第115話「次なる戦場」 ベルリク

 ルーキーヤ艦隊が離脱した連合艦隊は冬の空気から南へ逃れ、乾いた寒さから湿った暑さに取って代わる。

 タルメシャ南洋諸島海域に入り、ビビった商船や海賊が擦れ違う度に降伏の白旗を揚げて停船し、勘弁してくれと意思表示をしていたのが笑えた。

 この辺りは暗礁が多く、慌てて逃げると座礁するので強力な敵がいたら案外これが一番賢いらしい。現地人が近くの島の浜や磯、小船の上から槍、若干数の小銃を持って様子を伺っているのを見れば納得だ。海賊にも色々と種類がある。

 狭くて暗礁だらけ、綺麗な鳥に虫と一緒に気持ち悪い虫に怪しい――向こうもそう思っているだろうが――原住民もいる海域を抜け、ガシリタ島の入り江に進入。両脇の枝や蔦を伝って猿が吠えながら船についてくる。

 そしてユルタンに入港する。街の子供全員が珍しがって見に来ていると思ったら、うじゃうじゃいるその全てがファイードの子供達らしい。数えるのが面倒なくらいの女達も全て妻達か? 前に訪れた時に紹介した嫁さんと子供は氷山の一角だったようだ。しかしあの数、相続争いになったらどうする気なんだろうかあのハゲは。

 岸壁についたら短い休暇を取り、食糧真水にお土産を積んで出港する。航海中に発生した病人怪我人はユルタンで預かって貰い、後発便で送って貰う。

 やっぱりセリンは養子を貰わないらしい。そういったのとは別に船員の補充で成人したファイードの息子が乗り込んでいたりはするが別の話だろう。友好国へ士官が留学するみたいなものだ。


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 ファイード艦隊が抜けた連合艦隊は遂に、海の色が澄んだ明るい緑色から沖合いの深い青に変わる境目を越えた。見かける船舶は東大洋の帆柱一本の四角帆の沿岸船から、南大洋西側の帆柱一本の三角帆の物に代わりつつある。時々物資の融通をし合う事があったが、やはり顔付きが変わってきている。

 もうあの東大洋は遥か彼方か。

 蒸し暑いのは敵わないが、突発豪雨が始まったのは船上生活で良い部分だ。船員にとっては足場が滑りやすくなって命に関わるので簡単な話ではない。だが長旅で腐り始める水を新しいものと取り替えられるのはやっぱり良いではないか。それから定期的に素っ裸になって甲板で体を洗う。

 ロシエ船籍がある程度増えているのかナギダハラに近づく度に良く見かける。そんな金があるのか? と思ったが、金が無いから借金してまで船を出しているのか。

 ザシンダルの主要港湾都市ナギダハラに入港する。以前見たときより規模が拡大しているザシンダル海軍が礼砲で迎えてくれた。

 タスーブ王の出迎えは以前と違って無いが、海軍と外交関係者が岸壁に何人かいた。大体は役職持ちの王族なので侮っているという態度ではない。加えてロシエ海軍の将校も一人だがいた。彼等との戦争は終わったが、また何か手違いで勃発する可能性は未だにあるだろうし、その手の確認でもする心算だろう。それはセリンの仕事だ。こちらは休暇期間中は遊ぶだけ。

 そしてここへの入港はファスラとのお別れでもある。

 お別れ会としてロシエ人街の酒場で飲む事になった。襲撃されてもおかしくない雰囲気の中で飲もうとするのは中々奇天烈だ。混血ロシエ人は微妙だが、純潔ロシエ人の面は分かり易いぐらいに険しい。

 ファスラは酔っ払い、当然入店は断られ、それに対して難癖付けて回り、そんな事をしていれば喧嘩になって、殴り合いにすらならず一方的に打ち倒して、光り物がチラついたあたりで遊びにならなくなって威嚇射撃をした後に、武装した自警団が出てきたのでゆっくりと退散した。これがお別れ会の前座だ。

