第60話「サウの役所仕事」 ツェンリー

 宇宙開闢史にて、立法上帝が法典より先に公布した文言がある。


 侠人求望 人民救済 豪紳起来 郷勇起来


 公武上帝の蛮族討滅後も人心荒廃止まぬ中原にて発せられた叫びである。

 法とは法に従う民あってこそ機能するもの。まず人民の団結が先にあり、後に法が必要となるのだ。団結の為には有志そして導きに応える人民がいなくてはならない。立法上帝とは法を作ったのみにあらず、法を有為なるものにした偉人なのである。

 市長の別荘をビジャン藩鎮行政庁舎として借りることになった。引越しの荷物など全て手荷物で済んだので苦は無かった。紙と筆に墨、書類が雨風に濡れぬ屋根と壁さえあれば問題ない。

 ここでの初仕事をする。中央政府へ提出する申請書類を作成するのだ。

 墨を擦る。適切な色を出さなければいけない。

 まずは人民の救済である。これ無くして他は無し。

 ダガンドゥ市に保存されている資料では、ハイロウ全体の人口は各二十六都市が行った最新の戸口調査を合算すれば二百万名である。都市内のみでこの人数なので、壁外の農村、遊牧人口を含めればもう少し増える。

 加えてジャーヴァル北東部からの難民に、マシシャー朝がハイロウ外から集めた蛮族もいる。ビジャン藩鎮はハイロウを越える領域を持つのでハイロウ外の人民も考えなくてはいけない。

 宇宙太平団が治外の貧民や難民をある程度取りまとめているので、そちらの方面でも少ないなりに食料分配は最適化されているだろうから、飢餓で人口減少とまでには至っていないと推測される。間違いなく二百万名以上だ。

 三百万名と見積もる総人口に飢餓人口、備蓄食糧と現在の食料生産及び輸入能力に加え、将来のその能力と能力を獲得するに至る行程を記載し、必要な食料を支援するように中央を説得しなくてはならない。ダガンドゥ市の細やかな行政記録、資料が作文を助けてくれる。

 この筆の運び一つ、文言一つの間違いでその説得が失敗するかもしれない。”武人が矛先に首をかけるならば、文人は筆先に首をかけろ”とは祖父のお言葉。当時その言葉を聞いた時は決して軽んじていたわけではないが、今になって思い返せば軽く聞いていたと自分に恥じ入る。勇将の剣よりもこの小娘の筆の方が遥かに多くの命を動かすのだ。

「節度使様、何かやることはありませんか?」

 ショウが声をかけてくる。

「ありませんので待機していて下さい」

 方術で喉を潰してやろうかと思ったが、それは節度使のすることではない。

「……はい」

 直接手を下すにしろ、軍事圧力を持って屈服させるにしろ、物心で打倒すべき勢力がいる。ダガンドゥも含めたハイロウ二十六都市であり、宇宙太平団であり、マシシャー朝である。可能な限り血は流さず、しかし流す覚悟でビジャン藩鎮の統制下に入れねばならない。各勢力を統制し、適切に物資を配分し、かかる問題には一致団結して立ち向かわねば餓えに苦しんでいる現状は打破出来ない。今後訪れるであろう未知の苦難にもだ。

 血を流す可能性の中でも、高確率で武力衝突に至るであろうマシシャー朝の推定兵力は、ダガンドゥの最新調査結果で――まだ部外者扱いのこちらに教えてくれる範囲で――騎馬蛮族を中心にして一万程である。必要とあらば女子供に老人も兵士として参加する騎馬蛮族であるから、その三倍は最低でも考えておく必要が有る。

 加えて、そのマシシャーなる者がどういった経歴の持ち主であるかでまた兵力が増える。後ろ盾となる勢力はどこかにあるのかが問題。アッジャールの分裂勢力の内の一派である可能性もあり、そうなればその背後に十万を優に越える兵力があることも考えうる。魔神代理領ならば、遠く離れているとはいえ何十万となる。ダガンドゥの最大兵力は緊急時の民兵招集を行えば四万に届くと資料から推測出来るが、今は当てにならない。こちらの指揮下にあらず、そして基本的に都市防衛しか出来ぬ民兵が過半だからだ。

 最低でも攻城兵器を持った五万の兵力が必要だ。これで説得に応じぬ弱小都市からでも統制下に置いていき、多数派工作によってビジャン藩鎮を一色に染めねばならない。その点を踏まえて中央を説得する作文をする。

