一九
私は目を見開いた。そうして彼女を、その生徒を凝視した。
その構図は変わらない。彼女の頭上には、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』がある。想起される文言は、そう。彼女が言った、彼女が遺したその言葉だ。
『あなたと私はまた会うわ。きっと会う。車輪の下で』
その言葉、その文言が頭の中で反響する。それと同時に私の中にある、感情にされづらい方の私が、その構図。その展開から見える既視感の正体を割り出した。
三島由紀夫。豊饒の海四部作の二つ目。
『奔馬』。
語り部である本多繁邦が、春の雪の語り部にして、本多の親友であった人物の生まれ変わりと思しき青年と出会う場面。
私は困惑した。現実に起こっている目の前の出来事が、一種の記号、一種の暗喩として私の脳に伝わり、そのようにして私を困惑の渦の中に引き込んでいく。
少女は彼女の生まれ変わりなのか? 現実的な思考が、感情に左右されづらい、私の酷薄な部分でさえも、そのような妄想を安易に肯定しようとしている。あろうことか、生徒たる少女の裸体を、そこになければならない黒子の存在さえも想起しようとする。
そうした一通りの困惑の後に、私は愕然とした。私の職業倫理とはこれほどまでに弱々しい、砂上の楼閣の如き観念だったのだ。見下げ果てたものだ。何ということだ。
私と、その少女との間には、沈黙が積み重なっていった。私は少女と見つめ合いながら、何一つ言葉を発せずにいたのだ。
やがて、少女の方から言葉は紡ぎ出される。沈黙の間を縫うにふさわしい、酷く小さな、頼りない声だった。
「……あの、先生、ですよね」
私は何も考えず、うめき声じみた音を発する。
「え?」
少女はじっと目を伏せた。私の心に罪悪感を抱かせる、鎮痛な面持ちでもって、少女は言った。
「国語の先生ですよね。平岡先生」
そう言ってから少女は私から目を逸らし、手持ち無沙汰に自身の髪の先を手で弄ぶ。
私は答えた。
「文学に、興味があるのかい?」
少女は少し驚いた様子で再度、私の顔を見る。澄んでいて、けれども何処か憂いを帯びたつぶらな瞳の中に、私の姿が映る。
「え。えっと、文学とか、そういうのはよく分かりません。でもなんだか、ここにある小説が気になったんです。丁度、私の真上にある、これです。えっと」
「車輪の下」
「そうです! それです。外国の作家さんなんですか?」
「ヘルマン・ヘッセ。ドイツ人の作家だよ」
「そうなんですね! ……えっと」
少女はまた私から目を逸らし、何があるでもないのに左右を交互に見遣った後に、こう言った。
「私、帰ります」
そうして彼女は図書室から立ち去った。
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