第121話「酔っ払い伯」 フィルエリカ

 ご老公の治める聖王の都カラドス=ファイルヴァインを出て、北西側のザーン連邦に近いザルヘムンまで馬を飛ばす。

 傭兵が今では主産業――お笑い――のザーン連邦に近い地方には傭兵崩れの盗賊が跋扈している。連邦政府へは再三に渡って自国民の管理をきちんとしろと勧告や警告が出され、あちらからは議会で決着がつかないだとか金と食糧を援助してくれと返事が出される。そして懲罰戦争なんてする余裕は無いから意味が無い。取れる賠償金も無い。

 盗賊に対しては捕縛したら裁判無しに可能な限り苦しめてから殺して良いと法が作られている。作るまでもないが。

 自分は盗賊等相手にしないように素早く道を駆け抜けた。見せしめに殺された盗賊達に無残な死体が道沿いに飾られている。

 最近流行っているらしい処刑は、関節部に釘が埋まるぐらいに打ってから木や杭に縛り付けて放置するやり方。容易に死ねず、釘が打たれた箇所が腫れて腐る。

 命乞いや介錯を乞う者とも擦れ違ったし、返り討ちにした農民がそうする作業も見た。勿論白骨から腐乱した死体も見た。

 盗賊の可能性がある囮のような、怪我した女や売り込みを掛ける行商人に托鉢坊主も無視して無事にザルムヘンに到着した。

 目当てのビスケ=ヴォルク・レドラーの工房を尋ねたが、ここ最近は視力が衰えて精密な絵が描けなくなって自殺してしまったらしい。

 夫人に細密画を見せて尋ねてはみたが、何も分からないとのこと。

 比較する何かがあるかと思って遺作を拝見させて貰ったが勘が働く事は何も無かった。近々この絵は全て売り払う予定であったらしく、ここではないと確信出来ただけ良かった。

 試しにザルムヘンの石工を尋ねて石壁について尋ねたが、南部のどこかという情報のみで変らず。

 調度品から探れるかと考えたがどうにも、高級品だが流行物の一種で量産されているような型であると分かっただけだった。

 折角来たから、というのは少し変だが地道に捜そうとザルムヘンでの捜索もした。

 ご婦人方の集会の出入りを外から伺ってあの特徴的な象牙色の髪の二十代半ば程の女性はいないかと目を付けて回ったが駄目だった。皆お洒落に白や銀に灰のカツラを被っているし、地毛で象牙色の人がいても顔はとてもじゃないが美女の名残すら無かった。その女性の屋敷まで見に行ったが収獲は無し。実家まで調べてそちらも見たが手応え無し。この捜し方だと世界が終わっても見つかりそうに無い。


■■■


 ザルムヘンを諦め、南部へ向かう旅支度を改めてする為に我が領地キトリンの屋敷へ戻った。

 我が領地は狭い。主だった川は一本、山と言えば朝食を取って山頂へ行ったら昼食の時間程度の大きさ。農村は東西南北に四つ、宿場町が一つ、監視塔は古ぼけたのが二つ、戦専用の山城が一つ、放牧地が山を中心にそこそこあって、後は屋敷の私有地でほとんどは騎士爵家や使用人の家族が家を建て畑にしている。目立った点で言えば手狭な領地の割りには服飾工房があって紡績から縫製から染色まで領内で完結した上で製品を作れていることぐらいだ。あの工房だけで税収の半分を越える。

 裏庭の菜園の出来を犬と見て回る。

 まだ熟れきっていないが、新大陸から持ち帰られた果実、トマトを齧る。

 熟れてないので食べられたものではないが、しかし食べる。味ではなく、そう、これは魂を食べているのだ。トマトは熟れると赤くなって甘さと酸味の具合が丁度良くて料理に使うと格別に良くなる。旅のせいで熟れた時期に味わえないとは残念だ。

 流石に不味いので途中で止めて吐き出した。なんてことだ、今回の仕事に動揺しているようだ。流石に四十近くに迫れば引退時期だろうか? いやまだ三十代だ、いけるさ、大丈夫だ。

 長旅になりそうなので横笛を持っていく事にした。旅芸人の真似事はしないが、暇が出来たら遊べるし、演奏会を開ける腕なので何かと対応出来る。

 裏山を上り山城に入る。中は掃除夫が管理しているので古い割には綺麗だ

 城内の井戸には山の湧き水が引いてあって篭城に向いている。一口飲む。

 細密画の石壁の絵と我が城の石壁を比べて見てみる。同じ戦城ということで差異はあった。こちらの一般的な中部の城の石は加工が荒くゴツゴツして凹凸が多く、南部と言われる絵の石は良く整形されていて形がレンガのように綺麗だ。石を隙間無く積めばおそらくは衝撃には強いのだろう。不揃いの石同士と方形の石同士を重ねたらどっちが崩れ易いかは分かるし、石と固まった糊では石が頑丈だろう。ただそれが現代で使われる大砲に対しても有効かどうかは知らない。

