4.1

 フリードリヒ級の大型二番機動艦<オーガスタス>への着艦手続きを済ませると、時刻は夜の9時を回っていた。

 ミオ・ヒスィは機体の背面部がロックされたことを確認して、<オルウェントクランツ>のコクピットから3階のキャットウォークへ飛び降りた。併設された簡易エレベーターに飛び乗って一階まで降りると、見慣れた同僚が迎えてくれる。

 明るい緑色を基調ベースとした服を纏うのが印象的な女性だ。

 腰まで届くのは鮮やかな翠色のロングヘアで、ボディラインや胸のふくらみは軍服ごしにでもわかる。こちらを見つめてくる明るいエメラルドの瞳は、例えるなら弟をみつめる姉のようでもあった。けれどもその視線が鬱陶しくなって、ミオは前髪をくしゃくしゃに掻きむしる。

 彼女は名前をレゼア・レクラムという。ミオとは非常に長い付き合いであり、いわゆる相棒パートナーとして幾つもの戦場を巡ってきた。同じ釜のメシを食う仲と人は言うけれど、コイツの場合は自分のメシを人様の味噌汁にブッ込んでくるほどの仲だった。自分でもちょっと良く分からない表現だが。

「まずはご苦労様、と言っておこうか。ゆっくり休むといいぞ――フハハ私の胸に飛び込んでな!」

「いきなり変態発言ありがとう死んでくれ。元気そうで安心した――っていきなりハグすんな。柱にでも欲情してろ」

「ぎゅぅっ…だな」

「だな、じゃねえよ。暑苦しいから離れろ、この前みたいにトイレのラバーカップで殴るぞ」

 豊満なバストから逃げ出して、ミオはようやく呼吸を取り戻した。あの風船みたいな胸部に挟まれたら間違いなく窒息死だ。ゆっくり休むどころか永遠の眠りに追いやられる可能性だってある。いやそれはそれで本音では嬉しいのだが――と暴走しかけた思考を停止させ、ミオは溜息。

 格納庫に収められた漆黒の機体、<オルウェントクランツ>を見上げる。

 全高にして18メートル。ビル1階の平均的な高さは3メートル半と少しだったから、ちょうど5階ぶんくらいの高さがあるだろう。

 今回の作戦でミオに与えられていた任務は、独立中立国である第六施設島にロールアウトされる予定だったAOFの強奪だ。情報屋からもらった話とは違い、向こうに存在していた新型機は2機だったけれども、コイツを持って帰ることが出来ただけで合格と言える。

 奪取してきた機体をしみじみと見つめ、ミオは言葉をなくす。

 闇夜に溶け込む漆黒色の装甲と、シンプルだが鋭利さを貫いたフォルムはいかにも新型機といった感がある。機動性や関節部の細かいクセ、スラスターの性能などは今後のチェックが必要だと思うが、ミオはおおよその部分で満足していた。

「どうしたんだ?」

「……いや、何でもない。ちょっと部屋でシャワー浴びてくる」

「お? では私も一緒に」

「ついてくんなバカ。あと人様の入浴中に鍵ごとぶっ壊してバスタオル一枚で侵入するのも駄目だからな」

「そ…、そんなはしたない真似するワケないだろっ」

「3日前の記憶を思い出させる必要がありそうだな。あのとき風呂場で脳天に叩き込んだクロスチョップを忘れたのか」

 廊下を真っ直ぐ歩いていくと、駄々をこねて後ろを付いてきたレゼアが言った。

「まぁ冗談は置いといて、ゆっくり温まって今日は休むといい。私はこれから技術部と打ち合わせを済ませて、あの機体の解析に取り掛かろうと思ってる。お前が奪取してきた<オルウェントクランツ>は明日から即戦力として運用される予定だ。OSSの個人パラメータもミオのものに変更しようと思ってるんだが……正直、今日中に作業が終わる保証は無い。なるべく明日には動かせるように努力するつもりだけれども」

「あんまり無理はしないでくれよ」

「無愛想な中にある優しいところ、好きだぞ。割と本気で」

「あ、あのなぁ…、堂々とヘンなこと言うなよ。あと、欲を言えばもう少し恥ずかしそうに言え。真顔で言われても全然嬉しくない」

「…こうか? そ、そういう無愛想だけど優しいところ…好き……です、先輩っ」

「何が先輩だハゲ、すっこんでろ」

 ミオは中指を立てた。

 ――ちょっとドキッとした。

 レゼアはASEEの中でもかなりの美人枠に入るし、そのスタイルだって最高格に位置する。頭だって良くて機転が利くし、OSSのプログラミングから機体の整備、そして優秀な操縦主パイロットとしても活躍している。その全知全能ぶりは「逆にコイツに出来ないことはあるんだろうか」と思わせるほどだった。