 それからファルマンの魔王号の艦長室に移って飲み直し。マザキとユルタンで貰った土産の酒がいくらでもあるので飲みきれない程だ。

「目玉抉りで本国に帰ったと思った白いロシエが随分と戻ってきてるな。炙ったら石引っ繰り返した虫みたいに出てきやがったぜ」

「何だあれ、悪戯じゃなくて獲物の下見かよ」

「宣戦布告しといた方が面白ぇじゃねぇか。ベバラートの西岸地域によ、ロシエ人が領主として着任してるんだ。どうぞ美味しく頂いて下さいって言ってるようなもんだぜ。挑発してケツ振ってきたのはあっちが先だ。それが分からねぇなら海に出る資格無ぇぜ」

 ベバラート藩王国の内戦で旧パシャンダ派について活躍したのはロシエ海軍の実績でもあるし、ジャーヴァル戦役の講和では二度とジャーヴァルにやってくるなという条件は含まれていない。戦後どうしようが文句は言えない。お互いに。

「奴等がどのくらいザシンダルで好き勝手やれてるかだが、あのロシエ人街も見た限りじゃ別枠のままでザシンダル藩王国に接収はされてないな。自警団が出てきたが、あれからザシンダルのにおいはさっぱりしなかった」

「俺はお前が馬鹿やって遊んでるんだなぁってぐらいにしか思ってなかったからそこまで見てねぇや」

「自分に関係無ぇならそんなもんだ」

「ある程度ロシエは太らせてから食った方が良いんじゃないかって思うんだよ。枯れるまで刈り取る気か?」

「タスーブ藩王がな、エブルタリジズって名前の巨大な宝石をロシエ王に贈って、三種の王器に続く四種目にするとか、しないとかって話がある。話じゃねぇ噂だな。エブルタリジズが象徴するのはジャーヴァル、いやパシャンダか。実利的にも精神的にももう手は引けぇねぇだろ。アレオンに続いてこっちもか? 意地が絡むぜ」

「狡猾なタスーブ藩王がロシエとの繋がりを簡単に切り離すわけはないが、宝石で繋げるのか」

「見ただけで目の玉眩む一品だって聞いてるぜ。エブルタリジズ、”落ちて来た太陽”って名前は伊達じゃないらしいぞ」

「まあ今の世代はともかく、成功し掛けたパシャンダの旗立てが百年後に成功しても不思議じゃないから細い繋がりでも維持すべきだな」

「だから長くやれる。ちょっくら小便」

 ファスラの小便待ち。待っているとこっちも小便をしたくなってきたので外に出て、小便どころか糞を垂れていたファスラの隣に並んで船の上から小便。

「旦那いいか」

「糞してからにしろ」

 糞が終わってから部屋に戻る。

「いやここはあえてだ、いいか兄弟。これは間違いない事だ。セリンのお馬鹿は適当にしとけ」

「ん? 適当に、か?」

「お前は奴の為にあるんじゃないからな」

「そりゃそうだが、何だ改めてよ」

「誰かが言わなきゃズルズルになりそうだしな。お前等生きる場所が違うんだよ。お馬は陸上、お魚は海中。結婚もどきってのはな、前に言ったが俺は冗談の心算はねぇぜ。ルーキーヤの呆けはキレてやがったがな。だから適当にしとけ。面倒臭かったら殴るか切るか撃つか兵隊けしかけるかしてあしらえ。今更そんなんでどうにかなる間じゃねぇだろ」

「そうか?」

 ファスラはズボンに手を突っ込んだ。

「そうだぜ旦那。馬賊と海賊、どんな役職があれこれクソ程盛られてもやる事成す事一緒じゃねぇんだ。スラーギィの”息子”共の世話すんのに旦那よ、海から指示飛ばす気か? セリンが逆やる事はそりゃねぇな。イスタメル海域提督の役目ってのは最前線担当、目と鼻の先にちょっと前までぶっ殺し合ってた聖なるお国が並んでやがる。山から指示出来るもんじゃねぇ」

「うーん、考えてなかったな」

 突っ込んだ手を動かしている。

「それがズルズルだってんだ。きっぱり線は引いとけ。旦那が程度を決めなきゃな、あの馬鹿にゃ言って聞かせられる奴がいねぇ。俺は無理だ、喧嘩になるだけ。もういねぇがファイードのハゲは大雑把でいい加減、ルーキーヤの呆けはおリンがいいならいいの、ってな感じだ。ルサレヤ閣下が言えば一発で聞きそうだが、誰が喋ってって頼むんだよ。俺は無理だ。旦那か?」

