4.2

 一方、レナは新型の高速機動艦<フィリテ・リエラ>へと着艦の許可を受けていた。

 少女は深紅の機体<アクトラントクランツ>を旋回させると、弱めのブーストを垂直方向へ噴かせて甲板へ降り立つ。脚部にダメージを負ったのは痛かったが、飛行能力に影響がなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。

 基地が襲撃されたあと、統一連合は民間人を収容するとすぐに第六施設島を放棄した。

 市街地で爆破テロを起こし、基地の注意を逸らせて地下水路から内部へ潜入――新型機を奪取したあとに戦力を送り、対応の遅れた統一連合を一気に叩く。

 戦術としては全くもって非の打ちどころがないし、タイミングは完ぺきだった。そして現在になって戦線布告というシナリオは、あらかじめ用心深く計画されていたに違いない。

 半年も戦争状態から気が抜けていたのだ。緩慢になっていた警戒の隙間を、まんまと敵に突かれたということになる。

 ……だけど。

 機体の足元まで降りたところでレナの胸が軋んだ。

 爆破テロ。その二文字だけは何としても許しておけない。

 あたりを見回せば、甲板にも多くの避難民が溢れていた。彼らが軍の制服をまとっていないのを見ると、おそらく一般市民だろう――不安げな表情で震えている者もいれば、毛布の中に沈んでいる者もいる。横たわって介抱されているのは怪我人だ。

 この<フィリテ・リエラ>は第六施設島で補給のために停泊していたのだが、ASEEによる奇襲攻撃によって発艦を余儀なくされた。その際に第六施設島からの避難民を受け容れたため、今は民間人と軍の関係者が入り混じっている状態だ。

 皆の無事を心の内で祈ると、艦内の指令室を目指した。そこにいるキョウノミヤという女性に会わなければならないからだ。上官を失った現在、レナは成り行き上<フィリテ・リエラ>の管轄となる。新型機が強奪された以上、それは確実に撃破しなくてはならないし、今後の対応を決定せねばならない。敵を逃してしまったのは間違いなくレナの責任だったし、その責は甘んじて負うつもりだ。

 彼女は強く拳を握ると、艦橋にある指令室の前へ。

 ノックして部屋に入ろうとする――と、ドアの内側から出てきたのは、レナの体躯よりも三回りも四回りも大柄な男だった。

 その手がレナの喉元へと伸びる。

 いきなり襟首を掴まれ、少女の体重は軽々と持ち上げられてしまう――と、いきなり床へ叩き付けられた。

 肺から息が逃げ、レナは思わず涙目になってむせ返る。

 その場にいたもう一人の兵士が、床にうつ伏せの姿勢となった少女へアサルトライフルの銃口を向けた。

「ちょっ、――ちょっと! 何をするんですか!?」

「黙れ」大柄な方の男が言った。「貴様、スパイか」

「は、はぁ!? なんであたしが――」

「3つ数える。3」

「違いますってば! 状況の説明を要求します!」

「2」

「だからあたしは!」

「1」

 人違いじゃないですか――――ッ!?

 と叫ぼうとして、声が投げつけられたのは廊下の向こうからだった。

「ちょっと、あなたたち何やってるの!? やめなさい!」

 女性の声だ。なかばヒステリックのようにも聞こえたが、今のレナにとっては救いの声だ。

 大柄な男は不満げに鼻を鳴らすと、隣にいた部下へ合図して銃を収めさせる。

 あやうく死ぬところだった、と伏せの姿勢のまま見ると、廊下をパタパタと駆けてきたのは白衣姿の女性だ。年齢はおそらく20代の中盤くらいで、平時なら落ち着きのありそうな風貌が、極度の緊張に引き攣っていた。髪の毛の後ろ部分を結んだハーフアップの茶髪で、肩までかかるセミロングヘアが走るたびに揺れている。薄いフレームの眼鏡は時折ズレて落ちそうになっていた。

