6.1

 自分の好きなものを挙げろ――と言われると、たいていの人の反応は2種類に分けられる。日頃の行動から自分の趣味が思い浮かぶ人間と、もう一方は、考えても何も出てこなくて「読書」などと無難な答えを返す人間のどちらかだ。

 そう分類するならば、ミオは間違いなく後者の一人だった。ただし、彼の場合は「読書」の代わりに「散歩」の2文字が入るけれど。

 ミオは通路にいた。

 機動艦<オーガスタス>、右舷側にある細い廊下である。窓の外を見ると、いつもはきれいに輝いているはずの海面が、今日は機嫌悪そうにくすぶっていた。天気は良くない。

 ミオの唯一の趣味は散歩だった。

 上陸許可が降りれば必ずといっても良いほど外の街へ繰り出し、何も考えずにひたすら周辺を歩いて散策する。特に理由もなく、目的もなく、気の向くままに歩いて、それに飽きると元の場所へ戻ってくる。昔からそうだった。それ以外やることなんて無かったし、与えられた過酷な制限の中で出来る最大の自由は、目的なくフラフラしていることだった。

(……ヒマだな。戦争が始まったって、本当なんだろうか)

 海を航行していると、当然ではあるが外には出られない。甲板に出て時間を潰しても良かったが、あいにく天気は小雨になっていた。

 ミオは口元をへの字にして嘆息すると、左腕の時計を見た。

 同僚と約束した時間まで残り10分。少し早いが……と思いながら、ミオの足は格納庫ハンガーへ向かう。

 エントランスをくぐると、見えてきたのは全高16メートルもある漆黒の機体オルウェントクランツだ。その足元にはヘルメットを被った整備員たちが群がっていて、作業の最終打ち合わせを行っている。その中心にはレゼア・レクラムの姿があった。

 ミオが格納庫へ踏み入ると、まさにタイミングをはかったみたく礼をして、作業員たちは解散してしまう。口々に言葉を交わしながら、彼らはホールの反対側へと姿を消していった。

「お疲れさん」

 背後から話し掛けると、レゼアは振り返った。鼻のてっぺんが黒く汚れているのを見ると、自ら率先して作業に取り組んでいたのだろう。

 黄色いヘルメットをはずすと、彼女は額の汗を拭いながら、

「なんだ、早かったじゃないか」

「暇を持て余してしまってな。やることがなかったから――といっても、いま来たばかりだけど」

「ふむ……だったら今やるか? 模擬戦。作業が予想外に早く終わってな。パラメータの設定値は以前のおまえのデータが見つかったからそのまま流用した。まず実戦形式で試してみて、それから少しずつ修正した方が早いだろう」

 それじゃ――と言うと、彼女は手元に従えていたノートPCを近くに追いやって、機体の周辺に転がっていた工具たちを片付け始めた。

 無作為に敷かれたブルーシートの上には、使い道も分からない金属工具が宝の山のようにうずたかく積もっていた。彼女はそれらを種類ごとに仕分け、手際よく専用のボックスへと仕舞っていく――スパナの収まった箱には大きいものから小さいものまで、まるで家族みたいに工具が並んでいた。

 ミオは片付けを手伝いながら、

「レゼアはいいよな、いろいろ自分で出来てさ。時おり羨ましく感じる」

「どうした急に。センチメンタルか? 慰めてやろうか、ん?」

「うっせ。ただ時々思うんだよ。自分でもっと色々出来たら楽しそうだな、って」

「私は小さい時からいろんなことにトライしてたからな……というか、そうせざるを得なかったんだが。その過程で出来るようになったことは多いが、どれも一流やプロには届かない。私はただの器用貧乏だ」

「だけど何も出来ない奴よりはマシだと思うよ。俺は機械いじりが出来るワケじゃないし、ソースとかコードとか言われても……食卓に置いてあるアレしか思い浮かばない。レゼアがやってくれてることに対して何の恩返しも出来ないから」

 手放しで称賛されて、レゼアは頬を紅潮させると一瞬だけ立ち止まった。

 ふん、と2キロほどある工具のボックスを隅へ投げ置く。

「恩返しとか余計なことは考えなくていい、私はお前に尽くさなければならない義務があるんだ。有り体に言えば自己満足なんだけどな。――ほら、下らないこと言ってないでさっさとコクピットに入れ」