「何言っていいか分かんねぇな」

 まだ手を動かしている。

「旦那が態度とついでに何か喋って、お互い良いように調整するこったな。二人共よ、放っておけねぇ”息子”共がいるんだ。ケツ穿んのは時々にしとけ」

「どうでもいいけどよ、チンコ弄りながら語ってんじゃねぇよ」

「ん、おお!? 気付かなかったぜ。ちょっとホントに触ってたか臭いで確かめてくれよ」

 伸ばしてきたその気持ち悪い手を蹴っ飛ばす。


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 ファスラ艦隊が抜けた連合艦隊はジャーヴァル大陸とベバラート島の間にある暗礁海域を抜ける。

 ここでもロシエ船籍の船と擦れ違う。最近まで敵であったからこそ、また戦いにならないようにと互いに礼儀正しく号令を掛けて船上で敬礼をして去る。

 ビサイリの藩都カラスーラに入港する。南側ではロシエ船籍船を見かけたが、こちらではエデルト=セレード船籍船を良く見かける。

 ナサルカヒラ州の軍事顧問団に鍛えられた海軍に出迎えられる。

 その軍事顧問団であるナサルカヒラ海軍を出迎えるのだからビサイリ海軍の緊張も凄いだろう。想像しただけでこっちまで具合が悪くなりそう。

 礼砲が美しく等間隔に鳴った。失敗を耳は拾わなかった。

「セリン、これ成功か?」

「お見事。ただ気張り過ぎな錬度だし。練習に何発使ったって変なところで説教されるかもね」

「そこか。そりゃ怒られる」

 船から岸壁に降りて、仕事が始まったセリンは放っておいてナレザギーのところへ。あっちの艦隊はここで少し停泊してから直ぐに大陸側に入港するのだ。慌しくなりそうだし、会える内に会っておく。

 既に岸壁で複数の使いへナレザギーが指示を飛ばしている

「ようナレザギー。仕事中だな、後にするか?」

「やあベルリク、挨拶も出来ないようじゃ無能と同じだ。所用と艦隊の再編成があるから一旦お別れだね。物資の積み直し程度ならともかく、船の精密検査に乗員の休暇に交代、会社の残務処理もあるからちょっと長くなるよ。終わったらちゃんとイスタメルに行くから。楽しい事、待ってるんだよね」

「楽しい事はそっちの兵站が頼りだからな。魔神代理領の組織が使えない以上は民間頼りだ」

「うんうん。話は確実なのかな? 疑うわけじゃないけど、こっちも組織で動くからね」

「ヴィルキレク王子とヴァルキリカ猊下と調整してきた話題だ。これで冗談だったらセレード独立戦争でも起こしてやるよ」

「そっちの方が楽しいんじゃないか?」

「皆殺し合い覚悟だけどな。それにオルフ問題でこっちに有利なよう動かしてからになるから先が長い」

「やるなら長丁場だね」

「そっちの長丁場もほどほどにしてくれよ。大丈夫だと思うがお家問題で足止めくらうとかは勘弁してくれよ。面倒臭い女と結婚して渡航禁止とか、止めてくれよ」

「それは大丈夫。国にはほとんど財産は残してないから噛み付かれてもトカゲの尻尾だね。役職の話も結婚の話も断るか、そのまま連れ歩くかかな」

「ダルマフートラのあれで評判ガタ落ちなんじゃなかったっけ?」

「お金の問題になったらそんな事、一体誰が気にするかな?」

「しないな。ナレザギーの経営手腕で国を回せとか言ってきても全く不思議じゃないな。お家というか政治問題で戻るのか? 長丁場確定じゃねぇか」

「かもね。戦時の緊急政府議会から平時のちゃんとしたものに移行するんだ。声がこっちに掛かっているのも王族の閣僚となれば貴族含めて民間相手だと圧しが強く出来るから便利だって事なんだけど」

「そりゃ分かるが、謀略が凄い奴がいるとか想像すると心配なんだよ。俺のナレザギーを返せって兵隊投入するわけにもいかないだろ」

「意外かもしれないけどね、少なくともメルカプールでは身内殺しから座敷牢監禁まで全てご法度なんだ。した者は過去にいたけど、例外無く揃って袋叩き。どんな時代に情勢でもね」

