第46話「陸に上がったセリン」 ベルリク

 我等がイスタメル第二軍、総員十万名である。当初は十三万名だった。

 相次ぐ戦いで当然のように死傷者、病人が発生。兵数減。

 負傷から復帰した兵士もいれば、老人子供の予備兵力で補充した兵士もいる。兵数増。

 しかしいくら妖精が人間に比べて持久力に長けて士気が高いとはいえ、爺さん、婆さん! 少年の兵隊では、実力は実数十万以下である。またしかしマトラの森まで軍を引いたことにより、残るマトラ市民全てが戦闘配置についたと考えれば、動けない者を除いて約四十万の兵力があると考えられる。これまた実力は実数以下だが、マトラの森にいるという地の利がある以上は打ち消しかと思う。まあとにかく、振り上げる拳のデカさには自信がある。

 妖精達の全人民防衛思想によれば、現在もしくは将来妊娠可能な健康な女性と僅かばかりの男性さえ生き残れるのならばどれほどの犠牲を出してでも勝利は価値あるものであるとされる。それから成年男性兵が全力で戦うのは言うに及ばず、老人兵は相打ち覚悟の決死要員として用いよ、少年兵は何時でも全投入可能な予備兵力とせよ、少女兵は最終的手段として用いよ、成年女性兵は最期となれば刺し違えよ、と記されている。

 スラーギィ戦では人間の常識に従って老人兵、少年兵からは体力的に合格域に達している者達しか前線勤務に選んでいなかった。このマトラの森で戦いが起こったならば、その思想に従うしか無いだろうか? マトラの森に引き上げた時には既にミザレジが、武器を携えた少年兵達を何万人も集めて訓辞を垂れていたのは確かである。あれを突撃させるのは誰だ? 自分か……必要なら躊躇無くやるが。

 さて、そんな暗い話ばかりではない。後方にはまだ憲兵旅団もいるし、イスタメルの民兵、訓練終了か中途でも、掻き集めた新兵だって投入できる。数を揃えるには他の師団の管轄から引き抜く必要があるが、苦情なんぞどうにでもなる。最悪ウラグマ代理に言質とれば良し。

 おまけにセリンが海兵隊に陸戦装備の水兵も一万名をぞろぞろと連れて来てくれた。ヒルヴァフカ救援に全艦隊の海兵隊へ出動命令が下るという中々楽しい事態の中で、である。危機に瀕した母港を守らないなんて話は無いからだが、嬉しいものは嬉しい。

 考えれば全く全然余裕ブイブイだな。斥候の情報じゃオルフ軍は現在スラーギィに二十五万程いるそうじゃないか。それに加えて非戦闘員の労働者も結構入り込んでいるそうだが、それでも地の利もあって兵力は――全人民防衛思想によれば―――俄然こちらが上回り、補給線は遥かにこちらが短く、敵が長い。

 そんな楽勝な空気だと言うのに、海軍歩兵に河川艦隊の連中はぐったりとお疲れ顔だ。アソリウス軍の連中は船旅からの、強行軍からの、休まずに戦闘参加のせいもあるだろうが、同じく疲れ顔だ。亡命により増強されたレスリャジン騎兵各大隊も大分疲れている顔をしている。セリンが連れて来た海軍の連中はというと、慣れない森の中からか、今まで船仕事続きでヘタレているのか、不安げな顔が揃っている。妖精達はというと、いつも通り元気だ。意味も無く小隊規模で整列行進してきて、敬礼して行きやがる。敬礼を返してやると、まあなんと嬉しそうな顔を返してくることやら。

 軍楽隊が色んな曲を演奏している。軍系の曲だけではなく、どこから仕入れたか分からないような民謡まで演奏している。こいつらがいなかったら葬式でもしてんのかと一言つけたくなるな。

 朝食後に各隊将兵を三七番広場に集めるよう伝令を出す。スラーギィに侵攻した折に出発地点にした広場にだ。主となる中央広場の収容人数は、馬や大砲のような大物を持ち込まないでびっちりと整列させれば二十万ほど。