 一番高い塔に行って屋上で横笛で一曲吹く。

 ここで吹くと自分しかこの世界にいない感傷に浸れて気分良く吹ける。腰振って足上げて躍るぐらい気分が良い。演奏会で吹くより絶好調に吹ける。

 そんな一人の時間だと思って山を下りれば皆聞いていたと実感する言葉がポツポツと出てくるものだ。

 宿場町では旅人が「誰が吹いている?」「お化け?」「旅芸人でも来てるの?」等と良く質問していると宿屋の親父が言っている。風向き次第では隣の領地からこの前の曲はあーだこーだと言われる事もある。静かな田舎なのだ。

 この山を掘らせるなどあってはならない。少なくとも生きている内はさせない。

 思い残した事はないか屋敷を回り、臣下や使用人に何か出かける前に用事か何かないか確認して後顧の憂いを断つ。

 そうして都の屋敷で用意した分では足りなかった旅道具等を揃え、ご老公より送金された――旅費として見たら多い程度――資金を懐に出発する。勿論男装して。

 家臣の騎士爵家の若い奴等が軽騎兵装備で「お供します」と可愛い事を言ってやって来たが、賊から領地を守れと諭して引き返させた。全く奴等め、順番に耳を齧って舐めてやりたい。

 まずは隣接している友人の領地へ向かう。巨額の賄賂も必要な状況が考えられるので金を借りに行くのだ。


■■■


 お隣の領地ことメイレンベル伯領へは馬で半日と掛からず、友人の別荘までも半日と掛からない。この距離感のせいか昔から親戚より多く顔を合わせて来た。

 メイレンベル伯マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェンは伯領の首都テオロデンを親戚に任せ切りにして道楽に生きる奴だ。そして名前の通りにロシエ系カラドス王朝の傍系に当たり、無駄に影響力があったりするが個人として活用している様子は見た事が無い。

 その別荘付近の畑で腰から酒瓶を吊るし、麦藁帽子を被った農夫の格好で飲みながら鍬で耕している女がいる。馬鋤の方がそれは効率が良いが、こいつは趣味でやっているので用事が立て込んで忙しくならないと使わない。

「あーフィルだー! 今日の演奏も最高だったよ!」

 男装しているが向こうは知ったこと。両手をぶんぶん回して走ってきて、自分で耕した段差に躓いて転んで直ぐに立ち上がってやってくる。

 こいつは明るく善良だから好きだ。下にぶら下がっていないのが惜しいくらいだ。

 だから金を借りるのが辛い。そして頼る当てはここしかない。

「おーカッコいいなぁ」

 馬から降りて土を払ってやる。

「ヤーナ、この酔っ払いめ」

 あとこいつはいつも酒臭い。朝から晩まで水のように酒を飲む。

「優しいーんだー。結婚してあげよっか? その前にチューしよチュー! んー!」

 口を尖らせて寄せてくるので顔面を掴んで離す。

「今日はお前にしか頼めないこ……」

「いいよ! 分かったその要求飲みました。いやあ私って話の分かる女だねぇ。じゃあお腹減ったからご飯ね。さあ行くぞ行くぞ!」

 馬の轡を取ってヤーナに続く。

 子供が出来る前に旦那が戦死して以来再婚する気の無い奴だ。大好きな畑仕事と酒造りにそれから機織に皮革加工に鍛冶にと、とにかく物作りに口を出されるのが嫌いだから政治を拒否している。

 この子も象牙色の髪に灰色、いや薄い青の目がある。まさかである。年下で、どうやって生まれて育ったかまで知っているが。

 メイレンベル伯領の、特に直轄領ではワイン作りとブドウの品種改良で結構な財産を築いている。穀物や畜産業に加工食品業でも有名だ。

 趣味の畑を過ぎればブドウ畑が広がっている。少し遠くには麦畑、牧場もある。親戚が嫌がらせに物流を止めても痛くも痒くもないように設計されている。まあ、そんな奴とっくの昔に穴一つ増やしてやったが。