「ならいいけどよ」

 ナレザギーと別れた後、暇である。妖精達と遊ぶのも良いが、ずっとあれに付き合っていたら頭がおかしくなる。

 というわけでビサイリにエデルト=セレードのジャーヴァル会社専用の港が開港し、港町も出来ているというのでそっちを見学しにいく。流石に北国仕様の建築方式はこの熱帯にそのまま持ち込まれてはいないが、あちらの雰囲気を思い出せるような外観にはなっている。

 酒場で適当にセレード人を捕まえて雑談をする。こちらではロシエと違って一地方の領主を外国人が務めるなんて事は無いようだが、ビサイリ藩王の顧問に登用された者がいるそうだ。軍事とかではく学問分野らしいが。

 そんな感じでセレード人や、国内少数民族である南のククラナ人に北のハリキ人に限って酒と飯を奢り、近寄るエデルト人を排除していたらエデルト海軍の将校と若い宣教師という変な組み合わせがやってきた。

「身に覚えのある変わった組み合わせですが、私に用件でも?」

「初めましてグルツァラザツク殿。私、海軍情報局のイレキシ・カルタリゲン中佐であります」

「私はアタナクト聖法教会で修道司祭をしておりますセデロと申します。お話よろしいでしょうか?」

 集めた酒の相手が変な空気を察して席を離れていく。二人の感じからしてヴィルキレク王子、そしてヴァルキリカ猊下の手の者かな。

「場所は?」

「ここには修道院があります。ご足労願えますか?」

 酒後のお茶を腹一杯飲んで長い小便をした後、ビサイリに建てられた新築の修道院の礼拝所へ入る。中は静寂そのもの、人払いされた後である。神聖教会風に言えば、聖なる神のみが見守る中、か? 壁には象徴である菱形、聖なる種が刻まれている。

「私は異教徒ですがよろしいので?」

「神の信徒達と共に働き、また別の彼等に試練として現れる存在でありますれば、信仰は異なれど志は同じです」

「これは失礼。エデルト嫌いを拗らせて神聖教会には悪戯したくなるんです」

「ブアッハハ! おっと失礼セデロ殿」

 ハリキ人の顔に名前をしているカルタリゲン中佐が噴出す。エデルト化が進むハリキの地でもこの手の話題はまだまだ共感される。あちらは冬の死神に慈悲を乞う形の信仰がある地で、聖なる教えを聞かされても違和感を覚える場所だ。

「ではお二人とも、本題を」

 まずはカルタリゲン中佐が口を開く。

「はい。グルツァラザツク殿は北領戦争をご存知ですね?」

「現国王ドラグレク陛下が若き王子だった頃に北部地方の征服に失敗した戦争ですね。序盤は快勝していたものの、アルドレド鉄心公が南部中部北部の全諸侯を糾合した上でロシエの支援を受け消耗戦を繰り返して撃退。しかし恩賞欲しさに暴動を起こした貧乏諸侯の為に行った逆侵攻がザルス川の戦いで失敗し、貧窮したその馬鹿がご近所で畑を奪い合う以前の状況に戻ってしまった。そして聖王カラドス以来の広義の”中部”地方統一は夢と消えた。逆侵攻失敗の大因は中部統一を恐れたロシエによる支援打ち切りと、ようやく実戦配備が完了した大量の野戦軽砲による機動的な渡河阻止であるというのが友人との研究で出た答えです。エデルトの公式発表では北進を防ぐ為の予防戦争だったとか、結果を元にアホな事が記載されてますが、国中の農村にまで入植者募集の報せを発布していたのは隠せないですね。連合前のセレードにまでお触れが出されてました」

「お詳しいですね。今度はそれを成し遂げます。先の大戦後の軍縮状態から、外征可能な状態には移行しております」

「北部征服は出来るでしょうが、一時征服で体力を使い果たすように思えます。虐殺しないなら治安維持がありますし、広大な策源地である中部南部から無尽蔵に敵の増援が北進して来ますよ」

 ここでセデロ修道司祭が口を開く。

「そこで聖女猊下が南部から圧力を加え、北部に戦力を集中させない戦略陽動を行います。勿論、教会としても聖なる目的あってこその行動ではあります。グルツァラザツク殿には聖女猊下の傭兵として行動して頂きたいのです」

