第72話「マシシャー紛争」 ツェンリー
宇宙開闢史にて、文化上帝が蛮族の名将を客人として迎え入れた時、戦自慢をするその名将へ対外政策の極意を、一言にて語った。
布華融蛮
短い言葉だが、意味は濃密に込められている。戦わずにして勝つということだが、その勝ち方を指南している。国を文武両面で富ませ、積極的に外交活動を行い、武力以外の手法で攻略し、蛮族ではなくして天政下に入れるのである。時折、善意を妄信する者が文化上帝のお言葉を曲解するが、戦争行為は極力避けるようにするだけで最終手段として捨てないし、権謀術数は勿論禁じていない。そこまで蛮族というのは甘くない。
僭越ながら文化上帝の極意を参考にさせて頂き、稚拙ながらも実行する。
ヘラコム山脈の水源地帯確保がハイロウにとって急務である灌漑設備の復活が遅れれば遅れるだけ人民が飢える。
早さを至上として、裏と表から攻め入る。これは布華融蛮を、実力不足により矮小化させた行動である。
マシシャー朝への降伏勧告は、予想通りに黙殺という形で拒否された。黙殺とは怠惰な選択である。自分と人民の将来のかかった交渉を投げ打つとは愚かしい。戦う戦わない以前に、ここは譲れる譲れない、そもそも戦う必要があるかないか等、話し合えることはいくらでもあるはずだが、理屈ではない所がマシシャーの思考を埋めているのだろう。
ビジャン藩鎮の命運がかかった戦いである。普段なら都市に駐留させる民兵も出撃させ、十八万の大軍となった。宇宙太平団からの民兵が多いのもそこまで巨大化した理由である。
民兵交じりの大軍等、単純に戦闘することだけを考えれば無用に巨大。民兵は戦力どころか、このような作戦においては混乱要因ですらある。武官選挙に合格したとはいえ、武人として実務経験も何も無い自分だが、ある程度の基本は分かる。だがこれは後先を考えての行動だ。
短期間に各都市軍の統合、編制、指揮系統の整理、分散進軍、補給、全軍集結を計画して実行した鎮守将軍の手腕には感服する。表の攻めは万全だ。
■■■
会敵前、斥候の情報をとりまとめたらマシシャー朝軍の規模は一万未満と推定された。以前の調査では数倍以上の兵が展開されるという予測であった。
裏の攻めで力を発揮したのが宇宙太平団である。教主曰く、この日の為に大量の信者を潜りこませていた。
こちらの進軍に合わせて暴動を起こさせた。暴動を起こせば勿論それに対応するために軍は出動することになり、分散される。
それから食事に軽い毒を盛って兵士や馬を食中毒で動けなくする、更には武器庫への放火、誘拐や脅迫による戦闘不参加要求、などなど数え切れない、やれる限りの陰謀を駆使して弱体化させた。
であるからして今、目の前に一人の魔族マシシャーが護衛もつけずに頭を垂れている。
黒い鱗の大蛇に、頭の代わりに人の上半身が――常より大きい――あるような恐ろしい姿の女だ。綺麗な着物を着て髪でも結っているお陰か、話が通じるように見える。
しかしこの姿、絵巻物の蛇仙か龍神もかくやである。黒龍神道の乱に用いられた旗印にも似ている。
絵画以外で魔族を見るのは初めてだが、魔なる力とは幽地の際など遥かに通り越し、底にまで達しているかのように見受けられる。これが元はただの人間だというのだから、蝶の変態など鼻で笑う。動物の骨を組み合わせて偽生物に見せかける等とは訳が違う。
「私の名はテイセン・ファイユンと申します。ビジャン藩鎮節度使サウ・ツェンリー様、完敗にございます。処分は如何様にもお受け致します」
マシシャーは名乗らず……テイセン?
