第119話「捜索開始」 フィルエリカ
宮殿を出たら都、カラドス=ファイルヴァインに構えている屋敷に戻り男装をする。
胸にサラシを巻いて平らに――元より主張するだけは無い――する。身長は大体の男より高いし、顔は大体の男より格好良い。
服装は羽根付き帽子、袖無し胴衣、左肩に軽騎兵風のお洒落を混ぜた外套。長ズボン――長旅に貴族風半ズボンは遠慮――代わりに、半ズボンに見えるような膝下までの長靴。巻き毛長髪のカツラ、もみ上げから顎に口まで繋がる付け髭。愛用の刺剣に短剣、拳銃を装備。
我が名はキトリン男爵フィルエリカ・リルツォグト。男装時の名前はユルグスト・グラーベ。
少し前に断絶した家臣の騎士爵の名前を借りている。あそこの幼馴染ユルグスト・グラーベとは婿入りの結婚話までいったし、使ってもいいだろう。
鏡を前にユルグストが良くしていた顔の片側だけを歪める誤魔化し笑いをしてみる。この歳でやるのは辛いな。
着替えて屋敷の玄関へ。待っていた従者、執事、女中に指示を出す
「しばらく一人で動く。聖皇領に観光旅行へ行っている事にしろ。お前は仕事で失敗して中年女の激情で暇を出されたという事にして故郷に戻っていろ。聞かれたら自然な程度に悪口を言っておけ」
「仰せのままに」
従者が礼をする。長年仕えてくれた彼は良く顔が知れている。自分と一緒にいないと怪しいし、どこか一人で動いていても怪しい。そして変装中に連れて回るなど変装の意味が無い。優秀だがこういう時は不便な奴だ。
「後は普段通りだ。身の危険に及ぶような脅迫があったら無理はしないで喋れるだけ喋って良い。家捜しにも応じてやれ。困るものは何も残していない」
「はい」
執事と女中が礼をする。
そして自分の服を着た女中の中で自分の背格好に近い者の肩を叩く。
「適当に美味いものでも食べて昼寝して帰って来い」
「あの……ごちそうになります」
「ふっふふふ。お前も無理するな。誰何されて危なそうだったら変装して食事に行けと私に言われたと正直に喋って良い」
「はい、分かりました」
この身代わりは自分より二十も年下だ。変わり身させるのがちょっと可哀想だが、生憎私の肌はその年齢と勝負しても負ける気がしない……手の甲は流石に変ってきたが。
「ではな」
『いってらっしゃいませ』
裏口でもない、地下室へ行って隠し地下通路を通り、友人名義の屋敷の地下室に出て、そこから騎士爵ユルグスト・グラーベとして玄関へ。
「お嬢様、またやんちゃでございますな」
こちらの屋敷を担当している老いた女中は祖父の代からリルツォグト家とグラーベ家に半々に仕える形でいる。
「お嬢様は止せ」
女の声ではなく低い男の声で返す。
「ヒッヒッヒ。はい旦那様」
玄関から出る。老いた女中は腰を曲げる姿に擬態して厩から黒馬を引っ張ってくる。念のため鞍と鐙の具合を確かめてから跳び乗る。
「お帰りは?」
「さあな。森の中から一本の木を捜せと言われた」
「そうですか。適当なところで切り上げるがよろしいでしょう。真面目にやっていたら命がいくらあっても足りませんからな。イッヒッヒヒ」
「今回はその前にとんでもない事になりそうだ。留守を任せたぞ」
「まあまあ、お気をつけて」
馬を進ませる。
■■■
最初に目指したのは元愛人の芸術商の家だ。彼は自分でも絵を描いており、そこそこには売れている。中々多才な奴である。
家の扉を拳で叩く。一、三、一の調子で打つ。こいつは面倒臭いと思ったら居留守を平気でやるので注意がいる。
扉が開く。何となく退廃的な雰囲気の男で、長髪も髭も扇情的なのやら不潔なのやら見方で変ってくる。
「ルメウス、飯は食えてるか?」
「これは……グラーベ卿。ようこそ、さ、中へ」
「失礼する」
ルメウスは仕事は真面目だし冗談も通じて気配りも出来るし意識しないで優しさを出せる良い奴だ。身分が違わなければ結婚しても良い奴ではあった。
お邪魔すると家の嫁さんが睨んでくる。娘は無邪気なもので、ニコっと笑ってお辞儀をする。お辞儀を返してやるともっと笑う。
「厄介事ですかね」
「口閉じてるのと閉じられるのどっちが好みかって話になるかもしれない」
「グラーベ卿の頼みとあらば……妻子は勘弁して貰いたいですが」
「人捜しだ」
「グラーベ卿が下働きみたいな事ですか。大物ですね」
あの細密画が入っている革手帳を見せる。嫁さんは不安げにこちらを見ながら子供の肩に手を置いている。
「描かれた時期はおそらく十年程前だ」
「画家は存命かもしれませんね」
「腕は」
「ある程度本人の特徴は捉えつつ自分の得意な眉や耳の描き方で綺麗に収めるって手法は取ってないですね。そっくり生き写しにしてますよ。骨格もそうですが耳の形はかなり個人特定に役立ちます」
「絵描きは誰だ?」
