第2話「戦後」 シルヴ
石像の方が人間らしい……そう思う程微動だにしない。ヴィルキレク王子の執務室の前には、そんな長身の黒人奴隷が立っていた。
魔神代理領帰りを象徴するようだ。遠征先で手に入れた逸品珍品を自慢するのは昔からの話。この忠誠と自身が同義の黒人奴隷はその最たるものだろう。飾り気の無い奴隷官僚の服を着て、半月刀を腰に下げ、黒い肌に浮かぶ白い目で見下ろしてくる。
「お名前は」
抑揚が無く、本当に石像が話しているような太い声だ。石像の声なんて聞いたこともないが。
「シルヴ・ベラスコイ陸軍少佐」
「伺っております」
そして機械仕掛けのように黒人奴隷は執務室の扉を開ける。魔術士官用のつば広帽を脱いで左小脇に抱える。
「入ります」
入室すると音らしい音も無く扉は締められる。
部屋の中はこの国の国是のごとく質実剛健。装飾無し、実用品のみ。図書館の奥にある資料室みたいだ。
部屋の主、ヴィルキレク王子は机に並べた資料を見比べながら、ノートに何やら書き込んでいる最中。こちらは机の前で踵を合わせて気をつけの姿勢を取る。
「シルヴ・ベラスコイ陸軍少佐、参上しました」
うんともすんとも言わず、ヴィルキレク王子は筆を止めず、書き終えて鼻息を吹いてから立ち上がる。
王子に会うということでエデルト軍の色である青の軍服を正装規定通りに着ている。一方ヴィルキレク王子は、ボタンがいくつか外れたシャツ、裾を捲ったズボン、裸足にサンダルという姿。まるで先祖帰りでもしたかのように斧一本で敵に突っ込むという噂を証明するよう、それ相応の筋肉と傷跡が見える。
「楽に。これを見ろ」
気をつけの姿勢を解く。ヴィルキレク王子の後ろ、こちらの向かい側の壁に丸めて吊るしてある巨大な地図が下ろされる。見たことの無い種類の地図だった。国境ではなく、地方毎に細かく区分けがされている。分厚い布製のようで、国境線を示すのは明るい緑や赤の糸で後から簡単に針を通された物と分かる。範囲は北大陸の西半から南大陸の北半である。全世界ではないが、我々が認識できる世界の限界のように思えた。
「世界を半征服する心算ですか?」
「半征服とは夢のある話だな。半々が努力と幸運の限界だろう」
自分が始めたとはいえ、何の話になるのか不安になってきた。
ヴィルキレク王子はこちらに振り返る。目元が暗く、髭が短く伸びている。ロクに寝てなさそうだ。
「口さがない者達がいる。まるで戦死が不名誉だと言わんばかりだ。いつから我が国の者は男まで夢見るうら若き処女のようになってしまったのか。それとも分かっていて我が弟リシェルを利用しているのか、どちらにせよ下らん。そんな下らない汚名をあの戦いで君達が被ってしまった」
ヴィルキレク王子は暗い目元を何度も揉み始める。
「特にベルリク……あー、グルツァラザツクという男か、まだ長かったな。ともかく憎悪の的になってしまったのは残念に思う。あの軍事法廷では頭が痛くなった」
終戦後でしかも指示によってリシェル王子が酷い姿……敵の竜に殴られて潰れ死んだとあっては口を閉じていられない者は多い。軍事法廷では罵声に嫌味に皮肉が飛んだ。傍聴席にいて、戦場もマトモに知らんクソッタレどもにその一片でも見せてやろうかと何度席を立ちかけたことか。
「首は斬らせんように手を回したが、無罪まではあの空気で難しかった。母上が激昂するのと倒れるのとの順番を入れ替えてくれれば良かったのだが。まあ繋がったのは良かった」
その件では拍子抜けはしたが、無罪ではない。王子殺しの名前は一生ついて回ることに変わりはない。
「軍人が、不本意だが、汚名を返上するには功績を上げるしかない。しかし今我が国は平時だ。軍は金食い虫と忌み嫌われ、国内に留まってもせいぜい身内で足の引っ張り合いをやるだけだ。そこでシルヴ・ベラスコイ少佐、君をアソリウス島騎士団へ軍事顧問として派遣したい。名の通りに彼等はアソリウス島とその周辺海域を根拠地とする。魔神代理領とは目と鼻の先だ」
ヴィルキレク王子は地図を指差し、
「そこは、我がエデルトを出港して北大陸をぐるりと西に回って南下……」
航路をなぞり始める。