「まずは頭を上げて下さい。テイセン家とは、黒龍神道の乱に加担した一家の一つと記憶しておりますが」
ファイユンが顔を上げる。顔の端々にも鱗があり、瞳は人にありえぬ程明瞭な黄色で、瞳孔は爬虫類のように縦に割れている。
「その通りにございます」
開いた口には獣の如き犬歯……蛇の如きか。魔族とは奇妙なり。
反乱したテイセン家のみならず、テイセン氏に連なる家、婚姻から派生したテイセン姓を持つ者まで残らず反乱の咎で斬首となったはずである。一人と残らず二万九千五十八首が斬られたと記録にあるが。
「こちらの呼びかけを無視して来たのはそれが原因ですか?」
「その通りにございます」
「勢力を集めていた理由を伺いたいのですがよろしいですか?」
「はい。テイセン処分の難を逃れ、放浪し、魔神代理領へと入りましたのが百五十年前の事です。魔族の奴隷となり、お力添えあって官僚の身分まで頂き、死なず永遠の魔族のお力を私が継承することとなり、今の姿となりました。その時思い出したのです。この姿はまさに黒龍神、一族の復讐を果たす運命であると思い至りました。そしてそこからも百年以上に時期を伺っていた所、アッジャール朝の侵攻によって発生したハイロウにおける政情不安につけ込みました」
「話してくれてありがとうございます。ご苦労をなさっておいでですね。では何故、降伏の決断をしてくれたのですか? 少しでも被害を与えようとは考えませんでしたか?」
「私が復讐したい者達は既に死んでおります。ならばせめて子孫に嫌がらせでもしようとは思い立ちましたが、その前に気づくべきでした。復讐が現実味を帯びてくると頭が悪くなるようです。間諜を予期して防ぐ能も、失敗を許容する軍備も何もかも揃えられていない無能さに気づいたのが今なのです。復讐どころではありません。弱ったハイロウ程度の力に苦戦して諦める程度では中原に一石投じる事すら危うい……諦めました」
「ご同情を申し上げます。しかし依然として危険分子である以上は虜囚の身になって頂く事になりますが、言いたいことがあれば聞きます」
「虜囚は嫌です。働き口を下さい」
大胆な返事である。
魔神代理領で魔族として官僚として働いていたということは、文武に問題無く働けるという証明だ。無理に捕らえても、魔族を閉じ込める檻等無いだろうし、処刑するにしても暴れられては被害が出るし、勿体無い。随所問題があったとは言え、マシシャー朝という勢力を立ち上げられた以上は一大人物である。飼い殺しは愚かであろう。
「あい分かった。前歴を加味し、節度使直属補佐官に任命する。伏して拝命なさい」
「はは」
ファイユンが平伏する。下半身が大蛇なので何とも、奇妙。
簡単に雇用を認めたのは、何れはそうする心算であったから。ファイユンが冷遇されていれば、旧マシシャー朝の人間も肩身が狭いというもの。かと言って既に配役した官僚を降ろしてまで上位官職につけては他の者が気を悪くする。
後は、有能だが一番危ない奴は己の直下において、仕事を与えに与えて忙殺して反逆どころではなくするという古くからの手法に倣っての事である。
「よろしいです。立ちなさい」
ファイユンが上体を起こす。
「もう一つ聞きたいのですが、マシシャーとは一体何の名なのですか?」
「マシシャーは西方騎馬蛮族の羊飼いでした。我が一族が中原に入りテイセン姓を名乗るより前の、正体が明らかである先祖の中で最も古い名です」
「なるほど、分かりました」
戦わずに勝つのが上策である。勝敗という概念すら匂わせずに取り込むのが至上だが、未熟な我々、否、己では軍の動員と行軍に加え、謀によって旧マシシャー朝の者達へ少なからず被害を出してしまった。早さを重視した結果であるが、下策である。
旧マシシャー朝の抱える人民、兵士、そして今雇用したファイユン自身とて既にこのビジャン藩鎮の者である。己が人民を殺したも同義。未熟を恥じるばかりである。
もっとファイユン本人と言葉を交わす努力をすべきだったのに、出来なかった。天政への復讐という目的から困難ではあったろうが、不可能等とはとても言えない。次に活かさねば。
■■■
初貢納である。早速ファイユンに仕事を手伝わせたが、間に合わせで雇用したような官僚達とは仕事の早さも正確さも段違いであった。そして仕事片手間にその間に合わせ官僚達を教育しているというのだから頭が上がらない。百年以上も政務に携わってきた者の実力をひしと感じた。唯一の欠点は、体が大きいので狭い室内では四苦八苦するところ。体捌きが柔軟巧妙なので、その辺にぶつかって物を散らかしたりはしないが。