 頭脳が丞相閣下であり、神経が官僚、拳が軍隊。今、頭脳に拳を振り上げるべきだと神経が伝える時だ。

 公安号が顎を机に乗せて来る。筆を動かす手の甲にその横面が触れる。そしてジっと横目で見てくる。

「公安号」

 公安号が振る大きな尻尾がファサファサと背後で音を立てる。

「ワフン?」

「ワフンじゃありません。仕事の邪魔をしないで下さい」

 半端にせず一行を書き終え、筆を置く。公安号の頭に手刀打ち込むと、頭を引っ込めて「キュウン」と鳴いた。

「キュウンじゃありません。気が散りますから下がって下さい」

 ハイロウでの物価高騰に対応するための一時凌ぎに必要である、造幣局の設置を申請する。金属の塊である貨幣の輸送には労力も時間がかかるので金型と発行権さえ貰えればこちらで作った方が早い。雇用対策にもなる。天政下においては万年貨幣の供給不足だと嘆かれている。兌換紙幣に不換紙幣まで発行されて対策がされているが、宇宙はとにかく広い。天政外の蛮族も使っているぐらいだ。大量に作れば良い。

 造幣局設置申請の作文を考える。官僚力学でも働いているのだろうが、なぜ造幣が節度使権限外なのか今更疑問に思う。質さえ良ければ私鋳しても罪にならぬというのに……地方独立の阻止? 申請認可に紛糾した記録は知らぬが。

 書類を照らす光が射す窓から視線を感じてふと顔を上げると、その先には庭と草木があり、枝に止まっている鳥がいた。

 輝く羽毛は白、冠羽は黄、風切羽は青、尾羽は赤の美しい配色だ。南方の熱帯雨林地帯にいるという極楽鳥の類であろうか? 一瞬この世の物とは思えないこの鳥に意識が奪われた。

 まだまだ自分も修行が足りないと視線を書類に落とす。

 不徳な値上げ行為の通報と、ハイロウ向け輸出品の高騰抑制勧告の申請だ。

 まだ不徳な値上げ行為に対する処罰をハイロウで実行するには早すぎる。商人が逃げてしまうのでハイロウの大部分を掌握してからでなければならない。

 今は中央政府を経由させ、今不徳な値上げをしていると後で痛い目を見る可能性があると脅すしかない。

 中央からの勧告が行き渡った後、各商組合にはこちらからも勧告を出す。値下げ措置を講じない場合は商人を名指しする。それでも下げなければ、準備が整った後に罰する。

 そういうことが分かっている商人は下手な値上げは控える。問題はその商人がハイロウ統一への妨害圧力をかけてくる可能性だ。その場合は正当に罰するだけだ。人民を苦しめる奴等に慈悲をかける必要はない。

 この作文は難しい。官僚に取り入って便宜を図って貰おうとする悪徳商人に、それに応える汚職官僚は歴史を通じても絶えたことがない。制覇上帝が官僚の汚職には酷刑に加えて一族連座という身も震える刑罰を定め、そして幾度となく執行されてきたのにもかかわらずだ。己が一族より重く金銭が積めるというのか? 不可思議である。

 次に書くのはビジャン藩鎮節度使着任の挨拶状だ。併せて人民を先導する有志を募ることも伝える。

 ハイロウ二十六都市の市長に送り、返事で状況を把握する。勿論、ダガンドゥ市長にも送る。形式的ではあるが、正式な作法を執り行うことによって正当性が担保される。

 宇宙太平団にも送る。かなり甘い見通しで考えると彼等はこちらに取り込める。人民を救うという理念は共有しているからだ。ただそんな単純に事が進むわけがない。降臨上帝のように御言葉一つで集団を傘下に入れるような神業、凡夫には不可能である。

