一七
既に夕方五時頃。校庭ではサッカー部に所属する生徒達が練習試合を行っている。既に校舎から生徒は居なくなりだしており、廊下の窓からは夕光が差し、校内の通路には曖昧な空気が漂う。
この学校の図書室は図書委員が受付をする図書室本体と書庫が並列で並んでいる形になっており、生徒達は自由に書庫に出入りが出来るようになっている。
あの日、あの時。私が確かに過ごしたはずのあの青春の中にある図書室とは違う。書庫は解き放たれている。
この歴然とした構造の違いを前にしても、私の記憶に揺蕩う彼女との記憶が残るあの部屋とこの部屋との連続性は揺るがない。
私にとって図書室とは。否、彼女とは一つの観念であった。即ち、彼女と図書室とは一纏まりのもので、彼女とそれに纏わる美とは、そこに差す夕光や、沈黙する本の群々などといったより抽象的な概念の中に存在するのだ。そこに至って、図書室の部屋割りというような、細かな差異は目に映らなかった。というより、本質的な部分ではなかった。
他者から見ればこの認識は、歪んだ、気味の悪いもののように映るであろうが、私の内心とは私のみのものであり、他の誰のものでもないのだ。
「……さて」
私は、図書室内に誰も居ないことを確認しなければならない。図書室というのは校内でも一種隔絶された空間で、何か嫌なことがあった生徒がただ一人隅っこに座り込んでいることもある。勿論、その不器用さは褒めこそしないものの、罵倒されてはならない感情だと私は思う。しかし同時に、そういった生徒を部屋から追い出さなければならないのもまた私の立場なのだ。そこまで考えて、私は飯沼の言葉を思い出した。
『もし見かけても追い出したりしないでくれよ』
仮に居たとして、彼は一体私にどうしろと言うのだろうか。外が暗くなるまでここに居ることを許せと言うのだろうか。その間、部屋を見張っていなければいけないのは私だ。当たり前だが私も暇じゃない。明日以降の授業の準備をしなければならないし、何より私はこの空間に一人で居ることに強いこだわりがある。
成る程、と私は内心で理解する。彼は私に体よく面倒を押し付けようという考えなのだろう。勿論、そのまま言いはしない。私が言葉を取り繕うように、彼も言葉を取り繕う。結局、人の言葉の真意をはかりきれなかった私の問題だ。
そう思うと、私も少しだけ機嫌が悪くなる。その生徒がどのような不幸な事項をもってそのような立場にあろうと、私がそれに過度に暖かく対応する必然性は何処にもない。私はどこぞの担任でもない、ただ国語を担当するというだけの一教師だ。その生徒には悪いが、なるたけ業務的に接してやろう。私はそう考えた。
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