純にして最強と言われる高速突きは知っていたが、蛇のように這ってしつこく来るとは驚いた。腕が長く柔らかいのだろう。

 無構えに剣先を下ろして床に向け、半身にならず正対、股を閉じたままじわりと一歩、一歩前へ出る。

 相手の目を直視。刺剣でも体でもない。

 相手はこちらに剣先を向けたまま、何時でも突きを入れられる姿勢のまま一つ後ろを跳ぶ。

 構わず前に、じわりと。

 相手は後退を止めた。壁際まで追い込まれたら意味はなく、格好が悪い。

 前へ。相手が腕を伸ばして突けば十分に自分の体へ刺さる距離。

 目の直視を止めて刺剣を下段から振り上げ。

 相手は反応して突き。

 剣身がぶつかるところで左手を添え、両手の力で強引に相手の剣身ごと大きく振り上げる。

 右足を前に出しながら半身になって一歩近づきつつ、手首だけを返して上段から顔を突く。

 勝負有った。

「参りました」

 寸止めだ、殺しはしない。

 ペンゼルコーヘン卿は刺剣を鞘に収める。

「今の剣技を見て、ペンゼルコーヘン卿より己が代表に値すると思う者がいたら名乗り出てよろしい。お相手する」

 名乗り出ない。

「それではもう各自異議無しということで、新郎新婦は指輪の交換を」

 両者の介添え人が指輪を、決闘が終わって式次第を進めるブリェヘム王に渡す。王は振り返り、壁に刻まれた聖なる種の前の台において祝詞。そうして祝福してから、新郎新婦に指輪が渡され、新郎が新婦に、新婦が新郎の指に嵌める。

「それでは結婚誓約書に各自署名を」

 次に結婚誓約書を王が同じ物を四枚出し、全てに新郎新婦と介添え人が署名する。そして署名した物を介添え人が両手に二枚ずつ持ち、列席者に掲げて見せる。

 ここで拍手。

 新郎新婦が列席者側に向き直って指を嵌めた手を掲げて見せる。拍手が更に大きくなる。

「結婚誓約の成立を認める」

 拍手が落ち着いてから、ブリェヘム王が一説。

「世界を創りし聖なる神よ、今結婚の誓約を交わしたこの夫婦に祝福を与えて下さい。二人の間に偽り無き愛が育まれ、健全な家庭が作られますように。これからの長い人生、お互いに喜びや悲しみが交互にそして同時にやってくるでしょう。如何なる時でも互いに心から愛し、尊敬し、信頼し、感謝を忘れずに聖なる神を信じなさい。今は苦難多き時代です。降りかかる災難は多いことでしょう。それでも嘆かず、勤勉に、希望を抱きなさい。時には耐えられぬ苦痛もやってくるかもしれません。心に邪なものが過ぎるかもしれません。いかなる時でも悪を拒んで善に生きなさい。高貴なる血の流れる二人は持たざる者より持てる者です。血に頼って己が他者より優れていると思ってはいけません。常に謙虚でいなければなりません。高貴であればこその己の使命を自覚し、高貴と呼ばれるに相応しい振る舞いをし、義務を果たしなさい。持てる者であればこそ、持たざる者を支えなさい。聖なる信徒を兄弟とし、そのように愛しなさい。訪れる見知らぬ旅人をもてなし、二人に仇なす者すらも受け入れるのです。何者に対してでも温かい手を差し出すべきであり、呪いの言葉で拒絶してはなりません。二人は二人に対し、家族に対し、世間に対して良き行いに務め、健やかなる平和を築きなさい……これでマリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェン及び、アシェル=レレラ・カラドスの結婚式を終え、解散とします」

 式の解散が宣言される。

 礼拝を呼びかける担当の聖職者が自慢の美声で、結婚誓約の成立を謳うように塔の上から外へ宣言し、都内中の教会の鐘が鳴らされる。

 そして次は宴に移るため食堂に移動する。

 翌朝のヤーナは再婚なので血の付いた布をお披露目出来ないのが少々見栄えが悪いか? まああれも古い習慣で最近ではやるものでもないが。

 久し振りにヤーナと、宴の催し物として横笛と鍵盤楽器の二重奏をやった。好評であった。

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