5.2

 長い眠りから目が覚めると、やわらげな双丘がミオの目の前にあった。

 胸をはだけた衣服は女性用の制服だ。毎日のように見ていれば容易に分かる。

 窓から差し込んでくる陽射しに、ミオは思わず目を細めた。まるで闇の中から引き上げられるような気怠さに抗って、ミオは眠気を脱ぎ捨てる。

 眼前のそれを凝視。

 乱れた白のブラウスの隙間からのぞいた「それ」は少し汗ばんでいるようで、ホックは解かれている様子だった。色白できれい。形は丸くて、触ったら指が沈みそうに適度な大きさ。

 すぅ、と寝息が顔にかかる。

 見れば、同僚のレゼア・レクラムが気持ちよさそうな寝息を立てていた――ただし、自分の隣で。

 うわ、とベッドの中で器用に飛び上がりそうになって、ミオは危うく声を殺した。起こしたらマズい――と思ったが、彼の懸念は間に合わなかった。

 動く気配を感じ取ったレゼアは、静かに目を覚ますと安堵の笑顔を作ってみせる。

「ふふっ。おはよう」

「お、おは……」

 ガクガクした声でミオは応えた。

 彼女は目を瞬かせると、

「悪いな、昨日は作業が遅れてしまって。疲れたから少し休もうと思ったんだが……どうやらそのまま寝てしまったようだ」

「じ、自分の部屋で寝ればいいだろっ。なんで俺の部屋に入ってくるんだよ!」

「おまえの部屋の方がワークスペースから近いしな。ラクラクだ」

 そういう問題じゃねーだろ、とミオは前髪をグシャグシャにすると溜め息。

 当たり前の話ではあるが、居住区は基本的に男子と女子で部屋が分かれている。各居住区にはセキュリティ用の扉ゲートが設けられていたハズだったが、現在では男子用のそれは機能していない。扉を壊した犯人はいまだに不明で、廊下に設置された監視用カメラの映像にも偽造が施されるほど用意周到であったという。そのまま事件はお蔵入り、というわけだ。

 ――ちなみに扉を破壊した張本人はミオの目の前にいる。

 女を連れ込んでるなんてバレたら――と思うと、このまま丸くなって死にたい気持ちになる。

 レゼア・レクラムはたしかに美人だ。頭の回転も早いし、頼めばだいたいのことは何でも器用にこなしてくれる。

 ただし人間としては少しブッ飛んでいるが。

 やさしい翠色の瞳を見つめていると、レゼアは無言のまま両腕を伸ばし/少年へ向かって広げてみせた。

 まるで恋人同士のような仕草。寝起きのせいで思考が浮わついているためか、いつもなら嫌がるミオの頭は、吸い込まれるように左右の腕の中へ。

 柔らかい抱擁。レゼアは広げていた腕をそっと絡めると、少年の後頭部へ回した。

「――あたたかい」

 言うと、レゼアは無言のまま頷いてくれる。ミオは安心して目を閉じた。

 寝ているうちにかいた彼女の汗が、鼻孔を心地よく刺激してくる。女のひとの匂いだ――と思っていると、トクン、と小さな音が聴こえた。最初は気付かなかったその音は、しかし耳を澄ませば規則的に鳴っているのが分かる。

 彼女の心音だ。

 小さくて可愛い、それでいて強い胸の灯火の音。

(このまま眠ってしまいたい…)

 純粋に思った。

 ぎゅ、とパートナーの服の裾を握ると、まるで幼子のようになれる。過去へ戻ることが出来る。

 何もかも知らない、ずっと子供のままで居られたら。

(もしも、過去から成長していなければ――)

 思って、ミオは思考を制止した。それ以上は踏み込むな、と脳裏に声が反響する。

 起き上がると、レゼアが心配そうに顔を覗きこんでいた。

「大丈夫、大丈夫だから。あと谷間が危ういから隠せ」

 は、と吐息。

 頬に伝わっていたものを拭い去ると、ミオは再びベッドへ横向きになった。

「やっぱり、まだ思い出すか?」

「正確にパッと情景が浮かぶことはなくなった。けど、なんだか……俺にも良く分からない」

 表情を暗くするレゼアを、ミオは悪意のない笑みで一蹴してやった。

 時計を見ると、針は朝の8時を差すところだった。少し遅くなってしまったか――とレゼアは起き上がって、シャワールームの方へ向かう。

「午前中に、あの機体の解析を終わらせようと思ってる。パラメータ値の再設定をして、午後にパーツ交換を済ませたら、夕刻から模擬戦まで持っていければいいかな」

「任せっきりにしてしまって済まないな」

「ただ、解析の方は技術班に協力してもらったんだが……全然進まなかったんだ。深層の部分にあるパスに強いロックが掛けられていて、それが解けない。旧来のアルゴリズムに従って作業しているんだが……ところどころ原因不明のエラーが連発してしまって」

 彼女は扉の向こうへ入っていった。

 見ると、カーテンの手前には脱ぎ捨てられた肌着と…そして下着が放置されたままだ。

 ってかお前そこで脱いでたのかよ――とは言えず、ミオはベッドで横向きになったまま生唾をゴクリと飲み下した。

 部屋に満ちたのは、継続的に床を叩くシャワーの音だ。

 あの擦りガラスを隔てた向こう側には、一糸纏わぬ同僚の姿が――と思っただけで顔が火照ってくる。

 ――今ならバレない。

 悪意じみた声が頭の中で笑って、ミオは思わず首を横に振った。

 いや、べつに彼女の裸とかパンツとかを見てみたいワケじゃないし、決して「グッヘッヘ……覗いてやるか」といった下卑た思いを抱いているワケでもない。というか、むしろ長く共同生活を送っているせいで下着姿などは見慣れているし、別に嬉しくもなんともないし興奮もない。