「これは一体どういうことなのか、しっかり説明していただけますね?」

 女性は指令室の前まで走ってくると眼鏡のズレを直し、毅然とした態度で言う。男は不快そうな表情で眉を顰め、

「先ほどの<アクトラントクランツ>内での会話を聞かせてもらった。彼女は奪取された敵の操縦主とコンタクトを取っており、スパイの疑惑が掛かった」

 ――そんな横暴な! というレナの叫喚を、女性が代弁した。

「もうお聞きになったんですか。あの時点での<オルウェントクランツ>はまだ友軍信号が発せられていました。通信が取れたのは当然と思いますが」

「会話内容を分析したところ、彼女は敵パイロットと面識があるようにも思えたのだが?」

「それについては今から聴取を行う予定です。彼女は、現在から私が管轄することになりましたから。お引き取りを願えますか? それとも、このような経緯を上層部へ報告することになってもよろしいので?」

 男は小馬鹿にしたような笑みを口端にもたせると、彼らは身を翻して廊下の向こうへ姿を消していった。傍らに控える痩せた兵士は逡巡したあと軽く会釈し、まるで金魚のフンみたいに付いていく。

 ほっ、と胸を撫でおろす女性の隣で、レナはようやく立ち上がった。なんだか変な汗が身にまとわりついていて気持ち悪い。女性は言った。

「危機一髪だったわね」

「助かりました。ありがとうございますホントに。でも、誰だったんですかあれ」

「上層部から派遣された軍務官の1人よ。今回の件があってからピリピリしてるわ」

 彼女はウンザリしたような口調で言って、同時に肩をすくめてみせる。

 今回の件というのは、間違いなく第六施設島で起きたことだろう。陽動に気を取られた上に敵の潜入を易々と認め、しかもロールアウト寸前の新型機のうち片方を奪われてしまったのだから。

 きっと上層部はカンカンに怒っているに違いない――とまで思って、レナは表情を翳らせた。自分の認識が甘いことを恥じる。

 これは、誰かが怒ったり怒られたりして済む問題ではないのだ。実質的にASEEは統一連合への宣戦布告を済ませ、半年間の休戦状態は破られた。これからは世界各地で今日のようなことが発生するだろうし、そうすれば、もっと多くの人が苦しむことになるだろう。

 レナは思わず視線を足元へ落とした。

 せめて自分が<オルウェントクランツ>の奪取を止められていたなら、もしくは撃破していたら今後の状況は大きく変わっていただろう。高性能ハイスペックな新型機が敵の手に渡れば戦局は大きく不利になる。つまり事態の収拾もつきにくくなる。当たり前のことだ。

 目前にしながら強奪を許してしまったことは自分の責任だ――と思考が蜷局とぐろを巻き始め、レナは頭を軽く小突かれる。

 ふと目を上げると、白衣の女性はレナを安堵させるように笑っていた。

「次の手を考えましょう。こちらも訊きたい話は多いし、まずは中に入って頂戴」

 指令室の中は、レナが予想していたものとは大きく違った。

 通常、自分が見てきた戦艦の艦橋ブリッジといえばオペレーターが何人か座っていて、操舵士がいて、副艦長やらが居るものだ――と彼女は思っていた。だが、いまの彼女が立っている場所には誰も居なかった。大きなモニターの前には10台を越えるコンピュータ達が唸っているだけで、人の姿は無い。

「どう? これが<フィリテ・リエラ>の頭脳ブレインよ。|世界最高速度の演算処理を持つCPUで構成された12台のコンピュータが、この艦を全て管理しているわ。戦闘時のシミュレーションから、部屋のシャワーの温度まで、全部ね」

 ――と、レナはまだ彼女の名を知らないことに気が付いた。

「まだ自己紹介してなかったわね。私が本艦の技術主任、軍務の統括と艦長を兼任しているキョウノミヤ・シライよ。よろしくね、レナ・アーウィン」

「さっきも思ったんですけど、どうして私の名前を?」

「あなたは統一連合の中ではかなり有名人だと思っていたのだけど……たぶん知らない人の方が少ないわね」

 彼女はマグカップに新しく注いだブラックコーヒーを一口だけ啜ると、

「統一連合の二強と呼ばれる操縦主パイロットのうちの片割れ。前年度の戦役じゃ、あなたの撃墜数スコアは大したものだったわ。これまでに現れたどんなエースパイロットも類を見ないくらいに――他の追随を許さない圧倒的な技量、接近戦における一瞬の判断力、そして突出した空間把握力とその精密さ。どれをとっても優秀で完璧な成績ね」