 お茶でも飲んで、大雑把に演説? というほど派手な心算はないが、その台詞を簡単に考える。あんまり手の込んだ台本は好きではない。思いつきで喋った方が楽だし。

 アクファルに「任務外の全隊集合完了しました」の言葉を貰ってから将官用宿舎を出る。

 最後尾からでも――豆粒大でも――見えるように階段つきの高い演台の、そこの最上段に昇る。先にラシージがいて、セリンがいてちょっとビックリ。立場的にはセリンが上なので、自分は上官を待たせて悠々と出てきたことになる。ウラグマ代理は下の方で椅子に座っているので勘定外。

 臨時で根拠怪しい元帥位が自分の肩書きになっている雰囲気だが、魔神代理領に元帥という地位は無く、提督位は師団長より上で総督より下。第二軍司令はウラグマ代理であって、自分はその下の旅団長。そういった段比べが頭についつい浮かんでしまう公式の場というのは気持ちが悪いものだ。

 目の前にはズラリと並ぶアソリウス軍含めた十万と一万と、妖精の少年兵が、あー、うん、ウン万人。

 またここに戻ってくるとは……完全に想定内。前にここに立った時は出撃する時だったな。

「将兵諸君、集合ご苦労。皆、元気かなぁ?」

 耳に手を当て、声を拾ってみる。

『元気でーす!』

 と返事したのは妖精ばかり。しけた野郎どもだ。下らん冗談に付き合う元気も、無理矢理に乗っかって出す空元気も無いのか。

 冷やかすようにシルヴが吹かした指笛が鳴り、再就職前にも見たような顔のエデルト兵達が笑う。あれくらいの余裕も欲しいところだ。

「私も元気だ。シルヴもありがとう、愛してるぞ」

 一笑いといって欲しいところだが、不発。

「さて人間の方の諸君、無駄に疲れた面をしているな。まだ損耗率九割もいってないだろ? 補充分入れてまだまだ二割三割? 抜かしても五割ぐらいだ。余裕じゃないか。まだまだ戦争は序の口だ。何お終いみたいな面してやがる? そんなしけた面していいのは、定数一割を下回って軒並み高級将校がくたばり、野戦昇進したどこぞの馬の骨が指揮を取ってるんだか寝てるんだか分からないような状況になってからだ。行ける行ける、単純に敵をぶっ殺すだけがお仕事だ。給料の遅配は無いし、毎食食えている上に味方は我々を見捨ててはいない。こんな好条件下で一体何の不満があるか? 普通は無いぞ。というわけで」

 セリンは感心したように手を叩いたが、他は、人間の兵達は、何言ってんだテメェ? みたいな顔をしている。アソリウス軍の一部、エデルト兵は不敵に笑っている。そろそろ元気を取り戻して欲しい海軍連中はまだ冴えない。

「ほいそこ、レスリャジン騎兵連隊長トクバザル! 今朝の取れたて新鮮情報を報告しろ」

「はい。そこそこの量の建築資材を運んでいる五千規模の敵部隊が五以上、横に広く間隔を取って南進していることが確認されています。その隙間を埋めるように騎兵隊が三千規模で八以上。後方に予備兵力が待機しており、五万近い騎兵が即応体勢にあります。それから非戦闘員の労働者も前哨、補給基地を建設しながら前進して勢力圏を拡張中です。それに街道建設に沿岸砲台建設も順調なようです……詳しい水周りのことは海軍さんに。前日の報告と状況はさほど変わりません。順調に敵は勢力範囲を南に押してきています」

 西岸要塞を喪失し、圧力が無くなったせいで奴等は好き勝手……スラーギィは奴等の物だったか。

 偵察情報通りに侵攻路の舗装も順調となれば、本格侵攻も近いんだろうな。

「というわけで今から攻撃するぞ」

 分かりやすくも、人間の兵達からは、何言ってんだテメェ! みたいな顔が見える。まあそりゃそうかな、マトラの森に腰を置いたのは昨日のことで、それまで歩き通しだ。

「セリン提督、ここで糞垂れる仕事は終わりだ。攻撃するぞ」

「誰に向かって口から下痢垂れてんのよこら。お前等支度だ、殺すぞ!」

 親方がそう言えば不満顔をしていられない海軍連中が雄叫びを上げ、それに負けてられない兵士も気勢を上げる。何より、大多数の妖精達がいつものようにはしゃぐ。

 作戦は既にセリンと練ってある。思いつきのように攻撃するぞと言ったのは、勢いだ。


■■■


 海軍はダルプロ川から、陽動を兼ねて建設途中の沿岸砲台を中心に複数個所へ攻撃する。セリンが音の魔術を炸裂させて敵を混乱させ、そこへ海軍歩兵と海兵隊が、河川艦隊からの援護射撃を受けつつ上陸攻撃という段取り。

