第110話「御親征」 フンエ

 官軍が勝利した。賊軍の猛攻、第二次攻撃を乗り切った。もう一度あの攻撃は出来ないのではないかと思える程やってやった。それから睨み合いが続き、朗報があって士気の高いまま我々は待った。

 そしてもう一回来るなら来てみろと待ち構えていたら敗北した。救援に来たビジャン藩鎮軍が撃退されたのだ。朗報ではなくなった。

 新たな救援の軍は望めないというおかしな噂もある。軍閥がどうとか、良く分からないが言う事を容易に聞かないのだとか。理解出来ない。

 追い討ちを掛けるように食糧庫が大火災を起こした。京内の各所、主要な所は全て、大規模な料理店も全て、小規模な所も多かったぐらいだ。しかも禁城の食糧庫まで焼けたという噂である。城壁から敷地内から黒煙が上がっているのを見たので事実だろう。

 それから謎の鼠の大量発生に、井戸への毒、糞尿、腐った死体の投入事件から果樹の放火、家畜泥棒に家畜殺しまで、とにかく我々の食べ物が突然”攻撃”された。

 すぐさまこの事態に対処すべく軍も動員されるべきであったが、見計らったように包囲している賊軍が第三次攻撃を仕掛けてきたので気付いたらやられ放題であった。火災の前に、そして第三次攻撃の後に火薬庫の爆破等もあって重ねて状況が把握出来ず、気付いたら大事な物を全て失っていたかのようだった。

 後日、計算によると備蓄食糧と住民と兵数の割合が悪く、あまり長くは篭城が出来ないらしいという噂だ。士気を下げないようにという工夫なのか公言されてはいないが、話は広まっている。

 それから一番重要な水だが、第二次攻撃の後にヤンルーへ流れ込んでいた川の流れは全て堰き止められてしまった。まだ乾き切っていないので残ってはいるが、流れの速かった水路は既に停滞して淀んでいる。水路は便所でもある為、流れが止まるとあっという間に腐るのだ。平時ならばそれによって大都市であるにもかかわらず清潔を保っていたのだが、無くなってしまえばそうではなくなる。

 貯水池の水路からの隔離が急がれたが、その前に腹を裂かれた死体、糞尿、泥が大量に沈んでいる事が判明した為、絶望的。

 内だけではなく外もそろそろ厳しい状況。城壁の補修材料が足りないから民家を崩す事になっている。

 城壁の外へ無数に落ちて散らばっている瓦礫を回収出来れば良いが、回収部隊が城壁の外に出たら砲撃されて追い散らされた。

 夜中にこっそりと回収をしに行ったら足が穴に嵌った。落とし穴だと思ったら、土に埋まった腐った死体を踏み抜いたのだった。とんでもなく臭くて、皆ビックリして騒いでしまい、潜んでいた敵に矢や銃弾を浴びせられて追い散らされた。逃げ帰って改めて嗅いだが、足を切り落としたくなったぐらい臭かった。

 城壁の外もそんな具合に酷いが、中もやっぱり酷い。両方酷い。

 水が悪いと皆で認識し合った頃から疫病が蔓延しつつある。既に血便を垂れている人も珍しくない。下宿先の婆さんも、歳で体が弱かったのと晩秋の寒さが合わさったかそれで死んだ。婆さんが発病してからは家を変えて宿屋に移ったので詳しい経緯は知らないが、高齢には応えただろう。

 薪はこの時既に貴重品だった。放火事件が日時問わず毎日のように発生し、冬の到来を見越したように薪は真っ先に焼かれてしまっている。わざわざ薪に警備を付ける者もいなかった。

 我々の苦しみを嘲笑うように賊軍が”いつもの”の牽制砲撃を開始。目前に砲弾が迫ろうとしているのに城壁で待機している仲間が寝入ってしまう。疲労とは恐ろしいものだ。蹴って起こそうとしても中々起きない。

 すやすやと寝る奴もいれば、大砲の爆音に耐え切れず、歯が折れる音が鳴るほど食い縛って泡を吹き胸を掻き毟って絶命する奴もいる。徴集されたばかりで小奇麗な顔で細い体の、ヤンルー生まれで育ちの良いお坊ちゃんだ。

 前と変わらず砲撃の中でも壁を修理する。建物を崩したので材料だけは尽きないように思える。

 城壁修理だけではなく、最近は放火対策に巡邏警備も重なっている。定期巡回のような、規則性が表れないようにする事になっているので好き勝手やれてそこまで辛くはないが、疲れる事は疲れる。

 しかし最近、頭が不明瞭な気がする。何というか朝だと思って、気がついたら夕方で、一日早いなと思って日付を確認すると二、三日経っている事がある。適応なのか?


