5.3

 普段より早めに朝食を済ませたレナは、すでに格納庫へ向けて歩を進めていた。

 右舷の廊下は、長く直線的な構造をしている。全長280メートルにも及ぶ機動艦<フィリテ・リエラ>の縁へ沿うように設けられた、一直線のスペースである。艦の進行方向に対して前方には艦橋ブリッジ、そして後方には物資を詰め込んだ倉庫区画があって、カバーリングが為された蛍光灯が床と天井に一定間隔で埋め込まれており、それらは両者ともに廊下を照らしていた。

 彼女が目指しているのは、艦橋と倉庫に挟まれた中間にある格納庫だ。

 廊下を仕切っている扉の前に立つと、スキャン部分が彼女を認識してロックが閉鎖から解除へ切り替わり、静穏式の隔壁がサッと開く。

 細い脚が廊下の繋ぎ目を踏み越え、次の区画へ進んだ。

 やがてオフホワイトの壁が終わり、右側に見えたのはガラス窓だ。その向こうにあるのは、四階ぶんが吹き抜けの構造となっている大型の整備格納庫である。この通路があるのはちょうど二階に相当する高度で、上には二階ぶん、下には一階ぶんにわたって格納庫の空間が広がっているのが分かる。

 ふと足を止めると、レナはガラス窓に息がかかるくらいの距離で顔を近づけた。

 コンクリートによって四方を囲まれた広大なフロアである。壁や床、天井には大型の照明器具が設置されており、全方位にわたって光を照らしている。

 そして広大な床には一つの影があった。人型機動兵器――アーマード・アウトフレームである。鉄格子で組まれた拘束具に背面をガッチリ固定され、整備班はその周辺で作業を行っていた。

 キャットウォークの片方に立った機体へ目を向ける。

 明るい赤とブラッドオレンジを足して2で割ったような朱色ヴァーミリオンレッドの装甲をした、全高およそ16メートルの機動兵器だ。一対の眼や、角のように伸びたアンテナ部、鋭角的なフォルムはこれまでの量産機とは大きく異なっていて、きっと装備の性能も飛躍しているのだろう。<アクトラントクランツ>という名前を受けた最新鋭の機体は、その背面部に大きくせり出した翼のようなものが見て取れる。灰褐色のそれは、関節部が細かく折れ曲がっていて、翼というよりも鳥類骨格と評した方が近いかも知れない。

「あたしの新しい機体……」

 アクト、ラント……クランツ。

 口の中で飴玉のように言葉を転がすと、レナは自身の躰を浅く抱いた。

 あれに乗ったら、自分は再び戦場に出て戦わなくてはならない。

 戦うのは怖い、とレナは思う。誰だってそうだ。戦うのは怖いに決まっている。もう一度だけ自分に言い聞かせる。

 だけど、それ以上にもっと怖いことがあるとレナは思う。

 何もしないまま誰も守れずに、仲間や友達、そして家族が失われていくのを見ている方がもっと怖い。誰かが泣いているの見て、知らぬ振りをして通り過ぎるのは容易い。だけどレナ・アーウィンという人間はそういう生き方を許してくれないのだ。

 不器用だと言われれば、たしかにそうかも知れない。人付き合いは決して巧くないし、終始笑顔を振り撒いていられるほど愛想も良くない。

 息で白く曇った窓をこぶしで拭いて、

「今度は、ちゃんと守れるように……」

 何もかも守ってみせる。

 そのためにならレナは何度だって戦うことができる。たとえどれだけの痛みが伴っても――。

 エントランス部分を抜けて階段を降りていくと、キョウノミヤは<アクトラントクランツ>の足元にノートPCを広げて作業に没頭していた。また白衣姿である。LANポートから伸びたケーブルが途中で数本に分岐して、さらに延長ケーブルを伸ばして機体の各部位に接続している。接続された箇所は機体の脚部に二本、腕部に二本、そしてコクピット部に五本だ。

 レナは作業場まで辿り着くと、

「キョウノミヤさん?」

「んー、待ってね。もうすぐ作業終わるから」

 彼女は高速でキーを叩き、チッと舌打ちしてから再び鍵盤を連打。

 上で作業していたメンバーに声を掛けるとPCの蓋を閉じ、ふぅと溜息。

 レナは隣に座った。

「終わったんですか?」

「ちょうどね。もう<アクト>の機能を全開放したから、きっと最高性能の状態で使えると思うわ。動かして大丈夫と言いたいところなんだけど、さすがに今は……ね。他の機体の整備も終わってないし、疲れてる人も多いわ。実戦形式での演習は無理かも」

「まだ敵も動いていないようですし。それに、民間人を乗せたまま戦闘するわけにはいきませんから」

「悪いわね」

 キョウノミヤは表情を曇らせ、格納庫の隅へ目をやった。

 第六施設島の一件があってから、<フィリテ・リエラ>は一般市民を預かったままの状態だ。艦内へ収容できた人もいるが、入りきらなかった人たちは格納庫に小さなスペースを作って、そこに集団で避難している。模擬戦などにかまけている余裕はない。