 不意打ちのような声はシャワールームから届いた。

『一緒に入るかー?』

「は、入らねえよバカ! ッてかお前はなんで人の考えてることをあっさりと――、あー……その」

 言って、ミオは言葉が滑ったことを後悔。

 思わず口ごもっていると、謎めいた笑いは扉の向こう側から響いた。見れば、ガラス戸の影には細身な、しかし豊満な――もう面倒だから一語に訳すと「えろてぃっくな」レゼアの肢体が映っていた。どうやらバスタオルを巻き付けている途中らしい。

「なるほど。子供だったみーくんも、えっちなことを妄想するまで成長したワケか。お姉ちゃんは……………………………嬉しい!!」

「う、うわあああぁぁぁぁぁやめろおぉぉぉぉぉ――――――――!!!!!!」

 扉が思いっきり放たれ、バスタオル姿のレゼアが飛び込んでくる。

 後世に伝えられるかどうかは知らないが、「朝8時の悲劇」はこうして始まった。


 朝の時間帯の士官食堂は、基本的にいつも混雑している。

 100人程度が収まるスペースに艦内の150人が一同に会するワケだから、どうしても入れない「犠牲者」が少なからず出る。夕食ならば時間をズラしても一向に構わないのだが、朝だけはそうもいかないのだ。

 そして今回は、ミオとレゼアの2人が犠牲者となっていた。

「ふぅ…どうやら間に合わなかったらしいな。満員だ」

「誰のせいだよ」

「だから朝から性行為に励むべきじゃなかったんだ…」

「してねーだろ! あとメシ前にしかも真顔で深刻そうに言うのやめろ。誤解を受けるしメシが不味くなる」

 言い合う2人のプレートに乗っているのは、レゼアの分がバタートーストとトマトサラダ、ミオの分が御飯と味噌汁という案配だ。

 ミオは食堂の扉を外へ出ると休憩用のスペースに向かった。椅子には座れないものの、なんとか立ち食いなら出来ないことはない。ミオとレゼアの他にもあぶれた兵士が数人、テーブルの隅で黙々と食事を済ませていた。

 休憩室に並んでいた自販機で2人分の飲み物を買って、ミオはテーブルに戻った。

 手早く朝食を済ませる。

「さっき言ってたこと、もう一度だけ訊いてもいいか? 機体の解析についてだが、旧来の方法じゃ解けないって言ってたよな。詳しく教えてくれ」

 ん、あ――と紙パックに刺さったストローを吸って、レゼアは頷いてみせた。

 昨晩ミオが部屋に戻ったあとの話だ。すぐに技術部との打ち合わせを終えたレゼアは、急いで格納庫へと向かった。もちろん敵から奪取した<オルウェントクランツ>の解析を進めるためである。

 まず、機体の解析には二種類の方法がある。

 レゼアは人差し指と中指でV字を作って見せ、説明しはじめた。

 一つは機体の性能をハード的な面から評価する方法で、これは模擬戦や実戦を通してみて、その機体のブーストや耐久値、バランサーの挙動、スラスターの出力や兵器の性能、そしてロック距離などを確認する「ハード解析」だ。これによって機体の大まかな特性・性質そして強みや弱みなどを把握することができ、数値化したデータは今後の応用において新たな基準となる。

 一方で今回レゼアが行ったのは、プログラム的な面からの「ソフト解析」のことである。

 基本的にに機体の操縦というのは、すべての動きを操縦主パイロットがマニュアル操作で実行しているワケではない。機体のコンピュータにはOSS、いわゆるオペレーション・サポート・システムと呼ばれる膨大な量のプログラムが組まれており、操縦主の動きを参照値データを元にして支えている。たとえば脚部の細かな動き方や、滞空中におけるブーストの消費量、間接部の扱い、操縦の雑さや精密さ、そして「クセ」――など、各々の兵士に見合ったパラメータを参考にして、機体の性能を圧倒的なレベルにまで引き出している。

 ソフト面からの評価を行うためにはプログラムを解読しなければならないが、そこへ辿り着くには何重ものセキュリティの暗号鍵を突破しなくてはならない。

 レゼアはそこまでの説明を終えると、深々と溜め息した。

「私は機体に仕組まれた暗号を解こうとしていた。だがF層以降のパスコードが異常なんだ。旧来のアルゴリズム解法じゃ絶対に解けない。かといって量子暗号化されているワケでもない」

 どうしたものか……と彼女は再び嘆息して、組んだ両手の上に顎を乗せて考え込む。

 ソフト関連についてミオはあまり詳しくない――というか、ほとんど知識が無かった。

「悪いな、力になれなくて。俺が出来るのは操縦だけだから」

「10時からのパラメータ値再設定からは協力してくれ。それと夕刻の模擬演習も」

「分かった」

 言うと、ミオは手元にあったブリックパックに穴をあけ、中の液体を茶碗へ注ぐ。

 白米飯の入った容器が乳白色の液体で満たされていき、やがて海に囲まれた氷山みたいに埋没してしまった。

 それを見ていた同僚が「おぉ……、おぉ……」と表情を濁らせていき、最後には気持ち悪いものでも見るような目つきになる。

「おまえ……その食べ方いい加減に直らないのか」

「いや、普通に美味いぞ。これ」

 レゼアがうんざりとした声で言う。ミオは平然とした態度で返した。

「ちなみに今日は苺ヨーグルトでな」

「ああ、そう」

 会話は長く続かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る