 言われて頷き、ミオはキャットウォークの3階へ。

 身軽なステップで機体の腰部へ飛び込むと、隔壁がスライドしてハッチが閉まる。中の高圧空気が脱気される音がして、ミオの細身は狭苦しいコクピットへと収まった。金属が噛み合う音が響くと、そこは自分ひとりだけの空間である。

「……」

 メインモニターが光を映すと、深青色の画面には薄緑の文字列が浮かび上がった。

 星空みたいに綺麗だな、と思いながら、ミオは静かに目を閉じる。

 前に乗っていた機体のように、OSSの起動の遅さに苛立つ必要はない。機体のすべての情報を統括するプログラムは素早い立ち上がりを見せ、すでに命令の受け付け準備が終わっていた。

『AOF起動完了。第一から第五ロックボルト解除。続いて脚部拘束を全解除。システムオールグリーン。状況を戦闘ステータス・フェイズ3にてアクティブモードへ移行……<オルウェントクランツ>、スタンバイ。これより模擬演習を開始する』

「……」

『いけるな?』

「――あぁ」

 視界が冴える。

 機体が戦闘モードになったのを知って、ミオの身体が戦闘モードへ切り替わった。

 <オルウェントクランツ>は歩みを覚えたての幼児のように、そして格納庫の扉から姿を現した。

 ちょっとだけ膝を折って、まるで跳躍するような仕草――しかし加速は一瞬。急激なGを背負ったあと、機体はすでに数百メートルの高度にある。

 少しだけ滞空状態で待っていると、レゼアの駆る<ヴィーア>はすぐに艦内ハッチから飛び出してきた。普段のようなミサイル連装ポッドを背負わず、今日ばかりは分厚いシールドを2枚も装備している。

 レゼアは言った。

『これより演習ならびに模擬戦を開始する。今回の目的は戦闘パラメータの把握と修正だ。動きのダイナミズムやクセを数値化して、最適なものにするのが目標だからな。いつも通りに動いてくれればいい。もちろん武装のパラメータも確認するが、間違って私を撃墜するなよ?』

「注意する」

『ホントに大丈夫か疑問なんだが』

 <オルウェントクランツ>の武装は特殊だった。

 通常ならマウントされているはずのレールライフルや、高エネルギー刃を出力するサーベルが一切ない。

 その代わりに、ひし形を縦向きに引き伸ばし、さらにコンパクト化したような盾をひとつ装備しているだけだ。

 盾の尖端からビーム刃が出力する。

 この装備は盾にもなるし、近接では細い抜身のサーベルになり、遠距離ではライフルにもなる。そう、武装が変形するのだ。

「……行くぞ」

 接近は一瞬だ。黒い影は虚空を疾駆し、<ヴィーア>へと迫る。

 やや反応が遅れたレゼアは慌ててシールドを掲げ、ビーム刃による攻撃を防いだ。多重にコーティングされた特殊防盾だ。たしか6層から8層に渡って強力な塗装が施されていて、実弾攻撃はおろかビーム砲さえ凌ぐし、さらに言えば陽電子砲さえギリギリで耐久できる特注品だ。たしかロケットの大気圏突入にも平気で耐える代物で、こんなものを持ち出すあたり、よほど撃墜されたくなかったのだろうか。