 マシシャー朝にも送る。如何様な返事が来るか予想もできないが、知らない相手を知ることが出来よう。

 キリの良い所まで筆を進めた。食事休憩を取りに台所へ向かう。家事を任せる者はまだ雇っていないので自分で作る。

 台所の隅で何故かショウが座り込んでいるが、さて? そう言えば仕事が無いかと尋ねていたが、朝のことだったか。今はもう夕方だが。

 痩せた野菜を包丁で刻みながら、ショウに仕事を与えることにした。

「ショウさん」

 ショウが跳ね起きる。

「はい節度使様! ご用件は何でしょうか」

「仕事です。宇宙太平団に入信して内情を調査してきて下さい。どのような情報でも構いません。当たり前のことでも、噂程度のことでも、何でもです」

「はい節度使様! でも、どうしたら?」

「難しいことはありません。団の者達と共に友好的に活動し、そこで見聞きしたことを教えてくれれば良いのです。その肌身に感じたことを教えてください」

「はい節度使様! どのくらいの期間調べればよろしいのでしょうか?」

「まずは約一月後に報告をしてください。それまで私には緊急性が無い限り接触しないように。密偵との繋がりが明らかになれば不利益しかありません」

「はい節度使様! 頑張ります!」

 例えショウに裏切られたとしても漏れて困る情報は何も与えていない。マシシャー朝の方が知りたいが、そちらに派遣したならばおそらく直ぐに死ぬだろう。

 マシシャー朝にも潜伏できるような有能な調査要員が欲しいが、どこかの都市を傘下にせねば人材確保は難しいだろう。専門家が必須だ。

 郵便物に関しては市長秘書に任せることになっている。民間よりは確実で迅速だ。信頼に関しては、容易く買収が可能な民間郵便よりは確実だ。利害は一致している。

 郵便物を中原系商人に託すのは危険である。彼等に不利な内容が含まれている。

 造幣局より郵便局を設置する方が先決だ。自分の手で人材を確保せねばなるまい。

 火を熾して鍋に油を入れ野菜を炒める。そうしながら残り物のお粥に水を少し入れてから温める。


■■■


 書類の送付と返答には時間がかかるのでその間に出来ることをする。

 まずはダガンドゥ市長に宴席を設けてもらい、市の有力者との面通しを済ませることにした。

 このような場は不慣れである。大人が酒を飲みながら政治談議をしている所に参加したこともなく、機会も無かった。幼い頃に亡くなった父はこの道に娘が進むとは露も知らなかっただろう。

 何の覚悟も無ければ怯えて震えたかもしれない。しかし我が手には三百万を数えるやも知れぬ人民の命が乗っている。ならば問題ない。

 出席者は多かった。ハイロウは商人が作った地なので、必然その手の者が多く集まった。

 ダガンドゥ商業組合の幹部が複数、中原系大手商人が少数、南部商人が少数、市の守備隊長に、傭兵と商人ともつかぬ任侠者だ。

 出された料理に酒は東西南北の多種多様な品が出されている。餓えたハイロウでこのような宴は冒涜であるとも言えようが、権威というものがある。今時期にこれを出すのはダガンドゥ市長には負担だろう。

 出された酒は飲む。普段は飲まないので不味いとしか思わないが、礼儀の範疇で飲む。そして方術で酒精分解、酔わないようにする。酔い潰れてあること無いこと喋って没落した者は枚挙暇が無い。

 有力者達が交代するように質問してきた。

「サウ殿のお父上はやはり官僚なのかな?」

 ダガンドゥ商人が先に口を開く。やはり節度使と役職名では呼ばない。認められるのはまだか。

「カン州伯でしたが、病で十三年前に亡くなっております」

「これは失礼した、お悔やみ申し上げる。代々高級官僚の家系なのでしょうな」

 サウ氏は正当天政始まって以来の貴族であるが、初代は高名な武人であった。本家も武人の流れを継いでいる。

「天政始まって以来の貴族ではありますが、高級官僚の流れは祖父の代からになります。祖父はダンチョン道公を経て民政院民政令まで出世しました。偉大な方です」

「なるほど、それはご自慢でしょう。そうそう、夫君は何の仕事をされておりますか?」

 夫君? 結婚しているかどうか探りを入れているのか。

「いえ、まだそのような良縁の巡り合わせはございません」

「ほほう、あなたのようなお美しい方に巡り合えない者がいるとは、その幸運な者に会ってみたいですな」

 酒が手伝っているのだろうが、さして面白くない言葉に笑いが起こる。

「サウ様の地元はどのような所ですか? カン州、でしたか? 私は遥か南、タルメシャから来ましたよ。蒸し暑くて、土が赤い所です」

 南部商人の言うタルメシャとは祖猿なるものを信仰している地方だ。人間は大昔猿だったから森の猿を先祖と思って大切にするとかいう益体も無いことを考える連中のいる地と覚えている。

「私は生まれ育ちも京、ヤンルーになります。街区が完全に盤の目になっていて、とても広いですが道に迷うことは少ないですよ。建物ばかりではなく、様々な庭園があったり、花の咲く街路樹の通もあって他所の方が想像するよりは緑に溢れています」