 海軍が安全な川から巣を突き、騒がせ、その隙に陸側からこちらが攻撃を仕掛けるのだ。

 軍を前進させ、前哨基地建設に来る敵部隊とその周辺部隊に打撃を加える。

 こちら陸兵は補充兵と最低限の守備兵は残し、五万の兵力で、持ち物は最低限にして、速力重視で前進。

 行き先はレスリャジン騎兵に先導してもらって進む。目標は建築資材を運ぶ敵部隊が理想。

 進む途中に何度か敵の斥候を視認したと報告が、当然入る。盲ごっこをするような間抜けなイスハシルくんではなかろう。

 歩兵中心の、馬車を大量に引っ張っているその敵部隊五千が本隊から視認出来る距離に入る。その五千に、左右から敵騎兵隊が三つ、九千で駆けつけてきた状態で相対する。

 敵は戦力分散の愚を犯したといえる。報告にあった戦力を集中していれば、我々は野戦で十万以上の敵兵力に対峙してしまい、大損害を被っていたはずだ。

 端数を合わせても一万五千程度の敵軍は、散々今まで敗北を喫してきており、士気は低く、その証拠に、小細工すらせずにこちらの五万の威容を見て直ぐに逃げ出した。イスハシルの魔性とやらは、既に無人の野を進ませるのがやっとであるか? 組織が崩壊していないだけ合格点と見るべきか?

 追撃戦に移ってすぐさまに騎兵突撃、と考えがちだがそれはしない。レスリャジン騎兵を筆頭にウズウズしているようだが、ダメです。

 こちらに尻向けて馬を突っ込んで欲しそうにしている敵軍一万五千だが、歩兵はともかく、騎兵はほとんどがアッジャール騎兵である。遊牧民お得意の、偽装撤退からの敵軍誘引、包囲殲滅という戦法で痛手を負う可能性がある。こちらの騎兵のみでアッジャール騎兵九千には適わないし、伏兵の可能性も考慮すればやはり出せない。

 騎兵には側面防御を命令する。命令違反は銃殺刑と念押し。

 竜の斥候に周囲の安全確認をさせる。

 足腰の強い者達を選抜し、長距離射撃に適した小銃を装備する散兵は先に前進させる。

 歩兵達には連隊単位で前進させるように命令を出す。騎兵による伏撃があることを注意勧告することも忘れず。

 敵は建築資材などは捨てて逃げる。アッジャール騎兵は既に、味方を――異民族相手にそんな感慨があるかは別――見捨てて彼方へ行ってしまった。ハッキリとは聞き取れないが、怨嗟の声が敵方から聞こえる。

 足の速い散兵が逃げる敵歩兵の背中に銃弾を撃ち込んで倒す。また、最期の足掻きをしようとする敵兵を狙撃して始末。

 人間、何時までも全力で走って逃げられるわけもなく、持久力に優れた妖精達に追いつかれ、銃剣で刺されるか、銃床で殴られるか、蹴られるかで倒れて踏み潰される。

 竜の斥候から周囲の安全を確認したと報告を受けて、それから騎兵達に追撃命令を出して残存兵を狩らせる。

 降伏した者は大勢いたが、捕虜として価値は無いので不具にして、一箇所にまとめて放置することに決定。噂は広がっているだろうに、未だに自発的な捕虜が発生している。博打狂いどもめ。

 建築資材をぶん捕る余裕は無いので、不具者の目印としての焚き火の燃料にする。

 これで敵の士気はまた落ちるだろう。残虐な行為に怒り心頭、士気が上がるなんて時期はとっくの昔に過ぎている。侵略されているのならこれで家族を守ろうと決死の覚悟が沸くかもしれないが、嫌々見知らぬ土地に投入されている兵士にとってはいかなるものか?

