第27話「花嫁選び」 イスハシル
我々は花嫁候補が未だ全員集まっていないのでスラーギィの要塞に留まっている。
ここの長老達の会議が持つ連絡組織が脆弱だとは分かっているが、気に入る入らないで言えば勿論気に入らない。本当に評価されているほどここのセレード遊牧民は、その中でも武勇に秀でていると評判のレスリャジン氏族は優秀なのか? あのアクファルの武芸のように個人技なら凄いが、それ以外はお粗末な連中なのではないか? その昔はセレード王国軍であった彼らだが、非正規戦や略奪だけを担当するような、軍服を着ただけの馬賊だったのではないか? 本当にそうならばシビリが早々に見切りなりつけて喋ってくると思うのだが、そのようなことをにおわす発言も無い。ただひたすら結婚相手の調整を要塞の長老達と話し合っている。それ以外では結婚後彼らにどんな役目を果たして貰うかを話している。
父、黒鉄の狼イディルに認められ、今ではアッジャールの実質二番目の実力者、黄金の羊シビリ。居並ぶ王子なんて指先であしらえる存在だ。ペトリュクの主などとされているが、そのペトリュクの将来を大きく左右する話にそこの主は除外され、黄金の羊の頭一つで処理がされていく。今更それを惨めに思う子供ではないし、有能な指導者一人に何もかも采配させる時代でも規模でもないことは分かっているが、この、年老いてからではないと独立も出来ないような狭苦しさは何だ? 一人前の男になれるのは寿命が尽きる寸前か? それか、命を捨てる覚悟で親父の首を取った時か? 正に王子、ガキだ。自分で何もできない。やろうとしていない。
この要塞は川の中州を一杯に使っているのでそこそこ広い。人も馬も家畜も多くいて、ゴミは川に流せばいいので結構清潔。そしてここはスラーギィ地方の物流の拠点になっている。川のそれこそ真ん中にあるので船の往来がある……とは言っても一人で操船できるような小舟だが。
こちらの武力を前に、属領となることを相手も納得している空気が要塞内で感じられる。アッジャールというだけで末端の兵士も格上に扱われている。それから怒りでもない諦めたような顔も見られ、そしてある種の高揚感も感じる。大した力もない現状で、女を差し出すとはいえ正式な結婚という形で大勢力の一翼になれるというのは権力志向者にとっての幸運。良い方向に転がることを祈る。
人目の多いこの要塞で寝泊りしているのだからここの人間と交流がある。
柵で仕切るわけにも、箱に詰めておくことも出来ないので先に来た花嫁候補達と配下の交流も始まっている。期待と不安混じりでいきなり打ち解けあうようなことはなかった。しかし少し時間が経てば気に入った者を射止めようとこちらの男とあちらの女が浮ついた空気の中で騒ぎ出す。意中の相手と結婚できないこともあるので慎重ではあるが、そういうことを気にしない性分の者はどこにもいる。男女は関係なく、ただ友達になっている者も少なくない。面倒事にならないように花嫁候補の保護者が常に見張りについてはいるが配下にもイリヤスの女好きにも、物事が決着するまで馬鹿をするなと釘を刺した。馬鹿をしたら釘を刺してやる。
イリヤスが「先に手を出しとかないとお前に全部持っていかれちまう」と言ったら皆が笑っていた。それは、気に食わないが半分は冗談ではない。
控えていたが、暗がりに潜み続けるのも気分が滅入るので自分が外へ顔を出した時から他の配下など埒外に、自分を見ようと花嫁候補達が大騒ぎをしだした。空気が嫌な方向に一変した。それからまた人目につかないようにしていたのだが、自分が誰と結婚するのかという話題で盛り上がっていると噂を耳にした。気分が悪い。それを引っ繰り返す力も権限も無い。更に気分が悪い。
この要塞には暇つぶしをするような場所が無い。強いてそういう場所があると言えば市場となっているが、しょせんは田舎なので見て暇を潰せるような品揃えはない。
あのアクファルという女は見かけない。配下からの噂も無い。候補の中にいないのか? いやに気になる。
イライラしながら、女達の目に触れないように寝室で何度やったか分からない武具の手入れをしているとシビリが訪ねてきた。
「殿下、んー、ご機嫌は斜めですね、はい。もう少し待って下さいね。このスラーギィ、人は少ないですが結構広大らしいんですよ。もしかしたらオルフの領域と同じくらい。少なくとも半分? そんな感じ」
「そうか」
声音に不満も隠さずに言うと、隣に座って肩をくっつけてくる。これで機嫌が直ると思っているのか?