春税は、その時はまだビジャン藩鎮の収入が無かったのでその旨伝える手紙を送っただけだった。今はもう既に冬で、時期遅れではあるが秋税を納める。
正当な理由があって、事前に了承があれば遅納は認められている。何時の世も太平である事を前提にしているような軟弱な制度ではない。
春税と秋税を銀で物納する義務がある。その他得られる税収は全て藩鎮運営費になる。
金額は作物の秋季収穫量から換算する。重要なのは収獲分の仮想売却額ではなく、収穫量、重量換算であることだ。人民の腹が満たされているかを主点にしている。収穫量が少なくて餓えそうなら税は軽く、余るだけ多いのならば重く税は取って他所に配分するという考え。その税でその地から余剰作物を買い取って飢えが予測される地へ支給される仕組みなので、場合によっては税が差し引き無しということも無くはない。
主に交易から収入を得ているハイロウにとってこれは嬉しい制度だ。商人優遇と問題視はされているが、物を天政下に巡らせる商人はある程度自由にさせるのが良いというのが豊都上帝以来のやり方である。
貢納額は二十七都市、六郡、四郷合わせて八十七万三千シンになる。一番規模の小さいサンシャリグ市の年収程度。額は少ないが、規定通りに収める。
納税額が少ないと喜ぶのは愚かである。耕作で栄えるような土地ではないとは言え、ある程度の食糧は自給自足が出来る能力が、本来はある。それが出来ていないからこその少ない納税額。本来ならば、最低でも三百万以上の納税が可能なのだ。
支援物資は続々到着している。中原では、豊作ではないが穀物に余剰はある。備蓄穀物も開放されているので滞りはない。
中央が睨みを利かせているので穀物の物価上昇は無いか、ほんのわずか。初期に上げようとした商人が指導されて以来、話が広まっている。
それでも足りない。ヘラコム山脈の水源が開放されたが、土砂に侵食された灌漑の復活と畑の復活、そして栽培に収獲、収獲の安定ともなればとてもではないが支援物資では足りぬ。
食糧物価が下落して安定したものの、中原穀倉地帯より遠いのが原因で輸入量が需要に届かない。南方タルメシャからの輸入も始めているが、国情が安定しておらず輸出するだけの食糧は生産していないのである。
中原よりは遥かに近くて道も平坦な西方ジャーヴァルからの食糧輸入に頼ってきた歴史がある。地理的にもそれは必然であった。
本来のビジャン藩鎮の人民に加え、宇宙太平団が主に受け入れたジャーヴァル難民もいる。難民を故郷に帰せば食糧負担も減るだろうし、同時に実現出来るであろう西方交易路が開通すればジャーヴァルからの食糧輸入も再開出来るだろう。
ならば、することは一つである。何も迷うことは無い。
丞相閣下に行動する旨の手紙を書き、奉文号に配達させる。
ファイユンには任せられる雑務を託す。
公安号には鎮守将軍を呼びに行かせる。
各市長、郡長、郷長に召集をかける。最新の戸口、資金、備蓄食糧、守備隊の情報を携えるように。
全てはまだ出来上がっていないが、ビジャン藩鎮行政庁舎の議事堂は先行して建設を終えた。そこに彼等を集める。西方交易路開通と飢餓を逃れるための遠征計画を作成するのだ。
どれだけの人数を、どの年齢層から、兵士と民間人の割合は、難民で動けるものは、残す食糧と持っていく食糧は、支援物資の到着計画を加味して、と恐ろしい程の膨大な資料と格闘して作る必要がある。その資料を集める作業もこれまた膨大である。
動きが取り辛い冬の間に計画を立て、春には出征せねばならぬ。
この冬の間にも、対策を講じているとはいえ、食糧燃料不足で死ぬ者は必ず出てくる。配給、無料宿泊所の開放でどの程度守れるか? 被害は避けられぬ、ならば最小限に。そして、その流れは最短で断ち切る。
「鎮守将軍サウ・バンス、只今参上しました」
「鎮守将軍、これよりジャーヴァル遠征計画の草案の骨子を作成する。知事、各市長、郡長、郷長には召集をかけ、最新情報を持ち寄るように指示してある。計画草案、作成資料は用意してあるが、現状に至る前の物だ。応用出来る物にしたい」
「承知しました」
「大叔父様、私は幽地の際にいるようで、仕事をしてもご存知の通りさほど疲れません。私に合わせることは常人に困難。辛くなったら遠慮無く仰って下さい」
「そうさせて貰う」
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