 別荘に近づくと黒い犬がヤーナに飛びつく。

「やーダメー後ー!」

 犬の頬を掴んで「ぶぶぶ」と口を鳴らす。

 庭の方では食事の準備が整っていて、こちらの気配でも察したのか今二人分の用意がされている。

 馬を預けて椅子に座る。ヤーナが着替えに行ったので相手がいなくなり、先ほどの犬が足元に来て座る。こいつとは知らない仲じゃない。子犬の時から知っている。

「また来たぞ」

 喉を撫でてやったら挨拶は終りと犬が去り、主人を迎えに行った。

 ヤーナがまた農夫姿で戻って来る。汚れはないのでお洒落をする気はないようだ。

「いやー、着飾ろうと思ったけど面倒だから止めたー。フィルそんままー?」

「そのフィルというのはファイルヴァインにいる」

「へー、凝ってるねー。ご飯はね、まだ掛かるよ。時間前じゃないとフィルの分作ってくれないもんね」

「気遣いの出来る女だな」

「やっぱり?」

 太陽を浴びてそよ風に吹かれながらお食事というのもしばらく無理かもしれない。

 席について配膳を待つ間に革手帳の細密画をヤーナに見せる。

「心当たりはあるか?」

 ヤーナは細密画を見て「分かったことがある」と不敵に笑う。

「分かった?」

「私の方が激眩いね」

 革手帳を返してもらう。

「そうだな」

「だよねー」

 執事が小さい樽を運んで来た。

「今日はなんと新種のブドウ、そして製法を少し変えたワインの初飲みだよ! 私もまだ飲んでないー、いー!」

「ふうん」

 執事が樽の栓を取って硝子の杯に注ぐ。においは、随分と甘いような。

「へっへへぇい、我が血となるのだ!」

「はい乾杯」

 杯を打ち合って飲み干す。かなり甘く、香りはその割りに少し弱いか?

「うわっ甘っ!? 悪戯で砂糖入れてないでしょうね!」

「入れておりません」

「普通のワインとしては売れない、酸味と渋味が飛び過ぎよ。それに香りが弱い、度も強いわね。畑とワインの名前は使わないで、そのまま品種名使って出して。紛らわしくなると変な評判が立つわ」

「畏まりました」

「うーん、今年限りの出来って段階は越してるわね。自家用は他の倍、御土産用も同じ数で倍残しておきなさい。初年は品薄で売る。反応次第で自家用から放出しなさい」

「畏まりました」

 ワインで口を湿らせてから運ばれてくる料理を食べる。

 胡瓜の塩漬け。今日作ったばかりで歯ごたえが良い。

 朝採り葉菜と玉葱の薄切り。香辛料大目の油で作ったタレがあっさりした味に出来ている。

 牛乳とバターと芋の冷汁。汁の入った皿だが、氷が詰めてある盆の上に置かれている。ここの氷室はかなり大きくて、ちょくちょく売りに出されるぐらいある。こちらの屋敷でも買っている。

 白パンと黒パン。両方ともしっとりした触感に仕上がっていて、何か塗らなくても十分に味がついている。

 ユバール産ニシンの油漬け。自分は酢をかけて食べる。ヤーナはこれでもかと塩を振ってから食べる。

 干しブドウ。ここの畑のものだ。口直しに食べる。ヤーナは酒を飲みながら食べているがこれを「お酒のつまみ!」と言いながら更に飲む。

 豚の腸詰各種盛り合わせ。弱火でじっくり焼いた旨さに皮の焼け具合だ。チーズや辛子が入った変り種もある。

 チーズを乗せたトマト。家のトマトはまだ熟していないというのに小癪な。ここには硝子張りの温室があって野菜の成長速度が違うのだ。羨ましいが、あんな馬鹿に高い施設は買えるものではない。領内に硝子工房を抱えている奴は話が違うな。

 ベルシア産蜜柑。幸いかあのベルシア王国は悪魔に蹂躙された際に蜜柑畑は主戦場から離れたところにあったので焼かれずに済んだと聞く。

 刻んだ苺と苺ジャムのパイ。甘い苺ジャムに酸味がある苺を合わせて味に起伏がある。

 南大陸産豆のコーヒー。先の大戦が終わって以降、ジャーヴァル戦争時には一時滞ったが、南大陸物産の流通が再開されたものだ。ただし、南部商人が弱ってエデルト商人が幅を利かせ始めたので値上がりしている。北部の方が南大陸物産が安いという変な状況も生まれている。