「間違って撃墜するかも知れんな」

『……あ? なんか言ったか?』

「いいから構えてろ」

 ミオは相手の構える盾だけを狙って、見事な速度でサーベルを振るった。

 右薙ぎ、手を返して左から一閃、機体を翻すと大上段からの斬り落とし。レゼアは交互の盾を巧く使い分けながら、それらの攻撃を防いでゆく。

 最後に袈裟斬りを受け止めると、レゼアは通信回線で呼び掛けた。

『そろそろいいんじゃないか? 近接戦闘のデータは取れた。どうだ?』

「関節部の動きがひどい。あとで再設定を頼む」

『りょーかい。次は射撃の方でデータを取る。またシールドを狙ってくれ』

 分かった――と頷いて、ミオは武装を変形させる。現れたのはライフルだ。

 素早く後退。<ヴィーア>と距離を取って、相手を照準する。どれだけの威力があるかは不明だ。

「レゼア。シールド2枚とも重ねとけ」

『貫通することは無いと思うが……』

「いいから。なんだか嫌な予感がする」

 同僚がしぶしぶといった感じで両方の盾を重ねる。

 それを確認すると、ミオは容赦なくトリガーを引いた。

 ライフルの先から迸ったのは黒い閃光。溢れる粒子は細長い形状に収まり、ビームの矢となって一枚目にある盾の中心を穿った。

 ミオは間髪いれずにもう一射。

 同じ部分を狙われた盾が炸裂し、衝撃は2枚目の盾へ。

『す、すごいな…たった2発で艦主砲と同じ破壊力ってか? あと、2発も撃つなら予告くらいしておけ。久々に死ぬかと思ったぞ!』

 驚嘆するレゼアを置いて、ミオはスラスターを噴かして後方へ。ロック距離を確認するためだ。

(距離500…600……まだ射程圏内か?)

 畏れを為しておののきそうになる思いと、その強さに打ち震えるような、矛盾した感情がミオの胸を突き上げる。

 だが身体は正直だ。鳥肌が立っている。

 いや、それだけじゃない。

 ミオは同僚の駆る機体をキッと睨んだ。

 遠方に距離を取っていた彼は、再びペダルを踏み込んで急加速。数百メートルの距離はわずか一瞬で縮まり、気付けば<ヴィーア>の隣に滞空している。

 レゼアは思わず唸った。

『うむ、素晴らしい性能だ。加速力も含めて機動性も火力も充分なレベルにある。パラメータ補正は後で私が処理しておくが、何か気付いたことは?』

「……何かこっちに来る」

『え?』

 ――と、ミオは突然<ヴィーア>へ蹴りをいれた。

『ぐっ…何をするんだ! こんな愛情表現求めてない!』

「うるせえ! 下がってろ」

 ミオは武装を変形させる。現れたのは尖端へビーム刃を出力させたサーベルだ。

 遠方から放たれた弧状の衝撃波を、左薙ぎの一閃が斬り伏せる。ミオは素早く次の迎撃姿勢を取った。

 いったい何だ――と敵の姿を求めるミオの死角から、黒い影が懐へ潜り込んだ。

 警告音アラート

 反射的に機体を仰け反らせて回避、一気に後方ステップを踏んで攻撃を避けると、もう一撃は背後から襲ってきた。

(――2機か!?)

 サーベルをでたらめな方向へ薙ぐ。振り下ろされた鎌による攻撃を危ういところで受け止め、ミオは緊急離脱。

 機体を切り揉みさせて飛翔すると、一撃目を放ってきた影は執拗に距離を縮めてきた。

 レゼアが叫ぶ。

『おい大丈夫か!? いま増援を――』

「呼ぶな。コイツら生半可じゃない! それより態勢を立て直せ!」

 一般兵の駆る<ヴィーア>を集めたところで、この反応速度で戦えるわけがない。下手をすれば返り討ちも良いところで、結局ミオの足手まといになるだけだ。いま自分の目の前にいる敵は、中途半端な寄せ集めの戦力でマトモに戦える相手ではない。

 なんだ、こいつら!?

 ――と、鋭利に伸びた何かが<オルウェントクランツ>の頭部を掠めた。あと3、4度も左へ首を傾けていれば直撃コースだったろう。

 伸縮自在の槍は、目の前にいる機体から放たれていた。

 濁った血赤色の装甲をした|機体(フレーム)である。ところどころ装甲の肉抜き処理が施されていて、軽量化が図られているのが分かった。その手に握られているのは真っ直ぐに伸びた芯――およそ2機体ぶんの背丈にも延長された槍だ。

 死を覚悟した瞬間、再び背後からの攻撃。後ろにいたのは黒色の機体だ。マントのようなものを巻き付けている。

 避ける。逃げる。逃げる。逃げる!

 コイツらはおそらく、いや確実に正規軍の連中ではない。だとしたら傭兵か?