 両者とは遠隔ながら、盗み見を考えた内容の上で連絡は取っていたが、これで遂に具体的な内容に進展した。決まっていないのは開始時期ぐらいか。

「こちらは傭兵会社を立ち上げて金で働くので大義は要らないんですが、神聖教会としてはどのような?」

「聖領と俗領の重複を解消し、純粋な状態に復帰するだけです。神聖な教会の土地で狼藉を働く賊を討伐するのにわざわざ大義は掲げずとも軍は行動出来ます」

 北部には少ないが、中部と南部には無数の神聖教会領があって、統治する区域を持つ大司教のような聖なる領主達は独立国家のように振舞っている。それの上位には権限がややこしい枢機卿管領なるものもある。

 それ以外の弱小聖領、司教区や教会に修道院の多くは世俗の貴族領と統治領域が重なっており、税金の多重徴収等が当たり前になっている。案外とそれでも税が払えるだけ収獲があったり鉱山があったり、工業が盛んで技術力も中々に高く、おまけに河川交通が優れているのでそれがまかり通っている。そのお陰で小領邦でもそれなりに豊かなせいで独立が維持出来ているところが中部情勢の性質の悪さだ。

「聖戦軍ですが、実働数はわずかではないですか? あれは各国からの寄せ集めで、大戦終結後はほとんど解散状態のはずですが」

「その通り聖戦軍は悪魔、これは失敬、魔神代理領を相手に戦う時に寄せ集めである連合軍の指揮系統を統一する目的にあるもので、予定されているような戦争には確かに使えません。聖皇領に常駐している軍も、あれは領土を防衛する以上の任務に耐えられる人数を持ちません。だがしかしそこは聖女猊下の勤労の賜物です。各聖領においては騎士修道会を中心にして会派を超越した僧兵、そして敬虔な有志民兵で構成された神聖公安軍がおります。聖女猊下が一から着手しておりまして、指揮系統は統一されております。そこに我々の思想に共感して下さる敬虔な諸侯のご支援、そしてグルツァラザツク殿のような手練の傭兵の方々に支援をして頂くのです。状況によりけりですが、神聖公安軍が公共の治安を保全、領土防衛を主に担当します。敬虔な諸侯の方々ではありますが、何分俗世の方々でありますから支援以上を期待するわけにはまいりません。そして傭兵の方々、戦争を理解していらっしゃる彼方のような方に賊の攻撃をお願いするというのが基本であります。無論、状況によっては違う役目を果たす事にはなりますので、一方的に尖兵のように前進をして頂く事は無いでしょう」

「なるほどそこは異論ありません。開始時期はある程度決めておいでですか?」

「グルツァラザツク殿がイスタメル西部国境付近への配置する頃合を持って各部に連絡が行き渡り、最終的な決断を聖女猊下が下します。エデルト=セレード軍はその後、陽動が完了してからになります」

「契約書類を交わしてからになるとは思いますが、もし作戦中止となれば違約金の方は?」

「ならないと思いますが、動員して下さった人数や装備には応じられるかと。猊下は信頼を裏切られるのを忌避される方です」

「分かりました。そのようにしましょう。こちらも出来る限り急ぎ、そして確実に戦果を挙げられる軍を用意します。悪魔の軍勢に踏み荒らされて後悔しても知りませんよ」

「それが神の振られる鞭であるならばいっそ何も容赦なさる事はありません。鞭とは痛いのですから」

 手を出す。セデロ修道司祭と握手し、次にカルタリゲン中佐と握手。

 今後の連絡調整役にその両名がビサイリでの後任の確認をしてからアスリルリシェリ号へ同乗する事になった。勿論、船主のセリンにも確認を取ってからだ。


■■■


 ナレザギー艦隊と別れ、航路の途中で南大陸にある母港へ帰港するナサルカヒラ艦隊とも別れた。

 そしてメルナ川を上り、関連運河を経由して遂に魔都へ到着する。何度見てもこの大都会は凄まじい。視界の端から端まで人口建造物が連なっている。

 スライフィール用の港への入港作業に入り、岸壁に到着。船を下りる。

 ルサレヤ閣下は入港前に空を飛んでどこかに行ってしまった。あの人もどこかへ報告しなくてはならないのだろう。

 セリンは長らく海域提督業務を代理人に託して来たので、軍務省に長い報告があるので分かれる。

 アクファルはこれでかなりしばらくクセルヤータとお別れなので自由にさせる。出港予定日だけは伝えてあるが「残りたければ残れ」と言ってある。「残りません」とは言っていたが。