 お土産に、周辺には地雷を敷設しておく。決死の老人兵が起爆要員として待機。志願者が多くて困るぐらいなので良心も明後日へ。これで味方を助けに来た、放置された武器や物資を回収しに来る敵兵を吹っ飛ばす。

 悪辣と評されそうでウズウズする。良くも、悪くも。

 こちらのこのような妨害攻撃と敵の前進、建設速度のどちらが早いか? それは勿論敵の前進、建設速度だろう。森の外に出せる兵力はセリンと合わせての六万が精一杯。老人、少年兵は体力に劣って鈍足だ。自爆する老人兵は馬車で連れて来たぐらいだ。

 こんな攻撃は嫌がらせにしかならないかもしれないが、絶え間ない出血で敵国の総力を削ぐことこそが未来の勝利を約束するはずだ。

 撤退命令を出す。


■■■


 敵撃破後の撤退は速やかに、妨害はほぼ受けずに完了した。

 敵三千の騎兵隊が追いかけて来たこともあったが、手に負える規模ではないと悟って距離を直ぐに離してしまった。他の騎兵隊と連携が取れているわけではなさそうで、応援を待ったり、牽制攻撃を仕掛けたり、進路妨害をするような行動は取らなかった。無能め。

 懸念であった五万近い敵の予備騎兵も何処へ行ったのやら? 予備が予備のままにされてしまったようだ。

 敵の対応がこんなにも間抜けなのは、ダルプロ川から海軍が各沿岸砲台以外にも、数箇所、敵の基地に圧力をかけられる場所に陽動攻撃を仕掛けたからだろう。予定通り、気持ちが良い。

 セリンという最高の切り込み魔族がいるお陰で襲撃が派手に、そして確実に成功しているはずだ。今まで海軍歩兵とメフィドが頑張ってきた比ではない戦果を挙げているはずだ。

 嫌がらせ目的の攻撃、奇襲は敵が戦力を集中させるべき位置の把握をさせないことが重要。敵の本隊とまともにぶつかって互いに派手に出血することを避けつつ、血を吸い逃げする蚊のように振舞うのだ。

 ダルプロ川を利用した海軍の陽動作戦は非常に有効と肌で実感できる。こちらは攻撃も撤退も成功させた事実がそれを物語る。

 現場は目の前のことしか基本的に分からない。遠方で指揮を取る人物には敵からの攻撃に時間差があっても、それが短期間に別の場所で複数に行われると同時多発に思えてしまい、敵兵力の過大評価に繋がりやすい。そのように敵指揮官が頭の中で手間取っている内に、予備兵力を何処に差し向けるのかが正解か悩んでいる内に、正確な現状を把握される前に撤退を完了させるのだ。

 便利な竜の伝令から、海軍による沿岸砲台の破壊に、それからの撤退成功の報告を受ける。こちらも敵部隊撃破と撤退成功の報告を送る。

 こうした小競り合いをしながら季節が進む。


■■■


「あー悔しい!」

 将官宿舎は小奇麗な庭付きで、外で気持ちよく食事ができるように屋外家具も揃っている。

 秋になってマトラの森の木々も葉が赤、黄に色づいてきており、中々に風流である。おまけに川のせせらぎに小鳥のさえずり付き。

 セリンが地団駄を踏む。それから椅子を蹴っ飛ばして粉砕する。

 オルフ軍の行動を妨害するように小突いて回った夏も過ぎたが、遂に状況が変わった。

 中州要塞の対岸に強固な沿岸砲台が建設され、敵の攻城重砲の砲撃にさらされたので放棄せざるを得なくなった。大地という不沈艦にしっかり据え付けられた大砲同士の殴り合いとは言え、面積も兵力も物資供給能力も勝る方には負けた。中州要塞を守ってきた河川艦隊もこれにはお手上げで、退却を余儀なくされた。

「仇は百倍返しにしてやる! 女子供から先に殺してやる!」

 セリンが手近な、観賞用の花が咲く木に刀で切りかかる。刃が根元から折れてすっ飛んで――給仕の水兵の帽子を薄切りにし――からも柄で殴り続けて削っていく。

 かなり頑張ってオルフ軍が海洋に出すような軍艦をダルプロ川に出してきたことも要因。この川に慣れた河川艦隊が奮闘して勝利を得たが、損害は無視できない規模であった。セリンが現場にいたというのにだ。