 問いただしてみるか――と思ったミオは、自分が追い詰められている状況に気付く。そんな問答を展開している余裕はなさそうだ。

 ブーストを展開して急加速。目まぐるしく変わる視界のなか、ミオは敵の位置を把握しようと躍起になる。

 襲ってきたのはいずれも近接戦闘型の機体だ。だとすれば、適当な距離を取らなければ自分が不利である。それに、相手の目的が分からない限り、レゼアを単独で置いておくのも不安である。

 <オルウェントクランツ>は無我夢中で空を逃げるが、それでも血赤色の機体は追ってくる。伸縮自在の槍は、射程が40メートルもあれば充分なのだろう。ミオは海面ギリギリの高度を飛翔し、上方向から延長した槍の攻撃を見事に回避。

 急上昇。

 狙うのは相手の腕部だ――武器が伸びた直後には、わずかな硬直が発生する。そこが狙い目。

 ビーム刃を高出力モードへ。明緑色だったそれは青白い刃へ変わり、ミオは下から斬り上げるような一閃。

「はあぁぁぁっ!!!!」

 攻撃を防ごうとした相手の右腕ごと、容赦なくそのシールドを斬り飛ばす。

 振り向きざま左手に武器を持ち変えて2撃目――を繰り出す寸前、何かがサーベルの動きを阻んだ。

 巨大に湾曲した鎌だ。

 普通のAOFならば一刀両断されてしまいそうな大きさの鎌である。三日月型の内側には黄色いビーム刃が出力されている。その切っ先は高出力のサーベルを巧く捉えていた。

「邪魔だ。死にてーのかよ」

 ギロと睨んで、ミオはすぐに標的を切り替えた。

 次に狙うは黒い機体。横へ一閃。

 しかし、鎌を携行した敵は攻撃を回避すると、ミオの予想に反して撤退していった。それに従ったのか血赤色の機体も後ろ姿を見せ、あっという間に姿を消していく。

 敵機の背中を見送りながら、ひとまず助かったか――と息を深く吐き出した。

 <オルウェントクランツ>を奪取して次の日に破壊されるなんてのは、それだけは絶対に避けておきたい「ヘマ」だ。

 ミオが安堵する中、同僚のレゼアも大きく息をついていた。

『危なかった……私も少し焦ったぞ。それよりあの機体――』

「……」

 所属こそ不明であるものの、今の相手は間違いなく実力のある2機だった。

 迅速かつ精確無比な攻撃、一見するとデタラメのようで緻密な連携性。そして何よりもその反応速度が、相手パイロットの力量を物語っている。

 そんな相手を目の前にして、ダメージさえ負わずに撤退を選ばせた実力は、さすが 世界最強は名ばかりでないということか、とミオは自分を皮肉った。

 AOFの操縦主として自分の技量は、世界の中でも間違いなくトップレベルに君臨していた。桁外れな身体能力と適応度、反射速度、そして戦闘時の冷静さ――どれを取っても非の打ちどころが無いそれらが、自分の実力を裏付けている。自惚れにも聞こえるが、それは一般的な評価だ。

「レゼア、さっきの敵の確認を頼みたい。アイツらの所属やスペックを割り出してくれ」

『了解。本部のデータベースと照合しておくさ』

「もう一度整備を頼むぞ。大事な武装が欠如してる」

 ミオは不満そうに言って、<オルウェントクランツ>の右腕――ちょうど手首の部分を見せた。

 あぁ、とレゼアは納得する。ミオにとっては重要な武器を、一つだけマウントするのを忘れていたのである。

 ミオは鋼糸ワイヤー使いだった。

 超高々密度の鋼性糸を射出させ、敵の機体へ引っ掛けてトリッキーな戦い方を繰り広げたり、それは実弾武器なども易々と迎撃可能なほどの性能を誇る。また、近接戦闘においては鋼糸を振り回すだけでも相手との距離を確保することが出来、それは彼が独自で編み出した戦闘スタイルとも言えた。

 整備中に追加しとおこうと思って、どうやら忘れてしまったようだ。

 レゼアは頷いてみせると、

『悪かった。次からはしっかりする』

「まぁいいさ、今回は結果オーライだ。帰投するぞ」

 飄々と言って、ミオは機体を翻した。

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黎撃のインフィニティ いーちゃん @al_qrantz

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