■■■


 一体何度繰り返されたか分からない牽制砲撃と、今日も何度繰り返したか分からない城壁の修理。何度繰り返したか本当に分からない。

 食糧と水の配給が目に見えて厳しくなって、空きっ腹と喉の渇きが日常化してきている。水が無いからと酒が配られて一時は皆盛り上がったものだが、今度は水が欲しくて皆、気が狂いそうになってきている。酒は代わりにならない。

 この地域は雨が少ないので降雨の期待も薄い。いくらかは降ったが、十分な貯水とはいかなかった。どうにも数年に一回ある程度の軽い旱魃の当たり年らしい。灌漑用水さえいつも通り、堰き止められずに流れていれば問題無いらしいが、止められているのだから仕方がない。

 そういえば今朝は雪が降っていた。雨が少ないので積もる程は降っていない。

 燃料が無くなってきて、綺麗な街路樹も切り倒している。城壁修理目的ではなく、煮炊き目的で家を解体する事もある。飲める水を作る為に汚水を布で何度も濾し、それから煮るのだ。

 もう冬だ。故郷バテインやあの厳しいベイラン程ではないがここも冬季には水が凍りつく程には寒くなる。

 最近は城壁の内側からも銃声やら太鼓の音が良く聞える。

 食糧分配を巡っては騒動が耐えない。食糧庫の火災後も、侵入している敵の賊が隙を狙っては食糧を焼いたり糞尿で汚したり酷いのだ。

 賊の炙り出しは活発に行われているが、どうにも疑わしい者はとりあえず処罰しとけ、という雰囲気だ。口が減れば少ない食料でも大丈夫という嫌な風潮である。毎日のように処刑が行われているが効果の程は疑わしい。

 食べ物のために貴人の女性が体を売っているという噂と、ネズミの死体に金が積まれたという事実があって、どうにも先行きの暗さが強い。

 奴隷の小人は既に全て食べられた後だ。子供の使用人だと思っていた中にその小人とやらがいて、どうにもこうにも。良く行っていた飯屋が店仕舞い前に店員を料理で出してきた時はたまげた。

 ちょっと前まで人気を博していた肉屋が処分された。人の肉を売っていたのだが、処分理由は腐っていて病気持ちの肉だったから等と、ちょっと常識を疑う。中原では既に古い習慣になってはいるそうだが、人肉料理は当たり前であったという。

 何でもいいから肉が食いたいな。人の肉も貴重だ。大体、転がっている死体は腐っているし、戦闘で死んだ人間は埋葬される。機会が無い。

 働いている兵士達、自分達には優先して食糧が割り当てられる。とは言ってもついこの間までのような豊かな食事ではない。常に空きっ腹で、最初は木の皮とか雑草とか虫を工夫して食べていたが、最近はそれすら無い。漆喰を料理して出してくれた奴がいたな。

 敵の賊がどれほど意地悪く食糧庫を焼いてくれたかが分かる。秋の内はこんな馬鹿な事は有り得なかった。とっとと降伏して開城しないもんかと思ってしまう。


■■■


 ある夜、琵琶奏者が礼だと言って数曲奏でてくれて、泣けてきた。楽曲は分からないし上手い下手も分からないが、どうにも感情を揺さぶる。何かとんでもない間違いに巻き込まれたような気を立ててくる音色だった。

 演奏中に、ふと空を見上げる巡回中の兵士がいて、急に顎下へ銃口をつけて射撃、頭が天辺から粉々になって散った脳みそが降り注いだ。

 そんな事があっても演奏は止まなかったし、誰も何故か止めなかった。一晩中、その奏者は城壁を回って演奏をしたらしい。

 後日、立ち聞きの噂話程度であるが、演奏した晩に自殺した兵士の数が百人近かったらしい。


■■■


 ある日、崩れた城壁と一緒に瓦礫の下に埋まってしまった大砲を引っ張り出す作業をしていた。

 起重機の運び込みが何故だか難航して、引っ張り上げようとしたら綱が切れてと、験を担ぐのなら今日は休みにした方が良い日だった。

 そんな日に南門の大通りに煌びやかな装束でいた完全武装の近衛隊に禁城勤務の使用人等、とにかく今まで引き篭もっていた連中が並んでいた。建国記念日か何か、祭の仮装行列でもないだろう。