「あなたの目と声の魔術のせいでおかしな空気になっているのは分かっているし、それで気分悪いのも分かるけども、レスリャジン氏族の面子が揃うまで待ってて下さいね。結婚以外にも、した後の統治の協力方法の調整があるから手が抜けないの。私が作った方策をそのまま飲み込めるほどに理屈で固まった異常な頭をしているわけじゃないから話し合いがどうしてもいるんです。分かって」
「それくらい分かってる」
これで機嫌が直るのだ、自分は。これは情けないのか?
「出来る範囲で良いお嫁さん見つけるから待ってて。その魔術のせいで相手が信用できないのは分かるけど、跡継ぎがいないなんて論外ですからね。私に早く子供を見せなさい。殿下の子供だったら男なら男前で、女なら絶対美人なんだから。今から楽しみにしてるのよ」
「気が早い」
魔性と呼ばれる自分の目と声。目を見た者、声を聞いた者は簡単に自分に惚れ込む魔術がかかっている。女と男色には特に効果があり、普通の男でも付き従いたくなるようだ。使いようによっては”傾国”になるとんでもない魔術だが、自分の意志と無関係なのが辛い。今のような状況なら尚更無用だ。惚れさせたくもない相手が惚れてくるのだ。彼女達の夫になる配下に申し訳ない。
そして欠点がある。欠点があって良かったとも思っているが、親兄弟やシビリ、オダルやイリヤスのような特別な関係の人間には効力がほとんど無いことだ……あっても無くても変わりが無いだけかもしれないが。それから以前に父が外交の場で使えないか試したことはあるが、一国の指導者、一軍を率いる将軍のようなそういった強固な意志を持っている人間――ただのお飾りか地位だけでのし上がったような者は除く――には効き目がない、かほんのわずかで取るに足らない。使い所は何なんだ? 女遊びに興じる気も無いのに。
他人の心を揺さぶるというのに、自分の心はどうにもならない。
「出る」
「ん? 何処に?」
「遠乗り」
「気をつけて下さいね。暗殺者とか」
「ああ」
馬を連れて桟橋へ行く。その様子を見てイリヤスを始め、護衛もついてきた。
要塞の渡し舟の係もここに留まるのは遊牧民にはキツいと分かっているので嫌な顔をしないで出してくれた。
目的も無く走り回る。放牧される羊や山羊、馬に牛の群れに目が行きつつする。放牧する者に手を上げて挨拶をしつつ顔を見るがアクファルはいない。
アクファルは他の女と違う。あの便利だが自分でも気味が悪い魔術に影響された感じが全くしなかった。それ以外に、あれは単純に生き物として強いと感じた。
この身分で長い時間外をフラつくのまずいので日没の兆候が見える前に要塞へ戻る。
ここでアクファルを捜していると言えば話は早いのだろうが、その娘が全く高貴ではなかったり、ここの者達からはみ出し者と扱われていたら面倒なことになる。そんなことを叩き潰せる能力は我々にはあるが、無用な争いはしないほうが良い……既婚者であるか、婚約者が決まっているか? ここの集まりには顔を出さないような家族の一人なのかもしれない。それなら諦めが……つくか? つきそうにない。このことを言ったらシビリが悲しむ? いや呆れるか。それは嫌だ。ただ内々に聞くのは別だろう、か?
夜になってからシビリの寝室を訪ねる。ロウソクに火を灯し、要塞の長老方と話し合った内容を書き取ったと思われる帳面を睨んでいる。
「いいか?」
「もしかして私を貰ってくれるんですか?」
どうして母国を出てから誰にも貰われなかったのか不思議な笑顔で返してきた。やはり、復讐を果たしてからは顔が変わった。
「父に言え」
「イディル様とはそういうアレじゃないんですよ。相手の能力を侮辱する感じが死ぬほど気持ち悪いんです、おそらく向こうもね。と、さてどうしましたかね?」
「ここに来て言い辛いはないな。アクファルという女は候補の中にいるか?」
「アクファルですね。珍しい名前ではないので二名おりますが」
「どんな娘か分かるか? 服は……着替えていたらどうしようもないな。目はまぶたが重たい感じに切れ長、あの十人殺しの女戦士だ。弓の弦の張りが強いから体はしっかりしている」
「例のあの女性ですね。なるほど、あーなる、なるほど。あーそうなの? えー、まー、うふふふふ! ホントに!? 嘘、いやー、ま、殿下が? 殿下が、あのイスハシルが? あっと、すみません。失礼しました」
「いい。そのアクファルか?」
「違いますね。レスリャジン氏族において武芸を良く仕込まれている女性とは、末端の雑兵と言って良い下層階級の者、死んでも捕まって売られてもいいような者です。私の知るアクファルはそうではない女性です。あの長老達から出ない名前の女には価値が認められていません。今回の婚約においては論外です」