 ヒナオキくんにも出港予定日を言っておいて、それから小遣いをくれてやって自由行動にしてやった。

 ガジートはグワハハと笑ってから「グルツァラザツク将軍万歳!」と言って獣人奴隷にグラスト魔術戦団を引き連れて去った。アリファマはこっち見て小さく手を振ってた。

 そして自分、港にはアウルの妖精がいて「皆様がお待ちです」という。ナシュカが出した結果を聞けるわけだ。

 ラシージとルドゥ等偵察隊を連れ、案内されたのはルサレヤ閣下の邸宅で、その第一会議室と名板が張ってある部屋だ。第一という事は第二以降があるということだ。本当に広い家だ。ちょっとやそっとの金持ちじゃ持て余す規模である。

 ラシージと中に入れば、最も上座にチェカミザル王、その隣にナシュカ。それから両側の席に意志の強い妖精が揃っている。それぞれの民族衣装なのか、色々と服装に差異がある。寒い高地、寒暖厳しい砂漠、湿った熱帯、温暖な平地、それぞれに適した特徴が見られる。肌の色も違うし顔の作りも体格も差がある。レン朝でも本来ならこれくらい特徴がある妖精の共同体があったはず、か。

 入室するとナシュカ以外の妖精達が立ち上がって礼をするので返礼。

「これは我等の救世主殿、そしてマトラの導き手よ。魔神代理領の我等妖精達の未来を照らせし方々よ、感謝申し上げる」

 可愛いとは言え藩王におそらく妖精自治区等の長の面々、仰々しく礼をされてしまって緊張して変になる。

「各地ではお二人を称える像の建設が始まっております」

「予定じゃなくて、始まっているんですか?」

「その通り。我々は人間のように特定の信仰を持っていませんでしたが、今回を機に対象を見つけたのです」

 山岳風の妖精が両腕を上に広げて言う。

「山に風が吹き、川が流れて海へ注ぎ、大地から緑が芽吹き、救世主殿が立ちます」

 貴族風の妖精が拳を握って言う。マトラの国家名誉大元帥像で腹一杯だってのにそれが各地?

「遠慮したいのですが。それに功労者は別にいるじゃないですか」

「始祖はやはり尊重されるべきです。例え中興の祖の方が圧倒的に優れていたとしても始祖は始祖、無から有に転じた者が何より貴いのです」

 富豪風の妖精が胸に手を当てつつ改めて礼をしながら言う。

 流石は意志の強い妖精達の集まり。あのワーキャー騒いでいる動物とは全く違う手強さを感じる。

「万歳救世主、我等を苛む暗黒の霧は打ち払われました。これより骸の階段を積み上げて精進して参ります」

 砂漠風の妖精が手を合わせて言う。

「未熟な我等も必ずやいつか救世主殿の戦列に加われるよう努力します。その時が来たれば一死にて報いましょう」

 遊牧風の妖精が短剣を振り上げて言う。

 こりゃ参ったね。ラシージも何も言わないし。

「親分にベルリク=カラバザル。糞長ったらしい名前だな。座れ」

 とナシュカに言われ、全員が座る。ナシュカは周りに合わせず以前通りに村娘程度の服装であり、態度は昔通りだ。安心した。

「御前会議であの気味の悪い化物相手に成果を上げた。我々の権利を保護し、意志の強い妖精そうではない妖精の区別、今まで曖昧にされていた自治区の明確な設定の法案が通った。面の青いベリュデイン総督が立役者だ。親衛軍、各国軍、州軍に続く妖精による軍管区制度の土台になる自治区警備隊予算も通った。イスタメル州軍第五師団から妖精の軍事顧問も招致済みだ。軍の操典がランマルカの共和革命派流であることは懸念材料として取り上げられたが、妖精の生活習慣に良く馴染むということを説得したら採用された。ただあの頭のおかしいとりあえず貴族殺せって文化の輸出は禁止された。自己発生ならともかく、煽るのはいけないという見解だそうだ」

 自己発生ならいいのかよ。

「マトラの”自称”自治共和国という名称についても、各自治区の様子を見て、納得の行く統治が成されれば昇格も検討されて権限が拡大される。自治王国、自治国、自治族領、自治都市と名称はそれぞれの状況に応じて変わるらしいな」