 馬野郎に海賊が水上で戦略的敗北だなんて超だっせー、マジウケる、部下の命を捧げた冗談お疲れ様ですぅ、と言ったら色々あった後にセリンがアクファルやラシージと殺し合いになりそうなので、喉まで出かかったが止めた。

「アッジャール人の妊婦に賞金を掛ける。おい秘書官、経理に言って予算を都合しろ。戦意高揚目的ならわざわざ軍務省の許可はいらないでしょ、すぐやれ」

「前線に妊婦なんていませんよ」

「じゃあ敵本土に突っ込んで獲って来らせる。これからの戦果は首じゃなくて女と分かる腸で勘定しろ。戦果の無い奴は給料無し、腹を裂いて子宮を抉る程度も出来ないタマ無しに用無し」

「無茶言わんで下さい」

 セリンは「ぬがぁ!」と叫び、さっきまで殴っていた木を髪の触手で引き倒す。

 倒れた木に茂った枝葉が庭に溢れてモシャモシャした感じになって落ち着かなくなる。

 敵が大量の火薬を積んだ焼き討ち船による自爆攻撃を成功させたこともあるが、何より沿岸砲台。何万もの守備兵が、魔術使いも配置された不死身を思わす不沈の沿岸砲台が河川艦隊に勝った。水戦強者の、水棲系の系譜を持つ魔族セリンがいても、熟練の河川艦隊がいてもその物量には勝てなかった。所詮は川で海じゃなかったか。両棲類とはいえ、所詮は陸に上がった海軍だ。

 以上の経過によりダルプロ川の放棄を決意。

「奴等の捕虜はいないの!? 我慢出来ないぃ……!」

 セリンは歯軋りギリギリバキバキ。石でも砕いているのか?

「グルツァラザツク将軍が全部目の玉抉ったりして帰しましたよ」

 セリンの秘書官、お前、弾除けに名前を出すんじゃないよ。

「一匹くらい」

 セリンの大音響魔術が発動「残しとけ!」の圧力で罪の無い秘書官が吹っ飛んで気絶。森が衝撃でざわめき立ち、周囲の者達の鼓膜も痛めつけ、上から鳥が落ちてくる。

 喪失したダルプロ川の源流、支流をセルチェス川に向けて解放させるための命令文書を書き終えた。落ちてきた鳥の下処理をしようとするアクファルにそれは止めさせて、文書を渡し、伝令にマトラ山の工兵達へ送らせるように指示。聴覚が麻痺していたので身振り手振りでやってみたが、流石のアクファルは直ぐに要領を得て出発。

 ダルプロ川を枯れさせるか小川にして、敵に船を使わせないようにするのだ。川に対して行う焦土戦術。戦史に載りそうだなぁ、と思ったりするが、どうだろう?

「ちょっと旦那」

 しばらくしてから。聴覚が復活した頃、気を落ち着かせた”風”のセリンが肩をちょんちょん突いてくる。これだけなら可愛いものだ。

「あのジェルダナっておばはん私に貸しなさいよ。ちゃんと……返すから」

「ダメよん、マジ無理んこ、断固拒否しますん」

「ナメ腐れた返事垂れてんじゃねぇよ!」

 セリンに胸倉を掴んで揺さぶられ、勝手に口から「あばばば」と声が出てくる。

 迎撃はともかく、攻撃作戦が難しくなってしまった。それが悔しい。流石にオルフ王領に殴り込むのは無理だとは思っていたが、妨害行動すら無理となるととっても悔しい。作業妨害の奇襲以外にも、色々やれば良かった。

 ペトリュク南部沼沢地帯こそ敵の強力な防壁であって、そこを突破する道こそがダルプロ川だった。スラーギィで敵戦力を野戦撃破して、ペトリュクへダルプロ川を伝って突入……は夢想。