「ここまで細かいとなると知ってる限りでは絞れてきますが……芸術性よりは写実性……筆はかなり細い物を使ってますね。東大洋で米粒に文章を書く達人っていうのがいるんですが、その人達は狸の毛一本の筆で書くそうなんですが、そんな感じがします。筆は特注か自作かは簡単に分かりませんね」
ルメウスが絵のにおいを嗅ぐ
「新品なら特定に近いところまでいけましたが、絵の具は各所から取り寄せているのは間違いないですね。表面に保護薬剤が塗られていますが変色も艶出しも無いですね。芸術家というより細工職人のような細やかさです。見栄より記録のために描かれたのでしょう。このお嬢さんは大変お美しいですが、これは花婿探し用じゃないですね。背景も写実的過ぎて雰囲気が暗過ぎます。華やいで見えない配色です。お屋敷というよりどこか城や砦ですね。床は絨毯で綺麗なものですが背後の調度品は統一性が無くて掻き集めたような感じです。壁ですが戦城のような頑丈優先の石組みです。石の組み方ですが、これは石工を当たるのがよろしいかと思います。私は南部の組み方だとは思うんですがね。石の種類からいつの年代かまでは流石に」
「作者はハッキリしないか」
「この街だとアカール・ヘルベイン、西部だとザルヘムンのビスケ=ヴォルク・レドラー、聖皇領のミゼレオ・ウルチェリゼの三人なら出来そうな仕事ですが」
「石工も当たりたいが、この壁の石組み描けるか? あまりこの絵は見せて回りたくない」
「これを真似るだけなら……」
「ルメウス! また……」
皆まで言う前に磨り減っていないタリウス金貨を嫁さんに手渡す。この家の資産規模なら大体二月分の収入くらいの価値があるだろう。
「仕事で来たんですよ奥さん」
「下がっていなさい」
嫁さんが頭を下げて足早に奥へ下がる。
「どうも不機嫌だと思ったら金にならない仕事でも相変わらず引き受けているのか?」
「子供が出来てからは控えてるんですがね、時々やっぱり昔馴染みがやってくれると思って来るんですよ」
「相手を選べ」
「全く……仕事部屋へ」
ルメウスの後について感光を避けるための真っ暗な部屋へ入る。窓を開けて日光を入れると、布を被され絵が立てられて壁に並んでいる。ここにあるのは自作の売れ残りだ。昔は酔っ払いながら何故これが売れないのかと高説ぶる遊びをしたものだ。
「さて」
ルメウスは描き掛けの絵を退かし、小さい画布を画台に乗せ、まずは色の調整に各種絵の具を混ぜて作り始めた。
素人ならば間抜けに試行錯誤するように色々と混ぜるものなのかもしれないが、ルメウスはほぼ迷わずに色を作って細密画を見ながら石壁の模写を始めた。後ろからその手つきを眺める。形だけではなくその作者の筆捌きも再現するように描いている。
こいつは繊細な奴だ。自分の近くになんてとてもじゃないが置いておけない。若い頃は気付きもしなかったが。
集中を散らさないように黙って待つ。
神聖教会の美声自慢の坊主による礼拝呼びかけが街中に響き渡るが今は無視だ。
■■■
日の傾きが変わった頃、その石壁が描き終わった。多少の形を真似るだけならもっと素早かったが、細かい石のキメに角張り方、丸まり方、石の境目の具合まで再現しているので時間が掛かっている。
「後は乾くまで少しです。それから保護剤を塗ってまたそれが乾いてですね」
ルメウスから革手帳を受け取って懐に入れる。
「良くやってくれた」
「いえ。貴女の為なら……家族に食べさせる為ならいくらでも」
「ふふ。商売……はいいか。自分の絵はどうだ?」
ルメウスが描き掛けだった絵を見せてくる。野花が多い小川の絵だ。ただそれだけとも言えるが、川の色が川底や周囲の風景、空に対応して様々色や紋様を映し出しているのが良く描かれている。
「川の音が聞えてくる」
「はぁ……良かった」
石壁を描いたのとは別にルメウスが安堵して肩を落とした。
「風は聞えない。描きかけのせいか?」
「やっぱりか」
安堵した同じような勢いでまた肩を落として手で顔を覆った。絵から音を出したいとは昔から言っていたが一筋縄にはいかないようだ。
「何かが足りないんだ」
「そうか」
それなりの人相画に風景画、目に見えたものをそのまま描く事は練習したので出来るが、こう感覚に訴えるとかそういった不思議の領域には足を入れていないので分からない。
ルメウスはそれから売れ残りの絵を見せてくれる。風景画が良く売れ残り、聖典に関係したものや偉人を扱ったものはほとんど残っていない。その内に絵の具が乾いて保護剤を塗り、またその乾燥を待って絵を見せてくれる。
「売れ筋は?」
「先の大戦の南大陸遠征を扱った絵は直ぐに売れます。催促されても取り寄せられないぐらいに。皆の関心はやっぱり戦争みたいですね」
「描いてみたか?」