 魔神代理領において検討されるとは先送りではなく、本当に検討しているのだ。その分審査は厳しいだろうが。

「それから妖精については通常の法を適用し辛いからって妖精自治特例法が制定された。税金の代わりに兵隊を出せ、という法だ。それが自治区警備隊予算に繋がっている。ベルリク=カラバザルでもなければ妖精に指示出すのはお断りだからな。連隊単位で出す事になっているな。こんなところだ」

 これだと他の人間組織から不公平だと苦情がきそうだが、そこは俗なる法ではなく魔なる法で始末がつく。うるせぇアホとでも言って終りだ。それが通じるのだから凄い。

「感想でも言ってみろ」

 自分ならとりあえずナシュカにチューでもするところだが、妖精による妖精の問題だ。ラシージに任せる。

 ラシージがテクテクとナシュカの側まで歩いた。

「ナシュカ、良くやりました。頑張ったね」

 と言って抱き寄せた。

 その後は二人を残して皆で退室。今まで聞いた事も無いぐらいの泣き声だった。


■■■


 妖精達との会合後、夕食を準備する音と匂いが家の中を賑わす時間になって、ルサレヤ閣下が今まで見たこともないくらいに晴れやかな笑顔見せて帰って来た。その隣には面白いくらいに恐縮しているベリュデイン総督がいる。政治対立をしている間柄には何だか見えないが、もう良くなったのか?

「おい聞け皆、憧れの魔都大図書館館長の職に就く事が叶ったぞ。千年近くも掛かるとは参ったもんだ」

 ルサレヤ閣下の孫達に使用人に獣人奴隷達が拍手する。周りに合わせてではなく、本当に皆喜んでいるような顔なのがやはり人格か。

 ご機嫌がとてもよろしいようで翼の手で頭をグリグリグラグラ撫でられる。首がもげそう。

「お前も聞け。こいつは名誉職も良いところでな、働き口に困った年寄りを大人しくさせるのに丁度良いんだ。残りの気力を注ぎ込みたい最後の仕事があるから丁度良い」

「次からはルサレヤ館長ですね」

「ふふふ、いいな。館長か、州総督よりいいぞ。あはははは! あーそう、ベリュデイン君。彼がお前と話があるとか言っていたからそのまま連れて来た。適当な部屋でも使え。そうだ案内してやれ」

 ベリュデイン総督と共に「こちらへ」と使用人に案内され、小さめの客室に案内された。広いところは寒々しくて落ち着かないので丁度良い感じだ。

 州総督には異形以外に今のところは一時的に見えなくなってしまったベリュデイン総督と向かい合って座る。たぶんあのご機嫌な感じで行政区辺りからここまで長々と引っ張って来られたんだろう。疲れるよね。こちらから切り出そう。

「妖精の件についてご協力感謝申し上げます」

 意識を取り戻したベリュデイン総督は、一息吐いて州総督の威厳をやや取り戻す。

「こちらの理想に重なっただけの事です。こちらこそ感謝します。各地の妖精と話をつけるためにあのナシュカ女史を魔都に残してくれたお陰で事が順調に進みました」

 ナシュカ女史だと!? 吹き出しそうになるのを堪える。女史ってタマかよ奴が

「グラスト魔術戦団の戦訓を文書と口頭で確認しております。その時その場の生の意見、そして振り返ってみての冷静な意見、両方から考えました。我がグラスト魔術戦団は抜群に訓練はされているが実戦経験が少ないのです。作戦の一部を担う程度は独自で出来るますが、やはり大局に立って動くというのはどうしても積み重ねた経験が必要です。シャクリッド州総督という肩書き以上のものはほとんど持たない私では彼等に実戦経験を積ませるという事が出来ないのです。そこで一つお願いがあります。彼等に更なる実戦を経験させたいのです。アリファマを筆頭に見込みのある者をお世話して頂きたいのです。イスタメル州界隈ならばまだまだ戦火から近いはずです。私の手元に置いておくよりは確実です。どうでしょうか?」

 これはこれは。

「具体的には喋る事は出来ませんが、近い内にご希望に添えます。イスタメルに帰ったらレスリャジン部族頭領になって独立軍事集団の方へ移って、”息子”達に親父として金を稼がせる心算なんです。そんな時にそのお誘いは望外です。こちらからもあの者達ならお願いしたいところでありました」