「あの人たちは今後どうなるんですか? みんな帰る場所をなくしちゃって……」

「本艦はフィリピン諸島に寄港するわ。そのタイミングで艦を降りてもらうしかないわね。もちろん食料や衣服、寝る場所とかは向こうが提供してくれるらしいから、少なくともこんな場所より安心していられると思うわ」

「そうですか。たしかにそれは安心なんですけど、やっぱり……」

 レナは避難民を一瞥すると視線を戻した。

 元の場所に帰してあげたい、という願望はレナにもある。否、ほかのクルーも同じような面持ちだろう。自分が生活していた場所に戻れないのは可哀想だ。いろいろな戦場を転々と過ごしてきたレナとは勝手が違うし、可能ならば元の場所へ帰らせてあげたい。

 キョウノミヤも視線を落とした。

「急なことだったから仕方ないとは思うわ。でも私たちは割り切って進まなければならない。時間は物事は解決しないのよ」

 キョウノミヤは再びノートPCを広げた。スリープ状態からの起動は早い。

 画面に出現したのは<アクトラントクランツ>の詳細情報プロパティだ。どうやら機体の性能スペックを教えようとしているらしい――とじたレナは、食い入って画面を見つめた。

「これが統一連合の誇る最新鋭の機体フレーム、UEX-E26<アクトラントクランツ>。貴女が新しく駆ることになる機体」

 彼女は誇らしげに機体番号と名称を告げ、逆にレナは感嘆の息をついた。

 数値的なスペックを見るに、以前の機体の数倍にも及ぶ機動性能がある。特に突飛なのは火力で、その能力は前駆機の十数倍にも届く勢いである。

 ブーストの出力や、バランサーの性能、それまでのスピードやパワーなどを遥かに圧倒する数値だ。まさに最強のAOFといっても過言ではない。蓄えておけるエネルギーの容量も多く、なるべく長時間の戦闘にも耐えられるような仕組みであり――さらに驚くべきは、<アクト>の内部核にはエネルギーを生産するシステムが内蔵されていることだ。

 ――つまり、理論的には無限大の時間を戦い続けていられる。

「どう? 驚いたかしら。これが今のオーバードテクノロジーなのよ」

 キョウノミヤの発した問いに、レナはぎくしゃくと首を頷かせた。

 超越した科学技術オーバード・テクノロジーといえば、レナも聞き慣れない単語ではなかった。

 統合国家統一連合機構――世界を政治/経済/軍事的に完全に統一し、争いのない恒久の平和を作るという理想を描く計画が提唱された段階で、それと同時に宣言されたのが科学技術の集約であった。世界各地で散らばった状態のまま研究されていた分野を統合するのが目的で、いくつもの研究機関が独自の研究を加速させたのだ。

 それにより科学は圧倒的な進歩を遂げることに成功した。AOFの進化もその産物といえるだろう。

 わずか6年前まで、人形機動兵器アーマード・アウトフレームは実弾を撃つだけの歩行兵器だった。それがやがてビーム兵器を有し、飛行能力を持って量産ラインへ乗り、そしてつい先日には最新鋭機まで登場したわけだから。これは急速な進歩以外の何物でもない。いつ読んだ本だったか忘れてしまったけれど、科学技術の進歩は50年をサイクルに発生するらしい。そのサイクルと比較すれば、AOFの技術進化は圧倒的なスピードだと分かる。

 レナは端末を渡され、ページを順番にスライドしていく。

 背面の鳥類骨格のような装備は、どうやらスラスターと同じような役割を担っているらしい。つまりブースト展開中において左右の動きを司る部位だ――と見ていると、どうやらそれだけに留まらない、ということが分かって、レナはページ送りの手を止めた。

 が、ページにはそれ以降の記述は無かった。キョウノミヤがしげしげと眺めてくる。

背面装備リアウェポンのことね」

「気になったんですけど細かい記述がなくて」

「そうね。わざとマニュアルには書かなかったの」

「――え? それは……」

 レナが問うと、キョウノミヤは顎を上げて、まるで愛おしいものでも眺めるように<アクト>を見上げる。

 娘を見つめる母みたいな視線だ、と思った。

 私はね、という切り出しを聞いて、レナは弾かれたようにキョウノミヤの横顔を仰ぐ。

「私達は、パイロットの感情に応答するシステムを作り上げたのよ」

 彼女は白衣のポケットに手を突っ込んだ。

「戦闘中は脳にアドレナリンが補給され続けるから、操縦主は覚醒状態へ近い状態にある。実際には覚醒中のヒトの意識には2段階の状態が存在するの。貴女の意識がその上位段階に達したとき、きっと猛威をふるってくれる力だと思うわ。そのシステム――つまり第二形態セカンドフォルテを使った後、きっと貴女は戦闘のことをぼんやりとしか覚えていない。脳の記憶領域が外部信号を受け付けなくなるからね、だから説明を省いたの。だって意味ないでしょ?」

