一六
新入生が入って二ヶ月ほど経ち、生徒達の会話の中に『夏休み』の単語が浮かび始めた頃に、私は図書室の管理を任されるようになった。これは以前から私が、珍しく自主的に希望していたものだった。別に何か特別なことをしなければいけない、というわけではない。図書室から生徒が居なくなったのを確認したら、図書室の窓の鍵を締め、部屋の鍵を締める。それだけだ。
それでも私にとってこれは重要な出来事であった。授業とは別の、本を読みたい生徒だけが集う空間。あの学校特有の気圧されるような若さから一線を画した空間。何より、私と彼女の思い出が図書室という空間には詰まっている。場所は違っていても、図書室というのは同じ世界観を有している。あの、彼女と私が一緒に居た図書室とこの図書室とは、見えないところで接続し合っているのだ。
私がその日、自分の受け持つ授業全てを終え、私は図書室の鍵を持って職員室から出ようとした。しかし、職員室を出る寸前に、別の教師から声をかけられた。
「平岡先生」
その声の主は飯沼茂であった。
御年六十近いベテランの教師で、この学校に勤めて既に六年は経っている。この教師は学内における重鎮であり、発言力だけで見れば校長にも引けを取らないものがあり、そして私は、この人物にどう応対をするべきか未だに決めかねていた。苦手、と言ってもいい。
やや緊張しながら、私は言葉を返した。
「飯沼先生! どうされましたか?」
飯沼は難しげに片眉を微妙に吊り上げ、厳かな音調をもって話し出す。
「いやね、君。ほら、図書室の戸締まりをやっているだろう」
「ええ、そうですが」
「私が受け持っている1Aの生徒が、まあその、所謂あれなんだ」
そう言って半ば困り顔で私の方を見る。これは彼が暗に、察しなさいと言っているのだ。
「……成る程。登校がスムーズに行ってないわけですね」
或る適した形を持った言葉を、屈葬するように折り曲げて話をする。これに的確な語彙は間違いなく『不登校』なのであった。しかしそのような直接的な言い回しは即座に彼の機嫌を損ねることに繋がる。
飯沼はその言を気に入ったのか、一歩私に近付いて、言葉を繋げる。
「そう、そういう子なんだ」
成る程。これは女子生徒の話なんだな、と私は理解する。
「その子がね。図書室が好きで、授業には出ずにそこに居るんだ。もし見かけても追い出したりしないでくれよ」
「成る程。承知しました」
私がそう答えると、言葉もなく彼は踵を返し、私の前から立ち去る。その後ろ姿を見て、一定の距離が離れたのを確認してから私は職員室を後にする。
そうして無人の廊下を歩く最中、私と彼の関係性について一つ、ぴったりと当てはまる文言を思いついたのであった。
『主人と召使い』。
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