 夢想はともかく、ダルプロ川経由の作戦が実行不可能となる。このままマトラの森に殴り込んで来るのを待つだけ? そんなことは認められない。

 そろそろセリンに揺さぶられている頭が破裂しそうだ。

 おっぱいを指で突っついて、中途半端に乙女なセリンが驚いた隙を突いて離れる。

「ラシージ、指揮官集合」

「はい」

 指揮官集合と聞き、八つ当たり先を失ったセリンが唸って手を引く。よろしい。

 将官宿舎の会議室に面子が集まる。ウラグマ代理は最初からいた。セリンはメフィドの鱗肌をカリカリ掻いている。メフィドは爬虫類的無表情。トクバザルは干し肉をくちゃくちゃ噛んでいる。ラシージは黒板を前に作戦図等を描く準備を完了。ミザレジは……速記の準備をしているように見えるが、はて。シルヴは無表情なようで、片眉だけ曲げているので、呼んだからには何も無かったじゃないだろうな? と言っている。

「一撃離脱。夜襲が理想。足の遅い部隊を小突いて、殺して、焼いて、不具にして放置。道案内はレスリャジンの兵だな、行き帰りよろしく。オルフ軍も相当にマトラの森の近くまで何かしてきているので道程は短い。さっと行ってパパっと殺してとっとと逃げる。意見は?」

 少数精鋭で景気づけに夜襲でもしようという提案。軍事作戦というよりは行楽とか狩猟のノリなのだが。

「賛成! 海軍は大賛成。あの目ん玉抉って腕潰して金玉ももぐんだっけ? あれやる。人も馬も全部やってやらぁ。雌は腹裂いて子宮取ったらぁ!」

「そうか頑張れ」

 セリンは顔にいつもの明るさが戻ってやる気十分。魔族の夜襲なんて流石の自分でも死ねる気分が出来る。

「提督に同じです」

「分かりました」

 メフィドはまあ、海軍歩兵が海軍に意見できることもないか。

「戦闘には参加させてもらえねぇんですか?」

 トクバザルが不満げに言う。

「松明を棍棒にするほど切羽詰ってないからな。先導役だけ、言うこと聞きなさい」

「あいよ」

 レスリャジン騎兵から不満の声が上がっているのは事実。その内容が敵に突っ込ませろっていうのが大半……いやほとんど……ああ全部だ。あれの系譜に連なってるなんて納得できてしまう。

「敵の追撃を考慮した抵抗線を後方に構築した方が撤退が確実になります。人員を出す許可を」

「お前が思った通りにしてくれ」

 ラシージが黒板に無駄なく簡潔に図と説明を描き込んでいる。ともすれば血の臭いがする程度の雑談だけなのに、もう既に立派な作戦図になっているのは、全く”ならでは”か。

「我が市民達の戦意は旺盛である」

 無視。

「アソリウス軍はどうかな? 大砲引っ張っていくわけじゃないから、留守番してても飯は出すけど」

「部下は後方の抵抗線で寝させとくわ。私は出る」

「そうしよう、お手手も繋いでな」

 素敵な仲間と敵を殺せる。ましてや今まで知らなかった妹さえいる。幸せだなぁ。

「作戦の性格を考慮して、攻撃部隊は全員騎乗。替えの馬を管理する部隊も欲しいな。代理、奴隷騎兵を貸して下さい、馬の面倒を見させたいです」

「いいよ」

「ラシージは帰り道の舗装だな」

「はい」

「後は各自、馬が得意なのを四百ずつくらいか? 任せる。一人でも十分に把握できる頭数を連れて来るように。見栄張ってバカみたいに大人数でくるなよ。それから民兵は不要だ、森を守ってろ」

 落書きなのか速記文字なのか不明だが、鉛筆が踊りのたくった跡が見える紙からミザレジがゆっくりと顔を上げる。

「致し方なし」


■■■


 指示通りに各自、各部隊が集結。攻撃部隊は千五百程度と小さくまとまり、馬を世話する奴隷騎兵が五百がお供につき、先導役にレスリャジン騎兵が五百、撤退支援部隊が二万に、マトラの森北部で即応態勢を取っている部隊が三万。度重なるこちらの嫌がらせ攻撃に対応してか、敵は戦力を良く集中させるように最近はなっている様子。ダルプロ川を失い、陸路で逃げることを最優先にさせてしまうとこうなってしまう。