首を振りながらルメウスが一枚の戦争を題材にした絵を見せてくれたが、全く得意分野ではなかったのが分かるほど何だかよく分からない、ボヤっとした雰囲気のものだった。
「こいつはダメだ。意味が分からない、というか時代も背景も滅茶苦茶だ。自戒用じゃなきゃ捨てた方が良い」
「そうなんです。実際に見ればまだいいかもしれませんが、そんな機会は流石に……」
「そんな機会は来ない方が良い。領主同士の小競り合いでも見に行くか? 傭兵の略奪なんて観察してたら殺されるぞ」
「はい」
石壁の絵の乾燥が終了。布に描いた絵なので丸め、筒に入れてしまう。
「筒はあげますよ」
「こんなもん、代金込みだ」
「ははは……大分、遠出しますか?」
「遠くて聖皇領か、運が悪いとロシエか。それ以上遠くだったら打ち切って諦めるよ」
「それは良かった。昔の貴女だったら新大陸でもオルフでも南大陸にだって行きかねない」
「この歳でそんな事してたら寿命が足りない。世話になった、達者でな」
「はい、さようなら、また」
■■■
ルメウスの家の次は石工を尋ねて、クリン銀貨一枚で石壁は何処の様式か訪ねてみた。
やはり石壁は南部の城塞の物であるらしい。ウルロン山脈越えをして南部へ行く必要があると見積もった方が良い。
治安の悪い今の情勢だと単独は流石にきついかもしれない。一度領地に帰って何人か兵隊を連れて来た方が良さそうだが、何にしても男手がどこでも足りないのが我が領地の現状だ。むしろ旅先で男を拾ってくるぐらいしないと駄目だ。人を雇って使うのなら金だ。金か……。
まずは紹介してくれた画家の一人をこのまま当たろう。顔見知りの相手ではある。
アカール・ヘルベインの工房を訪ねる。顔に絵の具をつけているという何とも可愛らしい少年の弟子が対応してくれた。
絵だけでなく売り込みの見習いもしているのか、それとも本当に好き者か、完成した師匠の絵を熱心に解説して、売約済みだったり注文で作ったものではない絵については価格についてどうだ、贔屓にしてくれるならこれだけ勉強出来ます等々、中々頼もしい弟子だった。
熱心に喋る姿が持ち帰りたいぐらいだったが、本業を思い出して師匠のところへ案内して貰う。
「ヘルベイン先生、こんにちは」
「これは……お前は下がってなさい。大事なお客様だ」
弟子が礼をして下がる。
「商人の子かな」
「はい閣下。手も舌も熱心でしてな。中途半端にならなければいいんですが」
幾つもの寺院の天井画を手がけ、その度に急激に老化しているヘルベインは同年代だが自分より二十は上に見える。画台を前に椅子に座って背を丸めている姿はもっと上だ。
「尋ね人なんだが、見覚えは?」
革手帳を渡して細密画を見てもらう。ヘルベインは綺麗な手袋をはめてから受け取って見る。
「ふむ、うむ、絵の細やかさは素晴らしいですね。このお顔は存じませんが、服については少し前にあまり豊かでない南部貴族の間で流行った物ですな」
「豊かでない南部貴族?」
「表からは分かり辛いんですが、この服は裏生地が一枚少なくなっていたり裁縫が簡略化されているものです。まあ温かい南部ではそれが良いのですが、安いのでお金持ちには流行っていませんね。かなり細かく描いてあるので分かりましたよ」
「どこだ?」
「袖の裏側と襟のところですね。ここを描き間違えると私はそんな貧乏人の服は着ていない! と怒るお客がいると同業から噂で聞いております」
「素晴らしい情報だ」
「ありがとうございます。後は、石壁ですが南部のものですので南部の方でしょう。顔付きは何やら中部か東部のように見受けられますが」
「作者は分かるか?」
「こう描き方が出来る者だとビスケ=ヴォルク・レドラー、ミゼレオ・ウルチェリゼでしょうか。もう少し遠方の画家になりますと流石に分かりかねます」
意見は同じか。類は考え方も同じか。
「絵の意図か何か、あるか?」
「意図ですか。意味を込めた物ではないでしょう。見たままそっくりに描く、それ以上は感じられません」
「助かった」
「いえいえ」
タリウス金貨を一枚置いていく。
「流石にこんなに頂くのは」
「弟子の分もだ」
「お心遣い感謝します」
工房を出る。金の事も知らずに「ありがとうございましたー!」と元気良く見送ってくれるお弟子君の尻を撫でる空想をしながら、一旦我がキトリンを目指す。
キャウン……流石にそんな声は上げないな。犬じゃあるまいし。
ウルロン山脈越えと滞在旅費を考えると……あいつに借りるか。ご老公の送金だが何時になるやらハッキリしていないのが辛い。発生した借金への補填程度に考えるべきだろう。
しかいあいつか。借りるどころかあげると言われそうなのがこれまた辛い。恩は受けても返した記憶がほぼ無い。これだから金持ちは。
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