 胡桃の糖蜜漬け。昔は胡桃畑でヤーナと一緒に竿を持って落として歩いたものだ。それからこいつはリスの真似をして頬を膨らませて食べていた。

 こんな食事をヤーナはいつも食べている。我が家で用意しろと言ったら「そんなお金ありません!」と怒られるだろう。

「あーお腹一杯だねぇ。それで、お願いって何?」

「金を貸して欲しい。さっき見せた細密画の女性を捜しているが、賄賂が必要になる気がする。聖皇領までは行く予定だ」

「聖皇領までいって賄賂ねー。小切手でいい? 一人旅なら金属の塊なんて持っていけないでしょ」

「助かる」

 執事が持ってきた、ご老公が筆頭株主となっている中央同盟銀行の小切手の綴りを貰う。百タリウスという額面、ヤーナの署名、そして銀行に登録されている譲渡代理人名、空欄になっている譲渡代理人署名欄。この紙っぺらの空欄に譲渡代理人である自分の名前を書いていくだけで我が領地が人も物も全てつけて買えるだけの枚数を束で貰った。

 金銭感覚がイカれてやがる、紙切れ一枚でタリウス金貨百枚だ。貴族、商人にお願いするのに十分、庶民が命を売るに十分な値段だ。

「中央同盟銀行なら背後も探られ辛い。助かるよ」

 かの銀行は情報の秘匿を第一に管理されている。

「よしっ! お仕事お終い、あれやろあれ!」

 こちらの反応も確かめずにヤーナは別荘に駆け込んで犬も続こうとして、玄関前で止った。屋外犬なのでそういう躾だ。

 後に続いて見知った屋内に進み、いくら豪華な別荘であっても分不相応な防音室に入る。壁には等間隔に穴が空いていてその奥にはまた別の材質の壁がある。

 ヤーナが鍵盤楽器の弦の音を聞いて簡単に調律をしている。多才な奴だ。その内楽器も手作りするだろう。

 横笛を出して簡単に吹く。ヤーナも鍵盤を弾いて音を見て「よしこれだ」と納得がいったようだ。

 鍵盤楽器と二重奏をする。

 ヤーナは見ているだけで吹き出しそうになるくらい楽しそうに鍵盤を弾く。頭を振って「ぱっぱっぱっぱぱーぱぱらら」などと歌って、絶えず床を踏み鳴らし、楽譜にはない演奏を混ぜて、演奏を止めたと思ったら立ち上がって手を叩きながら踊りだして楽器を持ち替えたり。演奏会より宴会が向いている奴だ。男だったら家に持ち帰っている。

 演奏中は特にだが、防音室なので外の気配が分からないものだ。

 唐突に扉が開けられ、やや構えてしまった。

「どうしたの?」

「ご主人様」

 執事が体裁も整っていないような手紙を一つヤーナに手渡す。防音室の出入り口からは息を切らせて女中から水をもらっている伝令の姿が見える。

「ふんふん何々、ここは飛ばしてここから本題ねー。十万を越える大軍勢が南部諸侯領を東部から侵略し、話が耳に入った時点でセナボンからオペロ=モントレまで多くの街が陥落しております。既に焼き討ち虐殺の被害も確認されており、至急閣下にはテオロデンに戻り指揮を執って頂きたく存じます。また敵軍は魔神代理領軍であるという噂と、聖戦軍であるという噂が入り混じって定かではありません。重大なご決断が必要になる可能性が、それからえーえーえー……」

 ヤーナがガガガガーンと鍵盤を打ち鳴らす。

「うっそぉ!?」

 旅は危険の度合いを恐ろしく増したということか。ご老公の言う大事とはこれであろう。ならば行かねばならない。

「状況は把握した。遊んでいる余裕は無くなった。もう出る」

 行かせないと縋りついて来るヤーナ。

「ダメぇ! 行かないで! フィル行っちゃダメぇ! フィルはウチの子になるのぉ!」

「ええい離せヤーナ」

 手でも離れないので足で引き剥がす。腹一杯飯食って酒飲んで農作業をしているヤーナの力は中々強い。もう遠慮しないで蹴っ飛ばして出る。執事は心得たもので「お気をつけて」と言う。

 気がついたらあのセナボンからオペロ=モントレ城まで陥落しているだと? 何の冗談だ。まるで遊牧帝国の侵略伝説みたいではないか。先の大戦での魔神代理領軍の北進だって南部に橋頭堡を築いてから中部に現れるまで一年は掛かったぞ。

 セナボンなんか中部と南部の玄関口だ。それも大都市であり、橋頭堡としての価値は十分。もう足が中部に入っているも同然だ。

 目指すところは今南部なのだ。南部経由で聖皇領に入りたいのだ。入る前にも各所で調査もするはずだった。

 任務達成が厳しいな。南部への道が封鎖されていたらご老公の下へ一旦引き上げるべきだな。

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