「都会育ちですか。ヤンルーからダガンドゥまでの道中、大変ではありませんでしたか?」

 ただ歩くだけの何が大変か。山賊の対応に少々苦慮した以外に苦労の覚えは無い。

「いえ、天運に恵まれたかさしたる苦労はありませんでした」

「それは剛毅なことだ。サウさん、あんたの三選挙の成績はどんなだい?」

 目付きの悪い任侠者が飾り気も無く質問してきた。率直は美徳だが。

「文官選挙で文筆、司法、経済、天政、民政、軍政の六科目で首席合格」

 討論の科目だけは首席にならなかった。あの口先から生まれた奴には敵わなかった。頭が回っても舌が追いつかない。考える前に言葉が出る輩は苦手だ。

「武官選挙で文筆の一科目で首席合格」

 武官選挙における文筆の科目は、武術、馬術、軍令に比べれば軽く見られている。武人だって手紙を書いて書類を読み書き出来ねばならないのだから軽いものではないはずだ。文盲の将軍などいないのだから。

「術官選挙で幽地、文筆の二科目で首席合格」

 肝心の方術の科目は首席にならなかった。方術に関しては天賦の才が物を言うことがあり、首席合格した人物はまさに天才そのものだった。

「文挙人、武挙人、術挙人の三官に合格して九科目の首席がありますので、大九元挙人となります」

「たいしたもんだ。五十年に一人ぐらいの逸材ってわけだ」

 首席持ちで三選挙に合格するのは五十年に一人と言われている。意外と天政に関して物を知っている人物のようだ。

「後は実務で証明しなければなりません」

「あのデカい犬とチビ助とか?」

 公安号とショウか。

「皆さんとです」

 言い難い沈黙が訪れた。それから気を取り直すように皆がそれぞれに無駄話を始める。

 宴席というのは本来無駄話をするのであって、仕事をするところではないのだ。

 不毛な話には忍耐で持って答える。面白い話は持っていないので受け手に回ってしまい、どうにも辛い。しかし今飢えで辛い思いをしている者のことを考えれば何のことは無い。

 ビジャン藩鎮に加わればどのような恩恵があるか説明しなくてはいけない。さり気ない会話に混ぜるべきだろう。

 食料支援策、軍の派遣、物価高騰対策、マシシャー朝対策、西方貿易復興策。概ねにおいて賛同する声が聞けた。ただし、やれるものならやってみろと腹で言ってはいた。

 そこそこ皆が楽しく食べて飲み、そろそろお開きかというところでダガンドゥ市長が切り出す。

「ビジャン藩鎮にもし下ったら、どのような不利点がありますか?」

 言い辛いことを言う機会を貰った。協力的である。

「春税と秋税の貢納義務です。農作物の収穫基準なのでハイロウではそこまで高値になりません。納税は銀で行い、現物は不可能です」

「え、それだけですか?」

 ダガンドゥ市長がまさかという顔で聞き返してきた。

「はい、藩鎮の外へ出るのはそれだけです。手続きに時差は生じるかと思われますが、中原への関税も無くなりますので春税と秋税だけになりますよ」

 最後に皆の顔が綻んだ。現金なものである。

 宴席は、小娘相手にしては好感触に終わった。それほどダガンドゥ情勢が逼迫している証拠だ。


■■■


 宴席後、尋ねてきた有力者達と個人的に会う機会があった。協力が得られるか探るのが目的だ。

 ダガンドゥ商業組合は歓迎している雰囲気で、可能な限りの支援をすると言う。

 中原系大手商人は物価対策に興味があるようだ。小娘とはいえ、役所が相手なので逆らうかどうか見定めているか?

 南部商人はこれこれこういう珍しい異国の逸品がありますよ、と商売をしにきた。褒美をくれてやるような部下がいればまた買うこともあるのだが、困ったものだ。一つ必要な物を思い出した、注文しておこう。

 市の守備隊長は顔を出さなかった。市長の指揮下にいる証拠である。

 傭兵紛いの任侠者はまだ値踏みしている様子で、「困ったことがあれば何でも言え」ときた。マシシャー朝の情報を頼んでみたが、さてどうなるか? 鞍替えの出来る身分の連中だから共通の敵とは言い切れないのだ。ビジャン藩鎮には無いにしても、ダガンドゥ市に対する義侠心が有ればいいのだが。