「中大洋に入り、魔神代理領へ直接買いつけに行く航路においては無視できない位置にある」
北大陸南部、神聖教会圏と魔神代理領の境目より少し南の洋上にある島で指が止まる。
「外国商人から法外な値段で南の物産を買うのは癪だ。また値段が上がり始めているしな。港の提供の見返りに我々の戦争を教えてやるのだ。それで港を守ってもらう。武器はこちらから順次送る。お前は連中を玩具に次に備えろ」
次とは、次のエデルトの戦争か。この王子は一つのことで幾つもの問題を解決してしまうようだ。
「優秀な君はここにいては腐ってしまう。それか火薬みたいに弾けてしまいそうだ。随行させたい者がいれば好きに連れて行くといい。何か質問はあるかな?」
「では失礼ですが、非の打ち所が無くて逆に心配です」
「確かに都合が良すぎたかな。単純に考えてくれ、私も仲間が欲しいのだ。そして、魔術専攻課程では君と一緒だったな。個人的な友情もある。無かったか?」
あった。
「それに、没落したとはいえまだまだ君はセレードの大貴族、忠臣と呼ばれたベラスコイ家の者だ。今回大いに荒廃したセレードでは不満が高ぶっている。そこで君が冷や飯を食わされているなどという話が出ると面倒が起きやすい。そして竜殺しの英雄シルヴが、更に活躍して凱旋してくれたら良い事がありそう、だと思うだろう。どうかな?」
これで断れる人間は、捻くれた反政府主義者ぐらいなものか。
「お受け致します」
「結構。第一便に乗るなら聖エレンゼリカ号、出港は五日後だ。次は十日後、その次からは三十日間隔だ。あまり遅れて欲しくはないが、無理をして第一便に乗る必要は無い。都合に合わせろ」
「はい」
「それと現地に着いてからの連絡は私を通して行うように。軍部宛てに郵便物を送ると海外派遣を渋ってる連中が面倒を起こしかねない」
「分かりました。私的な物も含めてですか?」
「そうしてもいい。今まで通りに送ると無作法をする者がいるだろう。先例もある、嘆かわしい」
「分かりました。以上で?」
「うむ、そうだな、下がってよろしい」
もう一度踵を合わせ、気をつけの姿勢を取る。そして回れ右をすると、扉が待ち構えていたかのように開く。陰のような黒人奴隷の横を通りすぎる。
身支度はすぐに出来る。家族に手紙を書いて送るのも今日、明日でいい。随行させたい者と連絡を取って、了承を得て、そいつらの準備が整うにどのくらいかかるかだ。
まずは苦楽を供にした砲兵隊。それと勿論名誉砲兵隊員であるベルリクだ。最近の奴はフラついているらしいから、官舎に手紙を置いてくることから始めよう。
■■■
次の日、夕方前。冬最後の湿った雪が降る。雪を掻く老人が腰に手を当てて唸っている
魔術士官のつば広帽には精神集中を目的にした帽垂布がついていて、下ろせば耳まで隠せる。後頭部回りが暖かいので冬場には良い。
近道に住宅街を通り抜けているが、道の脇に積み上げられた雪のせいで道幅が狭い。雪を被った馬糞を踏まないように歩く。落ちて割れたつららがつま先に当たる。
そして肩が触れそうな道幅では避けられない通行人との擦れ違い。ジロジロ見てくる。高級将校がこんな所にいるのが場違いだと言わんばかり。それならいいが、どう見ても堅気じゃない奴の時は自然と短刀に手が伸びる。夏場はもう少し開放的なのだが、この雪が悪い。白いならまだ許せるが、糞尿で汚れてる。
足の無い物乞いが、そりに乗って棒切れで漕いで近寄ってくる。逃げ道は雪に潰されている。
「少佐殿、少佐殿。この哀れな上等兵にお恵みを」
よく見ればボロボロの汚い服は我が軍の青い色で、階級章は確かに上等兵。一つ間違えばこうなるのは自分だろうか。足が止まる、止めないほうが良かったか。
「所属は?」
「はい、ニルガルズ連隊です」
「最後に戦ったのは?」
物乞いは言葉に詰まり、唇が震え始める。
「私はヴィデフト市の防衛が最後だ。終戦から三日経ってたが、かなり殺してやったぞ」
物乞いは雪で顔を洗い始める。泣き顔を誤魔化している。
「アルノ・ククラナ」
アルノ・ククラナ伯領はセレード王国領内にある。国王率いる主力軍が遠征の中、隙を突いて魔神代理領が侵攻して来た場所で、勿論のこと激戦地だ。正規軍の戦いもさることながら、ククラナ人は女子供までも非正規戦に動員して苛烈な抵抗を行った。当然、対抗措置として虐殺のようなことは起きている。