「いえ……最強なんて、そんなことないです。もっと強い人はいます。味方にも、当たり前ですけど……敵にも」

「ふーん。その1人が彼ってワケね」

 はい、とレナは頷いた。目つきがと変わる。

 ASEE最強の操縦主であり、現時点では世界でも最強・最悪の力量を誇る、いわば最凶の敵だ。奪ったばかりの漆黒色の機体を自在に操り、迅速に、しかし確実に敵を撃破していく。量産機を駆る一般兵士では、とてもではないが相手にはならない相手である。

 これまでにも何人かのベテラン操縦主が戦闘を挑んだけれども、結果は惨憺たるものだった。そして、その情報はキョウノミヤの耳にも入っているらしい。

「アイツを追うなら私に役目をください。私が言うのもヘンかも知れませんけど……アイツを抑えられるのは現時点では私だけなんです。それに私がもっとしっかりしていれば、こんな結果にはならなかったでしょうし」

「彼のこと、少し訊かせてもらえるかしら。全部、最初からね」

 しばらくの沈黙を置いて、レナは少しずつ敵のことを話し始めた。

 初めて会ったのは2年くらい前であること、それから戦争の間は、ずっと彼と戦って辛酸を舐めさせ続けられていたこと。悔しい思いをして、何度も挑んではボロボロになり、救おうとしていた仲間を目の前で失い、その度に旧僚・フェルミに慰められていたことを。

 全部を話してしまうと、まるで心の内側につかえていた物が取れたみたいに、レナの心は自然と楽になった。

「だから、アイツとの決着はあたしが付けます」

「――本当に出来る?」

 次に見たキョウノミヤの灰色の瞳は先刻とは違い、少しも笑っていなかった。それどころか冷たく冴え渡っているようで、疑念を抱いているようにも感じ取れた。

 レナが静かに答えるとキョウノミヤは一瞬だけ目を閉じ、手元の資料を机の上に投げ出して安堵を見せた。緊張から解き放たれたように吐息し、

「分かったわ。今後、あの敵のことは貴女に一任することにします。ただし絶対に無理はしないこと。残った<アクト>と貴女を失えば、我々は手の打ちようがありません」

「ありがとうございます……もしかして疑ってましたよね? ちゃんと出来るのか、って」

 思ったことを率直に言うと、キョウノミヤは苦笑してみせた。

「まぁね。確実に仕留めてもらわなきゃならない――ってのは事実なんだけど。でも私はね、別のことを考えたのよ」

「と、いうと?」

「貴女が少しだけ、敵に惹かれているんじゃないかって」

 唖然とするレナを見て、キョウノミヤはもう一度苦笑。だが今回は嫌味のない笑い方だった。

 自分が敵に惹かれているとは。これまでに考えたことも無かったことだが、しかし一度たりとも思ったことが無いわけでもない。自分と敵の間には不思議な絆のようなものが出来ていて、それが自分の運命を狂わせるのだと。きっと赤い糸だという人間がいたら、レナはきっとそいつを部屋に持ち帰って珈琲挽きで粉々にしてやろうとも思っている。

 マグカップに入った珈琲を飲み干すと、レナは立ち上がって主張した。

「そ、そんなことはないです! 一切、ってか絶対に! 惹かれてるなんて!」

 キョウノミヤは珈琲挽きまで歩いていくと、2杯目となる黒い液体を注いだ。今度はスティック状の砂糖をあけ、スプーンでかき混ぜる。

「――でも」

 レナは急に声のトーンを落とした。

「アイツだって、きっと好きで戦ってる相手じゃないとは思うんです。確証はないけれど…」

「どうしてそう言えるの?」

「たしかにアイツは無茶苦茶に強いです。でもあれは好戦魔トリガーハッピーの戦い方じゃない。何か怖いことから逃げているような……それでいて、その気持ちを隠して戦っているような」

