2.1

 左手首にある腕時計が示す時刻は午後6時4分。指定された門限までに間に合わなかったし――と思っただけで、主任の怒った顔が目に浮かぶ。

「まぁ、今日は甘んじてお叱りを受けますかね……」

 と、駅の改札を通り過ぎて、レナは自分が買い忘れをしたことに気が付いた。

 頭上の案内板は左に南口、右に北口と東口を示していて、レナは迷わず右を選んだ。

 市販の化粧水とかだったら東口の小さな薬局でも手に入るだろうし、わざわざ遠くまで足を伸ばす必要もないだろう。

 艦の上での生活は長い。滅多にない上陸機会を逃してしまうと、次に地面を踏むのは一か月とか、長ければ二か月もの長いスパンが空いてしまう。だから買い物、とくに日用品の買い足しは短い時間内で、しかも買い忘れなく済ませなければならない。

 はずなのだが。

(まぁ、思いっきり買い忘れしたワケなんですけど)

 レナは両手のビニール袋を半目で見た。

 重い、純粋に重い。そろそろ左腕がプルプルしてきたし、持ち手のビニール部分が次第に細くなってきたせいか指も痛い。

 あーあ、と足元に荷物を置いて、手の甲で汗を拭う。

 道路を挟んで反対側を歩いている男女の組を見て、レナは一瞬だけ呆けた表情になった。

(カップルかぁ…)

 いいなぁ、とは思う。楽しそうだなぁ、とも思う。

 もし付き合いのある男がいればこんなに重い荷物を持たなくて済むのに――という本音を隠しつつ、レナは再び白い袋へ指を掛けた。

 色恋沙汰なんてきっと自分には他人事だろう。

 いつかテキトーな男の人に声を掛けられて、テキトーなところで妥協して、それなりにテキトーな生活を送って、それなりに楽しければいい。

 再び振り返ったとき、カップルは人目を盗んでホテルに入っていくところだった。

 レナは幻滅の2文字を味わった。

 もしかしたら自分も将来――という雑念をブンブン振り払って、少女は再び線路沿いを歩いてゆく。

 住宅地を抜けてしまえば、お目当ての薬局まではそんなに遠くないはずだ。

 突然、ドォン、という地鳴りが響いた。方向はレナの身体が向かっている先、市街地の方角である。

 空気の振動が伝わって、ニレの木の街路樹で休んでいた鳥たちが一斉に羽ばたく。

 花火か? とも思ったが、そういったお祭り騒ぎとは明らかに違う。

 彼女は身を強張らせた。

「今の音って……もしかして」

 疑念が浮かぶより先に、レナの身体は動いていた。2つのビニール袋を街路樹の根元に置き、ダッシュで住宅地を走り抜ける。

 ――胸がザワつく。

 突然聞こえたのは爆発音と、何かが破砕して飛び散る音。落ちる音。誰何すいかの叫び声だった。

「……!」

 最後の曲がり角を左に曲がって、レナは思わず息を飲んだ。

 市街地の中央ブロック――ちょうど飲食店が立ち並ぶエリアが、爆発によって根こそぎ吹き飛んでいた。

 どこかで見た光景が脳裏にフラッシュバックする。レナの左胸が軋んだ。

「くっ…」

 逃げ惑う人々の波に逆らって、レナは前へ前へと進んだ。

 爆発は一度で終わるとは限らないし、もしも逃げ遅れた人がいるなら救助を優先すべきだ。しかし、妙に嫌な予感がする。

 周囲を見回すと、複数人の男たちが集まっている様子が見えた。全部で3人――いや4人。最後に加わった1人が何かを耳打ちして、集団は反対側の曲がり角へ消えていった。

(やったのはアイツらか……!?)

 こういうときの直感だけは冴えている。おそらく間違いない。

 逃がすか、と駆け出したレナを、背後からの呼び声が制した。

「――レナ!!」

 振り返ると、見知った男女が2人走り寄ってきた。1人は小柄な女の子で、もう1人は背の高い男である。レナはその場にたたらを踏んで、

「ニーナ! それにテンペン!?」

「一体どうなってる! デートしてたら急に爆発が起こりやがってな」

「リア充おつ……じゃなくて、本部には連絡した!?」

「俺が無線で入れたぜ。応援の到着までは人命救助を優先しろってさ」

「了解。二人は可能な限り動ける人を集めて、逃げ遅れた人たちの誘導をお願い。私は犯人を追うわ」

「……み、見つけたの?」小柄な少女・ニーナが問う。

「今なら追いつけるハズよ。銃なら携行してるし」

「大丈夫なの……?」ニーナが再び問う。

 前哨基地で最も気弱な性格の少女に上目遣いで尋ねられ、レナは年下の少女を安心させるように頷いてみせた。頭を撫でてやる。

「深追いはしないつもりよ。だから任せて」

「何とかなるって……。だけど、もしも敵がASEEだったら……どうしよう」

 戦争、という言葉が脳裏をよぎる。

 現に統一連合とASEEは、もう半年間の休戦状態を続けている。

 ここ最近二年間の内訳は、中でも一年半に及ぶくだらない戦争と、およそ半年の休戦状態である。むしろ戦争が再開されない方が不思議だとレナは前から思っていた。

 統一連合軍に所属している若年の兵士は、みんな経験がバラバラだ。たとえば目の前にいるニーナのように、半年前の休戦状態から軍に参加した者もいれば、テンペン――否、テンペニーのように一年前の激動期から服した者もいる。

 そして、

「大丈夫よ。戦争そんなことには、絶対させないから」

 レナは静かな声で言い放つ。

 胸ポケットから自動拳銃を抜き放つと、それだけでニーナは息を呑んだ。

 およそ五年も前から統一連合に所属し、今では最強エースの徽章を手にしたレナ・アーウィンのような場合もある。

 ――あの頃の無力すぎる11歳の少女は、もうどこにも居ない。

 一般市民の誘導を彼らに任せて、レナは急いで駆け出した。基地が近いため、救援部隊はすぐに駆けつけてくれるだろう。

 だけど、と彼女は思考する。不安が払拭できないのは事実だ。

 男たちが消えていった曲がり角を左へ曲がる。レナはそこでくそ、と毒づいた。

 少し遅かった――建物の陰から身を乗り出したときは、ちょうど四つドアの車がエンジン音とともに去っていくところだった。とても追いかけられる相手ではない。

 何か痕跡は残ってないか――周囲を見回してみると、視界に入ってきたのは地下水路への門だ。今は扉が開きっ放しになっている。

 近づいて観察すると、南京錠のU字部分が破壊されていて、今はだらしなく金具が引っ掛かっている状態だ。入り口の金属柵には二個の錠が掛けられていたようだが、見事に両方とも壊されている。

 破壊された部分に軽く触れ、においを嗅ぐ――金属独特の鼻につくようなにおいと、火薬の匂い。

 どうしてこんな場所が、と思った矢先。レナはぞっとする思いを味わった。

 ――この地下水路は前哨基地の内部と繋がっている。

 レナは盛大な舌打ちをすると、思い切り柵を蹴り飛ばして水路の中へ滑り込んだ。

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