 ただ文句があるとすれば、

 ――人格破綻者。

 これさえ克服できれば完璧なのだが…と、ミオは幻滅する思いを味わった。

 さっきから頬を染めてウズウズしていたレゼアが、思い切りミオの胸へとダイブしてくる。

「先輩っ!」

「お前のが年上じゃねぇか――っ!」

 じたばた抵抗する間もなく、少年の体重はレゼアによって室内へと押し倒された。床に後頭部を打って倒れたミオへ馬乗りになり、レゼアが息荒くシャツのボタンを一個ずつ外してくる。どうやらスイッチが入ってしまったらしい。

 彼女はわなわなと震える声で、

「ミオ…お姉ちゃんは、…お姉ちゃんはもう……………………、欲情してしまったっ!」

「うるせえ! 俺の上からどけよこのバカ!」

「今すぐ全身ペロペロしたい! お姉ちゃんと一緒にお風呂に入ろう! もう…これしかない!」

「入らねえよ! ……ってか目が怖い、顔が近ぇ!」

「駄目なら二人で湯船に――私と大人の階段を登ろう! 三段飛ばしで!」

「だが断る!」

「武力行使っ!」

「暴力反対!」

 両腕をガッチリ掴まれる。彼女は本気だ。

 ――ヤバい。今度こそ絞られる。

 ミオは四肢を奮迅させて暴れると、この――いい加減に――しろ! の3ステップで脳天めがけて手刀を叩き込む。

 ミオは余った力の全てを振り絞り、レゼアの暴走を押し切った。同僚の身体を無慈悲にも廊下へ投げ捨て、ピシャリと扉を閉めて鍵を二重ロックに処す。

 危ないところだった。

 命懸けの戦闘なんかよりも、むしろこっちの方が大変だ。下手をすれば全身が枯れる。

 浴室でシャワーを浴び終わると、ミオは自室のベッドへと腰かけた。

 無言のまま携帯端末を開く――と、レナ・アーウィンの画像はもう浮かび上がってこなかった。

 夕刻、少女と接触した際にデータを削除したためである。もう顔と声は覚えてしまったし、自分にとって必要がない。

 他のフォルダを漁っていると、第六施設島の全体マップや地下脈絡図のデータが出てきたが、こちらも不必要だろう。ミオは削除ボタンに手を掛けた。

(レナ・アーウィンか……)

 ミオは駅のホームで交錯した少女を思い返していた。

 秋の風になびく長い赤髪、気の強そうな顔立ち。年齢は、データの上ではミオと同じ17歳。

 彼女と出会った理由はただの偶然。しかしそれは同時に必然でもあった――。

 統一連合軍の中でも二強と称されるエースパイロットのうちの1人。弱冠17歳にして最強の名を冠する少女は、警戒しておくべき相手だろう。

 ミオはこれまでに何度もレナと対峙してきたし、お互いの手クセを知り尽くすほどに幾度も戦ってきた。

 あの一見して普通の女の子が統一連合のエースパイロットだという事実は、ミオには少し信じ難かった。

「……」

 今ごろ、ASEEが統一連合に対し宣戦布告しているところだろう。部屋のテレビを付ければ、その様子がリアルタイムで見られるハズだ――と思ったけれども、少年には椅子の上にあるリモコンを取りに行く気力が残っていなかった。

「戦争なんてどうでもいい、よな」

 ポツリと呟く。

 あの子は、否、レナはどう思うだろう。6ヶ月の休戦状態を経て再び戦争が起これば、また犠牲者が出るだろう。傷つく人も多いだろう。

 気が変わった。よっこらせ、と身を起こしてミオは起き上がり、リモコンへ手を伸ばしてモニターの電源をいれた。画面の中ではスーツ姿の壮年男が意気揚々とカメラに向かって何かを叫んでいるが、ミオの頭には杳として入ってこなかった。たしかASEEの最高評議会議長だったか――名前なんてどうでもいいので忘れてしまったが、そんな男が必死に何かを訴えかけている。

 統一連合諸国に対する宣戦布告だ。

 今日の出来事を発端として戦争が起きるというのに、身体はどうしてかピクリとも反応しなかった。大して緊張もしなかったし、身の危険や死の恐怖も湧き上がってこなかった。自分が死ぬなんてありえない、そういう自信による安寧のような何かが心を支配しているようでもあった。自分は無力な少年ではない。殺される側でもない。むしろ殺す側の立場にあるのだから。それが自信の原因だとしたら、なんだか自分が醜い存在に思えてきた。吐き気がする。

 今から半年前にも戦争があった。最後となるはずだった戦場で、ミオは敵の少女に向かって言ったのだ。

「俺たちは戦って戦って、そして全部が終わったら用済みなんだ。誰も、自らを犠牲にして戦った連中のことなんて知りもせず……地面へ埋めた瓦礫の上に新しい世界を築いて、汚い部分を隠して、きっと笑うんだ」

 ふ、と全身から力が抜ける。少年は右手に握りしめていたリモコンを取り落とした。シーツの上に携帯端末の画面が寝転がっているのが見えたけれども、輪郭がぼやけている。

 シャワーを浴びたせいで、極度の緊張状態から解放されたのだろう。

 次の瞬間には静かな寝息を立て、ミオの意識は深い闇へ引きずり込まれていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る