 しみったれていてもしょうがないので、レスリャジン騎兵を先導にしてスラーギィの草原へ出発。

 トクバザルの肩を馬上で叩く。

「道に迷うなよ」

「誰に言っとるかこのクソガキャ……ああっと失礼……ああいいクソ、ナメたこと抜かすなこん馬鹿野郎。テメェの庭で迷うアホがどこにいる?」

 従兄弟のユーギトが「そうそう」と言う。

「おめぇは大遠征かました数、数えやがれ!」

 トクバザルがユーギトの肩に馬上から蹴りを入れる。放牧して迷って歩いたことだろうな。

 シルヴに近寄る。

「シルヴ、ちょっと一緒に乗ろう。やっぱりシルヴの後ろかな? 密着しちゃうけどしょうがないよね」

 馬をもっと寄せる。手の平で頬をぐにゅうっと押されて拒否される。

 どうしようか迷ったが、やっぱり連れて来たアクファル。関係的には一番保護しないといけないレスリャジンの者であるが、一番危険に晒している者である。他の連中から嫉妬されているかもしれない。

「どうだ? 撤退路は整備するがそこそこだし、夜襲だけど敵陣に突っ込んじまう。ちょっと今までよりも死にやすいぞ?」

「騎兵とはそういうものだと聞いております」

「そうだな」

 トクバザルの伯父さんよ、どう育てた? 最高じゃないか。イスハシルぐらいじゃないとやれないぞ、これは。

 機嫌を直したセリンは、武器というには少々苦しい、出刃包丁を手に、時折刃を空にかざしてルンルン気分の様子。

「おおセリン提督、お馬にもお乗りになれるんですね」

「何よそのアホみたいな質問」

「俺の後ろに乗るか? それとも前か?」

「うるさいバカ……今乗れるわけないでしょ」

 照れ隠しに髪の触手で作った拳でポンっと小突かれる。

 これが普通の人間だったらな、どうしたもんかね。


■■■


 抵抗線構築のために行軍を中断する。

「頼んだ」

「はい」

 ラシージに工事は任せ、食事とうんこ休憩を行う。

 調子の悪い馬を交換し。撤退支援部隊と分離して攻撃部隊、奴隷騎兵は前進する。

 先行させたレスリャジン騎兵と偵察隊が敵基地の位置を確認してきた。

 夜襲というだけに、日が没した後に敵基地に接近するよう調整する。敵の斥候から隠れつつ、その時間に間に合うように動く。斥候狩りが上手くいけばいいが、まあ失敗して敵が厳戒態勢になったらなったで攻撃するかどうか判断する。攻撃しなくても敵に緊張を強いるだけでも効果は十分だ。

 要塞攻撃だということで、ラシージみたいなのが敵方にいると仮定してみた。我々は堅固な要塞を前に攻撃を諦めて後退する……いや、それでも押し通る! と、そんな風に強気に出て地雷に吹っ飛ばされてしまう。うわぁ、そんな奴相手に戦いたくねぇなぁおい。


■■■


 夜も更けて、攻撃発起位置につく。

 標的の基地は要塞として建造途中にあり、防御が弱い部分に兵力を集中配置している、と偵察の報告にあった。基地を照らす篝火と弱い月明かりがその通りだと言っている。

 まずは馬から降りる。次に固定具付きの馬用耳栓を嵌める。これでも馬が逃げたり、発狂死したら奴隷騎兵の馬頼り。馬無しの帰り道は面倒な距離だ。

 こちら人間も、コルク栓を加工した耳栓を嵌め、手の平で耳を強く塞ぎ、口を開ける。

 セリンは馬を降り、やや前進。髪の触手を円形に展開……後ろ側への防音壁? まだかまだかと間抜け面で待っていたら……空気が体に刺さった!?

 音という音ではなかった。老竜タルマーヒラに咆えかけられたことを思い出した。

 それからウネッグネッという感じの妙な調子が続いてそれも考えるのも嫌になってきた。吐き気が来そうになって、スッとそれが引いた気がしたら、鼻と目から血が出そうになる。耳は何だ、死んだか?