「共感してしまうのね。操縦主どうし、そういうことがあるのかしら」

 興味深いわね、と彼女は言葉を付け加える。

 しばらく悩んだ挙げ句、レナはコクリと頷いた。共感といえば、その言葉がきっと適切なのだろう。しかし共感すべき相手でないことは分かっていた。だけど巧く言い表せない心の奥底で、どうしても揺らいでくれない――まるでロウソクの灯のような小明あかりが強く残っているのだ。

 憎むべき敵の全てを否定しても、どこか1つだけ、あらゆる論理を飛び越えても守らねばならないものが。それが何かは分からないけれども。

 キョウノミヤは軽く溜め息すると、

「明日から<アクト>は前線に立ってもらうわ。整備とセッティングは技術部の者に任せてお休みなさい。居住区の隅に部屋を用意させたから、自由に使ってね」

 その後、レナが自室に戻ってきたのは深夜0時を過ぎた頃だった。負傷していた人たちを見ると居ても立ってもいられなくなったレナは、医療班に混ざって応急手当や子供の相手を手伝っていたのだ。彼女が見て回ったところ、艦内に収容された民間人の数はおよそ200人程度。男女で隔てられた居住区の間にある大型ホールへ収容されたのが120人程度。残った80人は食堂や格納庫の隅で毛布を捲いて仮眠を取ってもらっている。

 カードキーを通して部屋に入ると、レナはそのまま仰向けになってベッドに倒れこんだ。

 本当に長い一日だった、と今さらながら思う。

 身体は汗と砂埃からでた泥で汚れていたし、下水道を走ったときのにおいも鼻孔の中に残っている。あの刺激臭というか不快臭というか――を思い返すたび、レナは思わず顔をしかめそうになった。

「明日から戦争――か」

 まるで遠足か修学旅行みたいな響きだったが、こんなに虚しい響きはないだろう。

 天井に向かって右手を突き出し、自らの手の甲をじっと見つめる。

 月のように色白で細長く伸びた五本の指。

 ふと独りごとを洩らしそうになって、レナは言いよどんだ。

 もしも戦争やAOFがなければ、この手は何を掴んでいただろう。何を握っていただろう。何に触れていただろう。

 戦争だけじゃない。武器も含めて、人々の憎悪や嫉妬、対立といった邪な感情がなければ、今ごろ自分は何をしていたのだろう。普通の学校に通って、まるでラブコメみたいな毎日でも送って、きっとそういう世界があったのではないか。

 レナは漠然と思う。人差し指と中指のすきまから、天井についた灰色の染みが見える。

 この手は、いまいち巧く描けない将来の夢へと向かっていただろうか。

 それとも、震える左手の孤独を、右手が優しく包んでいただろうか。

 あるいは大切な人の手を導いていただろうか――。

 どれも違うんだろうなと思って、レナは横に向きを変えた。

 今の自分に必要なものは、そんな生易しいものではない。

 誰かを守るのには充分強くて、もう誰も悲しまないように、苦しまなずに済むような力。今の自分に必要なのは、間違いなくそれなのだから。

 半年前に発せられた言葉が胸に刺さる。


『俺たちは戦って戦って、そして全部が終わったら用済みなんだ――誰も、自らを犠牲にして戦った連中なんて知らない。地面へ埋めた瓦礫の上に新しい世界を築いて、汚い部分を隠して、きっと笑うんだ。それなのに』


 半年前の停戦協定が結ばれる直前の戦いで、少年は喉の奥から絞り出すような声で言ったのである。そして、レナは敵パイロットの言葉を耳にしていたはずだ。

 それなのに、どうして君は戦うのか――。

 あのとき、自分は何と答えたのだったか。

 否、レナはその問いには答えなかったのかも知れない。むしろ憶えてないというのが正確な答えだった。

 瞼が重くなってくる。視界がぼやける。

 シャワーは明日の朝に浴びよう。今日はこのまま眠ってしまおう。

 長い一日だった。本当に長い一日だった――と夢の中へ落ちていくレナには、夕刻に出会った少年との邂逅など記憶に残ってさえいなかった。

 ましてや、少年が自分の討つべき相手だということなど、知る由もなかった。

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