 そして先頭には、金色の仮面に鳥か蛇みたいな装束の一際目立つ騎兵と、その側には深緑の正当九大上帝大旗が目立っていた。脇に白黄の光明八星天龍大旗、青黒の宝船六金黒龍大旗、深紅の革新四方霊山大旗、白灰の竜馬二天無空大旗の飾りも刺繍も絢爛豪華な五旗の旗手が立っている。賊軍の旗も混じっているが、あれは勝手に使われているというのが本来の解釈だ。

 他の四旗はともかく、正当九大上帝大旗を掲げられるのは今上の天子だけ、だったか? つまりは御親征である。天子様自ら軍を率いて攻撃するというのか。飢えて死ぬよりは良いかな?

 しかし女も子供多く混じった軍隊である。身形の良い貴人も多く、捨て身なのか?

「開門! 開門! 御親征である、開門せよ!」

 開門……? 現場の身としてはお前等事前連絡ぐらい取れよと言いたくなる。

 南門の跳ね橋は、正に普通に巨大な橋であり、砲撃を受けて歪んではいるが壊れてはいない。しかも巻上げ機が歪んでいるので動かないのだ。

 篭城の心算だったので修理はしていないし、あの巻上げ機は水車、水力との連動なので流水を止められていては人力だけでやらないといけない。人力だけで動かせる重量か分からないが。

 もし直ぐに開門するとしたら、特大に太い鎖を大量の爆薬で切るしかない。

 まず扉が内側に開かれる。そして落とし格子が半ばぐらいまで上がって歪みで止まる。十分に高いので馬を通すには問題は無い。そして蓋になっている跳ね橋だが、どうするのか?

 天子が馬を降りた。そして閉じて垂直に立った跳ね橋を身軽に駆け上がり、矛槍で持ってキンと音を立てて鎖を切り落とし、着地してから押した。

 跳ね橋は軋みを上げ、轟音を立てて地面を揺らして倒れた。嘘、何あれ?

 天子は馬に乗り、吶喊する。

「進め!」と天子が叫んだ。大砲にも負けぬ咆哮だった。

 並んだ煌びやかな軍も騎兵を先頭にそれへ続いた。

 一緒に我々守備隊も突っ込まされはしないかと思っていたが、奴等だけで行くようだ。結構。

 これは行けるか?

 とりあえずこちらは大砲の救出を続行する。今度は順調だ。

 門を直接受け持つ部隊が巻上げ機の修理に入り、そして特大鎖の繋ぎ直しだ。専門の鍛冶師が必要なので、綱で分厚く巻いておくだけだ。

 作業をしながらあの突撃をチラチラと見た。賊軍の包囲陣は長い時間を掛けて良く組まれていた。

 牽制砲撃が本当に牽制なのだと分かるほど、賊軍の激しい砲撃が天子の突撃を破砕した。

 先頭集団は騎兵で、砲弾の良い的であった。味方がやられているのだが、一気に薙ぎ倒されるのが面白い具合だった。これはもうこのヤンルーから逃げる方法を探らないといけない。保存食は隠してある、大丈夫だ。

 天子の騎兵が薙ぎ倒され、歩兵も薙ぎ倒され、それでも突っ込んだら集団方術で吹っ飛ばされ、集中射撃で足が鈍り、それでも接近して馬防柵や土手に壁に空掘りで足が止まる。そして止った絶好の機会に側面へ騎兵突撃が行われて崩壊し、脱走兵が出てくる。

 待ち構えている敵へ向かって正面から突撃するのがどれ程愚策か良く分かった。

 城壁担当の我々もうかうかしていられない。跳ね橋を上げないといけないのだ。あの糞天子め、カッコつけた結果がこれか!