それは父の言葉と同じ。
「第二夫人にするという手もありますが、第一夫人を迎えたばかりでは侮辱になることがありますし、時間を置いたとしても別の高貴な女性と結婚するのが筋であります。姉妹や双子、保護者を失った母娘など何らかの形で”組”になっていれば別ですが、無論そういった繋がりは期待できません。妻に高貴、下賎の違いを気にしない文化ならばまだよろしいのですが、アッジャール、セレードにオルフを加えてみてもその違いを気にする文化です。文化の呪いから逃れる方法は、私はそこから出るか滅ぼすかの二つしか知りません」
そして父の影が無くてもシビリの言葉は重い。
■■■
数日して花嫁候補が揃い、こちらと相手の目通りの順番や組み合わせが決まり、顔合わせが始まる。
決められた組み合わせで男女向かい合い、気に入った相手をこちらが指名するという方法。争いを防ぐため男は一人、すだれの陰に行く。一人で選ばせるのは勿論女の取り合いにならないようにするため。死人は出したくない。女の方はその向こう側で保護者同伴で並ぶ。並ぶのはその男と吊り合う格がある者だけ。誰が誰を決めたかは保護者にだけ知らせる。男の姿をすだれで見せないのは、彼女達で喧嘩にならないようにするため。
一番手は勿論自分だ。目の前に現れたのは、このレスリャジンの中では王子イスハシルに嫁がせるのに不足ない、厳選された血筋の女達ということになる。
あのアクファルの顔がチラつく。まったく目の前の、まあそれほどに悪くはない女達の顔が気に入らない。
この中に意志の強い者がいないか確かめるためにすだれを上げてこちらの顔を見せる。女と保護者からも息を飲むような、抑えた悲鳴のような声すら上がる。それは偽物の感情だというのにその昂りよう、反吐が出る。まったく何だお前等の下品な顔は? 見とれてだらしない。こんな魔術ごときに心を下されて、それを顔に出す誇りも品性も無い奴等。保護者も揃って、いい歳した男が何だ?
魔性の美少年と言われてきた。自覚はある。ただそれをあんな面で評価されるのが昔から気に入らない。
アクファル、彼女は完全にこちらを見ても冷めていた。こちらの軍勢を前にして平気な顔で戦利品の馬を持っていった。十人を瞬く間に殺したというのに冷静で、羊が散ったと。
ダメだ、これは決まらない。しかし決めねばならない。シビリが見ている。
恋ではなく、ただ外交の相手と考えろ。ならば分かりやすく一番身形の良い、それもこちらの真正面に分かりやすくいる女を選ぶことになる。そういう意味だろう、間違いない。指差して選ぶと相手は喜びすぎて失神しそうになって何とか持ち応えた。他の女は力が抜け、泣きさえした。拍手が鳴る、下らない。
その分かりやすい女がこちらを見てくる。目を合わせると更に……クソ、だらしない顔をするな! 自制を強くしなければ初夜にくびり殺しそうだ。
婚約がなった後、他の者達の顔合わせがされた。シビリが長老達と調整したおかげか問題も起きず、速やかに全員終えた。
終えた後、気分を誤魔化そうとまた武具の整備をしようと思ったが、刃物を扱ったら手を切るのではないか考えが巡り、寝ることにした。そして寝付けるわけでもなく、また遠乗りに行こうと思ったが、そろそろ要塞を出るのだから止めた。
そのように悶々としている、シビリが訪ねてきた。なだめすかしに来たか。
「婚約者の名前はフルンです。レスリャジン氏族の各分派の長老達を束ねる本家の長老、その長男の四女で、三女までは嫁いでいるので未婚女性の中では最も高貴であります」
「そういう飾りに配置だったものな。分かりやすくて良かったよ」
「怒らないでくださいよ。愛人だったらいくらで作れるじゃないですか」
フルンだったか? 思い出しても顔は歳相応に美人だったと思うが、アクファルとは根底から格が違う。
「その内諦めるから出てってくれ」
「もう」
■■■
日取りやどのような形で結婚式を挙げるのかも、結納金はどうして家族の世話はどうする、とそれぞれでの話し合いも一日かけて終り、引き上げる用意が始まった。結婚の準備が相当忙しいので互いにここでのんびりしている暇は無い。こちらはペトリュクの問題もある。長居し過ぎなのだ。
自分と結婚相手フルンの親との話し合いは既にシビリが済ませてあるので、自分は何もしていない。本当に、母親より母親だ、全く。
出発前に自分の馬に水を飲ませていると、普段は話しかけてこないような下の兵士がやってきた。
「殿下、あの十人殺しの女が市場に来てますよ」