財布から一クルーレ銀貨を出して手渡す。
「長かったな」
物乞いが両手で銀貨を握って顔に押し付けて大声で泣き始める。あまり長居をしても他の物乞いが寄ってくるので立ち去る。
戦後、一番変わったのは街の声だろうか? 大声で怒鳴っているのだからよく聞こえる。
「専制政治は寿命を迎えている。王侯貴族だけのお飾り議会に理性は無い、いや人間らしい感情がない。それを証明するのは先の大戦だ。我々には何の関わり合いも無かった戦争に巻き込まれ、多くの国民が死んだ。我々一般市民に主権が無ければ今後何度でもそのような悲劇が待っている。平和を愛するならば、我々一般市民が政治を行うべきだ! 農民に漁民よ、労働者に商人よ、そして兵士達よ……」
甲高い笛が鳴ってその声が遮られる。
棍棒を持った警官隊が押し寄せ、聴衆を掻き分け、時に殴り倒し、演説をしていた者を殴り倒してから何度も蹴る。騎馬警官もかけつけ、騎兵銃を空に向けて威嚇射撃をし「解散しろ!」と怒鳴る。
最近この国、むしろ世界を騒がせている共和革命派だ。北方の幾つもの島国では共和革命が成功し、旧支配者層は皆殺しにされたと聞く。関わっても良いことが無いので足を早める。
街路には鳥かごのような檻に裸で入れられている罪人。寒さで手足の指が黒く腐っていて虫の息。息はしているが目線はあの世にいっている。罪状が書かれた吊るし札には”国家騒乱罪”とある。あの演説していた者もおそらくこうなるだろう。
港に面し、来航者を出迎える海の勇者の像が見えてくる。圧政に苦しむ古エデルトの地を海の勇者が救うという伝説がこの地にある。後に勇者の子孫が聖皇からアルギヴェン姓を賜り、戴冠され、アルギヴェン朝エデルト王国を建国した時に伝説が終って歴史が始まる。セレード人にはどうでもいい話。
港湾区画に入ると住宅街にあった胸糞の悪い空気が消える。道幅は広いし、大抵は仕事を持ってる人間ばかりだから余計なことをしないし考えない。
待ち合わせの店へ向かう。基地内の士官クラブにしようかと思ったが、余計な口出しをしてくる馬鹿がいそうなのでこの港湾地区にある店にした。その玄関前で財布を握って中の量を確かめる。いくら入っているか分かってはいるがそう多くはない。
軍では平時で任に就いていない者の給料は半分とされている。代わりに副業が認められていて、金持ちの子供相手に数学でも教えようと思っていた。
店に入る。年季の入った分厚い木製の椅子にテーブルにカウンター。店内の樽や箱からも潮のにおいがしてきそうだ。客も大体は船員か港湾労働者。店の親父の「いらっしゃい」の声も潮でしゃがれた声だ。
店内を見渡せば軍服を着ているので一目で分かった。ベルリクの対面に座る。
長ったらしい奴の名はベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン。家計図を辿るのが面倒な程度に遠縁であるグルツァラザツク家の長男。カラバザルとは遊牧系の名前で、レスリャジンとは母親の氏族名だ。
子供の頃は男兄弟が多かったので男に混じって遊ぶのが常で、ベルリクも時々その中にいた。年下だったのでからかっていたことは覚えている。エデルトによるセレード併合時の混乱で一時疎遠になったが士官学校で同期生として再会。
いつも目は鋭く輝いて血色が良いどころか色々噴き出してそうな奴だった。士官学校の教官が説いていた、常に攻勢を維持する士官の見本のようだった。電撃のようにやってきては恐ろしい衝撃を与える遊牧戦士の血が混じっていることを確信できる面構えだった。地獄の消耗戦でも疲れた様子も見せない頭がイカれた奴だった。
それが今は、
「何でそんなしみったれてんのよ。年寄りみたいな面してるぞ」
「そうか」
二十歳は一気に老け込んだように見える。髭の剃り方もいい加減だ、軍服も皺が目立つ。髪型も整えていない。深酒したように酒臭い。それと拳に軽いが新しい傷がある。
「待った?」
「何時もの逆くらいだな」
自分だけ合点がいく話し方をする奴だったか?