 跳ね橋の巻き上げ機を人力であげる回すにも取り付く限界がある。押し棒に綱もつけて増員出来るように工夫。回るまで応急処置をしたが軸がまだ歪んでいるので余計に力が要るらしい。

 それから水車も連動させるが、水力が利かないのでこちらも人力のみならず、まだ食われていなかった馬も使い、綱を付けて巻けるようにする。

 そして跳ね橋にも綱を付けて通りの方から人馬で引けるようにする。それから城門の上からも同じようにする。まだ跳ね橋は閉じないが、とりあえず動くかどうか試す事になった。

 自分は城門の上から引く担当。力を入れる合図に笛が鳴り、太鼓の連打が始まる。

 思い切り引く。集められた兵士に力自慢の住民が引く。踏ん張る呻き声にキンキンやかましい女の声援が入る。

 跳ね橋が上がった。一度上がってしまえば跳ね橋の重さが橋の付け根、稼動部に段々と掛かるので軽くなっていく。

 上がった事が確認されたので下ろされる。とりあえず行ける。後は本番に備える。

 城壁から戦場を眺める。崩壊させられた天子の軍は賊軍の騎兵に追い散らされている。ありゃ駄目だ。もう閉じた方が良いだろ。

 いくらか足の早い騎兵が逃げ帰ってくる。その中に、染みだらけの深緑の旗に包まれた誰かを抱えた騎兵が混じる。これは……。

 城壁を下りる。

 誰か何か喋ったか?

 通りを進む。足が軽い。あれ、何か調子が良い。

 今更街路樹が切り倒され、建物が崩れて、水路から異臭が上がって、弱って倒れた者が道端に倒れ、火災跡だらけの場所を自分一人が走っている程度、誰も気に留めない。

 禁城のお堀だ。橋の警備は? いない。門は開かれたまま。警備はあの突撃で出払ったのか?

 庭園を抜ける。ここにはまだ伐採されていない木がたくさんあるな。池には食えそうな鯉が……いないか。

 年老いた女中が何か言ったが、とりあえず「急用だ!」と叫んでおけばどうにかなった。

 禁城の兵は男も女も戦える者は全て突撃に出ているのでもぬけの殻状態だ。残っている者も正常な判断力は無いようだ。

 更に体が軽い気がする。

 禁城の奥へ向かって進む。奥へ行く程人が少ない。

 椅子に座ってうな垂れている、体の大きい爺さんがいる。かなり偉いかな? 短剣で首の後ろを刺した。案外あっさりだな。

 まだ奥に行く。女の子供が警備をしていたが「急用だ!」で押し通せた。きょとんとした顔だった。

 見つけた。かなり高貴そうな女性と、体が半分千切れてもまだ息があるような天子? がいた。頭に角が生えて、体に何か鱗が生えているが、あれが天子? そういえばダガンドゥに下半身蛇の異様に体が大きいのがいた。世界は広いな。

 何でここに来たんだっけ?

 うーん、あ、拳銃があったか。何時手に入れた? 懐から出して、たぶん天子だと思う奴、随分辛そうな顔をしている男の顔を撃つ。顔に穴が空いて、後頭部の方が砕けた。

 信じられないような顔でその高貴そうな女性がこっちを見ている。流石は皇后? 歳とっても美人だな。金槌で頭を殴って殺す。

 もう用は済んだと思うが、まだ奥の部屋へ行く。それにしても絨毯が凄い綺麗だな。ただの壁でもかなり綺麗だし細かい彫刻がある。凄いなヤンルー。

 何だか異様に色気がある女だらけの区画に入る。嗅いだ事の無い臭いがする。香水?

 そこも抜けて随分奥まった部屋に行けば、部屋は広いが何故か垂簾がかなりある部屋だ。一番奥の寝台に誰か寝ている。顔を見れば、先ほど金槌で殺した女に瓜二つだ。

 寝たきりなのか身動きせず目も開きっぱなしだ。これ生きてるの? 胸を触ればやや上下している。生きてるか。心臓の位置を確認して短剣を刺して抉る。死んだだろう。

 それにしても頭が変だ。

 何やってるんだっけ?

 城門、あ、跳ね橋閉じるのか。今更か?

 保存食糧を取りに行こう。その前にここから換金出来そうな何か、いくらか持っていくか。


■■■


 頭が不明瞭な気がする。最近はずっとそうだ。

 さっきまで禁城に――何か用事? 伝令でもしていたか?――いたと思って気付いたら、旅支度を済ませてヤンルーの外にいるじゃないか。

 目の前には音を立てて流れる灌漑用水路……綺麗な水だ!

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