「話があるから足止めしておいてくれ。イスハシルの名を使って必ずだ」
「はいっ!」
結婚を申し出ると瞬時に決めた。
書類を分類して籠に詰めているシビリの腕を引き、人気の無いところへ連れて行く。
「どうしたの?」
当然ひと悶着するだろうからシビリに相談するしかない。直接自分が言って即決できればいいのだが、アッジャールの王子とは黄金の羊より立場は下だ。
「あのアクファルが今要塞にいる。変更だ」
「変更? そう、うん……」
シビリは勿論苦い顔をする。
「まだフルンとは婚約の段階です。結婚式は挙げていないし、勿論出産どころか妊娠もしていない。手すら触っていないですね? そこが破棄を出来る論拠になります。まだ互いの都合が合わなくなったというだけになりますから。ただ勿論、相手と家族を侮辱したとして禍根が残ります。公の場で指名したのだから尚更残ります。我等アッジャールのご機嫌伺いの側面もあるので長老達は反論しないでしょう。フルンの親も力関係に正常な判断が出来れば歯を食いしばって頷くはずですし、結婚相手としてあのアクファルを呼ばなかったのは不誠実であると抗議を含めれば相手側は反論不可能になります。慣例として高貴な者を集めたのであって、わざわざ指定したわけではありませんので。しかしそれは不誠実と言われても仕方がありません。そういう状況です」
頭に血が上る。
「スラーギィを間接的に統治するのはペトリュクのイスハシル、自分だ。シビリではない。懸念はやはり既婚かどうかだが、離婚させる手もある。あの若さだからしていない可能性が高いと思うが、どうか?」
シビリは黙ったままだ……しまった、言い過ぎたか。
「少し、お時間を頂きますよ。相談してきます」
シビリは長老達がいる会議場へ向かった。
言うだけ言って、後はシビリ任せだ。自分が馬鹿に思えてくる。
要塞の柵を蹴っ飛ばして、その辺にあった箱の上に座る。イリヤスが何事かとやってきたが無視する。酒の入った皮袋だけ手渡され、飲み干す。
少ししてシビリが戻ってきた。
「婚約は破棄されませんでした」
感情のままに立ち上がったが「が」とシビリが言葉を続けた。
「あのアクファルとの婚約が優先されます。彼女との婚約が不成立になった時にフルンと結婚するという約束です。全てこちらに都合良く話をつけました」
普通そんなことに短時間で納得する高貴な者などいない。相談しに行ったのではなく、下知しに行ったのか。
「長老達が名前からどこの誰かを拾い上げるのに苦労するぐらい身分は低いのです、あのアクファルは。それと彼女は結婚しておりません。あとは相手の了承を取るだけです」
ここでアクファルに暗殺の可能性が浮上だ。アクファルに何かあったら仕返しをすると暗に言っておく必要がある。
「それから、婚約が成らなかった場合は約束通りに結婚するが、その過程に問題があった場合は相応の行動を取らせてもらうことがある、と言っておきました。軽々しく排除しに行くことはないでしょう。さ、待ってますよ」
シビリに笑顔で背中を叩かれた。完全に敵わない。
走って市場に向かう。引き止められていたアクファルは馬の側に立って待っていた。鞍に下げた袋の中から伸びる作りかけの帯を手に、細かい刺繍を入れている。気分を誤魔化すためにそんな細かな手作業を出来るものか。やはり彼女だ。
こちらに気づき、手を止めて帯をしまう。待たせてしまった。
「すまない、待たせた」
「問題ありませんイスハシル様。ご用件を」
何と簡潔に喋る。これから婚約を申し出るんだぞ?
イリヤスに感謝か? 多少酔いが回っているおかげで口が滑らかに動きそうだ。飲んでいなかったらみっともない喋り方になっていただろう。
「私と結婚して欲しい」
申し出ると、アクファルは全く表情も崩さず一言、
「家長が判断することです」
と言い切る。驚きもしない。
「義理の父は伯父のトクバザルと言います。今の季節はここから南、アラザン村近くで放牧していますのでそちらをお尋ね下さい」
今までの熱が一気に下がるようなやり取りだった。それを侮辱だと食って掛かりそうになった兵士の肩を強く掴む。
「それが道理だ。そのようにする」
「はい」
それでは、とアクファルは礼をしてから去った。
■■■
義理の父トクバザルを探しに行く伝令と、連絡用の伝令を置いて我々はシストフシェへ予定通り戻ることになった。これらの段取りもシビリがつけた。
シビリ無しでもやっていけるように将来なれるのか?
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