■■■


 二つ作っておく物がある。看板だ。

  ビジャン藩鎮行政庁舎

  職員募集 前歴不問 男女不問 侠人歓迎

 時折こちらの様子を見に来るダガンドゥ市長が感想をくれる。暇ではないはずだ。

「流石の達筆ですな、サウ殿」

「威厳ある文字を書くのもまた上に立つ者の教養です。下手では示しがつきませんからね」

「お立場さえ無ければ市庁舎の看板も頼みたいところですよ」

「そうですか、ありがとうございます」

 認めてもらうには実績が必要だ。時間がかかる。

「しかしサウ殿、天政官語ではハイロウで読める者は少数ですよ。職員を募集するんですよね?」

「む、これは気がつきませんでした」

 市長が快活に笑う。ハイロウ語を併記しなければいけない。しかし書き慣れぬ文字ならば練習をしなければいけない。威厳あるハイロウ文字を習得せねばならない。

 まずは砂に棒で書く。感覚を掴んだら石板に筆へ水をつけて書く。そうして納得する筆運びになってから紙に筆へ墨をつけて書く。

 新たに二つの看板を作る。ハイロウ文字でハイロウ語。

  ビジャン藩鎮行政庁舎

  職員募集中 前歴と男女は問いません 弱い者を助ける意気のある方を歓迎します


■■■


 看板を設置して数日、訪ね人は来ない。人通りも稀な閑静な地区ではあるが。

 祭日に儀式を執り行う。この地が天政の下にあるという証明でもある。

 参加者は公安号と、あの珍しい鳥である。

 日出前だというのに窓の縁に掴まってこちらを凝視していたので、もしやと思って開けると部屋に入ってきた。これもまた公安号のような幽地の際にいる妖鳥なのだろうか?

 儀式の前に体を洗って身を清める。

 前日に食べ物以外の用意は済んであるので、儀式を兼ねる朝食を作る。作りながら公安号には肉をくれてやった。

 鳥には豆をくれてやろうかと思ったが、手の平に豆を乗せて食べるか? と暗に聞いたら反応はしなかった。生肉も試したが食べないそうだ。

 祭壇に向かう。祭壇の大きさと形に決まりはないが、概ね財力相当な物を用意することになっている。別荘にあった一番見た目が良い机を祭壇とした。家具職人に注文したいところだが、現状にそぐわないだろう。現状以上の祭壇を用意してはいけないのだ。

 ロウソクは四本。中は九、東は八、南は六、西は四、北は二。西方を示す数字は四である。

 線香を焚く。庶民は安い物なら何でも、貴人は白檀、天子様に連なる者は沈香の線香を使う。こちらは白檀を使う。南部商人から入手した。

 お供え物。米、麦、干し肉、干し茸、塩、砂糖、胡麻、大豆を小皿に盛って祭壇に並べる。

 祭壇の手前に敷布を敷き、先ほど作った米粥、麦粥、野菜汁、漬物、煮豚、湯豆腐、茶、羊乳、酒を揃える。

 楽器店で買った琵琶で儀式に相応しい四曲を奏でる。

 ”無為有転”何もしなくても世は移る。流れるように。

 ”現中九色”世には様々な物がある。音色豊かに。

 ”還水受繋”今の世があって後の世がある。素早く劇的。

 ”乾期不変”過ぎた世は移らない。あっさりと。

 幽地思想の基本である。

 八つのお供え物は何れも乾いた物。過去の偉人達、特に八上帝に向けて供えられる。

 そして九つの濡れた物を今を生きる我々が頂く。

 その後に、

 民生富豊 施政円満 厄害排払 人民救済 藩鎮統一 西路開通 宇宙太平 天政招福 天子万歳

 以上の言葉が書かれた札を九枚揃え、合掌して八上帝に祈願し、線香と共に焼いて灰と煙にする。

 それから外に出て、庭で爆竹を鳴らし、煙となって天に昇った願いを邪魔する邪気を払う。

 本日は極力仕事はしないようにし、先祖の苦労を偲んで静かにする。一般家庭では親戚一同が集まり、子供などがいる場合は好きに遊ばせるものだが、今この家には犬が一頭と鳥が一羽だけだ。

 先祖に恥じぬ成果を上げねばならぬ。そうでなければ死んでも死ねない。幽地の際から落ちて妖怪変化になろうともだ。

 鳥が肩に飛び乗って来た。そしてその頭を前に傾げてこちらの目を覗き込んでくる。

 公安号はもとよりこの鳥までもが何故か自分の下へ集まってきた。これもまた天命なのか?

「あなたは何か仕事が出来ますか?」

 鳥は天を仰いで甲高く「キェーン!」と鳴いた。

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