「はぁ、そう……ですか。実際に戦う側としては不安がありますけど。第二形態セカンドフォルテ、ですか?」

「誤解はしないでね。危害を与えるような凶悪なものではないから。あなたにとって強い力となるはずだわ」

 そういうものか……と、レナは一抹の不安を覚えながら端末を元の画面へ戻した。

 覚醒状態と簡単に言われると理解に苦しむが、レナは何度か似たような経験を味わったことがある。戦闘中、アドレナリンの供給が過多になりすぎた結果、自分の意識がまるで鋭利な日本刀か凍ったナイフのように研ぎ澄まされる感覚だ。視界が突然クリアになり、遥か遠くから戦場を見渡せるようになる。弾の1つ1つの軌跡から、敵の装甲表面にある傷まで鮮烈に"視える"ようになるのだ。

(あの感覚……自分が自分で無くなるような)

 レナは首を振ると、視点を端末へと戻した。もうひとつだけ眺めておきたいページがあったのだ。それは同時に開発されたハズの<オルウェントクランツ>である。

 全体の性能スペックを比較すると、機動性の項を除けば深紅の機体アクトラントクランツの方が能力は高い。漆黒の機体オルウェントクランツの火力や装甲など、その数値は<アクト>のそれよりも一回りくらい劣っている。たしかに機動性は圧倒的だが、それ以外の項目では全て<アクト>の方が勝っている。

 見ていると、キョウノミヤは横から言葉を付け加えた。

「<オルウェントクランツ>には強力なセキュリティロックをかけておいたわ。たぶん全ての機能を解放しきれていないから、実質的に弱体化している可能性が高い。もちろん戦ってみなければ分からないけれど」

 キョウノミヤは鼻高々だったが、レナはそのようになれなかった。

 あの敵パイロットを思うだけで、胸の央には焦がれるような想いが突き上がってくる。機体の性能は差し置いて、現時点で最強の素質を持っている操縦主は間違いなく『アイツ』なのだから。当然のこと油断は大敵だ。

 その様子を見たキョウノミヤがクス、と笑って、

「よっぽど勝ちたいのね、彼に」

「今までだって、散々アイツに苦しめられてきたんですから……負けてばっかりでしたし、大切な仲間も何人も失ってきました。だからアイツだけは、どうしてもあたしが討たなきゃいけないんです」

 レナはこぶしを強く握った。

 必ず仕留める。たとえ自分が犠牲になろうとも、アイツにだけは絶対に負けるわけにいかない。

 自分の邪魔になれば平然と仲間を犠牲にする奴らだ。そんな連中にいつまでも負けていられるもんか! ――と吼えたい衝動を抑えて、レナは奥歯を噛んだ。

 キョウノミヤは一瞬だけ瞑すると、「分かったわ」と言って大きく吐息。

「レナ・アーウィン。本時刻をもって、貴女を<フィリテ・リエラ>独立部隊の指揮官に任命します」

「え、あ……? って、えぇぇ!?」

「なに? 嫌なの?」

「無理ですって! あたし指揮なんて執ったことないし、それに……」

「それに?」

「ひ、人と話すのとか…あんまり得意じゃないし……」

「コミュ障ガチ勢ね」

「そんなんじゃありませんからー! もう! でも、指揮なんてあたしには無理ですって。言葉より先に手が出る人間ですよ?」

「私はそういうバカ嫌いじゃないけれど?」

 然り気無くさりげなくバカとか言ってくるよこの人……と頭を抱えていると、キョウノミヤはノートPCを畳んでケースへ仕舞い込んだ。

 立ち上がる。

「"彼" 、強いんでしょう? だったらそれなりの対策を心得ている貴女の存在は大きいわ。良い指揮官は、味方への損害をカバーできる人間よ。かつての伝説だけど、キャプテン・クックがそうであったように」

「でも、私は……」

「今後、本艦は彼と何度も交戦することになるわ。そのとき、また貴女の目の前で犠牲者が出るかも知れない。それでもいいの?」

 疼き。

 左の胸に閉じ込められた何かが急激に暴れだし、レナの細身を芯の部分から蝕んでくる。

 ――守れ。

 内側からの声。

 何度でも甦る光景は、高く積もったあの瓦礫の山と幼い頃の自分の姿だ。弱くて、何も出来なくて――

 ただ悔しかった。圧倒的な力を前にして、途方に暮れていた自分が。泣けば悲しみから逃れられると思っていたあの頃が。

 だから――

「やります。あたしが引き受けます」

 キッと面を上げ、レナは強く応えた。

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