 セリンの髪の触手が垂れ下がり、魔術が終わったことが分かった。耳で判定する次元を越えているので目で判断。

 いつのまにか尻餅を突いていたので立ち上がる。味方を見渡せば、立って踏ん張っていたのは肌が真っ白になっているシルヴぐらい。馬は全て泡を吹いて痙攣しているか、痙攣すらしていないか。兵士にもそのような者がいる。想定以上の被害だ。

「アクファル!」

 と喋ったつもりだが声に出たか? しゃがみ込んでいるアクファルの肩に手を置いて揺する。その手を掴まれ、退けられる。立ち上がったその顔、鼻から血が垂れている。それから刀を抜いて肩に担いだので戦意は十分らしい。

 刀を抜き、切っ先を天に向けてユルユルと回す。野郎ども注目、の意である。

 刀を振り下ろして前進、こうしたらもう味方には背と尻しか見せないのが自分の中の決まりなので振り向かない。

 走る、発揮できた力に満足そうにしているセリンを追い越す。

 敵基地は混乱状態、なんて生易しい状況に無かった。耳を抑えて倒れているようなお上品な敵はおらず、暴れ回って体がねじくれ、首から上の全ての穴から出血している死に様だ。距離だけなら敵よりこちら側の方が何百倍も近かったのだが、この有様だとあの円形になった髪の触手には随分と遮蔽効果があったようだ。

 基地内部に踏み入る。いかにも建設途中の建設現場。大きさや種類ごとに分けられた材木がそこら中。中途半端な基礎工事。あとは苦しんでやはり体が捻子くれるほど暴れまわった後が見える変な体勢の敵がそこら中。宿舎の天幕も倒れて、グチャグチャになった布越しに人の形と血痕が見える。

 基地内の物資の集積具合が相当な規模にあり、大攻勢の予感がする。収穫ありだ。

 しかしこの状況、セリンの護衛役以外に必要だったかこれ?

 とりあえず転がっていた松明で燃えそうな物に火をつけて回る。

 耳は馬鹿なままだ。追いついた味方の兵達が死に損ないの目を抉って手を潰して回る。

 襲撃は成功だが、気合が空回りだこれは。かと言ってこの持て余した気合をどこかへ向けよう、予定外の戦果を求めていっちょ次の目標へ攻撃を仕掛けよう、とすると途端に足下を掬われる。この作戦はこの一撃を行う以上のことは想定していない。馬鹿なことはしないものだ。

 さてセリンだが、痒くもなさそうな頭を掻きながら基地を見回している。予定以上に魔術を強烈に放ってしまったか? アッジャールの女の腹を掻っ捌くだなんだと騒いでいたのだから、とりあえずは敵の男を惨殺して回ってキャーキャー叫ばれたかっただろうに、拍子抜けなはずだ。相手が寝たきりだらけじゃ金玉もいで遊ぶのも興醒めだろうな。

 とにかく焼ける物は焼き、不具者に出来る者はして、異常を察した敵軍が駆けつける前に撤退する。


■■■


 帰り道も、血を見ることが無かった先導するレスリャジン騎兵が先導する。

 失った味方の兵と馬の数と、敵に与えた損害を勘案すれば圧勝であるが、味方に損害を与えたのがセリンのみである事実には、まあ、あー、しょうがない。陸に上がったセリンに期待を寄せるのも変な話だ。ありゃ海洋生物なのだ、たぶん。どっかが乾いてヘロヘロになっているんだろう。

 ということで馬で、落ち込んでトボトボ馬を進めるセリンを軽快に一周する。

「ほっほほーい、ほいほいほーい。魚が陸でビチビチ跳ねる音って凄いんだなぁ、俺ビックリしちゃったよぉ」

 セリンはブチキレて、何やら聞き取れない叫び声を上げながら追いかけて来るので逃げる。余裕で距離を取って逃げる。安全距離と考えるとかなり距離を取らないといけない。引き離す、もっと引き離す、セリンの馬は露骨にキレる乗り手にビビって息も乱れてドンドン脚を鈍らせる。馬の敏感さも知らない浜辺のお嬢様め。酷い酷い。

 トクバザルが馬を寄せてきて、刀をわずかに抜き刺してチンチン鳴らす。

「そろそろ飽きたぜ」

 今まで敗残兵狩りぐらいはやってきただろ、と言いそうになったが、そういうことじゃないのは分かっている。

「まあ、機会があったらな」

「そいつぁいつだ?」

「知るか。あぁそうだ、オルフ軍の攻撃準備状況を探ってきてくれ。数字も具体的に上げて、時間かけていい」

「この野郎」

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