「独立軍事集団の方へ籍を移されますか。なるほど、傭兵稼業ならば戦争を待たずとも駆けつけられますね。どのような戦へ行くのか興味はありますが、そこはもう当事者とお話をしているのでしょう。分かりました」

「ご理解頂き感謝します」

「いえいえ。彼等をお願いします」

「勿論ですが命の保証は出来ませんよ。私の采配のせいで皆殺しも有り得ます」

「分かっております。足を引っ張らぬよう言っておきます」

「ではお預かりします」

「お預けします」

「一つ質問です。グラストではそういった機会は無いのですか? その前にグラストがどこかも知らないのですけど」

「グラスト州はですね南大陸南端程度の緯度、経度は魔都と同じ程度です。暦で見れば夏冬が逆転するぐらいの南にあります。氷土大陸の北部に突き出る半島地域です」

「すると海外植民地ですか?」

「そうなりますね」

「あまり聞いたことがありませんね。西大洋の先の新大陸発見話は当時大騒ぎになったらしいですけど」

「こちらの氷土大陸はその名の通りの場所でして、その半島部分以外は荒地と永久凍土だけなんですよ。発見当初はその半島も荒地だったんですけど、植林したり気候変動があったりでそれなりに住める土地になったんです」

「何時頃の話で?」

「うーん……植林は二百年前のことです。母がその時の第一入植者なんです」

「すると発見が?」

「それがまた伝説の域といいますか、魔神代理領で文字が採用される以前らしくてですね。生没年が良く分かっていない海の神を名乗る人物から記念にその土地が贈呈されていると口伝をまとめた伝記に記されています」

「それはまた途方も無い話ですね」

「ええ。あそこは貧しいですが、何かを秘密にするなら最適ですよ」

「秘密、言われると気になりますね」

「秘密です」


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 連合艦隊も散り散りになり、セリンの艦隊とマトラ人民義勇軍を乗せる輸送船団だけとなった。

 出港の見送りにはルサレヤ館長からスライフィール艦隊に港湾関係者、ベリュデイン総督にガジートに獣人奴隷から居残りのグラスト魔術戦団、チェカミザル王に妖精自治区の長達。

「また会おう私の可愛いベルリク=カラバザル。意志が触れ合う限り私達は永遠だ。魔なる力はそれを肯定する」

 返事しようとする前に、偶然ではなく、完全故意にルサレヤ館長が自分の頭に腕を回して顔を胸に埋めて窒息させにかかる。

 おっぱいである。最初は凄い幸運もあったものだと思ったが離す様子も無く、苦しくなって逃げようとしても魔族の膂力には敵わない。

「セリン、アスリルリシェリは私の無二の親友だ。お前は親友の娘だ。お前は人より先が長い。何かあったら私の所へ来い」

「はい! 館長閣下」

「館長閣下だと? ははは」

 逃れようと遂にやってしまった。ルサレヤ館長の尻を撫で回したが、全く駄目だ。頭を締める力が増して気が遠くなって来た。


■■■


 ……顔をペチペチと叩かれていると思ったら、セリンの顔が近く。

「お、起きた」

 仰向けに寝転がっていた。失神したらしい。時間は大して経っていない。ルサレヤ館長がこっち指差して笑ってやがる。

 アリファマがベリュデイン総督とガジートから何やらしつこく言われていて、面倒臭そうに頭を掻いている。

 ラシージとナシュカはチェカミザル王と妖精自治区の長達と別れの挨拶をしている。

 別れの挨拶はそれぞれに済ませて魔都を出港する。

 ダスアッルバールを経由したらようやくイスタメルだ。何年も船旅をした。いい加減飽きた。

 南部に攻め入る前に陸に適応するような訓練でもしないと馬鹿にされるぞ。

 魔都の運河を進む。魔都市民にも話は広がっていたのか、こちらに向かって手を振ったり、歓声を浴びせてくる。これは気分が良い。

 空に影、大きく一鳴きしたクセルヤータが通り過ぎた。帆柱の天辺からアクファルが降りてくる。

「良いのか?」

「生き方が違います」

「そうか」

 運河を進む。こんな大都会の中を大型帆船で進むのはやっぱり変な気分だ。

「待ってくれぇー! ヌオォー!」

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