これが今のベルリク。わずかに生き残った同期の友人でさえ今は近寄らなくなっていると聞く。何て言葉を吐いたかまでは聞いていないが、聞いたらたぶん殴るか蹴るか頭突きを食らわしたくなるはずだ。
店の子にはビールとワインと一番強いのを一杯ずつと肉適当に焼いて玉ねぎを油で揚げるように頼む。
ベルリクは俯いてビールを飲む、というかちょびちょび舐めてる。空き瓶何本も並べてるくせに、景気良く飲めば怒られるとでも思っているのか?
まず酒が三種到着。一番強いのを一気飲み、口から喉に胃に行って腸まで熱くなる。それからビールも一気飲み、さっぱりして肉が食いたくなる。口を手で押えて静かにゲップ。
「金、困ってるでしょ」
「大丈夫だ。借りるほどじゃねぇよ」
「給料減って大して金を使わない私が首捻りそうになってるのに、飲んだくれてるあんたが困ってない?」
「おお、困ってねぇな。困るぐらいなら強盗でもやるよ。馬鹿集めりゃ何でもやれるさ」
「博打」
ベルリクは咽てビールを吐き出す。咳が止まるまで待ってやる。
「次も勝てるとか、思ってるわけ?」
「へっ、命も賭けたことのねぇ奴等に負けるかよ」
やっとこちらに目を合わせる。少し輝きを取り戻したようで、まだ腐ってる。
「止めなさい。あんたが賭けるのは小便臭いはした金じゃないでしょ。それに負けて借金になったら、どうするの?」
肉と玉ねぎが到着。肉を切り分け、ベルリクも食べられるよう皿をテーブルの真ん中に寄せる。揚げた玉ねぎを食べる、油の温度はちゃんと管理しているようだ。
「借金ってのは、回収出来なきゃ借金じゃねぇんだよ」
たまねぎを食べる。返事をベルリクが待つ。食べ終わり、魔術で最低限の強さの風をベルリクの目に放つ。目を激しく閉じて顔を横に向ける。
「自分は馬鹿で恥ずかしい事を言ってますって、素直に言える気がしてない?」
ベルリクは目をシパシパさせながら唸り、遠慮がちに肉を食べ始める。
「ヴィルキレク殿下、知ってるでしょ」
「この国で知らねぇ奴がいるか?」
「首をつなげてくれたそうよ」
「物好きだな。で、何かしろって? 女装して股広げれば良いのか?」
ベルリクの頭にゴツンと拳骨を食らわせる。周りの客が思わず首を動かす程度には鳴った。
「ヴィルキレク殿下の命で軍事顧問として派遣されることになったの」
「そりゃ良かったな。無事出世してくれりゃ俺も、うん、あれだ……」
頭をさすりながらも、やっと笑った顔を見せた。野郎の機嫌取りなんて苦手なのに。
「一緒に来る?」
優しい声音を出して鼻をちょんちょん突く。ベルリクが指に焦点を合わせて寄り目になる。
共に死線を潜り抜けてきた。お家のいざこざが絡まない分、親より気が許せる。実力も信頼できる。副官にするならベルリク以外は考えられない。
「何だ結婚でもしてくれんのか?」
何のつもりの冗談か、冗談めかして笑ってるようで顔が苦々しい。
「アホ抜かせバカたれ、ふざけんなハゲ」
「優しいシルシルならしてくれると思ったのになー」
胸倉を掴んで引き寄せる。
「呆けぬかせ、誰がシルシルだ糞野郎。ヴィルキレク殿下の覚えも良くなるし、エデルト離れて名誉回復。言う事あんの?」
そして真顔に戻りやがる。
「断る。話デカくしなくていいよ。お前の経歴どうなるかわかんねぇんだぞ」
それが本音か、その一部か。心配されてる奴が人の心配とは生意気な。
手を離し、自分の顔を指差す。
「嫌い?」
無理して女らしさを出してみる。
「そんなわけねぇよ」
疲れたように答えるだけ。
ベロベロに酔わせてぶん殴って縛って拉致する計画を考えてみる。結構派手に抵抗しそうだな。
お互い確かに何度も死に掛けたが、何度も釣り餌になったベルリクの心労は自分の比ではないだろう。それに加え、あんなに頑張ったのにクソッタレ共は散々口から糞垂れて……休んだ方がいいのか?
「ならいい、他当たるわ」
席を立つ。ワインを一気飲み。クソ不味い。
「ああ、行き先は……」
と言おうとしたらベルリクが手を振って遮る。
「そう。じゃあね、ゆっくり休みなさい」
代金を置いて立ち去る。店を出る際にもう一度ベルリクを見ると、鼻を抑えて動こうとしなかった。
*作中の■■■の行間は、時間経過や場面転換を意味します。
時系列は逆行することはありません。視点が切り替わっても逆行することはありません。
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